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私は人を許すということがあまりできません。
それはすごくささいなことでも許せないんです。
なにかカチンとくることを言われたりした場合とか、次の日相手はそれを言ったことすっかり忘れてても、「おまえ昨日はよくも」って私の心の中では思ってます。そしてなんとか同じ思いを味あわせたいと思ってしまいます。

他人の短所ばかり目につきます。
10のうち8長所あっても2の短所を発見し、カチンときてしまいます。そして、この人とはもう友達にはなれないなと思います。

要するに自分は不当な扱いを受けたんだから、君もその思いをきちんと味わうんだよっていうおそろしい思いがあります。

友人に対してもそのように「おまえあの時はよくも・・・いつか同じ思いをさせてやる」っていう思いを持ってしまいます。でも、なにか物理的に復讐するわけではないのです。たとえば、なにかの集まりに私だけ呼んでくれなかった→そいつも今度呼ばないで同じ気持ちを味わせてやる。冷たい態度をとられた→たった今から無視してやる。
というように、すごく器の小さい人ですが、うらみみたいなのをもってしまいます。

みなさんは友達に対して憎しみとか持たないですか?
なにかカチンとくることあったとしても、笑顔で許せますか?
それってプライドを捨てて相手にこびてるってことでは?

A 回答 (14件中1~10件)

なにか心がすさんでいるようにお見受けします。


質問を読んでいると、非常に険があるというか、とげとげしさを感じます。
過去に人間関係においてトラウマになるようなことがあるのではないですか?

また、許すことは相手に媚びることと感じているようですね。
例えば、相手が、部活の先輩だとか会社の上司のような上下関係にあって利害関係があるなら別ですが
友人であるなら、上も下もありません。友人に対して媚びると考えることに違和感を覚えます。

逆に自分を許した相手を「こいつ、自分に対して媚びている」と感じるのでしょうか?
質問者さんは、友人に対して、ついうっかり失言をしてしまったり
思いがけず相手を傷つけてしまったことってないですか?
そういう時、「君に悪気はないってわかっているから、気にしないで」と許されたなら、どう思いますか?

私なら、「なんて優しい人なんだろう、こういう友人がいる自分は幸せだ。
自分も友人にとってそう思ってもらえる存在でありたい」と思います。
そうやって、人と人は許し合えるのではないでしょうか。

もしも、人間関係を常に上・下において考えているのなら、その辺から
自分を省みたほうが良いと思います。
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私も同じような感情的な性格の持ち主です。



自分が遅刻しても、相手が遅刻するのは許せないとか。
相手のミスはささいなことでも見逃せない、
言ったことをやっていなければ、それこそ そこを責めまくる。
相手がそんな自分を責めてきた日には、お前のせいだと叫びそう。

よく、周りは、「良いところを見るようにすれば、そういう良いところがあるんだからって優しい気持ちになれる」と言います。

でもね、なんで自分だけ広大な心をもたないとならないの?
はじめから、相手がそういうことしなけりゃ、いいじゃない。

そう思います。

それじゃあなにも進歩しない、という人もいるかもしれませんが、
おそらく、あなたも「なぜ憎んではいけないのか」と思っていると思います。

でも、憎み続けるのは疲れますね。
しかも相手はきれいさっぱりそのことをなかったかのように振舞うのだから、自分だけ損している気分です。

だから、まずは「自分はそういう性格だ」と開き直るのが一番てっとり早いです。
そして、憎むときには、「憎んでそのあと、どうしてほしいのか」を考える癖をつけると良いです。

これは他人を責めがちな自分が取り組んだことですが、
「怒って、そしてどうなってほしいのか?」を考えるようにすると、
こうなってほしい、こうしてほしいという願いを持つと、
驚くほど冷静になれます。

許してやる必要なんか、ないんですよ。
相手があなたにとって憎むに足ることをしているんですから。

ただ、許せるほうが、自分がラクなんです。

ある小説の言葉です。
「あなたが許された分だけ、他の誰かを許してあげると良い」
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許せる事と許せない事のラインは、確かにあります。


でも、あなたと比べたらかなりそのラインの位置が違うように感じます。

腹が立った時は、自分を振り返ってみてください。

同じような事を、誰かほかの人にした事はないのでしょうか?
その人は、怒りましたか?流してくれましたか?
許してくれた事、それはあなたに対する媚びでしょうか?

