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鬱です。仕事も辞めて無職。さんざんもがいて、苦しんできたけど、光は一向に、さしこんで来ません。今は妙に気持ちが落ち着いているというか、もうあきらめたぁ、という感じになっています。
思えば25年間、ずっと寂しくて、不安で、孤独で、生きづらかった。自分の人生本当にろくでもなかった。楽しそうに、笑ったり、喜んでいる人をみると、いいなぁってうらやましく思う気持ちもあるけど、うれしいとか、楽しいとか、そういうものは、自分には、はかなく遠い遠いものに感じる。まだ若いとか言う人もいるかもしれないけど、その言葉はもう何も響いてきません…。
誰かに全てを依存して、良い方向に導いてくれるのなら、それを望むけど、もう自分は、何も頑張りたくない。このままほっといて幸せが舞い込んでくるのなら、待っててもいいけど、「幸せは自分がつかむもの」って良く言うし、それだったらもういいよ。つかみに行く、元気はありません…。
世界には、飢餓や、貧困、戦争等、過酷な状況でも懸命に生きている人もいるし、自分は日本という恵まれた国に生まれて、それだけで幸せなのかもしれない。でも、どうして?生きていても全然幸せを感じない…。生きたくても生きられない命がたくさんある中、自分はこうして生きているっていうだけで幸せなのかもしれない。でも、どうして?ちっとも幸せを感じない…。命という物がかけがいのないものならば、この命誰かにあげたいよ。自分には有効に使いこなせない…。

A 回答 (16件中1~10件)

投稿ありがとうございます。

ずっと寂しくて、不安で、孤独で、生きづらい人生だった。今はなにも頑張りたくない。ちっとも幸せに感じない。そんなお気持ちお察しします。

目の前のテーブルに山のようにごちそうが並べてある。こんな状態が,空腹でたまらない人には幸せな状態です。でも,おなかが満腹の人にとっては,まだ食べなければならないとすれば苦痛でしかない状態です。今あなたの前に展開している状況や環境も,全ては同じことなのです。自分自身の有り様や考え方が変われば,その状況は不幸にも幸福にもなる状態なのです。

頑張ろうとする気持ちを手放してみてはどうですか? ありのままの自分,何もできない自分,それで良いと思うのです。頑張ることによって幸せがやってくるのではない。今,不幸や苦痛に思える状況そのものが,考え方を変えれば幸福に見えてくるのです。童話『青い鳥』では,主人公のチルチルとミチルが,幸せを求めて旅に出るけれど,最後にたどり着いた幸せは自分の家にあったというものです。まさしく,これです。今ある状況を変えようと頑張るのではなく,今そのままで,どうやったらこの状況を幸せに思えるか,それを考えて欲しいと思います。

あなたがそこにいるだけで,誰かのお役に立っています。あなたが笑顔を見せるだけで,勇気づけられる人がいるのです。自分が変わる,つまりはありのままの自分に戻るということを意識して下さい。そして,人に親切にしてみよう。誰かのお役に立とうと考え始めると,何かが変わってきます。一度試してみて下さい。あなたの未来が良くなっていくことを祈っています。
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あなたのように苦しむ人が物凄い数存在するのに、


何故かみんな一人づつバラバラで、慰め合うことも
励まし合うこともなく、そもそも互いの存在さえ知らずに
生きていることが時々とても不思議な気がします。

群衆の中の孤独、という言い方があります。

通勤・通学の電車もそうですね。

こんなにたくさんの人々が、毎日同じ電車で同じ車両の
同じドアの近くで、互いに知り合いになることも無く、
ただひたすら無言で揺られている。

孤独です。

誰かと気持ちが通じ合う、というのは、本当に大変な
事なのかも知れない。

気持ちが通じ合う人々といつも一緒に居られれば
孤独も余り感じないでいられますが、たくさん人が
いるからと言って、それだけは逆に知り合えない分だけ
孤独感が増すばかりなのかも知れません。

私はいつも思うのですが、人混みが寂しいのであれば、
逆に人が余りいない場所で暮らした方が心が安らぐと
思うのです。

余りにも沢山料理が並べば、食傷して食欲がわきません。

でも、空腹の時に目の前におにぎりがひとつあれば、
それに手を出さないでは、中々いられません。
それと同じで、人の少ない場所での他人は、街での
他人よりずっと身近に感じやすいものです。
(勿論、ある程度知り合う時間は必要だけれど)

