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これは、満更映画や漫画の世界ではなく、実際でも何故~~か、不思議とそのようになっている感じですよね?

何かに満足すると言う事は、また新たな不満を生み、悪い所を一つ治せば、また新たな欠点が生まれると言う事。

私の友人S氏の場合です。
これから話す内容は、まあ事実ですので聞いて下さいね。
「やっぱり、何かを得たのと引き換えに、何かを失った。」のですよね?


昔のS氏と今のS氏について。

小さい頃のS氏は、

・明るくて元気が良かった。しかしその頃は、勉強も嫌いで本も読まなかった。不真面目で字も下手。
なので、親や先生から「もっと本をしっかり読め。知恵が付かないぞ。」とか「もっと性根に入れて勉強しよう。」
等と、何度も何度も言われて、諭された。

そして。
高校へ入って、S氏はまるで180度変わったかのように、勉強と読書を好きになり、真面目になって字も上手。大学に入って読書家になったのだが、
その分、まるで代金を支払ったかのように、かなりの人見知りになってしまった。
偶に喋るかと思ってもボソボソとしか言わない。
すると今度は「もっと人とのコミュニケーションを大事にしなさい。」とか「もっと喋らないとやって行けないよ。」
なんて言われて諭されている。
しかし傍らではよく「真面目だねえ。」と褒められる事も屡。

そして就職活動の時も困った。でも消去法で介護施設へ入って黙々と頑張っているので、偶に「もうちょっと声出そうよ。その方が良いよ。」と時々言われる事はあるも、「真面目だねえ。」とよく褒められたりもする。
優しい人が多い職場だし、彼は寧ろ慕われてはいるが。そして今は彼は作家志望。元々は内向的な芸術肌。


如何でしょうか?

・明るくて元気が良かった頃は、反面本とかを全く読まなかった。ゲームと漫画しか能が無かった。怠け者でチャランポランだったので、勉強も運動も嫌いだった。

・そして思慮深くなり、勉強と読書を好きになったかと思えば、今度は無口で非社交的に。
でも、オマケに合間で筋トレも頑張るようになった。
勉強が嫌いだった頃は、ダラダラとしていた為筋トレもしなかった。



彼の場合はこれです。


「社交性を犠牲に、向学心(好学心)を手に入れた。」と。


しかも満更"言い訳"ではなく、"正当な理由"に値すると、確信している模様です。


「明るくて元気よくて、且つ勉強や本が好き」なんて人は、いたとしても少ないですよね??

彼の場合は、

「明朗快活で勉強嫌い」か、
「非社交的で勉強家」

のどちらかでないと無理だそうです。

致し方無い事なんでしょうか?如何ですか?


そもそも、親や先生が子供達に言う
「本をしっかり読みましょう。」と
「人とのコミュニケーションを大事にしましょう。」は
本来、この2つは矛盾しますよね。相対していると捉えられがちですね。
ですが、一概には言えず、必ずそうとも限りませんが、人によりけりです。

漫画やドラマの世界ではよく、まあキャラの分担が解り易いようにステレオタイプ化されている場合が多いですよね。
「内気な分、本をよく読んでいる。」
「本は読まない分、明るく活発で話し上手。」

「バランス型はいても、片方を極めたら、もう片方を極める時間は無い!!だから、大読書家と、超話上手の両立は無理。」


ですが、彼の場合は、盥回しの渦だったようです。

A.元気が良かったその頃は本を読まなかった。

B.「本をもっと読もうよ。」と、鬱陶しいぐらいよく言われて諭された。

C.やがて本を読むようになった。(しかし、オマケにしなかった筋トレ、水泳、ジョギングまでつられて頑張るようになった。それまでは運動もてんで駄目だった。根気が付いたからだろうか。)

D.人と話す事を忘れ、知らずのうちに引っ込み思案に。

E.「もっと友達作りなよ。もっと喋ろうよ。本ばかり読んでるでしょ。」と親や先生、周囲の人から言われて諭される。

F.「何て我儘なんだ!身勝手な!あの時、ああ言われたから、ちゃんとやったのに!!」とイライラ病、躁鬱病状態に。

G.現在に至る。
相変わらず、彼の趣味・特技は、文科系の学問(政治、歴史を除く)と読書と、筋トレと水泳。
理系の学問と球技は相変わらず苦手なままだけれど。

文武を頑張った分、社交性が失われた。
こんなもんですかね?
でも基本的な彼の性格は、真面目で几帳面で優しいと、
昔からそのままです。ただ尚且つ頑固、虚勢張りに、神経質~神経過敏になりましたね。

A 回答 (6件)

 今この場所からはなれて、自分から取りにいったら確かにそうなるかも.



 しかし、容器に何かを入れても(得ても)、それは「失った」ことにはなりません.

 結論としては、「何かを得れば何かを失う」と言う人、それに共感、迎合する人は、浅ましい在り方をしていると言えそうです.


>文武を頑張った分、社交性が失われた。

 それは、「頑張った」からでしょう、経験による実感としては、むしろ全体性を回復、もしくは全体性を得ると、社交性も含めて得られるように感じます.ただ、欺瞞と虚飾による社交性は、失うのが当然です、真理を得たが故に欺瞞誤謬を失うのも道理です.
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この回答へのお礼

成程。
では皆様、恩に着ます。

お礼日時:2009/10/18 14:25

私の印象では、この質問は哲学欄ではなく心理学欄に出したら、貴方(あるいはS氏)の役に立つ回答が得られると思います。

心の病に関しては、哲学よりも心理学の方が実務的ですから。

ご参考までに。
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ご友人であられるならば、それでよいのではないだろうか。


ご友人にとっては、彼の性格や、他の何某が変わったのだとしても、彼が元気に笑っていてくれさえすればよいのであって、その意味においては、几帳面さや、優しさ、真面目さといったことさえも、不要であろうと私はおもう。
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 補足



 欲をかいて自分から何かを取りに行き、何かを得れば、その欲によって自らを損なうでしょう.

 いや、むしろ、自分の場所を離れることが、自分を失うということ、つまり取りに行くこと(何かを得ようとすること)が、すなわち同時に失うことでもある.

 ということか... つまり、「得る」という事がすでに...
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>文武を頑張った分、社交性が失われた。


こんなもんですかね?

そういうことですね。
凡人は往々にしてそういうことがありがちです。

リアルに。よくある話です。
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一得一失ということですね。

これは禅の方の言葉ではないかと想像しますが、要するにある価値基準をしっかりと確立するためにはほかの価値基準は放棄せざるを得ないということではないでしょうか。これは複数の価値基準の間の優劣を問題にしているのではないというところが重要だと思います。むしろ普通は「虻蜂取らず」とか「八方美人」とかいう言い方と関係していることだと思います。多くの場合価値基準を固定すると「いいとこどり」ができなくなることを恐れていくつかの価値基準を使い分けようとするのではないでしょうか。「本音と建前」でしょうか。もう一つはその価値基準が自分の中から出てきたものなのか、ほかから強要されて出てきたものなのかも大切な点だろうと思います。
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この回答へのお礼

勉強になります。^^

お礼日時:2009/10/16 04:27

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