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お世話になります。


乳幼児期から青年期にかけて、「精神疾患を持った養育者」または
「精神疾患を持った家族」との共同生活を経験された方に質問です。
(場合によっては青年期以降の経験でも結構です)

その生活には独特の困難が伴うであろうことは、漠然ながら想像できるのですが、
具体的な状況となりますと、想像することができません。

その生活特有の困難な状況を、具体的に教えてください。
(感応精神病やAC等の問題も含めて)

疾患名、困難な状況の具体的な内容、感じたこと、
その経験によってもたらされた利益および不利益等々、
差支えの無い範囲で結構ですので、具体的なお話を伺えたらと思います。


宜しくお願い致します。

A 回答 (5件)

そうですね。

あまり思い出したくない事が多いです。
子供の頃に戻りたいなんて思ったことがありません。
具体的には…読む人が気分悪くならない程度でしたら。
両親は近所づきあいが大嫌いです(たいして関わらないのに悪口ばかり言ってます)。車とか洋服はきちんとするけど他の事はお構いなしって感じです、が口ではまったく逆の事を言っています(笑)。全部完璧だと思い込んでいるのかどうかは知りませんが…。
学校に たまにしか学校と家庭を行き来しない大切な書類ってありましたよね。通知表とか、健康の記録(←だったと思います、義務教育中9年間使われるもの)。中学生の時、クラスメイトの健康の記録を私が配った時に気付きました。私のだけがかなり汚れている…醤油とか食べ物の油とか… 初めて恥ずかしいと思いました。それまでの、自分は平気だったけど他人から見ればおかしな所は沢山あっただろうな、とか。
私の感覚では、両親から感じられる「一見してだらしない感じ」は、忙しさを言い訳に出来るレベルをはるかに超えてますが(←多分きちんとなんて出来ないんです)その中で育ててもらったんです(ほとんど放ったらかされていたような気もしますが)。思い出したくないです。
今も両親健在ですが、本人達はあまり不自由を感じていないようで、治療を受けるようにうながすにいたっておりません。ほとんど毎日いやな思いをしますが、自分が子供でなくなっただけましだ、と思ってやり過ごしています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

嫌なことを思い出させてしまってゴメンなさい。

たいへん勉強になりました。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/07 16:43

精神障害のある方の家族の会に直接訪ねられては、と思います。



診断名がついてるような家族であれば、周りが振り回さされる機会が減りますよね。病気や障害を理解しようとしたり専門家に相談しようとしたり出来ますから。
最近まで精神科に行く事自体がはばかられてたこの国で、なんだか生きずらいんだけど、自分の環境の源である両親(養育者)が「病気じゃないの?」と疑うすべも無く育ってきている当子供にその置かれている異常さが見えるまでは(他人が気付かず誰も助けてくれない状況)その生きにくい世界しかその子には無いんです。本当の悲惨さはそこにあるのではないでしょうか?
児童虐待の疑いがあれば通報、この常識も最近ですが、精神的な面までなかなか他人の家に入っていけないんじゃないでしょうか?この国の精神保健福祉はまだまだ発展途上です。
完璧な人間はいない。親の最低限の経済力とそこそこのしつけが出来ていれば、他人は「わがままいうな、そんなの親に対する甘えだ」と言います。
他の家庭を知らない者にとって、うちは他の家と何かが違う、と漠然と思います。でも何をもって利益、不利益といおうか…
少なくとも病名が無い場合、振り回されます。子供であればその絶対的な世界の中で育ちます。でも友人に変に思われたくないので少しでも変な反応をされた話題には触れないようにします。家に友人を招き入れません。

わがままとか、親への感謝が足りないとか、そういう問題じゃない時がある、とわかるようにはなりました。

 ずれた意見でしたらすみません。

この回答への補足

参考にさせて頂きます。

ありがとうございました。

補足日時:2009/08/06 16:07
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。


>診断名がついてるような家族であれば、周りが振り回さされる機会が減りますよね。病気や障害を理解しようとしたり専門家に相談しようとしたり出来ますから。
>最近まで精神科に行く事自体がはばかられてたこの国で、なんだか生きずらいんだけど、自分の環境の源である両親(養育者)が「病気じゃないの?」と疑うすべも無く育ってきている当子供にその置かれている異常さが見えるまでは(他人が気付かず誰も助けてくれない状況)その生きにくい世界しかその子には無いんです。本当の悲惨さはそこにあるのではないでしょうか?

