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先日若手ピアニストの登竜門の1つとされる、第7回かずさアカデミア音楽コンクールの2次予選と本選を聞きに行ったのですが、審査の公平性に疑問を感じたので、他のコンクールも、この程度のものなのか、ぜひ知りたいと思っています。
よろしくお願いします。

私が感じた、このコンクールの審査結果の問題点は、主観の問題以前の次元で、下記に述べるような、客観的で明白なものです。
2次予選、本選の曲目規定について、
http://www.kap.co.jp/kazusa/piano/info/data7.htm
をご参照いただきたいのですが、

(1)2次予選の曲目規定違反者が、本選(8名)に選ばれた。(当日になって失格扱いとなっていた。)
本来、曲目提出時の1次予選(70名)前の段階で失格しているべきで、2次予選(25名)に出られたこと自体が不正だと思うのです。
具体的には、2次予選では、古典派かロマン派のどちらかをかならず一曲演奏しなければならないのに、バッハ(バロック)とプロコフィエフ(近現代)だけを演奏していました。
なお、彼女の本選の提出曲目は、ベートーヴェンとシューマンですが、会場における当日の説明では、本選の提出曲目に違反があった、とのことでした。
しかし、運営委員会に問い合わせたところ、本選ので両方演奏することは許されるのだが、2次予選で、古典、ロマンのどちらも演奏しなかったのが失格理由だと、説明を翻しています。
これは、下記に述べる上位入賞者2名を守るための詭弁ではないかと思うのです。

(2)本選の曲目規定違反者が2名、2位と3位に上位入賞していました。
これも明白な違反だと思われるのですが、2次予選、本選とも、古典派とロマン派を両方演奏してはいけないのに、両方演奏していました(モーツァルト+ショパン、ベートーヴェン+フォーレ)
運営委員会によれば、(2)については、演奏者から、直接、コンクール運営委員会に問い合わせがあったようで、そのとき、口頭で、「両方演奏しても良い」と回答したとのことです。
つまり、口頭でしか伝えられない、裏ルールがあるというのが、運営委員会の説明なのですが、社会常識として、この説明は成立するでしょうか? このルールは自分の読解力で理解できたと思って、問い合わせなかった参加者には、実は、古典ロマン両方、同じ審査段階で弾いてもよいことになっている、という裏ルールを知るすべはないのです。
事実、他の演奏者は、規定を守って、古典、ロマン以外の難解な近現代曲を演奏していました。
そもそも、両方演奏してよいのに、「両方演奏しないこと」という規定を設けるということは、ありえないことだと思います。

優勝者のブログを読むと、優勝者自身が、自分の優勝を不思議がっている様子がビビッドに伝わってくるので、いったいこのコンクールはなんだったのだろうか?と感じます。

背景として、この、優勝者、(1)の不当な本選進出者(後に失格)、(2)の不当な上位入賞者の全てが芸大で、審査委員も、8人中3人が芸大で最大派閥(他大学は1名ずつ)、(2)の上位入賞者は、審査委員に師事している、という、事実があるのですが、これは、やっぱり、学閥支配だということなのでしょうか?

また、他のコンクールも、だいたい、このような、派閥支配の、不正なコンクールばかりなのでしょうか?

ピアノのコンクールに興味を持ったのは最近のことなので、事情に詳しい方、教えていただきたく思います。よろしくお願いいたします。

A 回答 (5件)

私は、問題のコンクール自体には詳しくなく、完全に部外者素人ではあるんですが、この質問のコンクールって、本当に業界で「若手ピアニストの登竜門の1つ」として権威が確立してるほどのコンクールなんですか?



