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私はスポーツ好きで友人も普通にいるし、自分で言うのもなんですが普段は明るいと思いますし責任感と忍耐を大切にしてます。しかし悩みがあります。

生きることにあまり価値を感じられないことに悩んで…イヤ、悩んではいない……疑問を感じているか、もしくはなんとかしたいと思っているのか…自分でもよくわからないのですが…とにかく、生きることにあまり価値を感じていません。生きることに全く執着がないと言えば嘘な気もしなくはないですが、それでも世間一般に人々が命の大切さや尊さを説くとき、私は自分の感じることとの温度差を感じます。いざ命を失うかもしれない場面になったときを考える機会があると、自分は命乞いをせずにいられるだろう、という変な自信を感じたり、そうなったら死んでもまぁいっか。と、思うのです。正直にです。


人間の感じる死の恐怖を分類すると、消滅の恐怖と苦痛の恐怖に分けられると私は思うのですが、私には消滅に対する恐怖はありません。むしろ人生はつらいし、痛くも苦しくもなく早めに消滅できるんだったらそれは喜ばしいことのように思われます。ちなみに私は私後の世界を信じていなくて、自分が死んだことを幽霊になって嘆いたり、親の悲しむ姿を見るなんてこともないと思っているので、友人や家族に対する未練も薄く、私にとって死の恐怖とは死ぬとき痛いこと、苦しいことに対する恐怖のみなのだと思います。たまに最も苦痛なく死ねる方法を調べたりもします。

…が、それでとりあえず今自殺したいんですとか、そういうことではありません。痛いのと苦しいのは嫌だし。実生活のあるシーンでは現在責任ある立場にいますし、楽しみなこともあるし、(突き詰めればこれらを手放して消滅してもまぁいいかと思うのですが…)現時点では、積極的に命を失おうというところには至っていないです。どっちでもいい…という言い方が適切かわかりませんがそんな感じです。


私は凶悪犯罪を犯した人とか、オウムみたいな訳のわからない宗教にハマっちゃう人とかが、どんな思考をたどってそこへ陥ってしまったのか、わかる気がするのです。親近感すら覚えるときがあります。きっと彼らは私と似たような感覚に襲われていたのだけど、私のように現実世界へ自分を引き戻してくれる友人とか、居場所とかがなかったのかなと思います。自分の命に価値を感じられず、当然他人の命にも価値を感じなくなる。思考ばかりが膨張しすぎて実生活において社会的な人間でいることができなくなったんだと思います。決して擁護するわけではありません。ただわかる気がするだけです。


なぜこのような気持ちが膨らむのか、考え、私が思ったのは……世の中は新自由主義が流行ったりして自由競争、淘汰の時代なのに、なぜだか同時に平等とか生きているだけですばらしいんだというような道徳的な嘘が蔓延している。それはマクロな人間関係でもミクロな人間関係でも似たような形で現れる。そのような嘘にごまかされきらない人間、自分をごまかしきれない人間は、社会の中、身近な人間関係の中で自分の価値を認めることが困難になる……


なんというか、日々の感情やこういう自分の思考を、抽象的に自分自身で理解したい。上記のまとめも少し本を読んで考えたのですが、今ニーチェ解釈を読んでいて、ニーチェという人に自分と同じ匂いを感じたりしています。ニーチェはあぁいう思考の持ち主だったからこそ、最終的には発狂し、社会と共存できない人間になってしまった。ニーチェには友達も恋人もちゃんとはいなかったみたいだし。現代にもニーチェみたいな人はたくさんいますよね。私もその予備軍である気がします。ニーチェの姿と私を照らし合わせて、ニーチェみたいにならないように、私のための処方せん的なものを作りたいです。

そこで自分自身の考え方を論文みたいにしてまとめたいのですが、どうやったらよいのやらわかりません。まずは章立てでしょうか?まだもっと本を読むべきですか?

どなたか力をお貸しください。

A 回答 (4件)

 論文執筆の手順を書きます。


1.文献調査
 できるだけ、多くの著者を選ぶ。それは、一人の著者だけでは紹介しかしない形になるから。そのため、一次資料の提唱者自身が書いた論文や著作を読む。そして、二次資料という後の時代に書かれた文献に当たる。
 それは、哲学の議論は原文に基づけと思われるようですが、その著者が書いた一次資料と、後の時代の人が書いた二次資料の両方が必要です。

2.アウトラインの作成
 まず、文章全体の概要を本の目次のように書いていく。それがアウトライン。アウトラインは設計図。

3.論文執筆
 まず、(問いと論証)のあるのが論文です。字数は5000字から8000字で、原稿用紙12枚~20枚を目指しましょう。
 論文とは、冗長な文章を書くべきではなく、引き締まった文章を書くべきです。そのため、短文で書きましょう。
 論文の構成は下記の通り。
題名
氏名
目次
序論
1章
1節
2節
2章
1節
2節
3章
1節
2節
結論
参考文献
謝辞
資料(論文の補足資料=調査記録とか→プロは裏舞台は見せるべきでなく書きませんが、アマチェアは書く人もいます)

 そこで、論文について言います。論文とは論じる文章です。そのため、日記や感想文ではありません。よく卒論生が陥るのは日記(例えば、「今日、自然博物館の神田さんとある川の断層で化石を採掘した。泥まみれになった。しかし、オウムガイの化石が見つかり楽しかった。」)は、自分の主観から書いておりダメです。後、感想文も(例えば、「私はゲーテ詩集を読んだ。難しかった」)もダメです。
 論文の文章とは、「だ・である調」で書くのは当然です。論文とは、客観的あるいは科学的に書くべきです。
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この回答へのお礼

いただいたヒントを読んでいて、書けそう!と思いました。くだらない文章になってもいいから、という気持ちで、書いてみようと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/03 16:55

>私はスポーツ好きで友人も普通にいるし、自分で言うのもなんですが普段は明るいと思いますし責任感と忍耐を大切にしてます。

しかし悩みがあります。

外部環境と生の充実感とは瞬間的にしか相関しない。
憧れて、到達して、飽きて、憧れる のが煩悩。
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この回答へのお礼

 

お礼日時:2009/09/03 17:03

>最終的には発狂し、社会と共存できない人間になってしまった。

ニーチェには友達も恋人もちゃんとはいなかったみたいだし。現代にもニーチェみたいな人はたくさんいますよね。

あなたのお考えは,わかります(ぼくもそんな人だから?)。

衆人皆酔我独醒 
しゅうじんみなよい,われひとりさめたり。(屈原のことば)

たしか高校の漢文の時間に習ったか,副読本として選んだ双書で読んだかしました。これいらい,50歳すぎまで,しばしば心のなかでつぶやいてますね。処方箋といわれると人それぞれですが,
 勉強や仕事で他人に文句をいわせない成果をだす
 自分の意見は異端だから他人の理解は期待しない
 死んじまえば,すべてチャラ。それまで好きにやらせてもらう。
と,まあ,いわば「開き直り」がぼくにはあっていたのかなと思います。文章でまとめようとしても,机上の空論になるか,筆が止まってよけいに憂鬱になったりする危険があるんじゃないですか。
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この回答へのお礼

余計に憂鬱になる可能性は大いにありそうです。しかし今はやってみたい気持ちが勝っていて…

「開き直り」参考にさせていただきます。

お礼日時:2009/09/03 16:53

 自分なりの人生観を確立するのは、まだちょっと早いかな?

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この回答へのお礼

そうかもしれません…でも駄文でもいいから何か書きまとめたいんです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/03 16:49

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