おっしゃるとおり、
(少なくとも、被養育者が「病気じゃないの?」という疑念が成立する年齢以降の事例に限定すれば)
本人や周囲の人間に病識があるケースと無いケースとでは、
被養育者に与える影響の内容や度合いは、まったく異なると思います。

回答者様のケースは、病識が無いケースだったのでしょうか。

もしよろしければ、具体的なエピソードを教えて頂けたら勉強になります。

もちろん、過去を思い出して不快になるようでしたら、どうかスルーしてください。


宜しくお願い致します。

お礼日時:2009/08/06 02:18

質問者さまは、何か専門としての お勉強中でいらっしゃるのでしょうか?


まず、私は専門の知識を持つ者としてではなく、本御質問の内容に則って、あくまで私自身の実生活上からの「経験者」として回答しているということを、あらためて申し上げます。
ですから、
具体的な 家族との辛い体験と、回答者である私自身のパーソナリティ上の問題を結びつける具体的な根拠、論理的な説明について
どのような理由から両者を結びつけているか?
という再度の お尋ねですが

これまでの私の体験談を御覧になったうえで、敢えて、こういう お尋ねを なさるということは、よくよく私の側の至らなさであろうかとは思いますけれども

はたしてパーソナリティ、というものは、どのように形成されていくものなんでしょうか、
学問的な知識を持たない私なりにザッと理解しているのは、
周囲の働きかけや人間関係と全く無関係に つくりあげられていくものではないだろうということ、それでいて また
どのような働きかけなら こういう結果になる、というのは、どの人においても同じであると決まっては いないようだということです。

たとえば、
よく例えに出される
コップの水が半分になると不安を感じる
まだ半分も あるじゃないかと安心している
あるいは、
単なる食べ物の好き嫌いにしても「具体的な根拠、論理的な説明」というものが、どこまで可能でしょうか?
本人が、それは厭だ嫌いだ、と感じるなら、そうでしかないのでは ありませんか?

ところで、
私が肉体的内部障害を持っていることは先述しました。
この、肉体的障害にしても、その障害の影響から、特有のパーソナリティというものが形成されるということが あるそうですが、これは私自身も、ある程度 実感するところです。そして、このことに ついては、個人を越えて一般的な次元で、「論理的に根拠づける」ことが可能な説明が ないわけでは ありません。

これは人さまから聞いたことですけれど、外見の美醜に関わるような、たとえば痣ですとか、そうしたことも、こんにち、障害としての範疇に入れられるらしいですが、その当事者の かたたちの お話では、やはり性格形成上の影響は大きいということでした。

もっとも、その影響の良い悪いということに関しては、時々の状況によっても大きく違ってくるものですし、
落ち込んでイジケることも あれば思慮深くも なろうか、
長所と短所が背中合わせみたいなものでしょう。

正直申し上げて、個人的な過去の辛かった経験・体験を ふり返りつつ、こまかく思い出しながら説明申し上げるのは決して愉快なことでは ありませんし、最初に申し上げた、私と近い経験を お持ちの、ある会員さまのような かたなら、無理なく すぐに共感、理解し合えるのですが、そうでないかたに説明する場合には、なんとも徒労感が つきまといます。
ですけれど、お役に立つと仰るのであれば、なんとか、可能な限り再説明を試みてみます。


まず、私の障害のことを知っていながら完全放置し、長じて私自ら なんとかしようとしたことの邪魔だてまで した母のことですが、
これに ついては、私は娘として、母の生い立ちや過去のこと、また、実は脳に異常性を抱えていたことなどなど、外見からは窺い知れない諸々を存じておりますから、母親らしからぬ言動・行動の あらかたの理由は、それなりに察しが ついております。
その常軌を逸しているほどのプライドの高さ、勢いと負けん気の強さ、見栄っ張りな面があったことを、生前の母を知る人は、他人であっても皆さんが指摘します。そうした面から、母自身の不注意が もたらしたとも言える わが子の障害を認めるわけに いかなかったのであろうというのが、母と親しかった人たちに共通した見解です。

