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奈良や京都での、戦時中の学生がどんな生活を送っていたかを調べています。

一般の学生は軍事工場で働かせられていたと聞いたことがあります。
でも奈良や京都は軍事工場があったのかなと、ふと疑問になりました。
どうしてかというと、二つの地域は空襲がなかったんですよね。その理由として、重要文化財があることと、軍事工場がなかったからだと聞いたことがあるのですが・・・。

そうすると、奈良や京都の学生はどうしていたのでしょうか?
勉強していたのか、農業をしていたのか、それとも軍事工場があったのでしょうか?

A 回答 (2件)

京都の周辺にも軍需工場はありました。



宇治市大久保の数年前まで日産車体があった場所に戦時中、 「日本国際航空工業」(ニッコク)という軍用の飛行機の工場がありました。 

この工場には京都市内からも学校の生徒が動員されていました。 私の近所の方から聞いた話ですが、 今の京都女子大学の系列の女学校に戦時中行っていたけれどほとんど勉強はせずニッコクに働きに行っていたそうです。 工場は空襲に遭い大勢亡くなったということです。

それから、 たしかに京都市内には空襲は少なかったのですが太秦や東山区の馬町は空襲がありました。
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父から聞いた話ですが、該当の中学生では無かったみたいですけど、集団疎開していたと聞いています。

母は兵庫県で、キャラメルとか兵隊さんへの食料を作っていたそうです。たぶん、中学生あたりだと思います。

 京都でも長岡京市に工場があり、銃撃を受けた煙突が有りました。現在、駅の東口かな?再現したモニュメントが置いてあります。

参考になれば。
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