いやこれは、決して質問者の方のお考え(なのかどうかわかんないですが)を揶揄するような気は毛頭無いのですが、たかだか7回目という歴史の浅さもさることながら、公式WEBに紹介されている設立時の流れが、モロに
『バブル期の地方振興過剰盛り上がり路線に乗った底の浅い「自称:文化事業」』
そのものなので、こういう設立のされ方してる組織の運営では、たいていは「地域のクィーン○○、ミス○○」みたいなのの選考と、大して中身違わないもんだろう…と、私は勝手に思ってます。

というのは、実は私の地元でも、バブル期にこちらのコンクールとほとんど同じような設立経緯→運営体制のクラシック音楽コンクールが立ち上がった事がありまして、本当にここの公式WEBで紹介の
・旗振りは青年会議所とか商工会議所青年部
・バブル期の箱物景気への便乗
・バブリーな市民コンサートの企画成功(成功したのはバブルだったから)味占め
・著名音楽人の名前を拝借(結構お金出して)してのコンクールシステムの立ち上げ
・運営主体は、実は自治体教育関係者(同OB天下り先の文化団体含む)の、実は音楽にはド素人集団。名目のトップは知事、主要理事は近隣自治体の市長、教育長等

・・・と、完全にクリソツですが、私の地元のコンクールも「若手演奏家の登竜門」の文言はデカデカとチラシ、ポスターに掲げてましたけど、地元業界人からはホントに「あれはミス○○選考会と一緒」と言われてました。
私の地元のコンクールは、バブル弾けて確か4~5年前に「発展的解消」宣言して終わっちゃってますけどね。財政が苦しくなったからなのは言うまでもないですが。

と、そういう『私の地元の酷い例』とまったくそっくりなので、そういう経験のある部外者の立場では、
「そりゃ、そういうタイプのコンクールでは、出来レースも何でも有りでしょう」
「運営事務局がこんなド素人集団では、ルールの不徹底もあるでしょう(私の地元でもありました)」
「ということは、まだバブル引きずってる運営形態をズルズル続けてるだけでしょう」
「その程度のコンクールに、権威もへったくれも無いでしょう。単なるコンクールごっこでしょう」
などと、つい思ってしまうところです。

まぁ、本物の関係者からご叱責を喰らったら沈黙するしかないですが、公式WEBの情報を見る限りでは、学閥云々より素人運営のコンクールごっこと見えてしまうのは、私には否めません。不正以前の話だという気がします(し、権威無しの「ごっこ」なら、不正といっても業界的には無視黙認でしょうし)。

もっとも、それこそ地元の素人有志が手弁当で切り盛りして、業界でも定評のあるコンクール事業に育て上げてる例だってありますから、この運営形態がすべて嘘っぱちとまでは思いませんが、こちらのコンクールは「私の地元に有った、本当の嘘っぱちコンクールごっこ」とあまりにも似すぎてて…

回答でなくてすいません。
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この回答へのお礼

なるほど、非常に示唆に富んだ回答です。ありがとうございます。

お礼日時:2009/07/29 21:49

 私は、こういう事業に協賛する企業の側の人間です。


 コンクールは公明正大であって欲しいものです。

 この問題は、スポンサー企業(新聞社とか放送局?)の広報部あるいはCSR部門(企業の社会的責任を扱う部門)に投書してはいかがでしょうか。
 名貸しして協賛金を支払っている企業は、文化事業に貢献して企業の知名度を上げるためにお金を出しています。
 しかし、その価値もないような、むしろ不正が行われているような事業にお金を出すことはありません。
 協賛金が集まらなければ、事業は立ち行かなくなり、淘汰されます。
 そこで審査員をやってお金を稼いでいた先生も、つぶれたときの噂が立ち、しばらくはお呼びの声が掛からなくなります。企業も、チェックしているので、この先生が入っていると、また不正が行われるということくらい想像します。するとお金を出しません。
 主催者は、審査する相手には傲慢で聞く耳持たずだと思いますが、スポンサーには頭が上がりません。スポンサーが降りればそれまでです。ですからスポンサーに判断を任せましょう。
 ただし、前に書かれた方の意見にありましたが、スポンサーもミスコン程度(の地域振興(こっちが正解))と考えていれば協賛を続けるでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても参考になります。