これは、簡単に御想像いただけることと思いますが、先述しておりますとおり、就職ひとつ とっても、現実的に可能な選択肢が限られてきます。しかも、一切の とるべき手立てを放棄したことで、よりいっそう厳しく 進路が限られてしまいました。
それ以前に、私の障害上から必ず問題が起きてくるのが明らかな分野の進学先しか認めてもらえなかったということも ありました。
もちろん、私生活の ありとあらゆる こまかい場面でのトラブルも つきまといます。
私のような生まれつきのノンビリやでない人は、ストレスフルな日常からノイローゼになっても不思議はありません。実際、私の知人に、私なんかよりも よほどシッカリしていて、有利な生活でありながら、ノイローゼ状態になって仕事を続けられなかった人も います。

これも先述しましたが、
私は父や、その先妻の子らに関する不満、しまいには母の親つまり私の祖父母に あたりますが、彼らに対する恨み言なども、ゴミ箱のごとく一身に引き受けてきましたから、幼い頃から自虐的な傾向が あるというのは、友人らにも指摘されるところでした。

近頃の私は、むしろ、その自覚から来る反動が いつしか そうさせるようになったのでしょうか、誰であれ立場の強い者が、相手の弱みを利用して支配しようとするような情況で、自分個人の卑近な利害を わきまえて黙っているということが できずに、かえってワザワザ自ら損を招いたり苦しい思いをしたりということが起きるように なりました。
これについては、そもそも、子ども時分から、親や親しい人などに、もうちょっと敏感に他人の言動に目を光らせ、気が まわるようにならなくっちゃいけない、などと忠告されることが多かったのと、後年、最大の衝撃となった、母の死後に知った理不尽極まる裏切りへの悔しさや割り切れなさが大きく作用しているのではないかという心当たりが あります。
しかし、最初の投稿で申し上げましたとおり、以前に、私と近い御経験を お持ちの かたから御指摘あったように、人格障害者あるいは人格障害的なものに接し続けた影響から、そういうものに対して過敏な傾向が ついてしまうということ、これが最も大きかったのではないかと思います。
加えて、もう ここ何年も前からウェブ サイト上での執拗で激しいストーカー問題にも悩まされてきまして、これが、相手は まさに人格障害者だった(医療機関で、そう診断されたという本人談)という経緯も あります。

おかげで、正義感が強いのを通り越して、気性が激しいという印象を、他人に持たれることが増えてしまいましたが、本来の むかしの私を知っている人なら皆 驚きます。
もともとは、疑う、ということを知らないのかと言われるほど、すなおな、のんびりし過ぎているほどノンビリした気質だと、家族は もちろん、他人からも定評が ありましたから。

こうした変化が、周囲からの影響と無関係に起きるわけも なく、且つ、私以外の者でしたら、私とは また違った変化や反応を起こしたであろうことも大いに考えられることだと思います。

とは言っても、私の芯のような部分だけは、かつてと変わりないのです。
それに、むかしは家族や身内じゅうから呆れられ、戒められた、度を越すほどの すなおさや疑心の なさ、こいつは少々タリないのではないかとまで言われかねないほどのボンヤリした性格・気質は、いまの私から みれば、けっして捨て去るに値するものでなかったのではと思っています。

親を始め、私の周囲の人々は、気が つき過ぎるくらい敏く賢くて、そのぶん、損な役回りにだけは なるものかとばかり計算高く、負けん気も強くなるのですね。
そのくせ、どういうわけか、一番肝心のところで鈍感だったり、取り返しの つかないような大失敗を したりするのです。

むかしの私のように、ボンヤリおっとりし過ぎての失敗も、もちろん大いに困りものなんですが(これは、人というものに対する関心度合いの低さも潜んでいたような心当たりが あります)
むしろ、人間は敏過ぎたり、気が まわり過ぎるのも問題で、これ以上、本来の自分の持ち味を損ねないようにするべきかと思っているくらいなのです。

