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「エゴイズム」や「打算」の定義には個人差があります。

あなたは親が子に注ぐ愛情を「打算」だと考えますか?
それとも考えませんか?

親が自身の子に愛情を注ぐのは、
自分の子孫を残すための無意識の本能です。
皆さんはこのような無意識的行動も、
「エゴイズム」の定義の中に含めますか?

A 回答 (7件)

親になって四半世紀以上たつ者ですが…、


そうですね…自分の血を引く生物に対する愛情(本能)ですので、無意識のエゴといってもいいかもしれませんね。

ですが、

>あなたは親が子に注ぐ愛情を「打算」だと考えますか?

考えません。
エゴは、打算とは違うと思います。
打算で子を育てるというと…「この子は将来、大実業家になり、親に莫大な恩返しをしてくれるだろうから(それを見込んで)一所懸命育てよう」
というようなことだと思っています。

私を含め、たいていの親は、そういうことを思って子を育ててはいないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/20 12:33

>あなたは親が子に注ぐ愛情を「打算」だと考えますか?


>それとも考えませんか?

 子供を“自分の”「損得の道具」とは考えたくもありません。(できません!!)


>親が自身の子に愛情を注ぐのは、
>自分の子孫を残すための無意識の本能です

 “自分の子孫を残すための”が余計ではないでしょうか?
さらに“本能”なのでしょうか?
(心理学は分かりません。ただ、人間と動物を同一視するのは、どうなのでしょうか?)

 『親は自分の子に、無意識のうちに愛情を注いでしまう』ではないでしょうか?


>皆さんはこのような無意識的行動も、
>「エゴイズム」の定義の中に含めますか?

 『親は自分の子に、無意識のうちに愛情を注いでしまう』

これは、「エゴイズム」(利己主義)というよりも「利他主義」ではないかと思います。


               偉そうに大変失礼致しました。<(_ _)>


  


 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/21 13:59

打算と言う言葉は使いませんが、


のちのち養ってもらうつもりで、
それなりの愛情は注ぐと思います。
そのような計算や計画なしで、
自然にわいてくる愛情や、無意識の本能は、
たぶん、私には希薄だと思います。
私を養わせるためのエゴイズムではあっても、
無意識的行動はエゴイズムではないと思う。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>無意識的行動はエゴイズムではないと思う。

なるほど。無意識的行動をエゴイズムに含めない訳ですね。

お礼日時:2009/07/21 13:51

無意識の本能が「エゴ」であるならば、それらの根源である、


宇宙の存在そのものが「エゴ」であることになりそうです。

そう思ったら、宇宙にも「エゴ」があるのかもしれない。
そう疑問に思うのが妥当です。
質問の趣旨から言うと、宇宙にも「打算」があるのかもしれない。
ということにも繋がるかもしれませんね。

思いっきり拡大解釈して捉えてみましたが、
宇宙に「打算」や「エゴ」があるって考えるのは、
夢がなくて楽しくないから、考えません。
だから、親が子に注ぐ愛情も「打算」や「エゴ」だと思うと味気ないから、考えないですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/20 12:38

エゴイズムの定義は、まぁ曖昧さもあるとしておきましょう。


それだけで延々とした議論に発展する危険もありそうです。

無意識の本能により、親が子を育てる。
それが無ければ、子は育たない。最悪死んでしまう。
よってこれは、一方的な親のエゴイズムではないと。まずは考えることができると思います。

又、前後しましたが、親が子に注ぐ愛情が打算か否か。
二分論で決めようとすれば、それは無理です。そう決めようとすること自体が、甘えでしょう。
打算の愛もあるでしょう。無償の愛もあるでしょう。どちらか100%の親なんて、まずいないです。
両方ある。後はバランス、程度問題となると。それだけのことだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/20 12:25

>「エゴイズム」や「打算」の定義には個人差があります。



「エゴイズム」の定義は一般に使われているのは定説外。
個人差が大きく定義不能なものを物差しにはできないでしょう。

>親が自身の子に愛情を注ぐのは、
>自分の子孫を残すための無意識の本能です。

愛情が本能ならば虐待や子殺しは起きないでしょう。
人類における愛情は本能ではなく、体験から会得するものにしか過ぎない。

子孫を残す性本能も男女を引き寄せあう事でしかなく、
性行為自体は学習無しでは不可能である。
動物園の類人猿はビデオで教育しないと性行為ができない。

「打算」があるものは「愛」ではないが、
養育には「打算」が含まれる場合もある。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/07/19 23:46

私はまだ親になっていないので


子供の立場からしか意見は言えませんが、
私の回答は

親が子に注ぐ愛情は打算もしくはエゴイズム
で無いことを願う。

ですね。
少しズルイですか?^^;

子供が産まれるということは
もちろん自然に湧き出てくるわけではないから
両親の性行為があるわけで、
産まれるということは両親の望みの元に成り立ちますから
その『赤ちゃんが欲しい』という思いを
エゴイズムと呼ぶことは不可能ではないと思います。
ただ、それは悪意でないことがほとんどだと思うので、
このような純粋な感情は
私個人としてはエゴイズムとは呼ばないです。
無償の愛と呼びたいです。

ただ親がエゴイズムでないつもりでも
子供は親のエゴだ!と感じる時もあるでしょうし、
中には子供を言いなりにさせようとしたりする親もいますから、
そのような行為にはエゴイズムが含まれると思います。
難しいですね^^;

希望としては親は『産まれてきてくれてありがとう』
という気持ちで無償の愛を注ぐべきだと思います。

まとまりのないあいまいな回答で申し訳ないですが、
私の結論としては

親が子に注ぐ愛情は無償の愛であるべきである。
しかし、親によっては打算・エゴイズムに走ってしまうこともある。
無意識行動をエゴイズムの中に含めるというよりは
無意識行動の中に、時にエゴイズムが生まれる可能性はある

と考えます(^-^)

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

ところで、

>中には子供を言いなりにさせようとしたりする親もいますから、
>そのような行為にはエゴイズムが含まれると思います。

これが行き過ぎると、虐待につながりかねません。
最近は児童虐待も問題になっていますね。

補足日時:2009/07/19 23:40
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