A 回答 (8件)
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No.8
- 回答日時:
現在の政治社会でも、お互いに言いたいことはあるのに言わないような空気の読み合いってありますよね。
それと基本的には変わりません。物事の本質にどこかで気付いていながら、本当に必要だと思うことをお互いに言わなかったのです。歴史は繰り返すと言いますが、人間自体のメンタリティが変わってないので、ある意味仕方ないのかも知れませんね、まことに愚かで嘆かわしいですが。ご質問の内容がかなり限定的なように思うのです。何が問題であったと考えるならば、欧米諸国の植民地支配への対抗心や恐怖心からの戦争を起こしたことそのものです。その後の悲劇の数々は、ボタンを掛け違えた結果でしかないと、私は考えます。
「侵略戦争ー纐纈厚(こうけつあつし)著」を勧めます。当時の新聞記事等も考慮されて書かれています。思想がどのように悪い方向に流れていったのかよくわかりますよ。
No.6
- 回答日時:
「歴史はくり返す」といいます。
第二次大戦末期の日本軍部の失敗と同じ失敗があります。1990年、湾岸危機とその後91年に湾岸戦争がありました。湾岸危機にあたって日本政府がどう対応するか。政府は右往左往の挙句文字通りの小田原評定を重ねて90億ドルもの出資をしたにも関わらずアメリカには「トゥーリトル、トゥーレイト(少なすぎて、遅すぎる)」と批判されました。アメリカに次ぐ資金負担をしたにも関わらず。さらに、クウェート政府が出した協力国への感謝を示す新聞広告に「Japan」の文字がどこにもないという「国際的屈辱」を味わいます。これをNHK記者(当時)だった手島龍一氏は「1991年、日本の敗北」と名づけました。
その湾岸戦争直後、日本はバブル崩壊が本格化します。景気がどんどん悪くなり、株価も急降下していくにも関わらず日本政府どころか主だった日本企業の経営者達もひたすら固まり何もできなくなってしまいます。戦後、多くの軍部指導者たちは悪化する戦局に「どうにかしなきゃならないと思ったがどうしていいのか分からなかった」と回想しています。
同じセリフをバブル崩壊に直面した企業の経営者達は口にしました。
他の方も書いていますが、どこの国でも陸軍と海軍というのは対立しています。アメリカでも陸軍は基本ヨーロッパ志向。海軍のキング提督とあのマッカーサーがやいのやいのとついて太平洋戦線にも予算と資材と兵力がつきました。日本じゃほとんど知られていないキング提督なんて、裏方で文字通りの八面六臂の大活躍をしますが、戦争が終わると文字通りの狡兎死して走狗煮らるとなり、上司にあたる大統領などはもちろん海軍の部下にも、家族にまで見捨てられて(補足・キング提督は極めて優秀だったがあまりに性格がキツ過ぎて周囲の人みんなから嫌われた)死んでしまいます。
日本と諸外国との決定的な違いは、指導者がいたかいなかったかです。アメリカではルーズベルト及びトルーマン大統領が戦略を最終的に決定していました。イギリスもチャーチルの下に然り。ソ連はいうまでもなくスターリンの独裁で、ドイツもヒトラーが戦略を決定していました。ヒトラーの指導は少なくとも1942年春まではそんなに間違っていませんでした。実はヒトラーの指導がなければドイツ軍は1941年の冬のソ連軍の反撃で国境ラインまでの退却もあり得たのです。
日本でのその役割は東条英機でしたが、彼は陸軍軍人だったので海軍には意見はいえず、また戦争にあたっての国家戦略もありませんでした。当時の日本の戦略は「とりあえず南方資源を取る。あとはそれから考えよう」でした。
No.5
- 回答日時:
> まず政治化や軍の指揮官達が講和したいと天皇に言って天皇がそれを承諾し、また相手国がその講和を承諾したら講和がなりたつとおもいます。
講和はこんなに簡単じゃありませんよ。
1:周旋してくれる国を探す
交渉テーブルを用意する国を探す必要があります。日露戦争は米国でした。WW2時、日本はソ連を通じて米国と交渉してますし、中国とは民間の力を借りて交渉しています。
2:周旋国が講和が妥当と判断したらテーブルを用意します
3:両国が講和の条件を提示します
