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こんにちは。暇つぶしの質問ですが、お時間のある時にでも お付き合い頂ければ幸いです。
日本でもラテン語の参考書や辞書が出版されていますが、日本人がラテン語を学ぶ意義って何でしょうか? ラテン語を学ぶくらいの人は英語とかフランス語が相当できると思うし、英語とかフランス語をベースに学習した方が逆に分かりやすいと思うんですが、どうなんでしょう?

A 回答 (10件)

#8です。


Wikiで「現在過去動詞」というのを参照していただけると幸いです。
専門家ではないのでお任せしちゃいますが、ラテン語とゲルマン語
の大きな違いの一つです。
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No.5 です。

みなさまの投稿興味深く拝読いたしました。
感想から云えば、実用価値に目が向けられているような気がします。もっと、面白さ、楽しさに重点を置いた方がよいかと思います。人生楽しく生きましょう。

学問は何でもそうでしょう。月の裏側の地図を作るのに、何故 税金を使うのですか。数百年先に元が取れるかも知れない実用価値を考えたら、予算は全部切られてしまいます。ラテン語学習も同様だと私は考えます。ラテン語辞書の予算もポケットから出しました。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。
ラテン語の学習と月の裏側の地図を同列に置くのは無理があるでしょう。

お礼日時:2009/09/27 09:35

#2を回答した者です。


ゲルマン語の話法の助動詞というのは元々は過去形なんですね。英語では三人称単数現在にsがつかないのが特徴です。ドイツ語でも同じなのですが、他の人称では語尾変化しますし、要するに普通の動詞の過去形の変化と同じなわけです。ドイツ語を覚えている人はwissenの不可解な活用を思い出してください。これも同じ類なんですね。ラテン語~ロマンス語と全然違うところですが、対比するものがあってはじめて解ると思います。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

>ゲルマン語の話法の助動詞というのは元々は過去形なんですね。
これって、mustとoughtだけじゃないでしょうか?can とmayはそれぞれ過去形もありますし。

>ドイツ語を覚えている人はwissenの不可解な活用を思い出してください。
フランス語のsavoirだって不可解な活用だと思いますが。

お礼日時:2009/09/27 09:33

wy1です。

屁理屈とお取りにならるかもしれませんが、ドイツ人は
ドイツ語を通してラテン語、ギリシャ語、などを学ぶのですね。英語を通してではありません。彼らにはドイツ語が一番理解できる言葉だからです。我々日本人には、英語ではなく日本語が慣れ親しんだ言葉でしょうから。
少なくとも西洋人にとってラテン語が嘗ては学問の基礎だったのです。
私の友人でドイツ出身の(現在はアメリカ国籍)の言語学者が降りますが、残念ながら私は2年間漢文を履修しましたが、彼の中国古典文学の知識には遠く及ばないことを知りました。彼は母語であるドイツ語を使い現代/古代中国語を学習/研究したのです。英語ではありませんよ。彼は英語はかなりの程度使えますが、なんと言ってもネイティーヴでは無いことが感じられます。

私はどうしても日本語で使える参考書が見つからない場合のみに、入門程度では多少なりとも理解でき外国語で書かれた参考書を使うことは否定していませんよ。しかし、多くの人が英語に似ていると言うことでドイツ語の文法や文章を捉え切れなくて投げ出した人を結構知っています。私が受けたドイツ語の教育は、最初は無論日本語を通して、その後外国人のためにドイツ語で書かれたドイツ語の教本を使うものでした。
英語は一切関与させないものでした。”英語の勉強をしているのではなくて、ドイツ語を学んでいるのです。”、が ある一人のドイツ教員の口癖でした。

この回答への補足

再度回答ありがとうございます。

日本でラテン語を学ぶ人は、英語が相当出来て、その内の約半数近くはフランス語の学習経験があると思われます。(近年の日本ではフランス語よりも人気が高まった中国語や韓国語の学習者は少ないでしょう。)ですから、中国語や韓国語と違って 中学レベルの英語さえ怪しいのに 少し齧ってみようと安易に手を出す人は少ないと思われます。

>ドイツ語を通してラテン語、ギリシャ語、などを学ぶのですね。英語を通してではありません。
ドイツ語もヨーロッパの言語ですし、英語の方がドイツ語よりもラテン語の影響は大きいでしょうけど、英語もラテン語の子孫ではないし、
英語を介する必要もないでしょう。

>私はどうしても日本語で使える参考書が見つからない場合のみに、入門程度では多少なりとも理解でき外国語で書かれた参考書を使うことは否定していませんよ。
これは語学というより、人生哲学の問題かもしれません。そうですね、いつもビルの階の移動にエレベーターばかり使っていると、いざ神社の長い階段を登るとなると息を切らすというか。

