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音楽は何故こんなにも人にとって大事なものなんでしょうか。
no music no life といわれるまでになっています。

人にとって生物的なことの利用とかで脳科学が流行っていたりなど、人の行動嗜好についての科学的な根拠が色々あると思います。他の動物も含めて生存競争などに伴う進化の結果、今があると考えます。

その中でいろいろなほかの趣味は感情を遊ぶ意味で納得ができるのですが・・・
例えばスポーツならアドレナリンとかストレス解消とか脳を使うとか体を使うとか。映画なら感情を移入するとか想像力をとか。読書は知識欲とか、考え方や価値観だったりの構築とか。



で音楽を考えたときにふと疑問を持ったのです。歌詞とかは確かに価値観などに強く影響を及ぼすと思いますが、音楽は何でこんなに人の心を動かすのでしょうか。

どなたか考えや知識のお持ちの方がいらっしゃいましたら、教えていただけますと幸いです。
よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

音楽の影響は、脳の刺激して、テンションをあげる場合と、脳を休ませて、情緒で心を癒す、場合があります。

言葉も音楽とすると、外国語と日本語の違いに、当てはまります。世界中で日本語だけ、情緒が発生して、人の心を癒す事が、出来ます。外国語は、子音、アクセント、リズムを強調するので、脳を自我を刺激して、自己表現、自己主張が強くなります。しかし母音が弱いので、情緒は無いです。他方、日本語は、子音、アクセント、リズムが弱いので、自己表現は不向きですが、母音を強調するので、情緒が発生して、心が癒されます。この言葉の違いの影響で、世界中で日本人だけ、思考行動パターンの基準が、情緒です。外国は、アメリカでも中国でも、論理思考で自己表現です。だから音楽の場合も、ジャズやロックなどのニューミュージックは、リズム、アクセント、言葉、不協和音で、脳を自我を刺激するので、自己表現が強調され、論理思考の音楽になり、情緒が減少します。他方、日本の伝統音楽は、リズム、アクセント、言葉、不協和音が弱く、逆に、母音を過剰に伸ばすので、脳が休み、脳波がアルファ波になり、情緒が発生して、心が癒されます。雅楽、平家物語の語り、能の謡、清元節、義太夫節、浪速節、ごぜ唄、長唄、端唄、演歌、民謡、詩吟、などがあります。情緒は、人を癒し、人を育て、社会を調和に導きます。だから日本人は、邦楽と日本語の情緒で癒されましょう。
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ruehasさんの説明を補足します。


一般にヒトという種は、音楽に対して何らかの遺伝的基盤を備えていると思われます。一方、ヒト以外の動物には音楽がほとんど存在しません。このことから、音楽はヒト特有のものだと一般には思われています。しかし、どうもそうではないらしい実験を紹介します。

様々な和音がありますが、これら和音には、我々の心を安定させるものやその和音の後に別な和音が続くことを予想するものなど我々の情感に色々と影響を及ぼすようですね。それぞれ和音には名があるのでしょうが、音楽は中学止まりの知識で適切な表現が出来なく申し訳ありません。

詳細については忘却なのですが、ある動物学者が、チンパンジーやサル、イヌ等に様々な和音を聞かせて反応を見る実験を行いました。結論は我々が情感の変化を判断できるホ乳類では、我々ヒトと同じように和音を感じているのではないかと推測される事です。ご質問者さんが指摘されていますように、和音の区別が生存に有利だったのかも知れませんが、それは人類発生のはるか以前のことのようです。つまり音楽に対して聞くことに関しましては、何らかの遺伝的基盤はヒト特有のものではない事になります。

しかし、ほとんどヒトだけが音楽を作ることが出来るのではないかと思います。その際に当然どのような音がどのような影響を与えるか考えて作るわけですから、他のヒトに感銘を与えるのではないかと思います。これはヒトでないと出来ないものですね。
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 こんにちは。


 一般人であり、専門家ではないことに注意して読んでください。
 音楽の前(?)に人間は言語を開発しました。実は言語自体が一種の音楽なのではないでしょうか。言語というものは必ずリズム・音の高低などがあります。と、いうことは言語というのは音楽の一種と考えられます。昔々から言語という音楽を使ってきた人類が音楽を好きなことは自然なことだと思います。
 そしてもうひとつ。音楽は世界を表現します。つまり音楽を通して人間は新しい世界、その曲だけが持つ世界を感じ取るのではないでしょうか。素晴らしい音楽は素晴らしい世界を表現する。だからこそ、人の心を動かす素晴らしさがあるのではないかと、私は考えております。
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こんにちは。


私はアマチュアのブルース・バンドでピアノを担当する長年の音楽愛好家で、趣味はSFと脳科学です。

>音楽は何でこんなに人の心を動かすのでしょうか。

これは全ての芸術において同じことですが、
音楽といいますのは、そもそもひとの心を動かすことが目的で作られるものであるからです。そして、これは人間の純粋な「知的活動」であり、進化の結果として生み出されたものではありません。従いまして、このようなものに生物学的な意義というのはないはずです。

