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小学館『国語大辞典』によると「悔いる」(古語では「悔ゆ」)は自動詞に区分されるようですが、その理由がわかりません。
Web版大辞林では、自動詞/他動詞の別は記載されていないようですが、「前非を悔いる」という例文が揚げられています。
この場合の「前非を」は目的語とは言えないのでしょうか。

また、「悔いる」のように、一見他動詞のように思われる動詞が、自動詞に区分される例、あるいはその逆の例をご存じでしたらご教示下さい。

どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (10件)

No.1、No.5、No.6、No.8、No.9です。



分割投稿になりますが、どうかお許しください。
続きです。

誤植かどうかは別として、「悔いる=自動詞」は小学館に共通した記述ということになりますね。

『国語大辞典』と『言泉』が改訂されなくなった今では、この編集方針が本当に今でも貫かれているのかを見るためには、次の『日国第三版』を待つしかないですが、小さな変化は『日本語新辞典』の変更に見受けられますね。『日国』の編者である松井氏の少なくとも今現在の考えとしては「悔いる=他動詞」ということだけは確かなようです。

少し前に話題になった、版を重ねても全く数十年間気付かれなかった某有名辞書の誤記の事例がありましたが、ふとそれを思い起こしました。辞書の改訂というものは、決して目を皿にして隅から隅までチェックするわけではない、ということでしょうか^^;

方針変更、誤植の場合のどちらであっても、今回の『日本語新辞典』の変更は辞典編集者の目があの「自動詞」に向いたことの証左であり、これから年月が経過するにつれて他の辞書の記述も同じように変化していくことでしょうね^^

今回の調べの結果、(あくまでも素人目線からですが^^;)各社の方針の一貫性・統一性のなさといったものが意外なほど多く目につきました。

「悔いる」だけではなく、他の動詞も一方への偏り具合が非常に気になりました。「自他」どちらに偏るにしても(素人目にはその多くが間違った方に向いているような気がしますが^^;)各社が結構足並みがそろっている所を見ると、私などには気が付けないような着眼点などがあるのか?と少し不安になりましたが、学識に裏打ちされた質問者様の理路整然としたご主張を受け、私も意を強くした次第です^^

有意義な時間をご提供くださり本当にありがとうございました^^

この回答への補足

問題の部分を下のように整理してみました。

国=国語大辞典 第一版(小学館)
言=国語大辞典 言泉(小学館)
日=日本国語大辞典 第二版(小学館)
新=日本語新国語辞典(小学館)
広=広辞苑 第六版(岩波書店)
談=講談社日本語大辞典 第二版
明=明鏡国語辞典(大修館書店)
三=三省堂国語辞典(三省堂)
学=学研現代新国語辞典(学研)
旺=旺文社国語辞典(旺文社)
ベ=ベネッセ表現読解国語辞典(ベネッセ)

     国 言 日 新 広 談 明 三 学 旺 ベ 
悔いる……自 自 自 他 他 他 他 他 他 他 他 
恥じる……自 自 自 自 自 ● ● 自 ● 自 自 
報いる……● 他 ● ● 他 ● ● 他 他 他 他 

「悔いる」について、小学館の辞書は一貫して自動詞としていたものを、『日本語新国語辞典』(2005)で修正したと判断していいかもしれません。
とすれば、各社他動詞という判断で一致したことになります。
おかげさまで、胸のつかえがおりました。

以下は当初の質問からは逸脱する蛇足かも知れませんが、現時点でのわたしなりのまとめを書きたいと思います。

「報いる」について、さきの補足で疑問であると述べましたが、この3語の中で唯一、「報いられる」という用法が多少は自然な表現に感じられる動詞ではあります。
?苦労が報いられる。――○苦労が報われる。
×前非が悔いられる。――○前非が悔やまれる。
×失敗が恥じられる。――○失敗が恥ずかしい。
しかし、これはふつうの意味での受身といえるかどうか……。