>しかし、多くの人が英語に似ていると言うことでドイツ語の文法や文章を捉え切れなくて投げ出した人を結構知っています。
これも語学というより、人生哲学の問題かもしれません。大半の人が失敗したからって、短絡的に結論を出したら 新たな道も切り開けないし、進歩もないのではないでしょうか? 例えば 料理にしても、オーブンで焼いたら真っ黒になったからといって、これに凝りで電子レンジでばかり加熱していたら 美味しい料理はできませんよね。もっとも、オーブンの加減を覚えられない人は 電子レンジだけを使っていれば無難でしょうけど。しかし、語学の場合は 英語力の不足もあったろうし、段取りも悪かったんでしょうね。

しかし、wy1さんが英語で書かれた別の外国語教材を使って非常に不便な思いをされたのは今から相当昔の話ですよね。ということは、失礼ですが、wy1さんの英語力はあれから上達していないんでしょうか?


>英語の勉強をしているのではなくて、ドイツ語を学んでいるのです。”、が ある一人のドイツ教員の口癖でした。
ドイツ語とラテン語では学習目的も違うでしょう。例えば、アジアには英語が流暢に話せる人も少なくありませんよね。しかし、いくら英語が話せたところで、西洋のインテリと比べると何か薄っぺらさを感じます。一つは、ラテン語やギリシャ語などの古典語などを含んだ西洋文化の源流に対する造詣の浅さが挙げられると思います。それで、ラテン語を学ぶのは、英語なりフランス語なりの教養を更に深めるというのも大きな目的の一つでしょうから、ドイツ語とは違うと思います。尤も、英語が専門で 英語とドイツ語はどう違うのかなど 言語学的に英語の視点からドイツ語を見るんだたったら 話は別だと思いますが。

余談ですが、wy1さんはフランス語は肌に合わないと、出だしから投げ出されたようですが、日本語で書かれた学習書でさえ難しかったんでしょうか? 日本で出版された 英語以外の外国語の教本は、フランス語とかスペイン語だと いきなり、動詞の変化表とか突き付けられるんですよね。しかし、英語圏で出版されたフランス語の教本には、動詞一つの全部の人称活用を一遍に覚えるんじゃなく、最初は1人称単数だったら、幾つかの動詞の1人称単数の形だけを覚えて行くというスタイルを取っている物が多いです。全体的にフランス語なんか、動詞の活用を覚えるのが少し大変なだけで、ロシア語なんかに比べたら そんなに難しくないと思うんですけどね。

補足日時:2009/09/25 18:12
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私も「面白くて楽しいから」でいいと思いますよ。

義務教育の必修科目ではありませんから。
古典語を学ぶ上では英語やフランス語をベースに学習した方がわかりやすいとは思いません。Ars longa. を Art is long. と置き換えてわかったような気になるより、まったく構造の違う日本語に訳すほうが深い理解が必要になります。

それに格助詞があって語順が自由な日本語の方が文法の説明が簡潔に済みます。arma(武器を)virumque(それと男を)cano(私は歌う)なんて逐語訳は英語ではできません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>古典語を学ぶ上では英語やフランス語をベースに学習した方がわかりやすいとは思いません。
これは一部のシンタックスの問題でしょう。#1さんのお礼でも書いたこととも関係しますが、漢文だって直接英訳した方が分かりやすいこともあるでしょう。しかし、分かりやすさだけの問題ではないような気がします。

お礼日時:2009/09/25 10:32

最近日本の初等中等教育で漢文の授業が減っております。

そのため、漢語、その語源などを知らない日本人が増えております。
テレビ、ラジオのアナウンサーなど言葉を職業とする人でも、情けない常識水準です。
西洋で、漢文に当たる言葉はラテン語やギリシャ語だと思っています。私たちがこれら古典語を勉強するのはとてもよいことだと思います。別に英語やフランス語の達人でなくてもよいではありませんか。

1.実用価値もあるでしょう。
2.何よりも面白く、楽しいでしょう。

私が既にうんと勉強した訳ではありませんが。一言申し上げました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

現実的ではありませんが、日本の中学、高校で英語の代わりに中国語を教えれば 漢文ともリンクするし興味深いと思います。 イギリス人は
中等教育で古典語としてラテン語を学び、第1外国語としてフランス語を学びますが、ラテン語はフランス語の祖先になる言語ですよね。
でも、日本人は古典として漢文を学び、第1外国語として英語を学びますが、漢文と英語じゃ、全く繋がりがありません。また、西洋人はラテン語が共通の教養ですが、中国、日本、韓国、ベトナムの漢字文化圏でも漢文の教養をうまく共有しているとは言いがたいですね。