音楽とは「高揚感をもたらす奏音」と定義されます。
高揚感といいますのは脳内に情動反応として発生する「心の動き」であり、奏音(操音)とは「操られた音」という意味です。ですから、音といいますのは自然界に無数に発生するものですが、規則に従って作られたものでなければそれを音楽と呼ぶことはできません。
古くギリシャ時代には「二つの音の周波数比」が、
「1:2(オクターブ)」
「2:3(完全五度)」
「4:5(長三度)」
このように整数倍の関係にあるものはたいへん安定した響きを持つことが知られていました。そして、このような物理法則に従って作られたのが現在の「音階」です。従いまして、この音階を外れますと音程はしだいに不安定になり、終いには判別のできない雑音となります。

「情動反応」といいますのは我々の脳内では「心の動き(高揚感や不快感)」に当たります。これは「大脳辺縁系」というところに入力される感覚知覚に対して「利益・不利益の判定」が下されることによって発生します。
我々動物はこの情動の発生によって「利益・無益」「安全・危険」などを判定し、
「報酬反応(接近行動)」
「嫌悪反応(回避行動)」
この何れかを選択します。
動物の求愛コールは安定した響きで相手に安心感を与え、危険を知らせる場合はノイズの混ざった危機感のある鳴き声に効果があります。哺乳類や鳥類では人間と同様に大脳辺縁系の情動機能が発達しており、このような音声伝達は多くの動物に見られます。
このように、我々の脳には「心地よい刺激」と「不快な刺激」というものがあります。「美味い・不味い」「痛い・痛くない」「寒い・暖かい」「明るい・眩しい」など、これは動物においては全ての感覚刺激に適用する基本原則です。そして、我々人類はこのうち「聴覚刺激における生体反応の法則」を芸術や娯楽に用いました。それが「音楽」です。

価値観といいますのは生後体験によって構築されるものでありますから、全ての趣味がそれに影響を及ぼします。もちろん、音楽における情動体験は音楽に関する価値観を変化させます。表現力や鑑賞力といいますのはこれによって養われるのですから、その鍛錬は単に知識を習得するよりも遥かに困難です。
スポーツ、映画、知識欲とありますが、脳の働きによって分類を行いますと、それは趣味ではなく「芸術」というカテゴリーに統一され、スポーツと知識欲がこれと異なります。
自分の心の中を他人に見せることはできません。ですが、人間には「情動:心の法則」というものがありますので、これを用いて操作を行うならば相手の脳内に自分と同じ反応を発生させることができます。
「情動疎通(非言語コミュニケーション)」
これが共通する生物学的構造であり、芸術とは何かといいますと、果たしてそれは「ひとの心を動かすための技術」ということになります。
「知識欲」といいますのは視覚や聴覚などの感覚刺激に対して直接の反応を発生させているのではなく、新たな知識が得られることを報酬・利益と判定しています。因みにこれは自己解決ですので取り敢えず情動疎通には分類されません。では、歌詞や小説も同様に言語理解を必要とするわけですが、ここでは言語を用いて情動伝達を行うことにより、それは芸術としての機能を持ちます。但し、音楽や絵画などの感覚的反応に対し、論理的・文化的価値観の比率が俄かに高くなります。

知的活動には生物学的理由を求めることはできません。
「進化」といいますのは人類の脳が発達して知能が高くなったということです。これにより、我々人間は身体が進化しなくとも次々と新しい能力を身に付けることができるようになりました。ですから、こちらは進化ではなく「人類の進歩」といいます。
音楽や芸術など人間の様々な知的活動は、これは進化の結果として生み出されたものではありません。従いまして、このようなものに生物学的な理由を宛がうというのは基本的にできないことです。
芸術といいますのは「ひとの心を動かす技術」であり、そして、それは食べ物やお金を与えて相手を喜ばせるのではなく、「脳の反応を予測して行う作業」です。従いまして、ここで発生する報酬反応といいますのは、それは全てが「架空の利益による幻」ということになります。
ですから、はっきり申しまして、芸術なんていいますのは全く無益な行為であり、それが何らかの生物学的意義と対応する余地は何処にもないです。強いて言いますならば、果たして我々人間の脳にはそれを生み出す能力が備わっていることに意味があるのだと思います。