私の場合、障害を めぐって、ネグレクトとも言うべき親の失態が もたらした影響、これが もし なかったならば、それだけでも、越し方の内容が全然違ったものになったであろうことは歴然としていますし、
この親で なければ、こうは ならなかったであろうなということなど、私だけではなく、きょうだい姉妹たちを みていても痛切に感じることです。

世間には、宿命というコトバも あるわけですけれど、どう転ぶだろうか、もっていきかたというのは、やはり重大な考えどころだと思います。
試行錯誤しつつは当然ながらも、最低限 疎かにしては ならない大事なことは何かということだろうかなと思っています。

近頃、実家の父を みていても思ったのですが
私の子どもごころにも、歪んだ問題児だった この父だって、もともとの裕福な実家で、好きで優秀だった学業や趣味の道を続けて、希望通りの進路を進ませてもらえる暮らしのなかで育っていたら、
おとなたちの勝手な思惑や つごうに振り回されて、結局、辛い寂しい少年時代を送ることが なかったなら、
多分に、いまの現実からは想像以上の、穏やかで優しい性格の人となっていたであろうと思われます。芯の部分には、確かに、そういうところが残っているのが うかがえるのです。


ことに人格障害を めぐっての影響などについて、もしも専門的レベルで御考察中ですなら、その方面の経験談等は、それこそ専門家から一般人まで、参考になる良サイトが たくさん あがってくるはずです、一度 検索なさってみては いかがでしょうか。このサイトのメンタルヘルスのカテゴリーでも、質問されているのを見かけますよ。
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この回答へのお礼

再び詳しい回答を頂きまして、まことにありがとうございます。

そして、不快な思いをさせてしまったことを、心からお詫び申し上げます。


いろいろと教えて頂きまして、たいへん参考になりました。


一部、私の説明が悪くて、混乱させてしまったようなので、
その部分について、説明をさせて頂きます。

>本人が、それは厭だ嫌いだ、と感じるなら、そうでしかないのでは ありませんか?

私が知りたいのは、そのような「快・不快」の判断に由来する類の根拠ではありません。

「現在の私はパーソナリティに問題を抱えている」

「その原因は、乳幼児期から青年期にかけての辛い体験にある」
を結びつける、具体的・論理的・合理的な理由を知りたいのです。
(もちろん、専門的なお話ではなく、回答者様なりのお考えで結構です)

ですので、

>その自覚から来る反動が いつしか そうさせるようになったのでしょうか、

等といった説明で、Q&Aは成立しておりますので、ご安心ください。


ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/06 02:10

ことに、人格障害者からの弊害ということに ついて お尋ねですが、


まずは、私の両親のうち、母から被った最大の弊害は、私の障害に まつわることです。
生まれつきではなく、幼児期からのことなんですが、だいぶ以前に聞いた専門家の話では、ふつうは、一番身近で養育に関わっている母親が真っ先に気づくはずのことらしいのです。ところが、なぜか、私の場合、幼稚園に入ってから、担任の先生が 私の ようすが おかしいのに気づいて、母に受診を促したそうです。
そのときの医師の説明によれば、医薬品の副作用の影響から来ているもので、回復の見込みは ないとのこと、
なんと、母は、それっきり、私の障害に関する手立ての一切を放棄してしまったんですね。
世の おかあさんがたに伺うと、母親たるもの、わが子に少しの異常でもあろうものなら、血相変えて、なんとかしようと走るものだそうですけれど、うちの母と きたら…
なんとも はや、私は子を持ったことは ないのですが、やはり どう逆立ちしても、母の行動を肯定することは できません。
実際、こんにちに至るまで、そのことの悪影響は、私の人生全体、隅々に わたっています。

若い頃は、あらゆる豊かな可能性に恵まれていたはずの自分の前に横たわる大きな、越えがたい壁に ぶつかり ぶつかりするなか、身も心も満身創痍と言うべき苦痛の涙を流しながら、どれほど無理解な親たちを恨みましたことか。
とくに、治療の方策が なかったのは仕方ないものの、リハビリと、障害手帳の申請を全く放棄されていたというのは、それどころか、
二十歳頃に、就職活動に あたって、このままでは、学生時代以上の大変なことになると危ぶんだ私が、ようやく自ら立ち上がって障害手帳申請に向け、行動を始めたとき、母自ら横槍を入れて阻止したこと、これは、いま思い返しても、実の母親の所業とは思えぬ仕打ちでした。
それまで長年に わたって、障害に絡んで辛い困難なことを訴えるたび、障害ではなく、私の性格の問題に過ぎないと言われ続けてきましたので。

