プロが教えるわが家の防犯対策術!

 私は大学生です。

 私は中学校(公立でした)までの歴史の授業で、「戦前日本軍は侵略を行い、アジア諸国の人々に非常な迷惑と大きな損害を与えた。日本は素直に自らが行った行動を深く反省して謝罪しなければならない。再びこのようなことを起こさないためには決して軍隊を持ってはならないし、戦争してはならない」というようなことを教えられました。
 私はそれをその通りだと素直に受け入れ、「日本はしてはならないことをしてきた」「戦前に日本が取った行動はまちがっていた」「日本のせいで被害を受けたと主張する人がいるならば、時間がたった今でもきちんと謝って許してもらいたい」と考えてきました。
 メディアで「憲法を改正して軍隊をもとう」「日本は侵略戦争などしていない」「南京事件はでっちあげだ」「嘘八百を並べる中国や韓国に騙されてはならない」などと主張する人に対しても、「悪いことをしてきた日本を正当化して恥ずかしくないのか?」とか「また軍隊をもつなんて、どうして悲惨な歴史から学ばないバカな人なんだろう」などと本気で考えていたし、そういう主張をする人を危険視してきました。

 しかし、大学生になって、歴史にとても詳しい人と知り合いました。「南京事件で犠牲になったといわれる人数は中国のねつ造で、そもそも’南京事件’という事件も東京裁判で突如現れてきた。裁判で、日本を有罪とする証拠が思った以上に少なくて、そういう事件があったことにしなければ日本を悪者にできなかったという背景からでっちあげられたんだよ」「中国が日本兵の行った残虐行為の証拠として挙げている写真は一枚として本物と認められていないし、数々の写真は中国が日本を悪者にするためにねつ造した。事実でないことだからねつ造しなければならなかったんだ」「従軍慰安婦も、日本軍が強制的に女性を連行したのではない。それを表わす資料も出てきている」「日本を悪者にして批判することで中国も韓国も国をまとめる手段にしているだけだ」と私に話しました。

 私は歴史や政治に全然詳しくありません。今も昔も本当に恥ずかしいくらい無知です。が、その人の言葉を聞いてまずは反発しました。そんな都合よく考えることが許されるのかという気持ちでいっぱいでしたが、反論しても様々な筋の通った答えが返ってきました。徐々に、その人が言う話のほうが説得的に思えてきたのです。よく考えると私は学校で教わったあいまいな知識を検証することもなくぼんやりとしたイメージで肉付けしてきたのかもしれないと思い、本当のことを知りたいと強く思うようになりました。しかし、何が正しいのかわからないのです。その知人から聞いた話を家族にすると、「この子はどこでそんな恐ろしい知識を刷り込まれてきたの?」という冷たい目で、怪しげな宗教に洗脳されてしまったのかという目で見られ、とてもつらい気持ちになりました。私も知人に出会い、学校で教わってきた内容に疑問を持つ前であれば家族と同じ反応をしたと思うのですが、愛する家族に理解されないどころか、恐ろしいものを見るような目で見られるのはショックでした。
 私は日本を正当化もしたくないし、不必要に恥じることもしたくありません。ただ本当のことが知りたいのです。どうしたら本当のことがわかるでしょうか?

 長くなり申し訳ありません。ご回答よろしくお願いします。

A 回答 (19件中1~10件)

 私は高校まで公立校出身で質問者様と同様の教育を受けていました。

質問者様より年も10歳ほど上なのでもっと左寄りの教育を受けていました。私は歴史に詳しかったので「日本ばかり非難するのはおかしい」と友人によく言ってましたが馬鹿扱いされてしまいました。当時は日本を擁護する意見自体言いにくいものでした。今メディアで歴史を見直すという意見が出るということは自由な議論がしやすくなったんだなーと思いました。
 さて本題です
・外国との歴史認識の違い
外国との歴史認識の違いについてみればその国の歴史を見ればわかりやすいと思います。
中華人民共和国:抗日運動をしていた共産党が建国→反日が基本
北朝鮮・韓国:日本の支配から解放されて建国→反日が基本
台湾(中華民国):蒋介石の国民党が中国共産党に破れて台湾へ
        →元々日本軍より共産党のほうを脅威としていた
東南アジア:タイ以外の国は独立していない欧米の植民地
→元々欧米の植民地であったため日本だけを非難する理由はない
 ニュースや新聞で見ると台湾や東南アジアの政府関係からはほとんど歴史に関しての日本非難はないと思いますよ。
(これからもないと思うのでチェックすると面白いかもしれません)
・国内の歴史認識の違い
 歴史というより政治の世界です。
公務員試験用の政治学の教科書を読むと簡単に学説・民主主義・ファシズム・社会主義・マスコミ・各国の政治機構が簡単に書いてあるのでわかりやすいです。
・歴史を正しく見るには
 私は歴史を正しく見るには
  ・イデオロギーを排除すること
  ・資料、証言の信憑性を判断すること
  ・現在の価値観ではなく、当時の価値観・制度で判断すること
  ・複数の視点で判断(政治・経済・文化)
これらが必要だと思います。
感情、思想を排除し、論理的に、徹底した冷静さで歴史を見るのが本当のことを知る近道だと思います。
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 しっかり、自分で勉強するのが大切ですね。