○親切が人に喜ばれる。……ふつうの受身
×苦労が人に報いられる。……ふつうの受け身は成立しない

「報いられる」という言い方がもし成立するにしても、どうもこれは受身ではなく自発の表現にちかいようで、これを「報いる」を他動詞とする根拠とはしがたい気がします。

ただ、『国語大辞典』には「恩を報いる」という用例があり、古くは「~を」を伴って普通に使われたのかもしれません。
そして、現在では「一矢を報いる」といった慣用的な表現としてだけ、古い他動詞の用法も残っているという程度のことではないでしょうか。
とすれば、「報いる」は自動詞に分類し、「古くは他動詞としても用いた」と注記するのが「現代語の」国語辞典としては適当かもしれません。
ただ、『国語大辞典』やそのもとになった『日本国語大辞典』は、現代語だけを対象とした辞書ではありませんから、●となるのは当然ではあります。

「恥じる」について、「~を恥じる」の用例には事欠かないはずなのに、多くの辞書が自動詞としている点は、依然不可解です。
「~が恥じられる」と受身の表現に言い換えにくいことが理由かも知れませんが、この点については次に述べるような理由で納得できません。

過去の質問のなかで、 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2576076.html の(回答No.3)が比較的有用な議論だと思われました。
「寂しがる」は、自動詞だという議論ですが、「母がいないのを寂しがる」という例は、「母がいないのが寂しがられる」と受身にすると不自然だとあるのも、「(子が)母の不在を寂しがる」と置き換えてみると「母の不在が(子に)寂しがられる」となり、この不自然さは例の無生物主語の受身を嫌う日本語の特殊事情によるものだということがわかると思います。

受身の表現に改めることができる動詞を他動詞とする判別法は一応の有効性があるようですが、「恥じる」「寂しがる」のように、非人称的な事柄を「~を」として要求するタイプの動詞の場合、判断が難しくなる(ぶれる)欠点があるようです。

○「彼が友人の死を悼む(他動詞)」――?「友人の死が彼に悼まれる」
○「ファンが選手の引退を悲しむ」――?「選手の引退がファンに悲しまれる」
○「私が自分の無知を恥じる(自動詞)――?「自分の無知が私に恥じられる」
○「子が母の不在を寂しがる(自動詞)――?「母の不在が子に寂しがられる」

これらの例で他動詞/自動詞の判断が別れている理由が私には納得がいきません。
もし、日本語の受身表現が、無生物主語を許容するとしたら、「家を出る」「空を飛ぶ」のような自動詞とされるものも他動詞と認められていたかも知れません。

仮想的に○「家が私に出られる。」
仮想的に○「空が鳥に飛ばれる。」

このような動詞は『国語大辞典』ではもちろん自動詞とされていますが、「他動詞」の項を引くと、説が分かれると解説されていました。
わたしは思い切って他動詞説を支持してみたく感じます。
確信はありませんが、そのほうが判断はすっきりします。
「~を」が使えるものはすべて他動詞と考えてよいことになるからです。

補足日時:2009/08/06 20:58
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この回答へのお礼

今回もたいへんな労力を払って回答していただきありがとうございました。
おかげさまで「悔いる」については解決がついたと思っております。
その他の動詞については気になるのですが、自分なりにつきつめて考えることができました。

最後に長文の補足をつけることになってしまいましたので、
回答締め切りは1日程度延ばしたいと思います。
お気づきの点がありましたら、どなたでもご教示下さい。

回答いただいたみなさんに改めてお礼申し上げます。
ほんとうにありがとうございました。

お礼日時:2009/08/06 21:34

こんばんは^^No.1、No.5、No.6、No.8です。



まず、調べてきた結果を言いますと、『日本国語大辞典 第二版』『国語大辞典 第一版 第二刷』ともに「悔いる」は“自動詞”となっていました。新たな判別分を加えてみます。