父のほうは、これは子の養育や家内のことに関しては殆ど母まかせで、本来好きでもない分野の仕事のストレスに加え、義理の親の もとで育った寂しい生い立ちの潜在的な記憶なども あったせいでしょうか、酒好きを通り越して酒乱、私は、からだが弱い母を、自分も虚弱な からだを張って母を庇いつつ、父に立ち向かい、激しい暴力に さらされながら育ちました。

また、母は、そんな私に向かって、まだ ろくに ものごころも つかないうちから、父や、父の先妻の子らへの不満と共に、自分の こんにちの苦労は、私が いるために逃れることが できないでいる、私の聞き分けが悪いようなら、いつでも私を置き去りにして出て行くと脅し、おまえは、おまえの悪い父親にソックリだ、と憎々しげに吐き出すのでした。私は おさなごころに、母に申し訳なくて たまりませんでした。その分も、いっしょになって父を敵視しました。

両親とも、生い立ちに寂しさや理不尽な苦労が多かった人ですが、それを補って余りあるほどの利点や長所にも恵まれています。
かえって、潜在的なレベルで抱え込んでいる負の意識と、人並み はずれた強みとが、アンバランスなのかも しれません。

私のパーソナリティ上の問題で まず挙げられそうなのは、かつて友人らにも指摘されたことが ありますが、相手側の非まで引き受けて自分を責め過ぎる傾向があるということです。いわゆる自虐傾向と言うのでしょうか?
このためも ありましたでしょうか、若い頃、私は何度か自殺を図っています。
自殺念慮は、わりに最近まで、決して なくなることはなく引きずってきておりました。

加えて、先述しました、人格障害であるという診断が くだされている、片親の違う、年齢が大きく離れた きょうだいたちからの陰湿なイジメも あったわけですが、なにしろ、内部的な肉体の障害を隠し持ちつつ やっておりましたから、私は もう、家のなかでも外でも、あらゆる脅かされる対象に囲まれながら生きてきたようなものです。

数年前に、病気で倒れて寝ついたままの母を亡くしたあとで、私の障害に関する様々の情報を教えてくれる人との出会いが ありまして、そのときに私は、本当に、母の、私に対する隠された裏切りの数々を知ることになったのでした。
その直後も、実家に かかわる ありとあらゆる負担が、私の弱い からだに のしかかり続け、さしもの人並み はずれたノンビリやの私も、不眠症や うつ病なんぞに かかってしまいました。

子どもの時分から、母の分までも、と父を激しく憎み、母の裏切りを知って、死んでしまっている母を、おなかから血が吹き出さんばかりに恨み。。。

ですが、若い頃を ふり返ると、やはり、幾分かでも強くなっている、やはり人生の勉強しているんですね。
とは言っても、親たちが しでかしたこと自体を褒めるわけには いきませんけど(笑)
私の あらゆる可能性の芽を、たくさん摘んできたであろうことは確かですから。
自分が、母たちと同じことを、自分の子どもなどに できるかと問われれば、それは、ぜったいに できないです。


あと、
怒るように仕向けられる、ということの具体的な例としましては、
子どもの頃からのことですから、いちいち細かいことを思い出しきれるものでは ないのですが、
その、人格障害の姉などには、これは生前の母も たびたび指摘していましたが、姉は、人が大事にしているもの、気に入っているものだと分かるや、たちまち壊そうとするんですね。モノでも人間関係でも。

私も、買ったばかりの気に入りの品を、「あんた、ゼイタクじゃないの」「なによ、こんなの」と言いながら目の前でアッと言う間にダメにされたこととか ありますが、
姉にとっても私にとっても唯一共通の実親である父に、影で悪く言われたために、いきなり父に殴られたということも ありました。
何が何だかワケも分からぬまま部屋じゅう引きずり回された小学生の私の目の端で、姉が襖の陰でニタリと哂っていたのを見てしまいました。母は、そのとき入院中でしたか、不在だったんです。

