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僕はブス専なんです。
でも僕自身は可愛いと思う女の子をブスだとは思いません。
むしろ可愛いと思います。
でも僕が可愛いと思う女の子はブスだって知ってるんです。

どういうことかというと、僕の中に二つの美意識が存在してるんです。
たぶん他の人もそうだと思うのですが、個人的な美意識と一般的な美意識を
持っていると思うんです。
そしてその二つの美意識が必ずしも一致しない。
だから一般的な美意識ではブスだと判断できる女の子でも
個人的な美意識では可愛いと思えるし、
一般的な美意識が僕の中にあるからブスだと知ることができる。

そこで質問なのですが
この一般的な美意識は一体どういうふうに植えつけられたのでしょうか?
意見お待ちしています。

A 回答 (7件)

世界各国で美人顔の好みが別れますが、共通しているのは、バランスが左右対称であることなのだとか(ちなみに、オードリー・ヘプバーンと、トム・クルーズの顔は左右対称なのだそうです)。


歯の矯正をする人も多いけれど、噛みにくいだけではなくて、歯並びも左右対称の方が、見た目も良くなるというのも、多くの人が共通に持つ美意識だと思います。

tttyyyuioさんとは逆に、私は先天的な美意識は、誰でも持っているのではないかと推測しています。
そして、美意識と嗜好は関わりが深いのではないかとも思っています。
自分にとって魅力あるもの、惹きつけられるもの、ワクワクしたり、ドキドキしたり、それとは逆に、心を落ち着かせ安らぎを感じさせるものなど、その時々の自分にとって望ましい方向に働きかける力を秘めたものに、人は美を感じるのだと思います。
また、私が美意識は先天的に、その人その人が持っているものなのではないかと思うのには、生まれ持った気質(心理学で、個人の性格の基礎にある、遺伝的、体質的に規定されたものと考えられている感情的傾向)の中に、嗜好としてかなりの度合いで刷り込まれているのではないかと推測するからです。


先天的な嗜好や気質に関わる話として、以前、アンビリーバボーだったか、テレビで見た実話ですが、結婚を望んでいなかった とある国(アメリカだったと思います)の女性が、子供が欲しかったので、精子バンクを利用して子供をもうけたのですが、その子が少年になってから、女性と交際することになった男性は、出会いの最初から少年と良く気が合い、嗜好も癖も二人は驚くほど良く似ていたそうです。

親子共々、交際が順調に進んでいたある日、その少年が病気だったか怪我だったか、大量に輸血する必要に迫られたときに、非常に珍しい血液型であったので、治療が困難であることを母親は知り、愕然とします。
そんな中、少年を心配して病院に駆け付けてきてくれた、交際相手の男性の血液型が少年と同じ型であることが分かり、男性も積極的に輸血の協力を申し出てくれたのですが、これをきっかけに女性は、
「男性と少年は本当の親子なのでは?」と期待を抱くようになり、男性にその思いを打ち明けます。
男性自身も過去に精子バンクに登録していたので、
「もしや…」と期待を膨らませて、DNA鑑定を受けることにしました。
その結果、男性は少年の実父であることが証明され、兼ねてから交際中であった二人は、驚嘆するやら喜ぶやらで、迷わず結婚して、本当の父子は一緒に家族として暮らすことになったのでした。

また、生き別れになった一卵性の双子が、同時期に同じバイトをして、同じ職種で就職して、結婚のタイミングも、趣味も癖もそっくりだったという実話もありました。
そこまで似ているのは極端な例で、どちらの場合も、おそらく、わりと幸せな家庭で育ち、環境が及ぼす影響が少なかった(本来の気質に悪影響を及ぼす要因が少なかった)所為もあるのでしょうが、DNAに組み込まれている気質や嗜好のなせる技ではないかと思います。
先ほどの少年の例では、母親は息子と男性が一緒にいると、嗜好や癖が良く似ているので、
「他人なのに、本当の親子のようだ」と不思議に思っていたそうです。