人が余りいない場所。

北海道、或いは山地。離島。

人間は、中々、したことがないことは出来ません。

考えたことがないことは、考えられません。

いつもと同じ場所に行って、いつもと同じ考えを巡らせ、
いつもと同じように飽きて、いつもと同じように息づまる。

上手く生きられない、のではなくて、昨日と同じようにしか
考えないし、行動しない。

ただ、それだけのことです。

したことが無い事をしようとすると身が竦んで頭が停止する
ものです。

今までしたことが無いこと、考えたことが無いことにトライする。
その、最初の一歩をいつも踏み出す癖が付いている人と、
最初の一歩を踏み出すのを躊躇する癖がついている人。

その違いが、人生を分けます。 能力はそれらについて来る
ものだし、運さえも行動についてくるものです。

確かに才能と言うのはありますが、逆に言えば、歴史に名が
残る様な天才というものは何十万、何百万人に一人しかいません。
でも、人生を貫く「芸」、職能を身に付けることに成功した人なら
星の数ほどもいるものです。

だから、才能云々は、成功の直接の要因ではないと思います。

マスコミが喧伝するカリスマの類は雑誌の売り上げやメディアの
視聴率を上げるための人為的な宣伝が大部分です。
飽き易い民衆の歓心を引き続けるために、どうしても大げさな
騒ぎ方を繰り返してしまいます。

実際には、成功している人の大半が、効果的な努力を積み重ね、
チャンスを逃さないように日常の準備・研鑽と「鷹の目」を忘れずに
チャレンジし続けた結果だ、と言った方が正しいと思います。

優れた才能がある人が、ある日突然脚光を浴びて忽ち時の人に
なる、それは庶民に憧れを持たせ、自分がそうだったらと夢想させる
ための、シンデレラストーリーに過ぎません。

だから、そういう虚像や夢想ばかりしか入っていない頭でいくら
考えても何も答えなんか出ません。

大事なことは、一歩を踏み出す癖をつけることだと思う。

綺麗ごと、という言葉が頭にすぐ浮かぶ人は、何とかして
やらないことを正当化しようとする、一種の恐怖感が拭えない
人だと思います。

成功を望むから。 それを、射幸心、といいます。

つまり、失敗を恐れる心です。

起きてもいないことを、失敗すると決めつける。
不安がいつしか確信に変わってしまう。

チャレンジしたことが無いと、成功体験がない。
だから、失敗ばかり考えてしまう。
成功すると信じられる理由が無いから。

簡単な事なんだけど、難しいですね。

出来る人に取っては、失敗することなど対して何とも
思ってないのに、出来ない人に取っては失敗すると
人間失格になるような思い込みで自分を縛り付ける。

独り芝居のようなものです。 観客のいない。

あなたもご自分の心を何とかしよう、それから
失敗しない自信がついてから行動しよう、というように
逆に考えている気がします。

心は後回しです。

行動が先。

何故なら、心は行動にくっついて変化して行くものだから。

心が強いから、厳しいトレーニングをして、肉体が強くなる。

そういう人もいるでしょうけれど、多くは逆です。

いやいやながらも厳しいトレーニングをさせられた。
そして、気が付くと肉体は強化され、能力も高くなってる。

だから、ステージに立てる。

そこで負けて這い上がる人もいるし、勝ってタイトルを
守ろうとする人もいるけれど、ステージに立てた経験が、
今度は自分を支える力になる。

一度は成功してるんだから、頑張ればまた成功できる筈、と。

あなたが仰るように、誰かに人生預けていい人生を
歩かせてもらいたい、という他力本願な気持ちは多くの人に
あるでしょう。

だから、人生を預けるに足る師匠を探して、その世界に
飛び込む人もいます。

そういう他力本願は、私はむしろお勧めしたいです。

落語もそうだし、芸能人もそう。

昔ながらの職人の世界に飛び込む人もいる。

銀細工、和紙梳き、工芸、ガラス、無数にあります。
料理の世界だってそうだし、絵描きも陶芸もそう。
スポーツだってそうだし、昔ながらの徒弟制度で
修業している人は大勢いますよ。

でも、折角その世界に入っても、師匠を信じられなくなったり
だらけて辞める人も後を絶たない。

楽して成功したい。

そのくせ、大変な修業をしたと他人に思われたい。

どこに行くにしても、ただ漠然と良い目を見たいと考え、
あれもこれもと欲をかいた気持ちが整理できないと、
何をしても不満です。

もっと楽しくてお金が儲かって、皆から偉いな、才能あるなと
チヤホヤされて、特別な人としてテレビに出たり本を書いたり
したいな、とぼんやり考えている人は無数にいます。

