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純文学の面白さが理解できません、
「どこが面白いのですか?」などと野暮な事を聞くつもりはありません、
ただ、多くの人々に知られている
「夏目漱石」「川端康成」「芥川龍之介」etc...

そういった物を理解できないのはつまらないのです、
昔と今ではセンスが違うのかもしれませんが、
できることなら面白く読んでみたいものです。

同じような経験のある方、もしくはこういった文学作品を読みなれている方、アドバイスをいただけたら幸いです。

A 回答 (4件)

No.1の方の『こころ』が高校生には分かるまい、というのは分かります。



映画なんかもそうでしょうけど、本も、
何年もしてから再度取り出して読んでみると、違う感想を持ったりするものです。
三島の『金閣寺』なんかも、読み返してないけれど、
たぶん今読んだら違うのかもなぁ。

でもあまり「純文学」と考えなくていいと思いますよ。
(私もさほど多く読んでいませんが。太宰は読んだが芥川は読んでないとか)
好みもありますし・・・・・・。
夏目漱石の『こころ』は良かったけど、『虞美人草』は分からん、とか

『こころ』は、大学生の青年が、たまたま夏休みの浜辺で知り合った
「なんかカッコイイ大人だな」と思った“先生”。
その先生の謎、みたいな感じで読んでみるとか。
実際、そういう話だと思うのですが(^^;
もちろん、時代背景まで読み込んで深く読む読み方もあるわけですが、
一般読者は評論家ではないですから。

太宰さんの『人間失格』なんかは、自分の中にも「わざと演じている」
ところが多少あると、アイタタタ、という感じかもしれません。
誰でも少しはあるのではないか。

純文学だろうがエンタテイメント小説だろうが、
「登場人物の誰かに感情移入できるかどうか」が鍵なんじゃないでしょうか。
それが主人公でなくてもいいので。
自分と重ね合わせてみる、自分の身近な環境や出来事を考えてみる。
それとか、「わっ、この人、この先どうなるんだろう」という視点で読んでみるとか、、、
教養的でなくて、普通の小説の読み方ですよね(^^;
大切なのは「共感」。

ドストエフスキーなんかは何冊か読みましたが、
基本的に、「人生における青年の悩みおよび色恋沙汰(美女あり)」って感じがします。
カーチャよりグルーシェニカのほうが私は気になるかな。
http://blog.livedoor.jp/benica/archives/24179011 …
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 国文学というのは、日本の義務教育から高等教育までの小説の事である。

