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台風が東海地方にもやってきて、
いろいろとざわついています。

そんな中、木曽川に関してよく耳にする話題は
岐阜、三重側の堤防のほうが決壊しやすいようにできている。
っということです。

徳川時代からの歴史上の背景の話もありますが、
→それすら証拠はありません。
決壊のこの話のもとはなになのでしょうか?
→都市伝説的なものを感じます。

よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

話が長くなりますが、


あなたが昔のお殿様と仮定して、国を治めたとします。その国を7:3に分けるように川が流れています。7割の土地には城も、町も、田畑もあります。3にも田畑もありますが、それほど多くなく、未開の地も多くあります。その川は数年に1度洪水を起こします。もちろん、治水ダムなど作れません。堤防を作りますが、それでも洪水が起きてしまいます。
あなたは堤防の高さを同じにしますか。洪水になったときは、右岸も左岸も被害が出ます。賢くなくても普通の殿様は3側の堤防を3尺ばかり低くして、もはや洪水は防げないとなったときは、3側に水が溢れ出し、7側は被害を免れるようにします。昔はどこでもそういうシステムになっています。やむをえないシステムです。

右岸、左岸が違う藩であれば、堤防の高さを競い合う事態になってかえって弊害が起きます。江戸幕府の出番になり、3側は7側より3尺堤防を低くする、との約束事が出来ます。(おそらく、江戸幕府以前より決められていたと思います。)

尾張藩側の堤防が、反対側の堤防より高いと言うことです。
決壊というより堤防を越えて水がオーバーフローしてくるわけであります。結果的には決壊しますが。
不公平のようですが、昔は当然のことでした。2兎を追うものは1兎も得ず。両岸を洪水から守ろうとしても、両岸とも洪水の被害にあうだけです。

今でもこのシステムが生きている地方、河川があるかも。
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