 それと、歴史の中の本筋=日本にとって本当に何が一番根源的なものかを押さえておく必要があります。

 <私は中学校(公立でした)までの歴史の授業で、・・・・「日本を悪者にして批判することで中国も韓国も国をまとめる手段にしているだけだ」と私に話しました。>
 これは本質論ではありません。

 第二次世界大戦時の日本について現在の時点で、外国がどうとらえるか、日本が外国にどう対処するか以前に、『日本にとって、戦争はどういうものだったのか』という視点が、一番大切ですべての基準になります。その視点を欠いた全ての論は枝葉で、本質を歪めてしまう可能性があります。

 日本人として、絶対忘れてならないのは、『日本国土の上で、子供や女性・老人という守られるべき人々が、外国の軍隊の攻撃によって、多数が死亡し、為すすべがほとんどなかった。』という、この一点です。

 更にその攻撃は、日本が他国を攻撃したことによる反撃であって、日本は日本史上最大の失敗を犯してしまったことを認識していなければなりません。

 中国や韓国・アジア諸国の現在生きている人々が、たとえ旧日本軍は素晴らしいと讃美しようが、非人道的だと非難しようが、そんなことは本質を変えるものではありません。
 中国人や韓国人、世界中の人が日本の戦争を過去のものとして忘れ去ってしまったとしても、日本人だけはこの失敗を忘れてはいけません。
 「失敗を忘れない」で「これからの日本の未来を選択するときの、大切な教訓とする」ことが、無抵抗で死んでいった人々の命を活かす、唯一の方法です。

 この視点をしっかり押さえた上で、歴史の時間的経過に従ってどのようなことが起こっていったかという事実を、一つ一つ確認していくことです。
 例えば、現在から見ればすべては過去の出来事ですが、過去のある時点では、まだ起こっていない史実があり、その史実が起きていない時点では、現在述べられている論は全く成り立たないということがはっきり分かることもあります。

 <具体的にいうと>
 一部の人の言う「日本がアジアを解放するために始めた戦争だった。」というのは間違いで、「日本がヨーロッパの植民地に軍隊を送ってヨーロッパの植民地支配を破壊したのち、すぐに日本も戦争に負けて日本の軍事力もなくなった」ので。結果論として、アジアが解放されるに至ったということが、明らかです。
 歴史的時間の前後をしっかり押さえると、アメリカが日本に対して石油禁輸をするまでは、日本は東南アジアの英米権益には手を出していません。対中戦争に全力を傾けています。
 また、日本がフランス領インドシナに手を出したのは、ドイツがフランスの半分以上を占領し、親ドイツ政権がフランスに出来て、インドシナ植民地の支配を維持することが困難になった時です。日仏現地軍による軍事協定を結んだ上での進駐で、軍事的空白が生まれれば、そこに進出するという形でした。

≪長いですが、戦争の経緯について≫ 
 歴史を勉強する理由は、過去の出来事が起こった原因と結果を知って、その時の人間がどういう行動をとったかという歴史の流れを知ることです。

 その結果が、「望ましいことと」と判断できるなら、そのような行動を繰り返し、「望ましくない」結果が出たならば、そのような行動を取ることは極力避けるということが、『歴史に学ぶ』ということです。
 現在の政治的な立場や見方で、当時の人が何を考えどう行動をとったかを色眼鏡で見てはいけません。

 尚、大規模な戦争と経済は切り離せません。特に第一次世界大戦以後の戦争の特徴である「総力戦」と経済は密接な関係があります。経済を無視して戦争の実像は掴めません。


<日中戦争の始まりには、国家的な戦争原因がない。>
 これほどの大戦争でありながら、国としての政治決断がなされていないのです。
 「本当の戦争の原因は一体何だったんでしょうか?」という疑問に対して、恐ろしいことに明確な答えがないのです。