日本「太平洋艦隊の戦艦を葬り、東南アジアを制圧したので、東南アジアを日本領にすることで講和する」
米国「来年には軍艦500隻用意して反撃し、日本を占領します。戦争がイヤなら東南アジアと中国・満洲の利権を米国によこしなさい」
合意点があり得ないですよ。
では何故、昭和20年8月は合意できたのでしょうか。
米国「日本には領土割譲要求しないから、戦争止めないか?」
日本「日本の国体と明治維新時の領土を保障してくれるなら応じる」
日米「じゃ、合意しましょう」
米国の本音(本州決戦やらずに済んだぜ…日本陸軍がこんなに強いとは思わなかったし、爆弾も無いし、金もない…)
日本の本音(ようやく講和できた…これ以上戦ったらリアルに一億総玉砕だったよ)
両国共に疲弊したから講和できたのであって、一方が勝ってたから講和したんじゃないですよ。
No.4
- 回答日時:
日本の軍隊も第一次世界大戦まではまともな軍隊であった。
礼儀正しく国際法などもよく守り、勇敢でもあり、世界的に見ても模範的な軍隊であった。おかしくなりだしたのが、大正7年のシベリア出兵あたりから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99% …
政府内においても文中にもあるように、山縣有朋、後藤新平、寺内正毅あたりの品格に問題があるような輩が幅を利かすようになる。
赤化の懸念はあったにせよ、このあたりから日本は侵略主義や植民地主義及びその拡張に目覚め、また陰謀を施し始め、各国の不信を招くことになる。
また現地軍においても、現場を知らぬ上層部からの無理な命令、その意思疎通のなさから士気の低下や不信を招いた。これは政府のいいかげんな対応にも問題があったから政治不信をも招き、しだいに政府によるシビリアンコントロール(文民統制)も失われていくことになる。
この事が後の張作霖爆殺事件~~柳条湖事件~満州事変、盧溝橋事件~日中戦争へとつながっていく事になる。
現地軍の陰謀と独走であり、軍上層部と政府は事後承諾という不甲斐なさと甘やかしである。
「ここまで来たら、もう勢いというものですよ。」と鈴木貞一(すずきていいち。企画院総裁。A級戦犯。)は戦後のインタビューに述べた事がある。誰にも止められはしないという事。
近衛でも無理、東條でも無理、世論は万歳、万歳でどうしょうもない。
国民は提灯行列までして祝う始末。国は軍国主義、侵略主義一色に染まっていた。
あえて止められる人物がいたとしたら、それは昭和天皇しかいなかった。
「僕に言わすとね、支那からの撤兵というのは、できないことなんだ。政治力ではそれはできない。お上(天皇)のお言葉をいただくほかない。政治以外のものなんです。」(上記、鈴木貞一インタビューより。)
しかし私見ではあるが、いかな天皇といえども、それが可能だったかどうかは疑問である。下手をすれば発狂とかの理由で廃嫡や、あるいは暗殺の危険もあったのではないかと推察する。
結局、太平洋戦争で日本は徹底的に痛めつけられ、昭和天皇の意思による終戦宣言を待つほかはなかった。
なお海軍と陸軍が意思疎通に欠け、仲が悪いのは万国共通の事。なにも日本だけではない。
確かに帝国海軍はギリギリまで戦争はやりたくなかった。しかし「(アメリカとの)戦争はできません。」とは言えない。予算を削られるから。海軍は「(仮想敵国)アメリカなにするものぞ!。」と建前では威勢の良いことを言って予算を取ってきた。
鈴木貞一によると、そこらへんを汲み取ってやるのが政治家の務めであったらしいが、近衛などの公卿にはできぬ芸当であったらしい。
以外な事に、近衛内閣当時の東條(陸軍大臣)や右腕の武藤章(A級戦犯。絞首刑。)は戦争回避派であったらしいが、やはり世論の勢いには勝てず、ずるずると引きずられて開戦に至ったというのが本当のところだろう。
なおこの戦争は根が深く、元を正せば列強各国の植民地主義に根本的な原因があったと考えて間違いない。
極東国際軍事裁判(東京裁判)における、インドの判事の言ったこと、「裁く方の手も汚れている。」という見解はまったく正しい。
今現在でも植民地を持つ国があることを忘れてはいけない。フォークランド紛争などはまだ記憶に新しい。
回答ありがとうございます!
