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檀家になるのとならないとの違いがよくわからないので教えてください。
檀家になってお寺とのお付き合いが、先々続けられるか不安だったので
一般の霊園にお墓を建てました。
なぜなら、私の知り合いは毎年、多額のお布施が大変だと話していたからです。
このことは、お世話になっているお寺さんにも話してあります。
しかし気がつけば、やっていることが檀家さんとほとんど同じような気がしてきて・・・
昨年父を亡くし、通夜葬儀、百箇日の法要、納骨を済ませました。
今年に入り、1周忌の法要、大施餓鬼、新盆の法要(?)もお願いして無事終わりました。
あれっ?これって檀家さんと同じレベルでお寺さんとお付き合いしてる?
決して嫌なわけじゃなくて、檀家さんにならないでいつもお世話になってしまう我が家は
お寺さんにとっていかがなものかと・・・迷惑みたい??

そこで檀家さんになるのとならないのとの違い教えてください。
ちなみに浄土宗です。

A 回答 (5件)

檀家の場合、法要等以外にもいろいろな負担があります。


まず毎年、寺の維持管理費用にあたる金銭の負担があります。(毎年1~2万円)
また寺や庫裏(僧侶の住居部分)の老朽化による改築の場合など莫大な金がかかりますが、檀家が一軒あたり数十万円負担することもあります。
寺年番と言って寺の催し等(御忌、施餓鬼、十夜法要、盂蘭盆、除夜の鐘突きなど)に、檀家の中から順番制で一年間従事しなくてはなりません。
十数年に一回開催される、五重相伝や受戒会にも参加しなければなりません。(一週間にわたって参加し、十万円出しました。夫婦で参加ならもちろんその倍)
寺に隣接の墓地の定期的な清掃奉仕活動もあります。

多くの人は先祖から檀家であるため仕方がないと辛抱していますが、親や先祖の供養だけで済ませられるものなら、檀家になる必要は全く無いと思います。

もちろん将来檀家総代にでもなって、寺の近代的な変革に加わろうと考えるのなら別ですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
維持管理費の他にいろいろあるんですね。
こんなにあるとは思いませんでした。

お礼日時:2009/08/17 13:46

状況的には檀家ではありませんがその寺院の信徒さんになっていますね。


お寺によって、きっちり区別している場合とあまり区別していないケースがありますね。
現代的に喩えると、会員制クラブ的でもあり、年会費的な護寺費を負担している檀家(メンバー)のみという寺院とビジターも受け入れるという寺院もあります。それぞれの寺院事情で異なります。
檀家さんからクレームが出ないようにビジターさんと区別している寺院は多いです。
寺の本堂などの施設維持管理は檀家さんがしますので、その意味では施設は町内会館のようなものです。その維持費の負担は町内会の者がするのと同様に寺は檀家がします。その施設の利用を町内の者以外に制限したり利用料に差をつけたりというのと同様に、寺の施設も同様ですので、その寺院さんとの場合には日常のお布施等の負担に日常の会費負担が無い分若干の気を使えば問題ないと思います。
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この回答へのお礼

あっ!
最初に話したときに「檀家」という表現ではなく「信徒」とおっしゃっていました。
きっと、我が家はその「信徒」扱いなのかもしれません。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/08/18 13:53

僕は勝手に浄土真宗に信心しているものです。

適切な回答者ではありませんので、受け流してください。

檀家制度は、1635年(寛永12年)、江戸幕府がキリシタン弾圧のために設けた寺請制度が始まりです。
つまり、日本人全員を住んでいる村近くの寺に帰属させ、今の戸籍のような宗門人別帳を作って、住民管理を徹底させたのです。
渡世人や木枯らし紋次郎などは、村の戸籍=宗門人別帳からはじかれるので<駆け落ち>と言ったんですね。

江戸幕府は、住民を管理し、キリシタンの布教を弾圧できるというメリットを確保でき、お寺の側は、住民を自分の寺の檀家にすることで、村の中での権限を手に入れたのです。
また、葬儀への関わりもこのころから始まります。
死後戒名という日本独自の収入方法も編み出すわけです。

仏教の修行の中では、布施行というものがあります。喜捨とも言います。自分が大事にしているものをお釈迦様に捧げる?修行者へ分けることができるのかということです。
物事への執着を捨てるが大事であるという教えに基づくものです。執着する心を持つことが苦しみの要因となっているからです。

お寺にお布施するということは、仏教の修行の一つなのですから、お寺の側は当然だと考えるでしょうね。仏教修行者は、出家するとお釈迦の弟子になったという証明である戒名(浄土真宗では、法名)をもらいます。日本の場合は、死んでからお釈迦様の弟子になり、戒名を貰うという形ですね。

現代日本の仏教界でも、この檀家制度が今後続いて行けるか不安でしょうね。地方の小さなお寺さんにしてみれば、死活・経済問題です。お寺の上部への上納金もありますからね。
新聞での記事ですが、檀家になっている人がお寺の改修のための協力金(志納金)を断ったために、宅急便で骨壷が自宅へ返送されたという事例がありました。つい最近です。

これは仕方ないことです。お寺さんを責めるわけにはいきません。

ただ、檀家にならないと死んだあと浄土へ行くことが難しいかどうかは聞いたことがありませんが、心配なら檀家になればよいでしょうね。
それ以外には、お盆のときなどには檀家を先に日程を組むので、後回しになるとかがありますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
けっして信心深くないわけではないんです。
お正月、春秋のお彼岸、お盆、年末などなど、ご先祖様のお墓参りはしますし、ことあるごとにきちんと報告に行きますし。
ただおっしゃるように、檀家にならないと亡くなった方が報われないという考え方に素直に賛同できなくて。
今お付き合いしているお寺さんはとても良くしてくださるので
何となく心苦しいというのが私の気持ちでしょうか。

お礼日時:2009/08/17 14:11

>そこで檀家さんになるのとならないのとの違い教えてください。



大きな違い...お寺の修繕費用や立て替え費用の負担が来る

数十万円単位での負担になりますね

>お寺さんにとっていかがなものかと・・・迷惑みたい??

逆に感謝されているでしょう

葬儀の時でも特別のお寺と付き合いがなければ葬儀社が紹介してくれますし...

檀家でなくても困ることは無いでしょうね

ただ、「1周忌の法要、大施餓鬼、新盆の法要」...お寺では貴方は「檀家扱い」になっているかも?...(笑)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>お寺では貴方は「檀家扱い」になっているかも?...
お知らせを頂くわけではなく、こちらから伺ってお願いしてるんですが
皆さんがおっしゃるような維持費などのお布施はないので・・(苦笑)
必要なときに必要なことをやって頂いているという関係でいいのかな?

お礼日時:2009/08/17 13:52

>1周忌の法要、大施餓鬼、新盆の法要(?)もお願いして無事終わりました。


故人の供養のために、普通にやることです。

お寺の檀家になると、お墓参りの度にお布施を納めます。
お寺の都合で、庫裏の直しとか本堂の修繕など、お布施を請求してきます。
お寺からの戒名(5万円から100万円位支払う)を戴かないただかないと、永代供養もしていただけない場合もあります。
公苑墓地(民間)のほうが、墓所に払うお金が少ない。
坊主は、お布施しか収入がありませんので、お布施を納めなくてはなりません。
托鉢だけで暮らしていけない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
いろいろあるんで驚いています。
お布施しか収入がないのもよくわかりますが、そのわりにはどこのお坊様も良い車乗ってますよね(苦笑)
ボ○ボはお坊様御用達なんですかね・・・

お礼日時:2009/08/17 13:49

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