日=日本国語大辞典 第二版
国=国語大辞典 第一版
広=広辞苑 第六版
談=講談社日本語大辞典 第二版

       国 言 日 新 広 談 明 三 学 旺 ベ 

悔いる……自 自 自 他 他 他 他 他 他 他 他 
恥じる……自 自 自 自 自 ● ● 自 ● 自 自 
報いる……● 他 ● ● 他 ● ● 他 他 他 他 
閉じる……● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 

こうして眺めてみると、柔軟な姿勢を見せている「講談社」と「明鏡」が“悔いる”に関しては“他動詞のみ”と主張しているのと、小学館の三冊の「悔いる=自動詞」が印象的ですね^^;

小学館発行の辞書群の変遷を見てみます。

『日本国語大辞典(以下日国)初版』1972年から1976年の5年間にわたって刊行
       ↓
日国初版をもとに『国語大辞典』1981年
       ↓
日国初版と前出国語大辞典をもとに『国語大辞典 言泉』1986年
       ↓
日国初版をもとに『日本国語大辞典 第二版』2000年から2002年にかけて刊行
       ↓
日国第二版をもとに『日本語新辞典』2005年

このようになっています。

今回調べてきた『国語大辞典』と『日国第二版』の「悔いる」の語釈は全く同じもので、違う部分といえば用例の数のみでした。このことや上記の流れからも『日国初版』の自他の別もおそらく「自動詞」であろうと想像できます。それぞれの辞書の記述が『日国初版』の内容を踏襲していることは各辞書の語義・例文、その他から伺え、そう判断しても差し支えないと思います。
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こんにちは^^No.1、No.5、No.6です。



編集における変遷が何か分かるかもしれないので、(特装版―参照する辞書がこれに該当するかは分かりませんが―が出ているようですし、刷を重ねただけでも表記の変化が見られるかもしれませんので)質問者様のお手もとの『国語大辞典(小学館)』――『日本国語大辞典』(初版・全20巻)から約25万項目を抽出した簡略版。――と『日本国語大辞典 第二版(小学館)』を調べてまいります^^

今夜か明日にでも投稿いたしますゆえ、締め切りはいましばらくお待ちくださいますようお願いいたします。
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 回答番号:No.3


 補足のご指示:
 No.3での投稿はご解釈の通りではないかと存じます。
 補足することもないのですが、活用形とか文法的には分析できません。
 意味や用法では実際には、他動詞としては目的語を伴って表現してますね。自動詞的使用法の例ですか。
 そういわれると、確かに俄かには思いつきません。
 明確に目的語の形をとっていなくても、目的語が隠れている場合があるというくらいでしょうか?
 そういうことは日本語に多いですね。
 われは悔いる半生であったとか。半生を悔いていますね。
 でも文法的には、目的語になっている形ではないでしょうね。
 日本語の特徴でしょうか。すみません不十分で。
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この回答へのお礼

ふたたび回答いただきありがとうございました。
例を挙げていただき、わかりやすくなりました。
自動詞的用法は思いつかないとのことですが、
私も同感で、明白に自動詞であると言える例は思いつきません。
たいへん参考になりました。重ねてお礼申し上げます。

お礼日時:2009/08/06 18:50

No.1、No.5です。

申し訳ありません。訂正です^^;

        言 明 三 学 旺 ベ 新

× 閉じる……● 自 他 ● ● ● ●

○ 閉じる……● ● ● ● ● ● ●

コピーペーストの際に間違えたようです^^;

× 報いる……他 自 他 他 他 他 ●

○ 報いる……他 ● 他 他 他 他 ●

明鏡「報いる」の解説文中に「他動詞としても使う」と明記されていました。
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こんばんは。

No.1です。
少しでもお役に立てればと思い、「悔いる」と同じ上一段活用に限定し、「悔いる」を含む17種の動詞の自他の別を6社7冊の国語辞典から抜き出してきました。

たった17種の動詞の抽出だけで、「悔いる」以外にもいくつか違いが見つかりました。このことからいえるのは、他の方々がおっしゃっている「辞書による判断の違い」「どちらともなりうる」ということだと思います。しかし完全にそう割り切るには、私ごときの素人目線では各社の編集の統一感といったものがいまひとつ見えてこないのですが^^;