相手が傷つくような無神経な言葉を発してはいませんか?

気にならない事を指摘されても気になりませんが、常日頃気になっている事を指摘されたら傷つく事があります。
でも、あなたが傷つく言葉と、他のお友達が傷つく言葉は違います。
あなたは自分が傷つく言葉には敏感ですが、お友達が何に傷つくのか、全て把握できていますか?
絶対に、人を傷つけないという、自信がありますか?

相手がすんなり許してくれたのであれば、単に怒るほどの事ではないと思っているからではないですか?

自分が、知らないうちに他人を傷つけている可能性を、否定出来ますか?

あなたはあなたが思うほど立派な人間ではないのです。
人間って、誰もが、知らない間に人を傷つけ、傷つけられながら生きているんです。そうやって成長していくんですよ。

あなたが出来ることは、自分が傷ついた記憶を、「恨み」に変えることではなく、「経験」として今後に生かすために、蓄積する事です。
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人を許すことができないというのは、自分で自分を許していないから。


そんな場合が多いと思います。
凄く理想が高くて、そこに行き着いていない自分を自分で許せない、とか。

それは、現実のありのままの自分を自分で受け入れていない、と。
そう言い換えることもできます。

人に対する怒り・憎しみとは、実は自分に対する怒り・憎しみを投射したものであることが多いです。

「これが現実の自分だ。等身大の自分だ」と知ること。
時にはそれは、辛いことかも知れません。心が傷つくかも知れません。

しかし、諦めることとは違います。一旦は諦めたような心になっても、
本当にそれを噛み砕いたなら、力が湧いてくるはずです。

…こんな言葉で今すぐにパッと変わることはできないと思います。
少しずつでも、ご自分の本心を探ってみるのが宜しいと思います。
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 何歳の方なのかわかりませんが、人間だからそういうことってありますよね。

盗作でよければ、どうぞ。
 ●ステップ1)怒りというネガティブな感情を受け入れる
 怒ってはいけないという思いが強いと、逆に、自分を怒らせる相手への恨みが募ります。感情があるからこそ人生は面白いのです。
 ●ステップ2)超合理的に考える
 相手が自分のことを馬鹿にしたからといって、自分の本当の価値が下がるわけではありません。逆に貴方が相手を馬鹿にしたからといって、相手の値打ちを下げることなどできないのと同じです。
 復讐して相手が不幸になれば、自分が幸せになると思うのは神経症的(ノイローゼ的)です。
 また、怒りは相手に対する「警告」の意味があります。
 ●ステップ3)感情に責任を持つ
 他人のせいで怒っているなら、怒りを鎮められるかどうかは相手次第になってしまいます。怒りという感情のスイッチを他人に渡してはいけません。人間だからそういうこともあるのは承知していますが、それでも完全に相手のせいにしてはいけません。
 ●ステップ4)自分中心に考える
 だから自分はどうしたいのかを考えます。他人がこうしてくれたらなぁと、他人のすべき反省をする必要はありません。
 ●ステップ5)他人の立場になって考えてみる
 なぜ、人を見下すような態度をとるのか、気になって仕方がなければ、とことんその人の立場になって考えてみるのも方法です。なぜそのような態度をとるのかというと、現に見下しているからです。判ってはいるが、悔しいから認めたくないだけなのです。
 ●ステップ6)言いたいことを消化する
 悔しい思いをしたら、それを自分を高める糧にしてもらいたいと思います。「どうやったら自分の思いを伝えられるだろうか」と、自分に対する課題として考えてみてください。アイ・メッセージやアサーションで検索するといいでしょう。
 ●ステップ7)他人を変えようとしない
 他人のせいでイライラさせられているのであれば、世の中のすべての人がいつも不機嫌であるはずです。しかし、明るく上機嫌に過ごしている人もたくさんいるのです。その人と自分の違いは何でしょうか。
 他人に腹が立つのは、自分の思い通りにならないときです。そして、他人の考え方を変えようとして、無駄なエネルギーを使い果たし、疲れてしまうのです。
 私たちにできることは、「その人に合った付き合い方をする」ということだけです。「絶対に自分の意見を譲らない人」には、反論しないことです。「愚痴や悪口ばかり言っている人」は、適当にあしらっておけばよいのです。「自慢ばかりする人」は、調子よくおだてていい気にさせておきましょう。そして何より、付き合う必要のない人とは付き合わなければよいのです。
 相手に合わせた付き合い方をするということは、自分を押し殺して他人に迎合するということではありません。自分の意志で、自分のために、自分を変えるのです。自分も、すべての人から受け入れられているわけではありません。人それぞれに考え方は違うのですから、自分の好みに合わない人がいても、何の不思議もありません。
 他人に傷つけられたときは、自分も同じようにほかの人を傷つけたことはないだろうかと思い返してみれば、腹立ちはおさまります。
 自分を傷つけた人を許すことは、非常に難しいことです。頭では判っていても、なかなかできることではありません。しかし、許すという行為でさえ、実は、意識の奥に多少の横柄さを含んでいるのです。「許すか許さないかは、完全に自分の選択にかかっている。今回は、許してやるから、ありがたく思え」と、人を裁く神にでもなったような気になり、相手を見くだしていると言えなくはありません。
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その気持ち、わかるなぁ~。