音楽の歴史といいますのは、どうやったらひとの心を動かことができるかという研究によって塗り潰されています。芸術というのはたいへん高度な文化ですが、元より動物の脳がそれに反応する機能を持っていなければ、人間の知能がどんなに高くても生み出されることはありませんでした。そして、それは飽くまで我々の祖先が自然界で生き残るために備わった機能であることに他なりません。
人類の営みといいますのは自然の法則からはだいぶかけ離れてしまいました。ですから、その価値観に照らし合わせますならば芸術が無益だと主張するひとはいないと思います。まして、この「ひとの心を動かす技術」といいますのは人類の文化や経済の構築に深く関わっていますので、もはや取り除くことはできないと思います。
このように、「人類の進歩」といいますのは能動的な結果によって導かれるものであるため、自然の進化とはその速度が格段に異なります。ならば、結果的には人類の脳といいますのはそのために発達したという解釈もできるわけですが、何分にも前例というものがありません。では、それが生物学的利益と一致するかどうかというのは、これは一度絶滅してみるまで分らないことなのかも知れません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>「聴覚刺激における生体反応の法則」を芸術や娯楽に用いました。それが「音楽」です。

やはり感覚を遊ぶようになったという感じでしょうか。

>価値観といいますのは生後体験によって構築されるものでありますから、全ての趣味がそれに影響を及ぼします。もちろん、音楽における情動体験は音楽に関する価値観を変化させます。
歌詞や小説も同様に言語理解を必要とするわけですが、ここでは言語を用いて情動伝達を行うことにより、それは芸術としての機能を持ちます。但し、音楽や絵画などの感覚的反応に対し、論理的・文化的価値観の比率が俄かに高くなります。

日々の積み重ねということですね。

>芸術とは何かといいますと、果たしてそれは「ひとの心を動かすための技術」ということになります。
進化しなくとも次々と新しい能力を身に付けることができるようになりました。ですから、こちらは進化ではなく「人類の進歩」といいます。・・・全てが「架空の利益による幻」・・・・強いて言いますならば、果たして我々人間の脳にはそれを生み出す能力が備わっていることに意味があるのだと思います。れは飽くまで我々の祖先が自然界で生き残るために備わった機能であることに他なりません。

なるほど!生き残るための「進化」ではなく、より良く生きるための「進歩」ですね。祖先から培った脳の力ということでしょうか。

>結果的には人類の脳といいますのはそのために発達したという解釈もできるわけですが、

確かに脳の発達上は報酬としての音楽が重要な気がします。
また実は音楽を聴いて感覚を上手く遊べたり、気分を変化させることは重要で、またそういうものが生き残ってきたともいえるのかなあ。だから音楽はこんなに重要なのかも、とも思ったりしました。

非常に面白いお話ありがとうございました。すっきりしました!

お礼日時:2009/09/19 11:26

こんばんは。


同感です。

人間の耳~脳がなぜそうなったのか(進化したのか)、という問いへの答えはないと思います。
結果として、どのような機能を有する人類が生き残ったかということでしか議論できないと思います。
特に、外敵から身を守るのに必要だったのでしょう。
この点で、視覚、味覚、嗅覚、性欲との類似性があります。
聴覚、視覚、味覚、嗅覚、性欲は、どれも、生き残りのために必要な能力であり、
その機能を有しない「人類」は滅び、有する人類だけが生き残ったはずです。
そして、心地よい音・リズム、美しい形・色、おいしい味、いい匂い、性感といったものを感じる機能が付随したものと考えられます。

つまり、偶然に人間のツボにはまって心地がよい音・リズムだけを「狙い撃ち」して集積し、
そうでないものは捨てて絞り込む、といったノウハウが、これまでの歴史の中で蓄積されてきたのです。

【ノウハウ】
・聴覚 ・・・ 心地よい音・リズム → 音楽、楽器、楽譜
・視覚 ・・・ 美しい形・色 → 風景・夜空などの観賞、美術
・味覚 ・・・ おいしい味 → 料理、レシピ
・嗅覚 ・・・ いい匂い → 香水、香料、香道
・性欲※ ・・・ 性感 → テクニック、エロ本、エロビデオ、お○○のお○○o
※:一応、真面目に書いています。念のため。

もちろん、人によっては心地よくない音楽もたくさんありますが、
基本的には上記だと思います。

以上、ご参考になりましたら。
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この回答へのお礼

生きるために感覚が発達した。そしてその発達した感覚を生き残るため以外に使うようになった。という感じでしょうか。

>人間のツボにはまって心地がよい音・リズムだけを「狙い撃ち」して集積し、そうでないものは捨てて絞り込む、といったノウハウが、これまでの歴史の中で蓄積されてきたのです。

なるほど。日々の蓄積が蓄積されてきたんですよね。納得です。
ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2009/09/19 11:00

大学で音楽心理学なるものを履修してましたが、はぁ?って感じでした。


そんな小難しい事は必要ないと思ってます。当方、商売で音楽作ったりしてますが、渾身の一本と呼べるもの以外は、人を感動させるなんてことはまず無いですね。人を感動させうる音楽というのは、それなりにお金も手間暇も掛かってます。色んな側面で。
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この回答へのお礼

確かに野暮なことを考えているなと自分に感じました。けれどなんだかもやもやするのです。人を感動させられる音楽はやっぱ凄いですよね。
ご回答ありがとうございます!

お礼日時:2009/09/19 10:54

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