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私は現在大学4年なのですが、幸運な事に今まで一度も葬式に参加したことがありません。
身内の人たちもまだまだ元気ですし、うれしい限りです。
そこで質問なのですが・・・
身内(できるだけ近い人)が無くなって、初めてお葬式に出席したとき、やはり頭の中がパニックで真っ白になったりしましたか?
怖かったですか?
私はなんとなく、火葬の時(煙突から煙が出ているとき)が一番怖そうで、気絶しちゃいそうに感じます。
また、個人的な考えですが、女の人の方がショックを受けそうな気がしますが、どうですか?

A 回答 (8件)

今年で29歳になる私ですが、今まで4回葬儀に参列し、内2回は喪主を務めたことがあります。



>やはり頭の中がパニックで真っ白になったりしましたか?
15歳の時、女手一つで育ててくれた母が蜘蛛膜下出血で急逝した時は、自分でも驚くほど冷静になり、救急車の手配と親族や知人への連絡を全て私1人で行いました。
一緒に住んでいた母方の祖母が「どうしようどうしよう」とオロオロしていたのが逆に効いたのかも知れませんね。
その後、病院から母の遺体が自宅に運ばれ、祖母や親戚が集まって早すぎる母の死を悼んでいる中でも、私は涙1つ見せずに、冷静に次の段取りを考えていました。
(とは言っても15歳の子供の考えることですから、葬儀屋の手配など細かい段取りを誰に頼むか、母の貯金はいくらあるのか、生命保険証書はどこにあるか、祖母と2人で生活できるのか、高校に通えるのか、通えないとしたらどうやって家計を支えればいいのか程度の漠然とした事ですが)
当時は、「普段のお前では考えられないほど行動力があった」と、口を揃えて言われたものですが、15年の人生の中で最大の緊急事態に遭遇したせいで、頭のスイッチが普段とは違う方向に切り替わったのでしょうかね

>怖かったですか?
凄く怖かったですよ。
これから母の供養をしながら高齢の祖母と2人で生きていけるのか、経済的には大丈夫なのか、公的な援助の制度をよく知らなかった当時の私の恐怖を言葉で言い表すなら「お先真っ暗」の一言に尽きます。

>私はなんとなく、火葬の時(煙突から煙が出ているとき)が一番怖そうで、気絶しちゃいそうに感じます。
私は建前上とは言え、喪主でしたので、暇を見つけては参列した方々が続々と押し寄せて来て、気絶する暇がない程忙しかったです。
前日のお通夜の時はもう猫の手も借りたいほど忙しく(この時に初めて母の人付き合いの多さに驚かされました)、その時の疲労(肉体的にも精神的にも)も残っていたので、丸1日だけでいいから1人にして欲しいと言うのが本音でしたね。(件の祖母がパニックから抜け出せずにほとんど使い物にならなかったせいもあります)

また、怖いというのとはちょっと違いますが、
葬儀が終わり、親戚が自宅に戻った後、遺品整理が終わった母の部屋と、いつもの帰宅時間になっても一向に開かない玄関を見て、何ともいえない喪失感に包まれ、とても悲しくなりました。
葬儀の時は忙しかったので、現実味が沸かなかったせいもあるのでしょう。
葬儀では感じなかった母の死という現実を、ここで思い知らされ、初めて泣いたのを覚えてます。

>また、個人的な考えですが、女の人の方がショックを受けそうな気がしますが、どうですか?
4歳の時に祖母の妹、15歳の時に母(喪主)、26歳の時に祖母(喪主)、28歳の時に親友の葬式に参列しましたが、女性というより、逝去された方の「親御さん」が一番ショックを受けているように思えます。
私は親になった事がないので、お子さんを亡くされた親御さん達の気持ちを理解しているとは言えませんが、「子供より自分の方が先に逝くはずだ」という先入観があるせいではないかと個人的に思っています。
(当時の私の同級生達から「あの時のおばあちゃんは見るに耐えなかった」と口を揃えて言われました)

あくまでも、これは私が経験した一例ですので、ご参考までに留めて置いて下さい。
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大学2年生の時に、祖父を亡くしました。