嗅覚について触れている方がいらっしゃいますが、私も美意識は五感から切り離せないように思えます。
味覚に関してでは、乳児など幼い子が甘い物を美味しいと感じ、苦い物や酸っぱい物を嫌うのは、先天的に甘い物は熟したもの、苦い物は毒、酸っぱい物は腐った物だと認識しているのだという説があります。
人は成長するにつれ、苦いものや酸っぱい物を食べる体験を繰り返すうちに、紫蘇、お茶、ピーマンといった苦い物や、梅干しやピクルスなど酸っぱい物を食べても安全だと認識するようになり、「美味しい」と感じるように嗜好が変わっていくのだと考えられているのだそうです。

また、視覚の中でも、色は美意識に関わる重要な要素であると思います。
小学校の行事などで児童に折り紙の指導をしたことや、自分が子供だった頃の経験から感じたことですが、男の子は金や銀といったメタリックカラーや、赤や青、緑といった原色系のものなど はっきりした色を好み、女の子は暖色系やパステルカラーを好む傾向があると思います。
男女ともに幼いうちは、綺麗な色、はっきりした色を好むものの、年齢が長じてくると、セピアカラーやアッシュカラー、スモーキーカラーなど、渋い色合いを好む様になる人も多いように思います。

私は、幼い子供が甘い食べ物が好きであったり、はっきりした色が好きであったりするのは先天的なもので、美意識にも先天的なものがあるのではないかと思っています。
そして、苦い食べ物、酸っぱい食べ物を好むようになったり、渋い色合いを好むようになるのは、経験を積むことによって、後天的に嗜好の守備範囲が広がった結果だと思います。
年齢が長じると、わびさびに通じる良さが分かってくるのと同じように、個人的な嗜好も変化し、美意識もまた、変わっていく面があると思います。


時代の流れ的な美意識は確実に存在すると思いますが、普遍的な美意識もまた、変わらずにあるのだと私は思います。
“一般的な美意識とは、普遍的な人類共通の美意識の上にそのときの時代の流れ(=流行)が乗っかっていて、兼ね合いのバランスのとれたところにある”のだと思います。
美意識の方向性は、急に大きく変わるものではないとも考えています。
その人その人の本能や、生活にも大きく関わると思うので、根底にある感覚は容易には変わらないのではないかと。

日本の歴史を語るとき、時代が縄文、弥生と変わるうちに、美形とは支配者層の顔、つまり、大陸や半島系の弥生系の人達の顔立ちに変わって行ったともいわれ、切れ長の目と すっとした瓜実顔が長らく美人の代名詞であったけれど、日本は第二次世界大戦で敗戦国となってからは、美人の基準が変わって、西洋系にも通じる縄文系(常盤貴子さん)の二重まぶたや、眉もはっきりした彫りの深い顔立ちが見直されるようになったとも言われていますが、依然として、弥生系(松嶋菜々子さん)の美人も頑張っています。
常盤貴子さんも松嶋奈々子さんも、美人の代名詞ですが、顔の系統はあまり似ていません。お二人は、時代の流れ的な美意識よりも、日本人の普遍的な美意識に歓迎されている顔立ちなのではないかと思います。それが、お二人が多くの人達から美人と呼ばれる所以だと思います。


結論として、私個人としては、一般的な美意識とは、「DNAに刻まれた、普遍的な人類共通の美意識の上に、そのときどきの時代の流れが乗っかっているもの」だと思います。
自分の好みとは また別に、ここからはみ出ると美人とは言えないという感覚も、生まれつき備わっているのだと思います。

tttyyyuioさんは御自分をブス専だと仰っていますが、それは、多くの人が、苦い食べ物や酸っぱい食べ物、渋い色合いの良さを年齢を重ねていくうちに分かるのと同じように、もともと持っている人類共通の美意識の上に、後天的に嗜好の守備範囲が広がった結果なのではないかと思います。
他に可能性として思うのは、初めて内面を好きになった人の面影に似ている人を、
「かわいい」と思うのではないかと。

また、可愛いと綺麗(美)は厳密には、違いますよね。
可愛いというのは、どちらかというと、「好ましい」とか「微笑ましい」とか、「ぽっと暖かい感じ」で「身近な感じ」、「手が届きそう」な感じじゃないですか。
そして、綺麗(美)となると、「近寄りがたい」ような、「憧れ」のような感じじゃないでしょうか。
近寄るには、背伸びしなきゃ行けないような感情を伴うもののように思えます。
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マスメディア全盛の時代とインターアクティブな今とでは、若干ねじれが生じるかもしれません。