例えば、明鏡国語辞典の、「恥じる」の自動詞を認めるのに「悔いる」の場合はなぜ認めないのか?といったところですね^^;この辺の分析は詳しい方々にお任せいたします。申し訳ありません^^;

ただ、質問者様の以下の二つ目のご希望に関しては少しはお力になれたかなと思っています^^
> また、「悔いる」のように、一見他動詞のように思われる動詞が、自動詞に区分される例、あるいはその逆の例


言=国語大辞典 言泉(小学館)
明=明鏡国語辞典(大修館書店)
三=三省堂国語辞典(三省堂)
学=学研現代新国語辞典(学研)
旺=旺文社国語辞典(旺文社)
ベ=ベネッセ表現読解国語辞典(ベネッセ)
新=日本語新国語辞典(小学館)

自=自動詞
他=他動詞
●=自動詞・他動詞 


「7冊とも同じ動詞」

     言 明 三 学 旺 ベ 新        
【自動詞】
滅びる……自 自 自 自 自 自 自
染みる……自 自 自 自 自 自 自
起きる……自 自 自 自 自 自 自
過ぎる……自 自 自 自 自 自 自
落ちる……自 自 自 自 自 自 自
懲りる……自 自 自 自 自 自 自
降りる……自 自 自 自 自 自 自
飽きる……自 自 自 自 自 自 自
老いる……自 自 自 自 自 自 自

【他動詞】
信じる……他 他 他 他 他 他 他
借りる……他 他 他 他 他 他 他
浴びる……他 他 他 他 他 他 他
強いる……他 他 他 他 他 他 他

「1冊でも違う動詞」

悔いる……自 他 他 他 他 他 他
報いる……他 自 他 他 他 他 ●
恥じる……自 ● 自 ● 自 自 自
閉じる……● 自 他 ● ● ● ●


私自身、普段は気にも留めていなかった所を気付かせていただきました。大変勉強になりました。感謝しています。本当にありがとうございました^^

この回答への補足

ほんとうにたいへんな手間をかけて調べていただきありがとうございました。
No.6で書いていただいた訂正をここに貼り付けておきます。
○ 閉じる……● ● ● ● ● ● ●
○ 報いる……他 ● 他 他 他 他 ●

こうしてみると『言泉』が「悔いる」を自動詞としている点はかなり奇異に感じられます。

「報いる」については、「~に報いる」の用法が幅が広いのに対して、
「~を報いる」の用法は「一矢を報いる」「仇を報いる」といった例以外はなかなか見つからず、
しかも「一矢を」と「仇を」では「~を」の意味する内容が別になっており、
他動詞の用法は例外的とさえ思うのですが、他動詞としている辞書のほうが多いのは驚きました。
新しい疑問が湧いてきそうなのですが、この質問からは逸脱するかと思いますので、置いておきます。

「恥じる」を自動詞とする辞書が多いのは不思議です。
「不明を恥じる」「出生を恥じる」「貧乏を恥じる」いくらでも例を挙げられそうです。
ただ、受身形が作れない例ばかりかも知れません。
○子が親を恥じる。――?親が子に恥じられる。
※○親が子に恥ずかしく思われる。
とすれば今度は、「恥じる」を自動詞とする辞書の多くが「悔いる」を他動詞とする理由がわからなくなります。

補足日時:2009/08/04 22:10
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この回答へのお礼

たくさんの辞書にあたっていただき、問題点がはっきり見えてきました。
これだけの労力を払って考えていただき、お礼の申し上げようもないほどです。
ほんとうにありがとうございました。

お礼日時:2009/08/04 23:18

日本語の動詞の自他は定義がまちまちで、自動詞・他動詞の区別が変わってしまう動詞があります。

なので、辞書によって表記が異なることはよくあります。

分類の仕方のひとつに、「~を○○する」の形をとるかどうかではなく、普通の受動態にできるものを他動詞、できないものを自動詞とする考え方があります。この考え方なら
o 太郎は家を出た
x 家は太郎に出られた
なので、「(家を)出る」は自動詞です。ちなみに「『普通の』受動態」と書いたのは、
o 太郎は、花子に先に家を出られて、置いていかれた。
のような、迷惑の意味合いを含む受身は考えないと言う意味です。