姉らが私をイジメるときは、たいがい父や母が、そこらに いないときを狙って やるのです。
また、私は小学生、向こうは大学生や社会人ですからね、体力だけでなく、口でも かないませんでした(笑)


ということで、悪影響は、どなたが みても、あれこれ お察しが つくでしょうが、無理にでも、いいほうに作用した影響は、と言いますと、、、

人間観察や、その心理の洞察ですとか、でも、これは、すぐには理解してもらえないことも多いです。最悪の場合、数年も たってから、やっぱり、あのとき私が言ったのが本当だったでしょうが、と なることも多いです。ですが、そのときには、もう遅過ぎて、言ってもケンカになることすらあるので、どうせ取り返しは つきませんので黙っていることも増えました(笑)

それと、これは子どもの時分から傾向はあったのですが、人でも動物でも、弱い者イジメを して楽しんでいるところを みかけると、黙っていることが できない。自分が代わりにターゲットになるのも辞さないことすらあるので、学校で「女番長」と あだ名されたことも。。。あ、これは なんか変ですね(笑)
とにかく、他の女子が、男子にイジメられると、「やめなさいよ!」と頼まれもしないのに自分が割って入ったため、今度は自分と その男子との一騎打ちになったりして、しまいに、他の女子らが、すぐ私に助けを求めてくるようになったり。
なぜか、担任の先生から「となりの男の子を泣かせたりするので困ります」と通信簿に書かれたことが あります(笑)私は悪くない!と心のなかで叫びました(笑)

また、社会人になってからも、相手が どんなに強い立場の人でも、おかしいのでは、大いに不正では ないか、と気づくと、世間で言う「長いものに巻かれろ」というのが できにくいところがあります。こういう面でも、だいぶ損を しているぞ、と周囲から指摘を受けることも あります。
と言いましても、これが、本来、ふだんはボヤ~とした いいかげんなほうの気質ですから、実際には気づかないままでいることも多いのです。まさに、母親を完全に信用しきっていて、その死後になって、とんでもなく騙されていたことに気づいたように。

そして、ひとたび気づいて怒りを感じ始めると、今度は底の底まで見据えようとしてしまうところが ありますので、われながら甚だシンドイ思いをすることも あるんです。頼むから、本来ボンヤリの私を怒らせてくれるな!と叫びたくなったりします(笑)

人格障害者の「怒らせテクニック」とでもいうのは喩えてみれば、そうですね、スペインあたりの闘牛というのが ありますが、私は詳しくないのですけど、まぁ言わば、なんだか知らないけど、赤い布を見せれば牛は反射的に怒るように できてるらしいと察したら、たちまち、それっ、と赤い布を広げて見せるような、そんな感じです(笑)

自覚ありにせよ、なしにせよ、なぜ他者を怒らせるのが好きであるか、特に、何らかの理由で、自分が強い関心を持った相手ほど怒らせるように仕向けるらしいのは、おそらく「共依存」的関係を、人格障害者というのは一般に好むかららしいと察しております。
あるいは、自分が依存したいぶん、相手側の依存する姿が露呈するのを見ることで、一種の復讐を果たしているのかも しれません。

ことに、もともと、相手側が、自分に対して、それほどの強い関心を持っていないらしいという場合には、それは もちろん好意的な関心を強く持ってもらえたら望ましく結構なんですが、そうも いかない場合。
人格障害者は、理由の妥当性などは無関係に、底深い劣等感を抱えている人が多いようですので、到底、強い好意的関心は望めないという自信のなさから、今度は逆に、相手を怒らせることで、自分への関心を向けさせ繋ぎ止めようとする傾向が あると思います。
まぁ、幼児的とも言えるんですが、深い劣等感や不安感、自信のなさというのは、相対的な比較をするという、ある意味、最も人間ならではの知恵の高さの あらわれとも言えますから、バランスが非常に悪いのかも しれません。

それから、
これは私自身のことではないですが、先述した姉の子が、いったんは社会人となったあとに、遅ればせながら臨床心理士を目指して大学院入りしたというのは、これは まあ、良い影響と言っていいんでしょうか?複雑ですけれど。。。実は、ふつうに生活していけるほどの報酬も望めないとか聞きますので。

