プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ああ、そうだね!
なるほどね!
まぁそりゃそうだわな。

という人が少なく

いや、それは違う
いや、それは考え方がなっていない(おれの考えは常に正しいのだが)
わけがわからん、こいつは(無条件に)バカだ

という人が多いのは何ででしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

会話をしていて、ある意見ないし事実の認定をなげ掛けた場合、必ず、「いいや、それは違う!」という返事の返ってくる人間がいるのは私も確認しています。

それもかなりの割合ですね。
確かに、心の柔らかさということがひとつのポイントだと思います。
自分の持っている意見を X と置くと、相手の意見が X+0.01X であっても許容できないという狭量な人、いわゆる頭の固い人間ですね。
ある程度考えを柔軟に出来るひとは 相手の答えが X±0.3X くらいまでは許容できるはずです。 X±0.6 くらいまでは受け止めておいて、じわっと自分の意見へひきよせていくという手法をとるひともいます。

もうひとつのタイプは、非常にプライドが高く、相手の意見をはなから許容しないという人間です。私の地方にはそういった人間がよくいますが、「いいや!違う」といっておいて、自分の意見を言い始めたら私の意見とまったく一緒だったということもしばしばです。さすがにそれを指摘すると、ちょっと別の意見に変えて反論を開始します。つまり、相手の意見をまったく聞いていないのです。

更にこれらとは違った否定型人間もいます。相手の意見を聞くには聞くのですが、残念なことに理解できず、自分の意見と刷り合わせが出来ない人間です。この質問箱に多いタイプです。

欧米の社交界では相手の意見は真摯に聞く、そして一旦は全面肯定をする。相手をいい気分にさせてから「それは確かにそうなんだ、でもね、君、実はこういう考え方もなくはないんだ、それはね--。」といってじわっと自論を開陳する。そういった会話が最低限のエチケットになっていると思いますよ。日本とはかなり異なっていると思います。これは本来日本ではパーテイやサロンで会話を楽しむとかいう習慣がなかったこともありますが、硬いところでも議論を交わすということがなくてその技術が発達しなかったという事実があります。
読書が廃れた時代、日本人もこれからは大いに議論しあって知力を高めていかねばならないと思います。

この回答への補足

>相手の意見を聞くには聞くのですが、残念なことに理解できず、自分の意見と刷り合わせが出来ない人間です。この質問箱に多いタイプです。

ここでしばしば感じた違和感っていうのは、こういうことだったのですかね。非常に残念な事実ですね。

補足日時:2009/07/15 23:42
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この回答へのお礼

否定することが日常的なような人間とは、いったいどういう精神構造なのか、よくわかりません。本当に柔軟性がないのか。プライドが高いというのと、話を聞かないというのはまったく違う気がしますね。それはプライドと言うのではなく、傲慢と言うものです。
欧米にはディスカッションの傾向がありますからね。当然話しがきちんと展開されやすいのでしょう。

お礼日時:2009/07/24 19:55

ぽこぺろぽです。

ご返礼をいただきありがとうございます。ガーコンさんのお気持ちは、承知いたしました。こちらこそありがとうございます。

 質問と回答とのバランスでいえば、質問に複数の回答がつく場合が多くなければ成り立たないのですが、各々が考えた上で、どちらかに偏らないのなら、問題はありません。これは、相互理解と健全な精神との問題です。私は、拙問にお寄せいただいたご回答と拙答とが、ほぼ同数であるのが理想と考えております。それに照らし合わせると、質問超過であるのが現状ですし、私から回答に出向いて、《履歴チェック》を広める必要性を痛感しております。お心の柔らかいガーコンさんの基準を尊重いたしまして、履歴チェック推進運動のエースしての、回答活動に御協力をいただいている次第であります。

 また、自己紹介で、ガーコン基準を高らかに謳われてはいかがでしょうか?これを守ることが、心の柔らかさに繋がると考えております。自己紹介に、強力なインパクトがあることは、よくご存じでしょう。ご検討のほどよろしくお願いいたします。

 逆に、心の頑なな例を掲げます。拙問をご参照ください。

〔恋愛相談〕 《教え魔》に、恋愛はできますか
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5151200.html

 《教え魔》ほど、《教え魔》を擁護し、質問趣旨を勘繰る好例です。女性の《教え魔》も登場しますので、各回答者の履歴をご参照の上で、ご覧になってください。ご参考まで。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
自己紹介はちょっと苦手な性分でして。照れ屋なんですね。
教え魔恋愛のスレ読んでみました。
やっぱり、まともじゃない人とまともな人が共存している感じですね。このまともな人たちをなんとか大きく大事に出来れば、ずっとここはよくなるでしょうと思います。