 当時の日本は、外交を担当している内閣と軍は同格の存在(統帥権の独立)でした。しかも中国派遣軍は内閣の意向を無視し、東京にある軍参謀本部の指示も無視して、現地日本軍指揮官・参謀が戦線を拡大してしまったので、開戦時に着地点を考えて開始したとは思えません。現地日本軍には、中国政府と交渉する窓口がありませんから。
 圧倒的に勝ってしまえば、中国政府と日本政府の間で、日本に有利な戦争終結になるはず程度の思惑であったのでしょう。
 その発想のもとは、昭和初期の国内不況が満州事変・満州国建国による大規模開発で、景気が上向いたことがあると思われます。

 しかし、満州のように、中国政府から半独立の地域(張作霖の息子の張学良の支配地同然)とは異なり、日華事変による日本の進軍地域は、中国の中心部に近く、中国側が停戦できるような自然・社会的ラインが存在していませんから、現実を踏まえて具体的ラインを想定していたとは考えられません。(政治的に戦争をする場合は、戦いの収束も想定するのが当然。)

・具体的に・・・細かく長くなりますが・・・
 満州事変と支那事変(日華事変・日中戦争)は、ある点で性格を全く異にしています。

<日本の政権構造と満州事変・日華事変・太平洋戦争(=対米戦争)の詳細経緯>

 戦前の政治体制では、軍(皇軍=天皇の軍隊。陸軍=参謀本部、海軍=軍令部)と内閣(=行政府)は同格の存在として、天皇の下に並立しています。(統帥権の独立)
 明治・大正時代までは、枢密院が天皇の補佐として実質的に日本の政治・軍事を統括した国政の主導機関として機能していましたから、並立する軍・内閣を統合するシステムが存在・機能していました。

 ところが、昭和になると枢密院の権威の低下と(枢密院は事実上、その構成員の個人的力によって動いていました。明治時代の枢密院のメンバーは、明治維新の立役者であり、倒幕軍の指揮官を経て新政府の高官となった人が多く、軍・政両方に幅広い人脈を持ち、両者を統括する力を持っていました。)、天皇自身のリベラルな考え方(美濃部達吉の天皇機関説とほぼ同じ考えを持っており、御前会議では、ほとんど異議を唱えませんでした。例外は2・26事件と終戦の決断の二つといわれています。)の結果、軍と行政を統合した国際的視野を持った政治判断が失われてていきます。

 この、政治=外交と軍事を統合する視野を欠いたまま、満州事変・支那事変(日華事変・日中戦争)が起こっていきます。
 ですから、中国本土への介入が日本と言う国家にプラスかと言う国家としての戦略的判断なしに、支那事変が起こり継続されたと考えています。

・満州事変
 「石原莞爾」という特異な才能の元で、演出されました。

 上に述べたような政治状況の中で、政府・参謀本部ともに「満州では、張学良と極力事を構えない。」方針でした。(満州の軍閥、張学良の兵力は、満州に駐留している日本軍の10倍あるといわれていたからです。)
 ところが、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめ、満州を占領してしまったのです。
 この大戦果に、参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。(ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となりました。)

 その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。

 石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略として、満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念するというものでした。

 日本は、当時一等国と呼ばれたイギリス・アメリカ・フランスに比べて支配地域が遥かに小さいため、イギリスなどのように植民地を未開発のまま薄く搾取する政策を取るのでは、これらの国に対抗できませんでした。
 そのため、支配民族のレベル向上による独立運動激化のリスクを知りつつも、占領地を徹底的に開発して国力向上を目指しました。

 国際連盟では、リットン調査団の報告にもかかわらず、常任理事国である日本の行動を容認する意見も強く(第一次大戦後の国際的な厭戦気分が影響しています。当初、ドイツもこの傾向を利用して、英・仏と戦うことなく国土の拡大を行ないました。)、石原莞爾の思惑通り事態は進むかと思えました。
 ところが、国際連盟で討議している最中に、日本軍が満州から中国に侵攻を開始(熱河作戦)し、面子をつぶされた国際連盟の諸国の態度が一変します。 