夏目漱石・川端康成・芥川龍之介・志賀直哉・太宰治・三島由紀夫・宮澤賢治・谷崎潤一郎・井伏鱒二・平塚らいてう・与謝野晶子というような人物が国文学なのである。彼らの歴史は戦前から戦後二・三十年という中に位置する。そこで、戦後60年以上経った今日に戦後復興までの文学を読み通さなくてはならぬのか。
 たしかに、上に掲げた人物は有名であり、名文として挙げられる者もいる。しかし、あえて私はこう言いたい。「さようなら歴史よ」という意味は、今までの歴史を省けという事である。古い古典文学を保つ意味は、教育上にもよくない。時代は進む。今の思想は古典文学にはない。しかし、生活習慣は変わっても人間の内部の文化は変わらない。そのため、社会構造の変化という外的構造と家庭という内的構造という違いを感じる。社会は変わったし、家族の性役割も変わった。しかしながら、理想的な家庭像で、今なお夫婦円満が言われている。それは常識か、離婚は文化なのか。最近、離婚が増えた。しかし、どのくらい増えたのか。浮気やDVなどいうが、そんなに多くはない。小説の中で理想的な家族像は変わらないと思う。
 歴史と別れる。それは日本の教育から国文学をなくすことではない。個人が国文学から興味を外し、現代文学に移行していけばいいだけである。1970年代にデビューした村上龍や村上春樹や三田誠広は、今でも有名である。特に村上春樹はデビュー作「風の歌を聴け」から「1973年のピンボール」そして「羊をめぐる冒険」の青春三部作が現在も売れている。そして、「回転木馬のデットヒート」・「ノルウェーの森」・「東京奇譚集」など多くの有名作を生んだ。三田誠広も「僕って何」・「いちご同盟」・「春のソナタ」・「永遠の放課後」などの作品もある。
 現代文学の三銃士である、村上龍・村上春樹・三田誠広は言った。そして、現在へ。偉大なる歴史小説家である司馬遼太郎は1996年に生涯を閉じた。司馬は「この国のかたち」、「坂の上の雲」、「功名が辻」、「最後の将軍」、「歴史と風土」などの作品を残した。そして、東野圭吾の「探偵ガリレオ」や「容疑者Xの献身」や「おれは非常勤」へ。森博嗣の「すべてがFになる」、「冷たい密室と博士たち」。恩田陸の「光の帝国-常野物語」、「蒲公英草紙-常野物語」、「エンドゲーム-常野物語」。常に新しい小説家が生まれる。
 21世紀の文学について考える。志賀直哉「小僧の神様」や「城の崎にて」や、夏目漱石「坊っちゃん」や「こころ」、井伏鱒二の「山椒魚」、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」。彼らの歴史は、全て死後の評価が高くなった例である。つまり、生前は売れ行きはそこそこだった。
 最後に、もう一度「さようなら、歴史よ」と言いたい。文学史はすべての歴史の中へと進む。谷崎潤一郎と芥川龍之介の「話の筋論争」へ。それを考えることは、もはや必要ない。死後の亡霊の作家たちは成仏し、新しい作家に独自の視点、つまりは書きたい事を書く姿勢をもっていい作品を作ってもらいたい。
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すべてが理解出来るというつもりはありませんが、作品の舞台を訪れてみて、背景を把握してから読まれてみてはいかがでしょうか。


掌小説まで理解出来るとは言いませんが、きちんと舞台と世界観を持っている作品の理解の助けにはなるのではと思います。
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はっきり言って、純文学なぞ理解できなくても構わない、と思う。


理解できなくても詰まらないなんてことはない。貴方がユーモア小説好きでも、ライトノベル好きでも、他に楽しみがあるのならそれで問題ないのではないか。

しかし、・・・。
歳をとると、小さい頃嫌いだった美味しいとも思えなかった食べ物が、何故か美味しく、と言うか味わい深くなることがある(私なら、ゴーヤーや春菊がそうだ)。
それと同様に、文学作品にも、歳をとって初めて味わいを増すものがあるような気がする。

漱石の「こゝろ」は、高校の現代文の教科書に取り上げられているにもかかわらず、あの作品の機微は、普通の思想的に幼い高校生に理解できるとは思えない。
30そこらのまだまだ若輩者の私にも、完全に理解できているかと問われれば、とてもはいとは言えない。

ただ、また何年か経って読み返してみれば、分かるのかもしれない。
歳をとり、人生経験を重ねた分、登場人物の心情を読み解けるようになり、初めて作品の面白さに触れられる様になるのかもしれない。
私も、「先生」の気持ちを、16、7の頃よりは深く理解しているつもりだ。
さらに40過ぎ、60過ぎれば、もっとよく理解できるようになるのかも知れない。楽しみなものである。

今、敢えてアドバイスをするならば、莫迦みたいだが、
「世に出て見聞を深めよう」
「積極的に社会と関わろう」
「人脈を幅広くもとう」
「長生きしよう」
といった所だろうか。そして、数年後にまた読み返してみると良い。少しは理解が深まり、面白くなる筈だ。
純文学の理解に王道はない。ただ、人生経験と、その中で養った人生観こそが、作品の中の思想の理解に繋がる、私はそう思い始めてきたところである。
作品の内容が人生観に対立するかもしれないが、それもまた良しだ。

これらはまた、人生を面白くするコツでもある。
純文学とはつまり、作品中の登場人物(そして作者)の人生観の物語なのである。
多くの人の人生観に触れ、より良い人生を送りたいものではないだろうか。

(気恥ずかしくも、書いている内に気障になってしまった・・・:-P)
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