お礼日時:2009/07/25 00:27

『バカの壁』をお読みになり、《履歴チェック》もなさっているガーコンさんには、既におおよそのことがおわかりだと存じます。

彼らは、そもそも人の話を聞く気がないのです。質問タイトルを見ただけで、反駁を決め込む愚かな方々です。何事からも学ぶ気がないのですから、彼らは棺桶に片足を突っ込んだも同然です。老人や死者は労るものです。

 ところで、柔らかい心といえば、うなずくことももちろんですが、感謝の気持ちを表すことが大切です。ガーコンさんと知り合えて、多くを教えられ、盟友としての運命を共にできたことには、大変に感謝しております。われわれよりも強い絆で結ばれた利用者が、他にいるのでしょうか?その他にも、皆さんに感謝して、賛美する投稿を、多く心掛けております。皆さん、本当にありがとうございます。

 ガーコンさんは、柔らかいお心の持ち主ですから、他の方も勧められているとおり、ビューティフルな自己紹介を書き加えていただきたいと存じます。また、私に対してばかりでなく、皆さんへのお礼には、必ず「ありがとう」とお書きになるようにお願いします。「ありがとう」がなければお礼ではありませんから、いくらガーコンさんがお優しくて相手が悪くても、誤解される素ととなります。

 それから、新しく設けられた、いわゆるガーコン基準ですが、公式そのものは、素晴らしくわかりやすいものです。もちろん、質問と回答とは等価ですが、数量的には同数ではまずいのではありませんか?0.1≦回答数/質問数≧10では、質問偏重になります。なぜなら、質問1に対して回答1の場合、回答が複数ついた質問があると、回答がつかない質問ができてしまうからです。サイト全体では、質問1:回答4強程度で推移しているらしいので、総数そのものは、バランスしています。

 問題は偏っている者の心性です。極端な偏りがなければよいわけですし、質問に対して複数の回答が望まれるわけですから、0.3≦回答数/質問数≧30くらいでもよいのではありませんか?質問数100:回答数10では、いかにも《教えてちゃん》ですし、質問数100:回答数1001では、《教え魔》とまではいえないでしょう。実際の《教え魔》は、年間に数千回の回答をしていますから、急激な変化を避けるためにも、回答側への判断を緩める必要があります。あるいは、この数字には弾力性が必要でしょう。是非とも、心の柔らかい基準をお示しになってください。
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この回答へのお礼

「学ぶ気がない」
そういう人間はどうやって形成されるのか興味があるところです。本当に私の身に起こらないことなので、ミステリーなんですよ。薄汚い自己満足を味わっているのが一番幸せな人間たち。わかりませんねぇ。

いろいろとpokoさんの姿勢に励まされ、このサイトに感じる不満や疑問を多く展開することが出来まして、感謝に絶えません。

私は、基本的に社交辞令を厭う人間なので、どうもありがたくない回答にはありがとうをいわない姿勢を貫こうと思います。

ガーコン基準は、10倍と言うゆるい規制なので、ここに入らないとどうかと思いますよ。0.1≦質問数/回答数≦10これは質問回答の多寡にかかわらず一定でいいのではないでしょうか。1個質問したら10個まで回答でき、10個質問したら1個は回答する。これでも十分異常な状態だと思いますよ。本来2から3倍に収まるべきです。
ポコさんは3から4倍の回答ということを見越してご自分の数を合わせているのかもしれませんが、それは個人の裁量でよいのではないでしょうか。10の範囲を超えない限り、全体ではうまく行くような気がします。

お礼日時:2009/07/24 20:33

おはようございます、garcon2001さん。





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ああ、そうだね!
なるほどね!
まぁそりゃそうだわな。

という人が少なく

いや、それは違う
いや、それは考え方がなっていない(おれの考えは常に正しいのだが)
わけがわからん、こいつは(無条件に)バカだ

という人が多いのは何ででしょうか?
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理解が足りないからじゃないのかな?