「(家を)出る」「(空を)飛ぶ」「(山を)登る」など「場所を○○する」の形の動詞は自動詞であることが多いです。

一方、「~を○○する」の形にはなりませんが、
o 犬が飼い主に噛み付いた。
o 飼い主が犬に噛み付かれた。
のように他動詞に分類されるものもあります(辞書によって違いますが)。

この回答への補足

回答を頂いて、英文法における自動詞・他動詞の区別を思い出しました。次のような認識でよいでしょうか。
1 英語では、SVO・SVOO・SVOCの構文をとる動詞が他動詞と呼ばれる。
2 他動詞が使われている文は受動態に書き換えることができる。
自・他両用の動詞が多数あるにしても、明快に定義できそうな気がします。

日本語でもこれに倣って、受身の表現に改めることができる動詞を他動詞と定義することができるのですね。この考え方なら、「出る」の場合のように「~を」が対象を示す用法なのか、その他の用法なのかも区別できるのでなかなか便利な感じがします。

ただ、この定義の問題点は、ご指摘のとおり、迷惑受身となる動詞は該当しないことに加えて、日本語では無生物を主語とする受身の表現がしにくいということも挙げられるかもしれません。
自動詞・他動詞という概念を援用して日本語の動詞を類別することは、
日本語を理解する上で有用であることは疑いないと思いますが、
英文法のように明快に区別できる定義を与えることはなかなか難しいということですね。

「思う」の場合
……○あなたがわたしを思う。――○わたしがあなたに思われる。
……○あなたが過去を思う。――×過去があなたに思われる。

「悔いる」の場合
……×あなたがわたしを悔いる。――×わたしがあなたに悔いられる。
……○あなたが過去を悔いる。――×過去があなたに悔いられる。

この例でわかるように、
「悔いる」の場合は、対象(「~を」)として「過去」のような非人称的事項を要求するため、受身の表現ができないわけで、
このようないわば特殊な事情によって自動詞/他動詞の判断にぶれが生じるのは、どうも割り切れない感じがあります。

日本語の受身表現は、自動詞/他動詞の区別に一定の目安は提供するものの、
英語の受動態とは違い、明快な基準とするには不十分な点があるという結論になりそうです。

補足日時:2009/08/04 19:22
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この回答へのお礼

重要な示唆を与えていただき、ありがとうございました。
日本語の文法学説が、外国語の文法概念を参考にしながら作られていったという経緯を改めて実感することができました。
あくまで日本語そのものの現象に着目した文法的概念を作り上げる難しさも再確認できました。

お礼日時:2009/08/04 20:01

 文法活用変化ではわかりませんが、意味や用法としては他動詞にも、自動詞にもなりうる言語であることを経験しておりますが。


 動詞、英語にも日本語にもこのような類(たぐい)のことばはみかけますね。

この回答への補足

少し回答の文章がわかりにくいので、よかったら補足してください。
――自分の経験では、「悔いる」は、他動詞としての意味・用法と自動詞としての意味・用法の両方がある単語であると思う。
英語にも日本語にも、他動詞・自動詞二つの意味用法がある動詞がある。
このような意味の回答かと推測したのですが、それでよいでしょうか。

もし、それでよければ、
「悔いる」の他動詞としての使い方、自動詞としての使い方、それぞれの例を示していただけないでしょうか。
他の動詞の例もいくつか挙げていただければ幸いです。英語でも日本語でもかまいません。

補足日時:2009/08/04 18:08
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この回答へのお礼