そう言えば、英語も近代では新語なんかはラテン語やギリシャ語から引っ張り出したりしないで、英語の固有語から作ることが多いですよね。

お礼日時:2009/09/25 10:21

蛮勇引力の発見者=万有引力 の変換ミスでした。

申し訳ありません。
私はドイツ文学を専攻しましたが、専門家として研究する為にはラテン語の知識は不可欠だと感じております。残念ながら、底までいけませんでしたので、ラテン語の引用など出てくると、お手上げです。
今は違いますが、ドイツでは大学に進む中等教育ではラテン語かギリシャ語などの古典語が必須でした。学問の根本と考えられていたからでしょうね。
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下の回答にもあるように、ラテン語で書かれた文書を読む必要のある人がラテン語を学ぶのです。


また、古い時代の英文学には、英語の間にラテン語が平気で出てくるので、そこはラテン語がわからないと、意味がわからなくなります(注がついている場合もありますが)。
なので、ラテン語は古い時代のヨーロッパ文化・文学を研究するには必要なものなのです。英語やフランス語は、ラテン語に比べたら新興勢力みたいなもので、古い時代にはこれらの言葉はレベルの低い場所で使うものだったのです。
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ラテン語を学ぶとフランス語の動詞活用とか、ドイツ語の格変化とかが易しくみえます。

英語の文法なんか児戯に等しい(イディオムは難しいですが)。私はラテン語をマスターしたわけではないですが、一度のぞいてみるのは良いと思います。英語の学術語などの多くはラテン語からきていますし。この点ギリシャ語の方がさらに強力だと思いますが、さすがに手をつける気がしません。文字が違うし。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね、しかし、英語はフランスなどに比べて文法が単純する過程の中で完全にきれいに整理されない部分が残って逆に煩わしい部分がありますよね。一つは助動詞のdoです。マスターしちゃえば造作はないんでしょうけど、動詞が3人称の肯定文を疑問文にすると、動詞が原形に戻り doがdoesになるとか。それから、3単現のsも仮定法では付かなくなるとか。そういえば、次のフランス語は英語ではどう言うんでしょう?

Je ne devrai pas fumer.

フランス語のdevoirは英語のmustのように 義務を表しますが、否定形にすると禁止になりますよね。しかし、英語のmustには現在形しかないので、他の時制では have toで代用しますよね。ところが、have toは否定形にしても禁止になりません。さあ、困った どうしよう。

それから、英語でフランスの条件法に当たる時制は wouldを使いますが、canはcouldになりますよね。でも、それじゃ、過去なのか条件法なのか区別しにくくなります。例えば次の文です。

With your help, he could win the contest.

結局、彼はコンテストに優勝したのか しなかったのか...

それかから、先程のmustも過去形はないのに、条件法になら shallの過去から借用してshouldを使えるんですうよね。Vous voyez que c'est un peu curieux, l'anglais!

お礼日時:2009/09/25 10:08

古代ローマ、中世キリスト教、などを専門的に研究するのにはラテン語の知識は不可欠でしょう。

また、その時代の歴史、文学や学問書、公文書などは全てラテン語て書かれているはずです。アイザック ニュートン(蛮勇引力の発見者)の論文はラテン語で書かれています。
その他、ヨーロッパ言語を専門に研究しようとすれば最低ラテン語まで遡る必要があるでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

wy1さんは既習の外国語で新しい外国語を学習することに頑なに否定的な方の第1人者ですね。私は中国語(普通話)を学習しているんですが、広東語も覚えてみようと思いますが、普通話をマスターしたら普通話をベースに広東語を学習しようと思います。 広東語も日本語で勉強できますが、折角中国語の語順に慣れたのに、また、漢文を読むみたいに返り読みしたりするのも却って煩わしいし、日本で出版された本だと、カナが振ってあって、こういう日本人向けの配慮が逆に余計というか、仇になります。そして、結局、日本の漢字と簡体字と繁体字の比較がメインになってしまいそうな気もします。

ただ、西洋人にしてもラテン語を学ぶのはラテン語で書かれた文献を読むためだけではないように思います。これは丁度、日本人が漢文を学ぶのに似ているのではないでしょうか? つまり、大昔の日本人が漢文を苦労して訓読して行った先人たちの足跡を辿る意義があるのではないかと思います。すなわち、漢文の学習を介して日本語の教養を深めることに繋がると思うんです。しかし、日本語を学習している西洋人が漢文をただ英訳しては、漢文を学ぶ意義も半減するような気もします。それで、私たち英語を学ぶ日本人がそれと同じようなことをやっていないでしょうか? 英語とかを土台にラテン語を学習するだけの英語力がなければ、そもそもラテン語なんか学習しなくてもいいようにも思います。

その点に関してはいかがお考えでしょうか?

お礼日時:2009/09/25 09:39

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