【シングルフォーカス】
http://www.sapporoyougo.hokkaido-c.ed.jp/2jihei. …



『光の中に』金 史良
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/nove …


「善人と悪人とを、あるいは善人と思われる人と悪人と思われる人とを分けるのは、用心深さか偽善でしかない」と
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お返事ありがとう。


「このQAコミュニティーについて」と言うカテゴリが設置されているようです。この質問は、それに入ってちょうどよいのではないでしょうか?
よろしければ改めて、ゆっくり、落ち着いて、正しい語らい、善き語らい、柔らかな語らいについて語らうのもよいかもしれませんね(^^)
その時には、ぜひ参加したいと思います。(声をかけてください、もしくは、自己紹介欄にでも、「○○カテで△△について語り合っています。よろしければどうぞ」などと書き置いてくだされば、この掲示板を閲覧するときには、garcon2001さんの自己紹介欄をチェックすることで、どのような質問をメインに開催されているのかを確認できます。)
また、素晴らしい質問を立ててください。
では~(^^)/

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/c517.html
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この回答へのお礼

どうも、お世話様です。

お礼日時:2009/07/24 20:23

同意とか、非難とか、知れることとはあまり関係が無くないかな?


同意してくれても知れなければ意味がない。
非難されたとしても、それが的を得ていたなら、受け入れなければならない。
そこらへんが柔軟さ?でしょうか。
柔軟さの元は、自分の目的が、はっきりしてるかしてないか、そこらへんかなと思います。何が知りたいのか、アドバイスも含めて、何なら答えられるのか、ということです。

自分はここ2.3週間ほど閲覧しましたが(数年来の閲覧です)、私が見た最近のものに限っては、議論の紛糾する原因は、質問者にもけしてまぬかれ得ない責任があるものが多いと思います。
意味が不明な質問や、カテゴリの違う質問が多い。ソースも限定的なままに、つい口走った感のある疑義が少なくありません。哲学的なことを問うているようで、本当の目的は社会問題、というものが多くまぎれているのも気になります。疑義が、専門分野以外のアプローチによって解決されることもありますが、その分野にはその分野で無ければ解決されえないこともあるでしょう。ここは、後者の場であると知っておかなければならず、議論の対象へのアプローチを変える場合は、カテゴリを移動したほうが良いのではないでしょうか。「○○へ移動しましょう」のように。
哲学は知っている人の少ない専門分野だから、本来こんなに紛糾はしないはずなのに、外(異分野)からの持込みが多すぎる。(自分も昔やったので人のことは言えないけれど。)
自分の目的のはっきりしている人は、質問をするときにも的をはずさないのではないかな?
やり場の無い気持ちを落ち着けて、なんでも哲学版ではなく、ちゃんと質問すべき場所や人を探すのがいいと思います。
哲学カテゴリ以外にも、QAサイト以外にも、実際の社交の場でも、問う場、答える場は(自分が向きを変えれば)たくさんある。
その道に通じた学識豊かな人に質問をできるように、少しだけ慎重になろう。
 
回答する側は、場の目的を意識して。

ここに参加する場合は、QAサイトのセオリーをもう一度思い出して。
私もあらためます。

この回答への補足

この質問は、どのカテゴリーがよいかお分かりになりますか?

補足日時:2009/07/18 00:18
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No.1です。



私はここでは文章が長いことで有名なんですね。笑

<短い文章を使って的確に相手に自分の考えを理解させることができない。>

私が自認する短所の一つ。
 

論文や小説を読むことに慣れている人なら、私が序文でガツンと一発かませば、興味を持ち、辛抱強く長文を最後まで読もうとするかもしれない。

しかし30分アニメに慣れている人には長文はしんどいでしょう。
でも小説は読まないが、30分アニメに親しんでいる人が圧倒的に多い昨今。
その方々の存在を考慮して作文をしなければ、思っていることが相手に伝わらない。


で、欠点を解消しないとと思い、文章作成の講義を受けてみた。
Aの評価をもらいましたが(A+からD-までありD以下だと単位取れない)、相変わらずこの有様。笑


で、単位認定試験の時、文章が書かれており、それに対して<この文章を読んで論じよ>という課題が出たんですね。

感想文を書くんじゃないし、文章に書かれた文字を拾い上げて、短くまとめてもダメ。

<論じよ>ですから、作者の思想を理解し、自分の言葉を使って作者の主張に賛同するか、反論するかしなければならない。

それにはまず読解力が必要なんです。
これが無ければ、50分以内に長い文章を読み、作者の主張を理解し、それに対して自分がどう思うか頭の中でまとめあげ、それを手書きでカキコするまでこぎつけない。