ずっと家族で看病して、92歳の大往生だったので、ショックというよりも「祖父もわたしたちも頑張ったなぁ」という達成感に近い感情を覚えました。

その半年後に、従弟を亡くしました。
事故でした。あまりにも急で、おっしゃる通り頭の中が真っ白になりました。外傷が少なかったので、何度も今にも生き返るのではないかと思いました。自分の中で現実を受け止めるまで時間がかかりました。

つまりは、ケースバイケースだと思います。
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最愛の祖父が危篤の知らせで、遠方でしたが


飛行機で病院へ。
何とか臨終には間に合いましたが、医師に
「○時○分、ご臨終です。」
といわれた時は、涙も出ませんでした。

最愛の祖父でした。
祖母や、伯父伯母は泣いてましたが・・・。

その場で、泣いていなかったのは、私といとこの
赤ちゃんだけでした。

これを頭が真っ白というのかもしれませんが、
わたしはただ、信じられなかったのです。
生と死の境目って、一瞬なんやぁ・・・・。と。


いまだに祖父の死を、受け入れられません。
もう、14年前のことです。
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母が無くなった時の葬儀でしょうか。


それ以前に親戚の葬儀には何度か出ていたので争議の雰囲気は知っていました。

母が亡くなった時は父が喪主でしたが事務作業一切や葬儀屋さんとの折衝やお坊さんの手配やらなんやらで悲しんでいる暇はありませんでした。
おかげで急性の胃炎でかなり苦しんだ覚えがあります。

あまりに近しい近親者の葬儀は喪主やら事務作業担当が回ってくるのでメチャンコ大変ですよ。
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祖父母は老衰、父は病死 3回葬式に出ました。


父が死んだ時は中学1年で、1年近く入院して日に日に痩せ衰えて
行くのを見ていて心の準備が出来ていたので、
入ったばかりの中学で知らせを受けた時は
「ついに来たか」と思いました。

死ぬ前は母がずっと父について、私は学校、病院に行き
ピアノの稽古、家事をしていて忙しかった。
通夜、葬式で誰かに何か声をかけられましたが
「帰ったら洗濯しないと」「明日体育か だりーな」
などと考えていました。
死後、母は仕事に追われ、私は学校、ピアノ、家事
やっぱり忙しかった。

祖父が死んだ時は小学2年でよく分かっていなくて
祖母が死んだ時は30才、女なもので
通夜、葬式で茶を出したり参列者の世話をあれこれして
やっぱり忙しかった。
身内であればあるほど、残った者は感慨に耽る暇はないと思います。

祖母は94才で往生したので「ばーちゃん やり切ったな」と
思っていました。
インドでは人が「亡くなった」ではなく「フィニッシュした」
と表現するそうです。
火葬場の煙は
このインドの死生観が形で現われているように思います。
死んだ者も生きている者も、さあ次へ行こう と。

怖い?そんなのないどころか、父の死に顔を触って
「死体ってやっぱり冷たいんや」と思ったぐらいです。
生きてても死んでても、家族にかわりないから
頭真っ白?パニック?そうなる暇がありません。
身内が空へ登って行くような煙を見るのは結構好きでした。
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真っ白になることはあります。


身内の場合はとはいっても葬式やらいろいろやらなければいけないことがあるので、その忙しさで気が紛れます。
人がいなくなるとどーっと来ることがあります。
逆に近い人がなくなったときでも自分でも不思議なくらい冷静なときもあります。
特に他の人が取り乱したりすると、そのひとを慰めていると、返って冷静になります。
私だけかもしれませんが、葬式のその場は案外、淡々としていることが多いです。
親戚が帰った後でじわーっと来ます。

復活するのは時間薬です。
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私はよくもらい泣きをしました。


一概にお葬式といっても、自分の家族から近所の知りもしない人の葬式まで色々とあるわけですし、必ずしもショックを受けるというものでもないでしょう。そもそも葬式の前にはお通夜とかもあるので、葬式の時には少し一段落という感じで割と落ち着きを取り戻しているものです。

女性の方が特別辛い、ということは無いでしょう。まー女性の方が涙脆いというのはあると思います。
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怖さは無いんじゃない?


むしろその喪失感の中で自分が上手く保てない。
真っ白になる事は当然あるよね。
ただ、身近な人の喪失感はその時一気に来るというよりも、じわじわと自分に振りかかって来る現実なんだよね。
女性の方が気丈ですよ。受けとめる深さがある。
その代わり悲しみの受け止め方も深いのかもしれませんけどね☆
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