でも、そういうことは、ただの阿呆の欲に過ぎません。
何をして生きていくのか、ということについて足りない頭で
いくら考えても何も出て来ない。

だから、自分を捨てる、ということが大事になって来ます。

自分を捨てる、というのは、そういう欲に支配された
物欲しそうな思考をうっちゃる、ということです。

でないと、師匠を信頼できなくなり、修業は疎かになり、
下らない愚者の堕落した欲まみれのつまらない日常に
逆戻りです。

最低でも3年、出来れば10年。

他人に気持ちを振り回されない場所、環境で、ひたすら
誰かにくっついて修業してみる。

その人が、別に世間的に著名な人物でなくとも、修業で
得たものの見方や考え方、生きる価値観、姿勢は必ず
世界観を変えます。

それで初めて、人間になった、とも言える。

自分を捨てて、遮二無二修業してみることをお勧めします。

群衆も、自分も、当分捨てておしまいになられれば、
次第に地面に脚が付き、しっかりした世の中の為に
仕事をちゃんとしている「普通の人」になれますよ。

普通の生き方。

それは、実は、凄いことなんですよ。

それに早く気づいて欲しいと思います。

大事なのは、一歩を踏み出すことです。

それを繰り返し続けることを、「人生を歩む」と言うのですから。

グッド・ラック。
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あなたの文章をよんでわかったことがあります。



まじめすぎるから悩むのではないかということです。あるときある精神科医に、ばかで鈍感なら病気にはならない、といったところ、その精神科医は、そのままわたしの言葉をくりかえしてすこし、下を向き何もいいませんでした。すこしわかるところがあったのではないでしょうか。

病気になったことについては、きにすることはないですよ。すこし気持ちを楽にもつことをかんがえたらどうでしょう。生きていても全然しあわせにかんじないことについては、それはそれでうけいれては・・・

うつはエネルギーが枯渇した状態だといわれているので、休息したらチャージされるとおもいますよ。
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はじめまして。


わたしも欝経験者です。
それを踏まえてお話をしたいと思います。


今は何もしなくていいと思いますよ。

貴方はまだ未来を見据えている状態だと思いました。

>っ喜んでいる人をみると、いいなぁってうらやましく思う気持ちもあるけど

そう思えるだけでも十分ですよ。


とにかく、やりたくない事はやらなくていいし
考えたくないものは考えなくていいし
ゆっくり、毎日寝て過ごしてもいいし


人と比べなくていいんですよ
自分は自分なんですから。


自分を十分甘やかしてください。
他の人が何を言っても、聞き流せばいいんですよ。
その人たちが、何か解決策を出してくれますか?
違いますよね?
ただ、正論を振りかざして言葉だけで何もしてくれませんよね?



好きなだけ、何もしないでのんびりすればいいんです



そのうち、時間が経つと考えが変わってきますから
今の状態が一生続くとは思えません。


一年半ぐらい欝で何もやる気無くて
生きてるのが辛いと思っていたわたしですが
時間がたったら、ちょっとずつ考えが変わって
やりたいことができてきました。

質問者様の今の気持ちは
欝の時には誰しもが陥る症状です。

無理に社会に復帰しようと思わなくてもいいんです
とりあえず、生きてるだけでいいんです

あとは時間が経てば色々変わってきますから。


欝とは、自分自身を見つめ直すいいチャンスだと
今のわたしは思っています。


寧ろ、自分は独りで生きていくぐらい開き直って
他人と比べず、あてにせず、自分の侭、我侭に
生きていけばいいと思います。


とにかく、無理は禁物です。
焦らず、ゆっくり自分を甘やかしてあげてくださいね
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もう見ていらっしゃらないと思いますが、私も同じ状態です。


こんな恵まれた環境にいるのに、幸せを感じない。。。
なんて贅沢。って思うのかもしれない。
死にたいけど、私はキリスト教で神様を知っているから死ねない。
こんな考え自体持ちたくないんです。
私は、もう自分を自分で管理するのに疲れました。
もう放棄したいです。
誰かに任せたい。それこそ本当に有効活用できるならそうしてほしい。
私は意識なくなっても、それでもいい。
誰か助けて。と思っていても、私を助けるなんて私の行動しかできないのかな。
でも、私はもう引きこもり暦4年になり、行動起こすたびに失敗してるので・・・
つらいですね。。
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私も同じ気持ちです。



私はいくら働いても親の借金に押しつぶされ、しかもその親は未だにごく潰しのゲス野郎です。

何の為に生まれたのか、親の食い扶持を稼ぐ為に生まれたのか?