<理由>
 第一次世界大戦後の世界平和の空気の中で、「中国に関する9カ国条約」1922年が結ばれ、(列強がヨーロッパの戦線に全力を傾けていた隙に日本が対華21カ条の要求をしたことが遠因)
 中国の門戸開放
 列強の中国に対する機会均等
 中国の国家としての主権尊重の原則
が確認されました。
 この条約に対する日本の違反に対して、『満州は中国ではない』という論理が、一応成立する余地があり、満州族の清朝皇帝溥儀を擁立しました。
 ところが、熱河作戦の地域は、山海関を越えていて満州ではありません。

・支那事変(日華事変・日中戦争)
 石原莞爾は、1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大(熱河作戦以後)に作戦本部長として、中央の統制に服するよう現地にまで出かけていって現地軍指揮官の説得に勤めましたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される結果となりました。
 戦線が泥沼化することを予見して、石原は不拡大方針を唱え戦線の拡大を抑えようとしましたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷され、支那事変は継続していきます。

 日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしのですが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。

・満州事変の性格と支那事変の性格
 高校の日本史の資料・年表程度のものに目を通せば、その実態が分かります。

 満州事変(1931年)当時の日本陸軍の総兵力は45万程度で、「電撃戦での勝利」であったため、兵力・日本経済には大きな影響を与えていません。

 支那事変が、1937年7月に起こり、在留邦人保護と言う名目で継続され、1941年12月には、真珠湾攻撃を行い、アメリカとの戦いに入っていくのですが、それらの時点での主な統計数字を見れば実態が見えてきます。

 真珠湾攻撃をする直前の、日本本土・満州・中国大陸にある兵力は約190万(支那事変後に急激に増え、満州事変前の4倍になっています。参考:現在の日本=人口12000万の陸上自衛隊約16万、中国=人口13億の人民解放軍陸上兵力170万{誤差は大きいかもしれません}程度。)は、とんでもない数字なのです。
(陸軍兵力の急膨張で、士官学校出身の職業軍人は平時にはありえないような出世をどんどんしていったため、陸軍内部に日華事変の停止・撤退を望む声が盛り上がることはありませんでした。)
 対米、南方作戦のために、その後も更に兵員の数だけは増えていき、終戦時には、更に増え650万だったそうです。女性・子供・老人を除外した成年男子に対する軍人の割合を考えれば、国家経済が維持できるはずもありません。

 これだけの兵士を、生産を行わない「軍人」として動員したため、日本の戦前の各種工業生産力は1937年をピークに減少・横ばいを始めます。
 さらに、1938年には国家総動員法・1940年には食料の配給制が国内で始まります。

 アメリカとの戦いを始める以前に、中国との泥沼の戦争で、国力の大きな消耗が起き、顕著に国民生活を圧迫しているのです。

 政治が「軍」をコントロールしていれば、工業生産力を低下させてまで長期に戦いを続けることは考えられません。国益に明らかに反していて、無意味な消耗ですから。

 そして、中国側の焦土戦術(決戦をしないでどんどん内陸部に主力を後退させる戦略)によって、 中国側は「負けなければ勝ち」なのに対し、日本側は「勝たなければ負け」という、抗戦側の理論と侵攻側の理論のギャップで、戦闘を中止して撤退すれば『負け』という状況となっていました。
 
 『負け』ないためには、戦い続けるほかに方法はなく、アメリカから石油禁輸をされた日本(当時の日本産業の動力源は石炭。輸入石油の半分は軍が艦船・飛行機・車両の燃料として消費していました。)は、結局、中国からの撤退か、西太平洋の制海権を手に入れて、オランダ(既にドイツによって占領され、独立国家として機能していませんでした)の支配する領インドシナの石油を手に入れるかの選択(=戦線の拡大)となったのです。

付記1:中国側の戦争対応
 明治維新以後、日本は国内統治システムを完全に作り上げ、富国強兵を徹底して「軍」を編成しました。
 それに対して軍閥戦争が終わったばかりの当時の中国には、同程度の戦闘力を持つ精鋭部隊は、蒋介石(日本に軍事留学し日本陸軍の将校だった経験があります。)の率いる部隊だけで、日本軍の10分の1以下の兵力しかありません。
 この虎の子の精鋭部隊を初戦で日本軍と全面衝突して戦わせても、壊滅してしまい、以後は全く抵抗ができなくなります。

