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京都や金沢など、伝統的な町並みの保存のための取組みが行われている県は多くありますよね。
そこで、根本的な質問ですが、なぜ、伝統的な町並みは保存する必要があるのだと考えられますか。
さらに大きな、「伝統文化」というくくりでも同じ質問をしたいと思います。伝統文化を保存し、継承していくということの利点、メリットはどこにあるのでしょう。
なんとなくの感想ではなくて、説得力のある理由を挙げていただきたいと思います。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

単純に、それらが無くなったら、その場所である必要性も無くなるから、だと思います。



京都の舞妓さんがリクルートスーツになって、お寺が全部ビルになったら、別に京都にわざわざいかなくてもいいや、京都に住まなくてもいいや、と思ってしまいます。

南座のにしんそばが無くなったら、わざわざ京都に行って楽しみに食べるものが一つなくなってしまいます。

効率だけ考えれば、世界中、ぜんぶ同じ町並みで同じ行動をとったほうが楽なのでしょう。でも、そんな大改造するくらいなら、都会に引っ越したほうが手っ取り早いや、というのが現実です。違っているのが当たり前、慣れた環境が当たり前、という人がいてこそ、それぞれの町の特色がでるのです。これは人間でも同じですね。

「守らなければならない」わけではなく、「替えなくてもいいじゃん」「守り続けてもいいじゃん」「残っててもいいじゃん」というのが理由です。
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 京都のイメージは何でしょう。

そういったイメージを守るために必要なんです。またお寺などの庭などで「借景」という事もあります。周りの風景もその庭の一部と考えるのです。
 しかし、町すべてをとなると、生活が困難になります。

主に観光を目的としていますね。住人にとっては不便ですが。ただ、昔ながらの生活をしてみたい人には良いかもしれません。

 保存することで昔の技術が残ったりしますから。建築方法とか生きた教材でもありますよ。
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伝統という形の無いものなので議論しにくいのですが、これを、「いま絶滅しようとしている“レッドデータアニマル”は保護するに値するか」という、固体の有る話に変えてみると、より議論しやすいと思うので、一時、対象を置き換えてみます。



日本のトキが絶滅しても、私たちの生活はなんら変わらないでしょう。鳥など鳥図鑑で見ればいいという人は、絶滅したことにすら気が付かないかもしれません。ですが絶滅してしまったら、トキはもう図鑑で“しか”見られません。もう本物を見る事が出来ないのです。

それと同じで、文化も絶滅する事が有ります。重要文化財などは、無くなってしまえばもう実物が見れません。伝統的な町並みも、それ一軒では無く集落自体に意味があるので全部を残そうという試みなのです。

私事なのですが、「海野宿」という江戸時代の宿場町を保存している一角を訪れた時、“うだつがあがらない”の“うだつ”を実際にこの目で見て、ああ!なるほどと思った事が有りました。前にも写真で“うだつ”と“うだつの有る家”は見た事があるのですが、実際に見てみると確かに、うだつの無い家のなかでうだつはとても目を引き、そこだけ本当に豪華な家を感じさせ、これが当時の権力誇示の方法だと実感しました。

このように、写真に幾ら残しても、実際に目で見たほうが実感出来ます。また実際にモノを残してあったからこそ、かつての日本家屋の建築構造の現代に負けない素晴らしい技術が現代にも応用されていると聞いた事が有ります。

無くしてしまうのは一瞬です。でも無くなったら、自分よりあとの後世の人は、写真や映像で見ることしか出来なくなってしまいます。
“文化”も、無くなったらもう得難いからこそ、価値があるのでは無いでしょうか?
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世界史は学ばれていますか? それと、白土三平のカムイ伝や、手塚治虫の火の鳥は読まれたことがあるでしょうか。



人は、集団生活をする生物です。「民族」「部族」「」「集落」と、自然発生的に所属を作り、維持し、拡張しようとする習性があります。
他の集団と自己の集団を区分けする必要があり、それが、言語であり、容姿・髪や肌の色であり、国家であり、国旗であり、宗教であり、文学であり、慣習であり、文化です。
第2次世界大戦後に、人造的に作られたユーゴスラビア や、チェコ・スロバキア が、その後、どうなったか、そして、それはなぜかを調べ、考えてみられるとよいですよ。
ユーゴスラビアは、「7つの隣国、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字をもつ、1つの国」と言われていました。これを、第2次世界大戦でドイツ軍からこの地域を開放した「チトー」という英雄が1つにまとめていたんです。
このチトーが亡くなった後、次々と崩壊をし、内戦が始まり、対立と憎しみが起こるようになりました。チトーは、伝統を破壊し、1つの文化を創り、この国を維持しようとしたのですが、それを為すことはできませんでした。

もう1つ。
第2次世界大戦後に亡国となった地域に、チベットがあります。漢民族の移民が進み、半分以上がよその人になっても、それでも地域は独自性をまだ維持できています。これは、チベット王国特有のラマを信仰する文化が残っているためと思われます。

これらは、国家やそれに近い大きな話ですが、小さな単位でも、人は人として集まって生活を維持しています。村が、集落が、霧散せずに維持できているのは、自分の集団と他の集団の違いがあるからで、その違いは、祭りであったり、信仰であったり、方言であったり、家屋の造りであったりの、文化と呼ばれる「何か」によるわけです。

その地域の人たちの意識が、他の地域に飲み込まれないように、逆に、その地域の人たちが他の地域を取り込んで大きくなっていけるように、文化とよばれるものを維持しようとしているわけですね。

世界史の中では、その競争に敗れ、言語や慣習などの文化を奪われ、消えていった人たちや、逆にユダヤ人やジプシーのように国家や住む土地を奪われた後も、信仰や生活習慣の形で自己と他を区別し続け、未だに存在できている人もいます。

国内に目を向けると、日本も他民族国家でした。これを大和朝廷が各地の民族文化を破壊し、均一な民族の国家に仕上げていったわけですが、その過程で、吉備、出雲、クマソなどの民族は失われ、今はその伝統が一部、細々と引き継がれているという状況になっています。

お隣の中国は面白い国で、殷周の時代から農耕で文明を築いた漢民族は、魏晋南北朝の長い内戦と不作の時期を経ている間にほとんど死に絶え、遺伝子の8割以上が他の民族の物に置き換わっています。が、その後も、言語や文化、官僚などの国家体制は長く「他の地域から移住してきた民族」に引き継がれ、今の中国では、自分たちを「漢族」と呼んでいたりします。

と、以上を前置きにして。
京都の人たちが京都人であるために、金沢の人たちが金沢人であるために、長く不変な何かを求めているというのが、理解の仕方の1つではないでしょうか。
人は自我が無くなったりすり減った時に、自殺したり奴隷になったりします。人の集団でも同じなのではないでしょうか。
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