あなたはとても正直だね。正直であると同時に、素直であると思う。人間、本音を言えば、清く正しい気持ちだけを持ってるわけじゃないもの。裏切られたりした場合に、醜い気持ちを抱えることも、時にはあるはず。

それをあなたは言ってるんだよね?
そういう気持ちを正直に言っちゃうと、「その言葉を真正面に受け取る」多くの人から、反発や「それはよくない」って悪く言われるから、みんな口に出さないだけで。

あなたは実際に行動してるわけではないし、心の中で感じてストレスに思ってるわけだから、要するに真面目なんだと思う。ひどいことをしてくる人や配慮の足りない相手について、真剣に考えてしまっている…ことから。


確かに腹が立つし、イライラするけど、そういう失礼な人について、
自分の貴重な時間を費やさない方がいいのかもしれない。費やして、相手が変わるんならいいけど、どうせ変わらない。そんなつまらない人について、悩むだけ損ってことだよ。

あなたはあなたの楽しみや、
今日一日について、これから何しようかな~って考えて、
その事に集中するといいよ。
これは決して、くだらない相手に負けるとか、プライドを捨てるって事じゃない。

くだらない相手を、あなたの人生に介入させない、頭の中に入れない、
あなたの人生をもっと幸せにするという考え☆
試してみて。
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>みなさんは友達に対して憎しみとか持たないですか?


憎しみ、ありますね。でもそれは、人それぞれ、もったり、もたなかったりします。私も、根にもつタイプです。すごく許せないことがあるは分かります。「何でこの人はこんなこと言ってくるんだろう?」「人に対しての最低限の思いやりもないな」と思ったりします。
>なにかカチンとくることあったとしても、笑顔で許せますか?
私の場合は、心では、許せないことがあったとしても、やはり、本音と建前があり、本音はさらしません。やはり、大人になってくると(いま17歳です)本音ばかりでは、生きていけないと思います。それに、そんなカチンとくることをされて、それに張り合ってるなんて、まだまだ子供だと思いますし、エネルギーの無駄ですし、相手との仲が悪くなるだけです。私も本音では、張り合ってしまうので、まだまだ、子供です。私は、建前では、笑顔で許しても、本音では、許せませんね。それに、建前に出そうと思っても自分の性格上、出せません。この人と縁を切ってもいいな、と思った場合だけ、本音を言ったりします。
>それってプライドを捨てて相手にこびてるってことでは?
その考えもわかりますが、一慨には言えないと思います。

私も本当に許せなくて、いつまでも根に持ってしまいます。
でも、「利害関係」って言う感じで人間関係を持てばいいと思います。
自分に害だけなら、捨てる。害があっても利用できたら、使う。
言葉は悪いですが、こんな感じです。

まあでも最終的には、そうゆう自分も受け入れるしかないかもしれませんね。
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こんにちは!