 そこで、蒋介石の率いる中国側は、侵入した軍より弱体な軍備しかない場合の、大陸国の伝統的戦術である主力温存策を取りました。
 具体的には、急造の二線級部隊で人数を膨らませ、日本軍よりも多数の兵力にし、精鋭部隊とともに日本軍と戦いますが、日本軍の攻勢で戦況が不利になると、徹底抗戦せずに戦力を温存して内陸部に撤退します。
 ナポレオンがロシアに負けた時と同様に、相手に軍需物資を消費させながら、敵軍主力を補給の届かない内陸部に引きずり込んでいく作戦です。

 中国は絶対に負けず、日本は勝てない戦術で、陸軍参謀本部の石原大佐(満州事変の首謀者の一人)などは、この戦術を中国が取るので戦いが泥沼化するとして、対中戦争を極力回避しようとしましたが、現地派遣軍は戦闘に勝っているので、撤退することなく内陸部にどんどん入り込んでしまいました。
 その結果、食糧など補給に苦慮した日本軍では、住民からの軍票による食料徴発で、太平洋の島のような飢えには苦しまなかったものの、捕虜や住民の生存を保証することはできませんでした。(住民の恨みを買ってしまうので、占領地の治安を確保できない。)

 また、民間人を駆り出して作った訓練の行き届かない中国の二戦級部隊は、銃の撃ち方などは習っているものの、戦術的部隊行動などは実戦の場では満足にできません。訓練の行き届いた精鋭部隊がさっさと撤退する後に、取り残されて大量に捕虜となり、日本軍のなけなしの食糧を食いつくすこととなります。
 そのうえ、少し前までは普通の民間人でしたから、敗走となると軍服を脱いで民間人となってしまうものも続出し(中国人同士の軍閥戦争の時はそれで何の問題もなかったのです。)、兵士・民間人・便衣兵の区別が極めてあいまいになってしまいました。 

日本側の苦悩
 侵攻した軍は、基本的には「占領地の治安維持・民間人保護」をしないと、占領地を確保したことになりません。
 しかし、日本軍の占領地は、汪兆銘が南京に立てた親日政権の支配地ということになりましたが、「食糧徴発」などで食べる物のなくなった住民に支持されることなく、確保できない占領地となっていきました。

→このように、泥沼に入り込んでから撤退するのでは、「日本の負け」となってしまいます。
 負けとなっても撤退するしか、傷を浅くする方法がありません。
 アフガニスタン・ベトナムでは、ソ連やアメリカが撤退を余儀なくされました。

戦争の結果
 精鋭の主力軍を失うことなく戦い続けた蒋介石は、その軍事力を背景に「国民党」のトップとして、戦争後の政府の代表者となりました。
 しかし、大した兵力を持たず装備も整っていなかったので日本軍の占領地で便衣兵としてゲリラ戦を行うしかなかった「共産党」との内戦が始まると、『装備の優秀な国民党軍は逃げて戦ってくれなかった。満足な武器がなくても共産党軍は戦ってくれた。』という民衆の気持ちが大きく働いて、国民党は国民の支持を失い、日中間の戦争のなかった台湾に逃げていかざるを得なくなりました

付記2:第二次世界大戦時の日本軍の人権問題について
 戦場では弱者に被害が続出します。特に補給能力が低かった日本軍の場合、アメリカ軍と日本軍が対峙した太平洋の島々では、弱者である日本兵に餓死・病死が続出しました。日本軍・中国軍と中国民間人が混在した中国戦線では、弱者である中国民間人に被害が続出しました。

 第一次世界大戦時には、日本の敵国捕虜に対する扱いは極めて寛大でした。
 坂東俘虜収容所
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E6%9D%B1% …

 第二次世界大戦の場合、日本は中国との長期の戦争で、アメリカとの開戦時には国力が既に消耗して捕虜を寛大に扱うだけの余力がなくなっていました。
 いくら海軍が無傷であったとは言え、客観的に補給・国力の観点から見れば、中国大陸から撤退すべき状況であったのです。


 尚、長くなりましたので、慰安婦問題・南京事件などの個別案件については、省略します。
 コメントが必要であれば、その旨を言っていただければ、追加します。
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歴史認識の違いは、視点によって変化するもので仕方ありません。



ただ、概ね間違いを犯しやすいのは、フィーリングで議論してしまう歴史認識論です。
 例えば、「南京大虐殺」という事件に関しても、
南京大虐殺という事件は、南京という都市だけで行われた事件に制約されるのか?
という言葉の規定の問題がそもそもあります。法的意味、道義的意味、歴史的意味と言葉の意味は多元多様でもあります。