回答していただき、ありがとうございました。
もし、時間が許せば補足もお願いいたします。

お礼日時:2009/08/04 18:16

日本語の文法はまるで分りませんが、「悔いる(悔ゆ)」が自動詞とされるのは、分る気がします。


自動詞は、主体(主語)の自己完結的な動作であるとみると、他動詞は、自己以外の何者かへ働きかける動作を表現したものといえる。
「悔いる(悔ゆ)」は、他への働きかけを表してはいない。従って自動詞に分類される、ということになったのではないでしょうか。
では、「前非を悔いる」の場合の「前非」はどうなるのか。
機能で割り切らない人は、これを、たとえば、「前非を(前にして)悔いる」ととらえたのではないでしょうか。
目の前に「前非」を置いたかのごとく、それを見据えて自らの心中に「悔い」の気持ちが湧き出ずる・・・のだとか何とか。
その場合、自己の外の何者かに働きかけてはいないから、他動詞とするのは不適切ではないか、という気持ちが働いたのではないでしょうか。
文法というのは、所詮は「後付け」である、との思いを致します。
ただし、機能的な面だけで見る限り、「~を」という語をとるのだから他動詞である、ということになるのかもしれません。
あくまでも素人の考察です。
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この回答へのお礼

統辞と意味という観点の違いから生じた問題ではないかという示唆だと理解しました。
文法理論としては、両者が一致することがもちろん望ましいのでしょうが、
「例外のない法則はない」が最もよく当てはまる分野であり、
おっしゃるような恣意的な判断が働いたという見方も一理あると感じました。

>「悔いる(悔ゆ)」は、他への働きかけを表してはいない。従って自動詞に分類される、ということになったのではないでしょうか。

『国語大辞典』で他の語をいくつか調べてみたのですが、
たとえば、「思う」は他動詞に分類されていました。
何かを「思っ」ても、他に働きかけることにはならないので(もちろん、「見る」「聞く」などの場合も同様です)、
この辞書が「悔いる」だけを自動詞とする(整合的な)理由にはなり得ません。

そういうわけで、確からしい推察はできなかったのですが、
新しい点から考えることができました。ありがとうございました。

【この場をお借りして】
他の回答者の方へのお礼が遅くなります。申し訳ありません。
またのちほどゆっくり考えてみながら記入したいと思っております。

お礼日時:2009/08/04 07:20

こんばんは。



> 小学館『国語大辞典』によると「悔いる」(古語では「悔ゆ」)は自動詞に区分されるようですが、その理由がわかりません。
> Web版大辞林では、自動詞/他動詞の別は記載されていないようですが、「前非を悔いる」という例文が揚げられています。

質問者様が参照された『国語大辞典』とは、『日本国語大辞典 初版』の流れを汲む25万項目収録の国語辞典を指しているのだとお見受けしますが、私はその『国語大辞典』の姉妹版ともいうべき『国語大辞典 言泉』(昭和62年発行15万項目収録)を所有しております。

実は『国語大辞典 言泉』でも、「自ア上一」「前非を悔いる」「生涯を振り返って悔いる所はない」となっております。

しかし、同じ小学館発行のこれまた『日本国語大辞典』の流れを汲む小型国語辞典『日本語新辞典』(平成17年発行)(編者は日国と同じく松井栄一氏です)には、「他ア上一」「罪を悔いる」となっています。

これと、他社の国語辞典(学研国語大辞典・三省堂国語辞典・他)を調べたところ、自他の区別のある辞書ではすべて「他動詞」となっていることを勘案しますと、誤植の可能性も無きにしも非ずのような気がします^^;

ご参考までにお伝えしておきます^^
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この回答へのお礼

貴重な示唆を与えていただき、ありがとうございました。
辞書によって判断が異なっていること、
また、小学館(松井氏?)内でも表記の変化が見られることがわかりました。
本来ならば、自分で多くの辞書を繰ってみなければいけないところですが、
残念ながら手元になく、図書館等で確認する時間もとれずにおりましたので助かりました。

その後も調査をしていただいており、恐縮です。
その件は別にお礼申し上げます。

お礼日時:2009/08/04 06:13

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