マラソンびとです。山男でもあります。

例えば,マラソンとか山登りは,スタートしてゴールすると,なんと!元の位置にいるゲームです(当たり前ですね[笑])。こういうことに価値観持てると,人生が約5%楽しくなりますよ!

さて,昔から「自分が無明(むみょう→迷いの中にあって悟りを得ていない状態)である人は,知恵のある人」と申します。
人間は,無明の中で愛と憎しみと,ねたみやせん望とか,そうやって暮らしています。無明であることを自分で知るならば,他人を許せます。他人を許せるようになると,なんと自分も許せるようになります。これは本当です!!こびるとか,いい加減とか,そういう意味じゃなくて,心から許せるようになります。なお,宗教とは関係ありません。
これは,坂本竜馬の辞世の句です「おもしろき こともなき世を おもしろく 棲みなるものは 心なりけり」ね!人生は心ひとるのおきどころでしょ。僕は100キロマラソンとか,富士登山競走山頂コースも完走したけれど,完走したからどうだといえば,走るのが好きだったからで完走できたかどうかは,関係ないですね。
最近,年のせいか,自分が無明であること達観し,怒る時は怒ったりしますしが,それを翌日に持ち越すことはなくなりました。しかし,嫌いな人間は好きになれませんよ!!嫌いですけど,そういう人だと達観しています。なぜならば,
中国の古典兵法の通称「三略」と呼ばれる兵法には「『弱』は弱いので人に助けられる」「『強』は固くて人とぶつかる」「『弱』は弱いので協力する」という部分があります。弱い(つまり欠点の多い人)人間が,欠点が多いことをもって,ダメな人とは思わないほうが良いと思います。
それで,回答としては,まずは,自分が無明であることに達観すべきじゃないかと思います。僕は男性なんで,思考が男性回路ということで,もし,御質問者様が女性なら参考にならないかもしれませんが,そのときはご容赦ください。
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まぁ…難しいですね



でも↓
『なにかの集まりに私だけ呼んでくれなかった
→そいつも今度呼ばないで同じ気持ちを味わせてやる。
冷たい態度をとられた→たった今から無視してやる。』
これはよくないと思います

だって自分がされたら嫌でしょ?

たしかに相手に嫌なことをされて仕返しをしたいという
気持ちは少し分かりますが…
自分が嫌なことされたから相手にを仕返しする
仕返しされたから相手も仕返しをする
こんな連鎖になっちゃいますよ
やられたらからやり返してやり返されたからやり返す
自分はこっちの方がもっと嫌です


それと憎しみを持たないんですか?って質問ですが
もちろん私も持ちますよ
けど、集まりに呼んでもらえないから
少しでも嫌なことされたからって
お前を許さないッ!ってのは少しやり過ぎです
相手にも何か考えはあるでしょうし
少し抑えてみてはどうでしょう?

なんか、あんまり上手く言えずにスイマセン
少しでも参考になれば嬉しいです

最後になりましたが
アナタの短所を見つけるという短所(長所でもあります)を
相手の長所を見つける長所に変換してみてはどうでしょう?
難しいでしょうが相手の長所を見つけ褒めてあげると
仲良くなれると思いますッ☆
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認知(考え方)を変えていかれたほうがご自身のためかと思われます。



完璧な人間というのはいません。
大人になっても欠陥だらけです。
だから少しでもそれを補うために人はみな努力するのです。助け合うのです。

ご質問者様もわかっていらっしゃる通り、他人の短所にばかり目がいくのはいいことではありませんよね?
じゃあ、どうすればいいかというと、逆のことをすればよいのです。
最初は難しいですから事務的な方法でいいです。
たとえば、「必ず1人に対して3つはいい所を見つけよう!」というマイルールを作るようにしてください。
そういうことを意識的にやっていくうちにクセがつき、認知は必ず変わります。

それと、相手の嫌なところを見てしまったら、そこが相手にとっての短所かもしれませんので、そこを今度はご質問者様が補ってあげようという気持ちでいれば怒りの気持ちは和らぎます。

いきなり「許す」というのは難しいですから、徐々に変えていかれるとよいと思いますよ。
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