 実は、歴史議論は歴史事象の1000のうちに専門家が要約した都合のいい部分の20程度しか分からないことが多くあります。その20が更に要約されているのが、一般認識でかなり、齟齬があるのも事実です。
 歴史事実の全てを把握していない一般人が歴史を論じている以上は、バランスある歴史観などは不可能です。
 そういう考えで、各人の歴史観をみることが重要です。

実際、歴史事象についての理解は常に恣意性・偏見が付きまといますから、その危険性を認識していない一般人民では歴史の真相などは追究しきれません。それが政治事象に絡めばさらに利害が発生し、判別不可能になっています。

 つまり、歴史観は総じて、歴史の全体像に立脚したものではなく、歴史事象を取捨選択して都合のいい部分だけを抽出する作業になっていることもしばしば見られるのです。

 従って、反論の余地がないような都合のいい部分だけで歴史を論じる人が多く、語られない部分の都合な部分に関しては、都合悪くて逃げてしまうケースが多いことも事実です。

 あくまでも私の回答ですが、歴史事象の多くを理解している人は、あくまでも考える材料しか提供してくれません。
 簡単にいえば、当人の歴史観を提示せずに、歴史的事実をバランスよく提示できるものです。
 そういう人はえてして、持論にとって都合の悪い事実まで言説して、相手の判断を委ねますので、中立的で恣意性がありません。(昔のNHKはそういう報道だったんですが)

 だから、今の日本の社会の教科書を疑いつつも、自分の考えを持つようにすることをお薦めします。
 恣意性の強い評論は決して、持論に都合の悪い問題は言説しません。そういう器の小さい人間ほど歴史主観に溺れ、他者の自由な歴史観を尊重できなくなっています。

 最後に、「本当のこと」は、人文科学としての歴史・政治では普遍性がないので、分かりません。
 回答は、個人の価値観に依拠するものである以上は、どれも正解でありえるからです。
 つまり、貴方自身で正しい・妥当なものを探すことが重要です。

そして、正しいではなく、”妥当なもの”を探すような努力が重要だと思います
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たとえば、ジャンヌダルクについて考えてみてください。


ジャンヌダルクは、フランスを救った救国の聖女として扱われていますが、イギリスでもそう思われていると思いますか?
またいつごろからジャンヌダルクが聖女とされたのかご存知ですか?
ジャンヌダルクが聖女とされるようになるのは、フランス革命後であり、それまではなんでもないただの歴史上の人物でした。
当然イギリスでは、現在もその評価です。
私などは、単なる強盗の親玉とみていますが。
つまり、過去に行われた事は、見方を変えると全く異なる姿を描き出してしまうのです。
固定したものの見方だけで、全ての善悪を判断しようとすることを原理主義と言います。
イスラム原理主義のテロリスト達にも、一定の理論があり、それだけが正しいと思い込んで行動しているのです。
>「南京事件で犠牲になったといわれる人数は中国のねつ造で、・・・日本を悪者にして批判することで中国も韓国も国をまとめる手段にしているだけだ」
というのも、一面では真実ですが、それは一面だけで、見方を変えればまた全く違った姿が見えてきます。
ピラミッドを見た時、みる方向を変えれば、四角に見えたり三角に見えたり、ひし形に見えたりします。
一面から見ただけでは、全体像が見えません。
多方面から物事をみる事により、全体像が見えてくるのです。
いろいろな資料を、偏見を持たずに読んでみてください。
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本を読めば本当のことが分かるわけではないのですが、


でも本を読まないで人の話に反応しているよりは、読んだほうが絶対に良いです。

市販本だって一次資料ではないし、
まあ我々素人が一次資料を見たって分からなそうだけど・・・・
でも人の話(一般人作成のホームページも含む)は、三次情報とか四次情報とかであり、主観や尾ひれがそれだけ付いているでしょう。
逆に、抜け落ちている情報もあるはずです。
本一冊分の分量を口頭で喋ったりブログやHPに載せるわけには行かないので。

ゴー宣の『戦争論』は読みましたが、「まあ、そりゃそうだろうけど」と思いました。
別にびっくりするような内容ではなかったような。
作者に全面的に賛同するわけではないけれど、そういう面はあるでしょう、と。

塩野七生さんが古代ローマ関係の本を書くため地中海沿岸諸国の歴史博物館を取材した際、どこの国も自国の目線で展示をしていたそうです。
「自国の立場から主張するのはどこの国も同じだ」と書いてました。