毎年、給与の手取りの半分以上が取上げられ、自分の借金じゃないのにと思いつつ、やっと借金を返したら、また新たな借金を作ってくる始末。

自殺したい気持ちが強いのですが未だに死なずにいるのは、「神様」を信じる心があるからでしょう。

私は幼少時にキリスト教に預けられ、そこで「神様」と「自殺を禁じる宗教」の存在を知った。

貴方の思う通り自分の命をもっと有効に使う為に、それこそ罪無き人々に命を挙げて欲しいと祈りましたが、未だに命は自分のところにある。

でも祈ったので、何れは「神様が殺してくれるだろう」と思っています。

そして不満は全て「神様」を呪い、「神よ貴様の憎しみを今、引き受けた」と思うことにしています。

それで救われもしないし気分も晴れませんが、とりあえず冷静になれるので自分に出来る可能性を探す気持ちの切り替えが一時はできる。

いつまで続くかわかりませんが、すくなくとも私は貴方の寿命の倍くらいの時間をそうして過ごしてきました。

私は貴方から見れば、もっと無能な取るに足らない人間かもしれませんが、私のやり方が参考になるかもしれないと思って書き込みました。

「神」でも「天」でも何でも良いが、自分と他人そして周囲の存在を除いた「ありえない存在」を仮定して私の様に「憎しみ」「怒り」「呪い」の全てをぶつけて吐き出す事で一時は冷静になり、今の自分に残る可能性について考えてみてください。

必ずいつか「神様が貴方をちゃんと殺してくれます」から。

それこそ伝説か漫画の登場人物(たとえば八百比丘尼や超人ロック)でも無い限り、多くは100年超えて生きることは無いのですから。

私はもし鉄道で誤って線路に落ちた人が居たら、いつでも自分は助けるつもりでいたんですが、最近は転落防止柵が出来て転落の危険性が減少したので、今後はボールを追って公園から子供が飛び出したような場合に偶然に出くわしたら、子供を庇って車に敷かれようと考えています。

ほんと、それで死ねたら恩の字ですよ。

最後に血だらけの私を見て怯える子供に、子供が無事なのを確認して「痛くないから、平気だから」と子供を安心させてそのまま眠るように死ねるなら、こんな幸せはないでしょう。
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わたしも、うまく生きられません。

鬱かも知れません。何をしていても不安が襲います。仕事も分からないことばかりで、だれに相談していいものかも分かりません。自分の持っている実力以上もことが求められ、自分も無知さばかりが目立ち、自信がもてず、生きているのがつらいです。この世に必要の無い人間です。だれか助けてください。人生が楽しくないよ。
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質問者さんと全く同じ経験をしたので、よく判ります。


鬱のとき考えていたこと、感じていたことが、質問者さんと同じで自分を見ているようです。
今では鬱は克服して、昔のほんとの自分を取り戻したような(?)気分で生きてます!
今では「鬱病とは現代社会を生きる人間なら誰しも必ず通る道なんだ」とさえ思います。
そして鬱病を経験してよかった、鬱病とは光を見るために必要な闇なんだ、と感じてます。

参考になるか判りませんが、私が克服した方法を書きます。
まず、投薬は止めましょう。薬を飲む前にできることがあります。
薬に頼ってしまうと、以前の道に戻れなくなってしまう可能性があるので危険です。

最初に、どうしようも無い倦怠感、圧倒的な疲労感があることと思います。
とにかく毎日眠って休んでください。誰が何と言おうと寝る。寝まくる。ひたすら寝る。
「自分は役立たずだ」とか「働かなくちゃ」とかさまざまな言葉が頭をよぎりますが
とにかく頭の中の自分の声をガン無視して、全力で休んでください。
真の敵は、その頭の中の自分の声です。
疲労感の原因は、心(というか精神)が大量のエネルギーを消耗しているからです。
壁にぶち当たって、世界が真っ暗になって、心が出口を探して物凄いエネルギーを消費しているから疲れるのです。人間はエネルギーの集合体みたいなもので、肉体疲労だけじゃないんです。
「休むこと」これは本当の自分を取り戻すために必要なステップです。
自分自身の声が「サボルな」と邪魔をしてきますが、その声と戦って休んでください。
頭の中の声ではなく、疲労感という体の要求に素直に従う訓練なんです。

