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神道では天照大御神を最上の祖神の地位で敬う一方で、国と神を生んだイザナギの扱いが他の神と比べても高くないように思います。



古事記・日本書紀を見るに、最も初めに高天原に現れたのは天御中主神でした。

しかし、神道=天皇家支配の正当性の根拠とする為、天皇家とは直接血のつながりのない造化三神は自発的に退場したこととし、その何代か後で高天原を支配する天照が最も偉く、彼女の直系の子孫である天皇家こそ日本を支配するに相応しい、としていると認識しています。


しかし、造化三神ではなく天照をトップに置く根拠が天皇家の血統であれば、天照の親であるイザナギ・イザナミまで直系で遡れ、又、彼らは神生み国生みと日本の支配を正当化するに十分な功績があり、天照に高天原の支配を命じたのも彼らだったと記憶しております。


その背景の上で何故、神道においてイザナギの位置付けは高くないのでしょうか?

A 回答 (6件)

それは記紀で描かれてる神々の時代の歴史が今考えられている以上に古いからです。



記紀は天武皇の時に編纂されましたが、その前に天皇記、帝紀など更に古い書物があったのです。

その中では天照大神こそが最高神だったのです。

天照大御神が太陽を表すという人がいますがまさにその通りなのです。
お天道様を奉り崇める国、それが日本なのです。
初日の出では日本人は必ずお天道様に向かって拝みます。

それがイザナギなどの神が出て来てしまった背景は後々判明することになるでしょう。

しかし太陽を天照大神様とみなして拝む習慣そのものには間違いはありません。
それが日本人なのです。
国旗を見てください。太陽が描かれているでしょう?
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5世紀の河内王朝の(応神天皇以下数代の)天皇にとって、淡路は重要な聖地だったらしいです。

しかし朝廷の勢力が東国に及ぶにつれて、伊勢が重要視され始め、やがて淡路を聖地とする考え方は廃れていった、ということが言われます。というのはこの時代の『記紀』には淡路に関する記事がよく見られるのですが、後の時代では淡路関係の記事は全く出てこなくなるからです。

そこで、淡路と関係の深いイザナギ・イザナミもかつては朝廷から尊崇されたが、やがてアマテラスにとって代わられたことが想定されます。

(参考文献:谷川健一『常世論』の「淡路の海人族」)
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 私は、単純に神武天皇から男系で遡っていって天照の所で男系で遡れなくなるので、彼女を天皇家の皇祖神としたのだと思うのですが…。


 (天皇家から見たらイザナギ・イザナミは女系の先祖)
   http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/ …

 なお造化三神の内、神皇産霊神・高皇産霊神(古事記では「高御産巣日神」)は、その活動が皇室・朝廷に直接的に大いに関係していると考えられたため、神祇官八神として八神殿に祀られています。

 そして天照の孫で天孫降臨する「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命」(ニニギ)は、母方の祖父が高皇産霊神(性別が無い神ですが…。)ですから、イザナギの様な女系の祖先を皇祖に含めると、神格から言って高皇産霊神の方が皇祖神に相応しくなります。
 (この神が本来の皇祖神だとする説もある。)
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AB% …

 後に天皇家の地位の継承の根拠を、血縁が男系である事に求めたので、女系の先祖になるイザナギや高皇産霊神の扱いが悪くなったのではないかと想像しているのですが…。
※添付画像が削除されました。
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もともと淡路あたりの海人族に伝わっていた天地創造神話の主人公(神とはかぎらない)だったのが宮廷神話に取り入れられた、らしいです。

確かにこの説明だと、イザナギがほとんど淡路以外で祀られていなお
いことの説明がつきます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

もともと格付けというか役割(天照を祖神として最上の地位に)ありきで、後から各地の神話を集め、整合性を合わせて日本神話を編纂した。

それぞれの神への信仰は神話編纂前から既に存在しており、日本神話上の神同士の関係や役割は後付けにすぎない。

だから、その関係・役割が外形上偉そうなものだとしても、極端な話、神話統合の都合でそうなっただけで、それ以前からある信仰レベルや神格は変わらなかった。

こんな感じの理解でいいのでしょうか?

お礼日時:2009/07/23 19:12

はじめまして。



私の勝手な推論であることをまずお断りしておきます。

イザナギは死んだイザナミを迎えに黄泉の国へ行きますが
変わり果てたイザナミの姿をみて恐ろしくなり
1人(神様だから1柱かな)元の世界に戻りました。
そして、禊ぎをし、左目を洗ったときに天照大神が
右目を洗ったとき月読命が、鼻を洗ったときにスサノオが生まれました。

天照大神は月読命やスサノオとはいさかいをおこして決別し、
イザナギの三柱の御子のうち、天照大神だけが天皇家へと繋がります。

イザナギは天照大神の父親ですが
月読命やスサノオの父親でもあります。

なので、天照大神に比べて扱いが低いのではないでしょうか。

天皇家は月読命やスサノオの父親でもあるイザナギの子孫ではなく、
あくまで天照大神の子孫である、ということが大事なのだと思います。

しかし、天照大神は天皇家の子孫ではありますが
天照大神より深い信仰を集めたのはスサノオやスサノオの子だとか6世の孫だとされる大国主命です。

特に大国主命を祀る出雲大社の神殿は平安時代には
奈良の大仏殿をもしのぐ高層建築であったとされ、
深い崇敬を集めていたことが伺えます。

怨霊信仰は平安時代になってから生じたとする説が一般的ですが
私は記紀が記された奈良時代にはすでにあったと思います。

というのは、奈良県桜井市の大神神社の御祭神である大物主命が祟ったなどという話が記紀には記されているからです。

天照大神は葦原中国を治めるのは自分の子孫であるべきだとし、
葦原中国を治めていた大国主のもとへタケミカヅチとフツヌシを派遣しました。
そして大国主はタケミカヅチとフツヌシに迫られて国を譲りました。
つまり、大国主とは怨霊であると思います。

かつて、神と怨霊とは同義語であったといわれます。
怨霊は祀らなければたたるが、十分に祀れば多大なご利益を授けてくださる、と考えられていたのです。

そのため、スサノオや大国主命は天照大神以上に厚く祀られ、信仰されていたようです。
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この回答へのお礼

とても面白いお話、ありがとうございます。

単純にイザナギと天照の2柱だけで比べていましたが、他の神様との関係を合わせて考えてみるのも大切ですね。

日本神話に興味を持ち始めてから日が浅いので、こういうお話、すごく楽しませてもらいました。

お礼日時:2009/07/23 18:41

おはようございます。



現在伝えられている日本神話は、大和朝廷によって古事記、日本書紀で作られたもののようです。

神道発生以前の日本には“太陽信仰”があり、天照大神はそれを神格化したものだそうです。
さすがの大和朝廷も、庶民に深く根付いている信仰を根本から覆す訳にもいかず、天照と言う神を作り皇祖神として祀ったのが始まりのようです。

古代史は資料が少なく、解明されていない事がとても多いので、参考程度にお願いします。

この回答への補足

改めて自分の質問を読み返したところ、なんだか気持ちの悪い日本語ですね…

携帯からでしたのでお許し下さい

補足日時:2009/07/20 09:30
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この回答へのお礼

解答ありがとうございます。

なるほど、古来から存した太陽信仰の具現が天照なのですね。

まず天照を祖神に置いた上で、後から詳細な神話をつくったのであれば天照の位置付けも納得です。
順番が逆で、結果から入ってるわけですから


ただ、天照以外の神々と比しても、イザナギの扱いが決して良くないのは何故なのでしょうか

お礼日時:2009/07/20 09:20

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