「どういう風に第二次世界大戦が始まったのか?」とか、当時の世界情勢を見てみたらどうでしょう?
いきなり南京事件を見たって意味が分からないでしょう。
あるいは、見方が偏るのかもしれませんが、軍人さんの伝記だとか、何々作戦についての本だとか。
まずは読みやすいところから入って、そこですぐ納得して終わらず、さらに広げていくのもいいと思います。

>どうして悲惨な歴史から学ばないバカな人なんだろう

と言うには、とりあえず「どういう悲惨さがあったのか」知らなきゃ言えないですよね。
体験は今更できないので(したくないけど)、本を読む程度でも。
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まずは、正誤にかかわらず自分の意見を持つことですね。


韓国や中国の政治家にも批判するには訳があるんです。
彼らは日本を批判することによって支持率を保っています。
でもそろそろその考え方は変わらなければならない現在の日本の首相も韓国の大統領も中国の国家主席も戦争を経験した世代ではなくなってきている。
それに、最終的に勝った国が敗戦国から賠償だの、保障だの勝ち取るのは結局は侵略戦争をしているのと変わりないわけです。だって倒してからさらにむしり取るんですから

これは私見であって独自に調べて得た考えですので間違っているかもしれません。その時はまた、調べなおして指摘されたことが正しいかを考えるでしょう。これが真の学ぶという動作だと思います。
南京事件に関しては捏造の可能性が高い<可能性となっているのは私自身では明確な確認が取れていないため>
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>本当のことが知りたい


とりあえず、新しい見方をする知人を得たのはよいことですね。
次は、逆の見方をしていて歴史に詳しい知人を得ましょう。教科書では不足なのはすでに分かっていると思います。とにかくまずは、両方の見方をきちんと知ることからでしょうね。

>戦前日本軍は侵略を行い、アジア諸国の人々に非常な迷惑と大きな損害を与えた。
これは、普通に考えて「本当」でしょう。韓国併合とか満州事変や日中戦争、少なくとも現在の価値観で見れば「侵略」であることは間違いと思います。
もちろん、当時はそんなことは普通で他の国(アメリカ・イギリス)もやってた、とかいうのも本当でしょうけど、上の文自体は「本当」であることは間違いないですよね。
この文自体を否定する人はまともな人とは思えません。

で、「日本は素直に自らが行った行動を深く反省して謝罪しなければならない。」
くらいからはもうすでに意見の相違が出てきて、
「再びこのようなことを起こさないためには決して軍隊を持ってはならないし」
この文にいたっては完全に収拾つかない状態になるでしょう。
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No.11です。


付言しますと、大学生になった以上、「歴史認識」といった問題については、他人に教えてもらうのではなく、自ら多くの本を読んで答を見つけ出すことが「あるべき姿」であるのは先述したとおりです。

ただし、大学を卒業して企業や官庁といった組織の一員となりますと、「上司の考え、組織の考えを、そのまま自分の考えとする」
ことが、仕事をする上で要求される場面も多々あります。

そういう状況を、法律用語で「特別権力関係」と言ったりするのですが、そのような場面では肩肘を張らずに「組織の一員」として「特別権力関係」を受け入れて下さい。これは、組織に属して給料を貰っている以上は当然のことです。
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質問者さんは大学生でおいでとのことで、大学図書館を利用していくらでも本を読める立場ですよね。



でしたら
「私は歴史や政治に全然詳しくありません」
と自己認識しておられ、
「どうしたら本当のことがわかるでしょうか?」
と考えておいででしたら

「大学図書館で『第二次世界大戦の歴史』に関する書物を徹底して読み込み、自分の力で『本当のこと』を理解する」

のがよろしいと思います。教えてGooのようなインターネットのQ&A、あるいはインターネットの様々なホームページやブログよりも、
「公刊されている書籍」
に書かれている情報のほうが信用できるのは理解して頂けますね?
私の回答も含めてです。

他の方も言われていますが、こうした問題について、「誰かに教えてもらう」のは遅くても高校までの話です。
大学生である以上、誰かに教えてもらうのではなく、自分で本を読んで自分で答を見つけるのが『あるべき姿』です (他の手段もありますが、一番効率が良いのは『本を読む』ことです) 。