私は、人格障害の人の見分けかたや特徴の把握の仕方を自分なりに持っています。
私の両親や身内、家族、友人知人でも、程度の高低は ありますが、人格障害の傾向が みられる人自体は、けっこう多いように見受けております。
聞くところによれば、これからの時代は、ますます増えていくだろうとの予想があるとのこと。

彼らの大きく目につく特徴として、先に申し上げた、劣等感や不安感、自信のなさ、これらは、必ずしも妥当な理由があるとは限りませんので、脳内分泌等、脳生理学方面からの追究も重要なのではないかなと思っています。

私の両親など特に そうなんですが、非常に負けん気が強い、自分が優位に立ちたがる、支配欲が強い、その裏には、同じくらい強い不安が あるからでしょうが、自分の居る位置というものを危惧するゆえ、常に他者との比較で確認、安定させようとする、それに伴い、なかなかの努力家、勉強家となったりも する反面、世間の俗な価値観や、自分が、その存在を重視する周囲の人からの影響を無批判に取り入れてしまう、などなどは、私が これまで目にしてきた、彼らに共通の大きな特徴です。

人格障害的なものの影響は強烈で、もともと そうでない人でも、長期間かかわったりすると、専門家でもジワジワと影響を受ける危険性が高いのだそうで、親や家族からの影響が どれほどのものだろうか、子どもの立場などを考え、自分自身のことを思い起こし、軽く見過ごしては いけない、恐ろしいものがあると実感しています。
ですが、専門家や識者や経験者の かたがたからの指摘が あるように、特定の個人や限られた場の人たちだけで解決するのは不可能であるということを よく理解して、多くの人々の連帯が、このことの対処には必要になってきていることを知るべき時代に入ってきているように思います。
児童や お年寄り虐待の問題等とも繋がることでしょう。

切ったり飲んだりで対処できることなら話が早くて済むのですが。。。

御参考になりましたでしょうか。
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この回答へのお礼

再び詳しく教えて頂きまして、ありがとうございます。

たいへん参考になりました。

やはり、いろいろな問題がありますよね。


ひとつだけ、どうしても気になることがあります。

それは、教えて頂いた具体的な「ご家族との辛い体験」と
「回答者様のパーソナリティ上の問題」を結びつける具体的な根拠、
論理的な説明についてです。

回答者様は、どのような理由から、両者を結びつけているのでしょうか?

補足を頂けたら幸いです。

お礼日時:2009/08/03 17:21

早速ですが、私の場合、母が癲癇の傾向を持っていたというのを、その死後に知らされたということが ありました。


生前は、子どもの頃から何を やらせても要領良く学業も優秀でしたし、いわゆる非常に弁が立って、男性でもタジタジと なるほどに舌鋒鋭い面が ありましたので、よもや脳方面での問題を隠し持っていたとは思いも よりませんでしたが。。。
ただ、芸術方面、特に音楽の才能が顕著で、後にプロの道に進みましたが、それと関連性が あるのでしょうか、習ったこともない外国語でも、意味は分からないままに、発音は正確に聞きとったりという特長も持っていました。

ところで、その実の妹である私の叔母ですが、こちらは、学業のほうも、もうひとつ振るわず、美意識的なセンスには、なかなかのものが みられましたが、と言って、その姉である母ほどの才能にも恵まれず、ただただ美貌と(これも母には負けていましたが 笑)愛嬌の良さで生きてきて、中年期も後半に 差し掛かった頃、いまで言う統合失調症だと思われる精神疾患を発病し、一時期、私も いっしょに生活したことが ありました。
当時、私は、まだ学生の年齢で、ごく若く、こうした方面の知識も全く ありませんでしたので、叔母の幻聴・幻覚から来る妄想ゆえの本人の話と、実際の現実の話との見分けが つきにくいことに まず困りました。
また、真剣に、ときに泣きながら訴える叔母が、可愛がってもらった私としては かわいそうになって、病気が言わせている妄想のストーリーだと察しは ついていても、「うんうん」と合わせていて、母に叱られたことも ありました。
それで、次からは、叔母の話に異を唱えるように対応しますと、たいへんに立腹したり拗ねたりしますので、これは対応の加減が難しいなあと思ったことを憶えています。