疲労感が少しマシになり、日中起きられるようになったら次のステップです。
昔、小さな頃…8~12歳ぐらいの、まだ思春期に入る前に読んで感銘を受けた童話、漫画、アニメ、ラノベ…何でも構いません。それらを取り寄せて、もう一度手に取って読んでみてください。
図書館に行けばタダで借りられます。アニメは今ならDVDなんかになっていると思います。
そして時間があれば、小さい頃夢中になった遊び…秘密基地ごっこでも、テレビゲームでも、虫捕りでも何でも構いません。「小さい頃、寝食を忘れて夢中になった遊び」をもう一度手に取ってみてください。
ゲームならプレイしてみる、秘密基地ごっこならその場所をもう一度訪れてみる…とにかく、そのときの高揚して楽しんだ気持ちを思い出せるように足を運んでみてください。
この「小さい頃」とは、繰り返しますが、思春期に入る前です。
「セックスや恋に目覚める前、性別や世の優劣を知る前」というのが重要です。恐らく10歳前後になると思います。(性対象として見ていたアニメなんかはNG)

今の質問者さんは恐らく、小さな頃、何に夢中になったか記憶が無いかと思います。
どうしても思い出せない場合は、最近で構いませんので、感動して涙を流したアニメや映画をもう一度観てみてください。
感情が紙みたいに薄っぺらになり、世界がモノクロみたいに見えてると思いますが、必ず質問者さんの心に届き、心を揺さぶる作品が一つはあるはずです。
その作品が、質問者さんを元の世界に戻すカギになります。

感情を失ったはずの自分が涙を流し、感激する作品が見つかったら次のステップ。
「何故、自分がその作品に感動したのか?」理由を探し出しましょう。
何故、他の作品じゃ駄目なのか。何故、その作品で感動したのか?他の作品と、その作品の違いは何か?とにかく、自分が感動した理由を調べます。
調べ方は自己流で構いませんが、漫画ならその作者の他の作品を全部読んでみる、とか。小説ならその作者が尊敬していた作家の作品を読んでみる、とか。
あなたが感動した作品の作者がお手本にした人物、作品、というものが必ずあるはずです。
そして、そのお手本にされた人物にも、必ずや、参考にした人物や作品があるのです。
大きな川の流れを遡るように、その作品が作者によって生み出された起源を自分なりに追いかけていってください。

例えば、宮崎駿監督の「もののけ姫」に感動したとします。ならば、宮崎駿監督の他の作品を全部見てみる、宮崎作品の解説や分析をしている本を読んでみる、宮崎監督の参考にした神話を読んでみる、また、その神話の解説を読んでみる…具体的にはこんなカンジです。

「何故、自分がその作品に感動したのか?」
この本当の理由が判ったら、そこからは質問者さん自身の足で歩いていけると思います。
質問者さんが心を打たれた作品の作者が、必ず迷路を抜け出すヒントをくれるでしょう。
ちょっと「は?」ってカンジかもしれませんが、そんなに負担にならないので、試しに。
だって、自分が昔大好きだったものをもう一度手に取るのって、懐かしくて楽しいですよね!
そして、その「楽しい」っていう心が、質問者さんを本来の軌道に戻してくれるんです。
質問者さんを救うのは、質問者さん自身なんです。

ちなみにこの克服法は、ほんっとに自己流(と言うか鬱病が治って振り返ってみたらこういう行動を取っていた)なので、マニュアル本とかには載ってないものです。
けど、鬱病のときは正直、マニュアル本でさえ読む気がしませんでした。。。

最後に。
人間は、メリット・デメリットだけじゃありません。金持ち・貧乏だけじゃありません。
ましてや、優劣や善悪だけじゃないんです。(善も悪も本質的には同じかも…)
誰かと比べなくていいんです。

きっと本当にお腹が空いた人だけが、食べ物の美味しさが心から判るんだと思います。
もう充分社会に貢献したので、社会の課す義務から少し離れて、自分を取り戻しましょう。
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>「幸せは自分がつかむもの」って良く言うし、それだったらもういいよ。

>つかみに行く、元気はありません…。

同感です。私もつかみに行く元気はありません。
会社も無くなりそうだからまた転職活動しないといけないし。。
もう疲れましたよねー・・・
私は30代前半・女性・もうすぐ失業・彼氏もいません。

何となく文章を見ていて思ったのですが
「アダルトチルドレン(AC)」では無いですか?
(私がそうなので。)
周りに人がいてもずっと孤独、同じです。
両親にも心を開けないし。
人との真の付き合い方がわかりません。

でもACを克服することにしました。
ひとまずアマゾンで本を注文しました。
守りたいものも無いし、今飛行機に乗って墜落しても別に構いません。
テロに遭ってもいいかなぁ。そんな心境だけど。
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あなたはそんなに器用じゃない。



うまく生きようとしなくていい。

正直に生きてください。

応援してます。
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