質問者さんは

「私は中学校(公立でした)までの歴史の授業で、「戦前日本軍は侵略を行い、アジア諸国の人々に非常な迷惑と大きな損害を与えた。日本は素直に自らが行った行動を深く反省して謝罪しなければならない。再びこのようなことを起こさないためには決して軍隊を持ってはならないし、戦争してはならない」というようなことを教えられました。
 私はそれをその通りだと素直に受け入れ、「日本はしてはならないことをしてきた」「戦前に日本が取った行動はまちがっていた」「日本のせいで被害を受けたと主張する人がいるならば、時間がたった今でもきちんと謝って許してもらいたい」と考えてきました」

「その人の言葉を聞いてまずは反発しました。そんな都合よく考えることが許されるのかという気持ちでいっぱいでしたが、反論しても様々な筋の通った答えが返ってきました。徐々に、その人が言う話のほうが説得的に思えてきたのです」

という書き方からして「他の人から聞いたことを無批判に自分の考えにしてしまう」傾向をお持ちのようですが、大学生となった以上、少なくとも「歴史認識」といった問題についてはそういった「受身の姿勢」は捨てて下さい。

そのための手段は、先述するように「本を読む」ことです。
私は、ちょっと自慢なのですが、大学時代に「大学生の本分は、本を読んで勉強することである」と考え、大学図書館を利用するなどして年間500冊程度、4年間で約2,000冊以上の本を読みました。大学入学以前と卒業後を累計しますと、今までの人生で読んだ本の数は1万冊を越えているはずです。たとえで「万巻の本を読む」と言いますが、自分はそれを誇張なく実行していると考えております。

質問者さんが大学何年生なのかは分かりませんし、大学4年間で「万巻の本を読む」のは物理的に不可能ですが、「年に100冊単位の本を読む」ことは別に無理をしなくても可能です。さすがに私が実行したように「年に500冊の本を読む」のは簡単に出来ないと思いますけど。(笑)
※ 私は別に「速読術」を心得ている訳ではありませんが、子供の時からの読書経験により、本を読む速度が普通の人よりかなり速いようです。現在でも、休みの日でしたら、1日で単行本(文庫本、新書版)を5冊読むことが苦になりません。大学時代は、暇が多いですから図書館に入り浸ってそのペースで読んでいました。

大学生という、講義の予復習、課題の作成以外は
「自由に勉強をするのが本分で、そのために大学図書館を利用できる」
環境におられるのですから、その条件を存分に活用してください。
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 最初に習った歴史は、内容の裏づけよりも事実に愕然としたのでしょうね。

そして、大学生で知った事実は、いろんな裏づけの上に、捏造の事実を知ったのでしょう。どちらが正しいかというのは、これは難しいご質問です。っというのは、正確な事実を把握している人が一人もいないからですよ(笑)。ただ、歴史全般そうです。日本の過去の歴史を見ても、歴史資料というものは勝者の御用作家が書いたものが多く、事実はゆがめられて書かれていると思ってよいでしょう。

 私の考えですが、日本は侵略戦争を起こしました。ただそれだけの理由で、アジア各国に対して謝罪せねばならない立場にいます。その謝罪が充分でないことは明らかです。であればこそ、未だに納得のいかない人たちに責められるのですから。
 ただ、日本が戦争責任を持つことに対して後ろめたさがあり、その心理を利用して、なかったことをあったことだと主張する小汚い精神が中国や朝鮮にもあります。それが事実の捏造や、実数の改ざんです。

 ちなみにですが、家族に話すのはやめておいた方がいいと思いますよ。私の母などは昭和7年生まれのせいで、日本が起こした戦争の責任について話しても、いつの間にか空襲の話題になります(笑)。理解できない年代もいますから。
 私は思います。日本は許されないことをしでかしたのですから、謝罪はしなければなりません。しかし、卑屈になってまでする必要はないのです。それを行ったのは我々ではなく過去の人間です。海外の被害者の遺族と共に、日本の過去の間違った人間を非難し続け、我々は戦争と無縁な世の中を作っていくことを心がければよいのではありませんか?
 一部の方は、中国の捏造の事実を拡大解釈して、日本の行った罪をなかったことのように話します。これは、中国が日本の罪を拡大解釈しているのと同じことです。あなたのお知り合いはそのような方だと私は思いますよ。そのやり方では、両国共にお互いを責めるだけで和睦はありえません。

 さて、私としては一冊本を紹介したく思います。

 侵略戦争ー纐纈厚(こうけつあつし)

 侵略戦争がどのような思想の元に起きていったのか、当時の新聞記事までを使って研究されています。ちょっと読むのが難しくて苦痛かも知れませんが、参考になる本です。
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