唯物的に、身の回りの関係性を観察してみると、

「臭くていい顔」の人をとるか、「いい匂いがしていい顔ではない人」をとるかという選択に迫られた方の場合、多くの方は、「いい匂い」をとるようです。いい匂いのほうが実在性がありますから。
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NO.1 です。


補足依頼ではなくお礼だったのですが、また来ました。お呼び出なければ失礼します。スルーしてください。
>僕はそんなオピニオンリーダーを知らないです・・

政治なんかのように「わしがリーダーだ」としゃシャリ出て来るわけではありません。戦前だったら日本画家の美人画を書くひちたちとか、竹久夢二とか、映画監督(主役に配する女優の好みで田中絹代とか---)がもてはやす女優の顔とかが当時の美女を規定していたのでしょう。戦後も画家だったら中原淳一とか映画(黒澤監督が抜擢した淡路恵子とか新鮮でしたねー)や宝塚女優とか、婦人科のカメラマン、そしてハリウッドの米映画などもきっと影響していると思いますよ。私の母などはMM(マリリンモンロー)を、あの醜女とかこきおろしhていましたが、戦前の美意識が影響していたのでしょう。
現在はやっぱりTVでしょうか。それにファッションモデル、あんあんなど、それらの背後にはやっぱり時代の先端をゆくプロぢゅーさーや美術評論家、デザイナーなどの選択眼が光っているはずです。

ご参考まで。
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前にテレビで赤ん坊の顔に似ている人が美形とか言っていた事がありましたね。


また違うテレビ番組では犯罪者の平均顔はどいう顔をしているんだと掛け合わしたら何と美形になったそうです、つまり色々な人の掛け合わせた平均顔は美形に成るそうです。確かに美形でしたね。

結論ですが安心する、ほっとする顔が美形みたいに感じました、安心を求めるのは人間の本能なのかも判りませんね。。一般的な美意識。


個人の好みの場合、安心を重視+他の要素との兼ね合いかもしれません(比重)、例えば、本能的に子孫を残す本能が高い人であれば、安心顔より沢山、子供を生みそうな(直妊娠しそうな)に比重が行くのかも知れませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
すいません、何の話をしているのかよくわかりませんでした。

お礼日時:2009/10/20 15:53

この一般的な美意識は一体どういうふうに植えつけられたのでしょうか?



先天的美意識と後天的美意識がありますね。先天的美意識は誰に教わったわけではないのですが個人個人が持っている美に対する感覚ですね。
後天的美意識というのは成長過程で外界から受けた影響による相対的な美に対する感覚ですね。
棟方志功さんの版画はどれもふくよかな菩薩になってますね。これなどは先天的美意識でしょうね。どうみても一般的評価の美人画じゃないですね。ピカソに至ってはなんだかわかりませんね。
ダビンチならわかるというのが後天的美意識でしょう。
それほどの差異がないにしても美意識は個々に違うものですね。
学校で教えている美意識はある意味相対的な流行ですから、とらわれると迷いますね。美意識を低学年で教えること自体が良くないのかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
先天的美意識なんて存在しないと思います。
美意識は後天的なものだと思うんです。
僕が言っているのは美意識における
本音と建前のことなんです。

お礼日時:2009/10/20 15:51

女性って外見の話だけすれば全員美人じゃないですか?

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
僕はそう思いません。
気の毒になるくらいブサイクな人もいます。

お礼日時:2009/10/20 15:40

>一般的な美意識


これはその時の社会の多数決で決まるのだと思います。
その多数決はどうして決まるのかといえば、今の民主主義的な政治と同じようなものだと思います。ある有力なおぴにょンリーダーが「これが美人だ!」というので、他の多くの人がそれに賛同するというあれです。
リーダーは沢山いますし、世につれて変ってもきます。それで、美人の基準も変ってきたし、かなりおおざっぱで、リーダーの数だけいろんな美人が存在します。これからも変っていくだろうと思います。

ご参考まで。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
しかし僕はそんなオピニオンリーダーを知らないです・・

お礼日時:2009/10/20 15:39

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