お礼日時:2009/08/01 10:38

 コンクールを主催、運営、(ないし審査)する人々にとって、一番困るのは(一定の力量を備えた)応募者がいなくなることです。

最初にそれらしい規定を設けておきながら、違反者をあれこれ理由を付けて見逃そうとするのは、ほぼ、そのためではないでしょうか。
 地方の小さなコンクールで、結局、みんないい加減に考えているのでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても参考になります。

それは少し感じます。 必死に参加者を呼び集めてるんじゃないかなと。

お礼日時:2009/08/01 10:39

 田舎のコンクールではよくあることだと思います。


学閥どころか、誰が聞いてもピッチずれまくりの弦楽器奏者がコネで賞をとったのを目の前でみてました。賞を出すほうも出すほうですが、賞をもらうほうも相当つらいそうです。だって、周りの人に、へたくそで、コネで賞をとったのがバレバレなんですから。その子は、両親が地元では名の知れた音楽の先生と演奏家だったのでなおさら。お母さんが、だいぶんましになったのよ、と必死で訴えていました。ちなみにその子は、コネがあるにもかかわらず、大学は落ち、一浪することになりました。

 あとひとついい話を。ある科では、卒業演奏会に出られる人が3人。その3人は、大学院にいく3人と決まっていました。ところが、その卒業演奏会を決める試験の時に、現代曲を選んだという点もあったと思うんですが、なんと大学院の人を抜いて、卒業演奏会に出られた人がいました。誰が聞いてもいい演奏だったので、どの先生も落とせなかったのです。

 クラッシックの場合は、そういう実績がものをゆう世界ですから、許せないのはよくわかります。でも、演奏は聴けばわかります。クラッシックならなおさらオーディエンスの耳は肥えています。認めてくれる人はきっといます。
がんばってください。
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この回答へのお礼

そうですね。

ただ、今回、優勝者の選定も、聴衆なんかに、わかりっこない、
という前提で審査が行われたんじゃないか?と感じています。

お礼日時:2009/08/01 10:41

私が現役の頃は、ピアノコンクールといえば「毎日新聞主催全日本学生音楽コンクール」と「「日本音楽コンクール」が若手の登竜門で、ご質問にあるコンクールの名は初めてききました。


今は色々なコンクールができたのですね。
私は前述のコンクールに挑戦し、賞を頂いたこともあります。
私の経験上では、「不正」とまでいかなくても「派閥」というのは存在すると思いました。
「審査員に師事するものは得をする」のは常識でした。(私は審査員に師事することができませんでしたが・・・・。)

コンクールではありませんが、NHKの「洋楽オーディション」というのが昔ありました。今もあるのかな?
このオーディションは、私が受けた当時、演奏者の顔が見えないところに審査員がいて審査していました。
つまり演奏している私には、誰が審査しているのか、どこにいるのかさえわかりませんでした。
同様に審査員からは、今どこの誰が演奏しているのか全くわからない仕組みになっている、と聞きました。
私は大学卒業時、卒業試験で高得点を挙げた人のみが出られる母校の「卒業演奏会」には出られませんでした。
同時期に、日本全国の音大卒業生を対象にしたこの洋楽オーディションを受けました。
母校の卒業演奏会に出た人が不合格で、出られなかった私は合格しました。

音楽は「主観の世界」ですからこんなものだと思います。
大学の中でさえも「派閥」のようなものがありました。
「洋楽オーディション」に合格して、私のピアノ演奏は約12分間、全国放送されました。
「主観の世界」に辟易した私は、演奏家への道はすっぱりと諦め、卒業後すぐ公務員になり、人生最初で最後だったこの全国放送を、勤務時間のため聞くことが許されませんでした。
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この回答へのお礼

たしかに、コンクールって、名前を呼ばずに番号だけ読んで、
個人を特定しないように配慮しているように、見せかけている感じがあるんです。

それくらいなら、本当に、審査委員は別室で音だけ聞いて、ブラインドで審査しなければ嘘ですよね。

自分の弟子とかも出てるんですから。

お礼日時:2009/08/01 10:43

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