で、課題の文章は「何故なら」と以下に根拠が述べられているとはっきりわかる文章ではなかったんですね。
こんな文章を50分の制限時間内に論じろ ですから、ひーーーーっ です。


だけど課題として採用されただけに、読めば何をどういった根拠を持って主張しているのか、はっきりとわかる文章でした。

例えで根拠が明確化されており、主張を読んで「もっともだ」と思ったので、作者の主張側にたって、作者の主張を自分の言葉で論じることができました。
(否定の方が難しいというか、あの主張を否定して論じることが出来る人はいないでしょう。)



で、今回の今までの私の文章を読まれたとしてあなたに質問です。
前回質問に対する直接の返信を、私はしていませんよね。
どうしてだと思います?
これは私が答えます。
出来なかったから。

では、どうして私は質問に沿った返信ができなかったのでしょう。

何故あなたの文書を読んだ私は、その質問に沿った返信をすることができなかったのでしょう?

今回のことと関係が無い?
いえ、関係あります。
今まであなたがされた質問に対し、あなたの満足する返信が来ない理由と関係があると思います。
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この回答へのお礼

前回もお世話になりましたが。
心の柔らかさとか、顔の美醜であるとか。
私が日常的に感じる疑問です。

お礼日時:2009/07/24 20:17

 生活環境、政治環境を受け入れて心が駄目になっちゃって下世話なお節介をやくことしかできなくなってしまった人の言は、やはり話半分以下で「はい、はい」と聞いておいたほうが良いでしょう。



天上天下 唯我独尊 とは、釈迦が「俺が一番偉い」と言ったのではなく、どの人にとっても自分が一番尊いということを自覚すべきだ という意味でしょう

 こんなことも解らないようではやはりアタマが駄目になっちゃったんですかね...
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この回答へのお礼

一種、人間がダメになっちゃった状態だと思いますね。まず、他からの流れを受け入れなければいずれ干からびるわけですから。

お礼日時:2009/07/24 20:01

こんにちは



>という人が多いのは何ででしょうか?
御貴殿の置かれている状態は
60年安保で当時の岸総理の境遇と同じでは?
反安保闘争が吹き荒れる中
「声なき賛同者が国民に多数存在する」と側近に述べたそうです。
現在では日米安保条約に異論を唱える者は極少数です。

上記の様な感想は持たずに
御貴殿もこのQ&Aサイトの中に声なき賛同者が多数存在すると
お考えになり、孤軍奮闘されては如何ですか。

不快な又は嫌な回答がストレッサーにならず
ストレスも受けずに済みます。
「念ずれば通ず」「一心岩をも砕く」と古来から諺も有ります。
勿論、「必勝の信念」を片時も忘れずに持ち続けるのが前提ですが。
御貴殿にはその気持ちが有りますか?

天上天下 唯我独尊タイプの御貴殿には耳にはいらないと思いますが。
お節介ついでに
良好なコミュニケーションとは
「自分もYES 相手もYES」の状態を指します。
では、どうやって自分の主張を相手に
反感(自分はYES 相手はNO 又は自分NO 相手はYES)買わずに
受け入れさせるかが問題になります。

そこでソーシャル・スキル・トレーニングの一種である
コミュニケーション・スキルの必要性が出てきます。
代表的なものとしてアサーショントレーニングがあります。
このスキルはアメリカで開発されました。

自分も如何なるところでも場を弁えず、担当直入に
YES/NO・正誤を発言してしまう病識(メンへラー)が有ります。
それを改善するのに有益でした。
今でも時々脊髄反射状態になる未熟者ですが
カミングアウトしておかないと誰かさんと同様な
厚顔無知な者と認定されちゃいますからね。

いかに自分の主張を相手に受け入れてもらうか
または反論するかには有用です。
基本の「自分もYES 相手もYES」の状態を
作り出す事に主眼がおいてあります。
公開講座、セミナー、書籍が出ています。

このQ&Aサイトでの御貴殿の態度が実像でない事を
御祈念申し上げます。
仮に実像であっても某心療内科医の言葉ですが
「性格も悪癖だと思えば変えられる」と有ります。
余計なアドバイス失礼しました。
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この回答へのお礼

どうも、これだけこのサイトをやっていると、岸総理のような確信が持てなくなりますね。ここは人間の偏った傾向があるのではないか?

お礼日時:2009/07/24 19:59

自分の命の投影が周囲ですから、自分が変わると、周囲も変わります。


>>という人が多いのは何ででしょうか
あなたがそういう人だから、そういう人が目に入ります。
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