ひどすぎて兵にいった方々がかわいそうですねぇ。
なんでこんなことになってるんだ、と思いながら長官の命令にしたがっていたのでしょうか(ノ_;)
No.2
- 回答日時:
簡単にいうと、政府と海軍と陸軍が、それぞれバラバラに行動していました。
天皇が最高指揮者で政府と海軍と陸軍は平等という状況でした。
天皇が独裁者として行動しなければ、最高指揮者はいなくなり、それぞれがバラバラに行動するしかなくなります。
東条英機は総理大臣と陸軍大臣を兼務していましたが、軍部に命令出来ませんでした。
それどころか、海軍の真珠湾攻撃作戦やミッドウェーの被害の情報など海軍の作戦や被害についての詳しい情報は知りませんでした。
そして、陸軍の作戦や情報も知ることが難しく命令は出来ませんでした。
これを統帥権といい、陸軍と海軍に作戦命令ができるのは、参謀総長と軍令部総長だけで総理大臣や陸軍大臣、海軍大臣は、参謀本部と軍令部、つまり大本営の作戦については命令が出来ませんでした。
元老や元総理、内大臣が会議で総理候補を決めますが、総理大臣を陸軍が気に入らない場合は、陸軍大臣が辞任して変わりの大臣を軍部が出さなければ、内閣がつくれないので軍部のいうことを聞く人でなければ総理大臣にはなれません。
海軍と陸軍のトップは大元帥である天皇でしたが、カタチだけのため海軍と陸軍はバラバラに行動していました。
陸軍は北に行くと言い、海軍は南に行くと言い、政府はどうしたらいいか分からず、気づいたらロクな準備もできないままアメリカと戦争になってしまいました。
戦争中も同じで、海軍陸軍、政府とバラバラに行動をしていました。
降伏が出来たのは、カタチだけの天皇が権威により軍部を納得させることが出来たためです。
阿南大臣が辞任すれば、鈴木内閣は壊れて、また、バラバラに行動するところでしたが、阿南大臣は辞任しませんでした。
また、軍部でも中堅の参謀が司令官の言うことを聞かずに、好きに行動をして参謀本部も参謀に言うことを聞かせられない状況もあり、陸軍内部もバラバラでした。
No.1
- 回答日時:
基本的に軍部が中心になって動いていたようです。
総理も軍人がなったりしていましたし。ただ、その中でも例えば日米開戦にしても賛成、反対が別れていたようですし。もちろんトップは天皇ですが、天皇は色々な政界の案に最終決定していた。もちろん今と違いある程度権力はありましたが。
ただここでは省きますが、中国、石油、ドイツ、アメリカ等色々あって思考錯誤、四苦八苦していたから曖昧に感じるのではないでしょうか?
つまり、軍部メインの国会で考えて、天皇が決定ということです。
回答ありがとうございます!
私は天皇が決定というのも怪しいなとにらんでおります。
天皇は戦争反対派という資料がちらほらあるので、天皇はもっぱら形だけのものだったのではないでしょうか。
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