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6年前、母の葬儀をする際、それまで我が家には仏壇も無く、お寺とのおつき合いも無かったので、
母方の実家にお寺を紹介してもらうことになりました。
それ以来、毎年「志納金」なるものを収めています。
金額は¥12000です。
「志納金」って、どういうものですか?
どこのお寺でもあるものなのでしょうか。
ちなみに墓所は他所にあり、お骨は預けておりません。
法要やお盆のお参りも、別途お布施はしていますし、
年間¥12000とはいえ、正直暮らし向きも楽じゃないので、
なんとなく毎年納得いかないまま払い続けています。
また、お盆のお参りも、仏壇がある限りこの先ずっと
お寺に来てもらわなければいけませんか?
亡母も生前は無宗教でしたし、家族でお花やお供えで供養するので十分だと思うのです。
今年の秋は七回忌の法要なので、これを機会にお寺とのおつき合いを
見直したいです。
アドバイスよろしくお願いします。

A 回答 (2件)

お寺というのは、檀家制度があり、これはある意味現代の会員制クラブ的に運営されています。


基本的に、会員(檀家)であるメンバーの葬儀・法事という仏事を行ないます。
会員(檀家)は、その寺の維持管理団体の構成員として、護持費(志納金)として毎年、年会費を納めます。
通常、新規でメンバーになるには入会金(入壇料)を要しますが、メンバーである母方の実家のつてでメンバー扱いで葬儀をしていただき、葬儀後は他のメンバー同様にメンバーとしての年会費(志納金)を納めているのです。
七回忌の法要以降その寺と縁を切り、もう以後の法要もお盆のお参りも頼む予定も無く(メンバーから抜けた後は通常は依頼されても寺の方で断りますが、メンバー以外のビジターの受入れもする寺院ならそれなりに檀家以外の扱いで受けれくれるかもしれませんが。)、また紹介した母方の実家の顔が潰れたりしないのならそれ寺と縁を切って離壇し、無宗教に戻るのも選択肢ではあると思います。
寺との縁を続けるということは、日常の維持管理に要する費用を会費として負担してメンバーとして残ることを意味し、抜けるということは一切の縁を切るというものです。
必要なときだけ頼むというのでは虫が良すぎですし、それでは寺院は維持が出来ません。また維持費を負担しているメンバーさんと差がつきませんとメンバーさんが怒ります。
ご思案ください。
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この回答へのお礼

解りやすい解説ありがとうございます。
とりあえず意味は解りました。
そもそも「入る」とか「抜ける」といった感覚が無いですね。
例えば大工さん、引越し屋さんとかのように
「知り合いの業者があったら紹介して」みたいなかんじだったので。

>必要なときだけ頼むというのでは虫が良すぎですし、それでは寺院は維持が出来ません。また維持費を負担しているメンバーさんと差がつきませんとメンバーさんが怒ります。

そういうものなのですか。
ただ、今のお寺にはちょっと「?」と思うことがありまして、
*法事の時には、連絡も無く毎回遅れて来る。
*お経のとき、戒名を間違える。
*「定年退職後のアルバイトです」というお坊さんも来る。
 (まぁ、いいんですけどね)
こういうのって普通なんでしょうか。

お寺の維持管理も必要でしょうが、
こちらも苦しい中から生活費を削って捻出しているわけです。
定額給付金もそっくりそのまま志納金になってしまいました。
こんな低所得者でも払わなければいけないのかなぁと、
毎年納得いかないワケです。
なんだかボヤキになってしまいました。すいません。

お礼のレスが遅くなりまして申訳ありませんでした。

お礼日時:2009/08/14 00:20

なんと言えばいいのかな。


無宗教だったけどお葬式ではお坊さんに来てもらって、お経をあげてもらい戒名ももらったと。

確かに普通の日本人の仏教との付き合い方だと思います。
檀家制度は江戸時代にキリシタン弾圧のために作られた制度ですから、強制された面が多くあり、それに仏教寺院が悪乗りしたというのが実態です。

お寺にしてみたら檀家は重要な収入源です。
ある地方の新聞に載っていましたが、お寺の改修のための「志納金」を断ったらその家の遺骨が宅急便で送り返されてきたというものです。

志納金は、国語辞典では「拝観料」とも書かれていますが、あなたの場合は檀家さんが収めるお寺への協力金というものですね。

僕自身は、自称浄土真宗の信者です。何故、自称なのかというと<檀家>制度には加わっていないからです。お寺が持っている上下の系統図から外れているわけです。勝手に信心しているのです。

仏教の教えでもお布施という喜捨の修行があります。自分の大事なものをお釈迦様のために差し出せるのかというもので、ものやお金に執着しないという修行です。
僕自身は、浄土真宗ですからお布施による功徳は信じないのですが、お坊さんにしてみれば大事な収入ですからね。
自分の大事なものを差し出すことで願いを叶えてもらうという<願掛け>も一種の喜捨ですね。ですから一概に否定できません。

僕自身は、お墓に年に5~6回は行くのですが、自分でお経をあげています。先祖供養ではなく、我々のような煩悩多き衆生を救ってくださる阿弥陀様に出会うことができたご縁に感謝するためです。

お経で先祖を供養できるほど、お経は万能ではありませんし、神通力もありません。また、お坊さんといえどこの末世の時代にどんな修行ができているのか疑問です。
ただ、僕は他人に無理強いはしません。

お金の問題ではなく、あなたも自分の言葉で、声でお参りをすればよいと思います。お経を自分でとなえてみてはどうでしょうか?
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この回答へのお礼

解りやすい解説、ありがとうございます。
協力金ですか・・・。
私はあまり協力しているつもりはありませんねぇ(笑)。
毎年、郵便振込みの用紙が送られてくるたびに
「ああ、またか・・・」と思ってしまいます。
核家族化が進んで、お寺との付き合いも疎遠になりますし、
きっとお寺も台所事情は苦しいんでしょうか。
私も苦しいなかから何とか捻出しているのですが。

>また、お坊さんといえどこの末世の時代にどんな修行ができているのか疑問です。

毎年違うお坊さんが来ます。
なかには「定年退職後のアルバイト」と言っている方もいます。
素人考えで申し訳ないけど、あまり有り難味はありません・・・。
なんだかボヤキになってしまいました。すいません・・・。

お礼のレスが遅くなってしまい、申訳ありませんでした。

お礼日時:2009/08/13 23:36

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