しかし、そのとき漠然と思ったのは、こうした疾患の人の妄想のイメージというものは、ふつうの状態の人の見る睡眠中の夢が、覚醒中の現実生活のなかに入り込んできているかのようであること、傍の者から みて、どんなに荒唐無稽な内容の話であっても、本人にとっては、その過去の生活のなかで積み上げられてきた様々の思いや、いろんな出来事から受けとった やむに やまれぬ感情が滲み出ていること、などです。
ですから、むげに撥ねつけることが しにくかったです。

それから、本人自身、自分の異常状態に、深いところでは不安と怖れを感じているらしく、自信を なくしてしまってますから、それこそ、自分が トイレに行くだけでも、行くべきか どうかを、私に尋ねてきたりしました。

あとは、そうですね、私が急に立ち上がっただけでも、怯えて怒り出したりとか。というのは、本人がストーリーを作ってしまってるからなんですね。そんなことしたら、共産主義国から やって来て見張っている悪いスパイに狙われるではないか、とか(笑)まあ、これは、一番症状が酷かったときの言いぐさですけど(笑)


あと、これは一般に精神疾患の範疇には入れられないそうですが、
人格障害というもの。
うちは、母親違いの姉が、長年そのために医師に かかっていますし、おそらく、それがキッカケに なったのだろうと思うのですが、その娘は、大学院で臨床心理士資格を目指しています。
また、姉の実母のほうの家系には、精神疾患の遺伝が あるらしいと聞いています。

私は、若い頃は、今より もっと知識も なかったので気づかなかったのですが、現在では、自分の両親とも、人格障害の傾向を強く持っていたものと確信しています。
親の影響が大変に大きいのは もちろんのことで、私も、あらゆる面で、このことから受けた弊害を背負って生きてきました。
先述した姉にも、年が離れていますので、幼かった当時の私は、父親に原因する嫉妬からなのでしょうか、非常に陰湿なイジメかたを されたものでした。

こういった諸々の経験から、人格障害の人特有の ものの考えかたや感受性の特徴が あることを実感しております。これ自体が、利益か不利益かは ともかくとして、お世辞にも愉快とは言えない影響は被ってますね。。。
このサイトの、ある会員さまも、お身内での御経験から仰ってましたが、関わっていると、こちらまで怒りっぽくなるというのか、怒るように仕向けられるんですね。それも、なかなか すぐには気づきにくいような巧妙な やりかたで。
正直、関われば関わるほど、そうとうに精神衛生に悪いですよ(笑)
そして今度は、人格障害者的な人に対して、過敏なくらいに警戒心が強くなってしまいます。さんざんエラい めに遭わされて、コリゴリしてるせいなんです(笑)


ザッと、こんなところだけ思い起こしてみましたが、質問者さま御自身お困りの点が具体的には分かりにくいので、補足でも いただけるようでしたら、もっと詳しく 回答させていただけるかもしれません。
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この回答へのお礼

詳しく教えて頂きまして、ありがとうございました。


>補足でも いただけるようでしたら、もっと詳しく 回答させていただけるかもしれません。

頂いた回答はどれも参考になりましたが、もし、もう少し教えて頂けるとしたら、
人格障害の傾向が強いというご両親との関係、および
ご両親との関係で形成された回答者様のパーソナリティについて興味があります。

たとえば、

>両親とも、人格障害の傾向を強く持っていたものと確信しています。
>親の影響が大変に大きいのは もちろんのことで、私も、あらゆる面で、このことから受けた弊害を背負って生きてきました。

それは具体的に、どのような弊害なのでしょうか?

>関わっていると、こちらまで怒りっぽくなるというのか、怒るように仕向けられるんですね。それも、なかなか すぐには気づきにくいような巧妙な やりかたで。

具体的に、どのようなことをされたのでしょうか?
どのような状況なのでしょうか?


生々しいお話を伺えたら、より勉強になると思います。
が、もちろん、思い出して不快になるようでしたら結構です。

宜しくお願い致します。

お礼日時:2009/08/01 09:01

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