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小学校の通知表で愛国心を評価する項目があると言う新聞記事を見てびっくりしました。思わずいったい今は何時の時代なのだろう?ここはもしかして今話題の北の国?私は夢を見ているの?と本気で思ってしまいました。

愛国心っていったい何なのでしょう?口で言ったり、文章にしたりするものなのでしょうか?一人一人の心の中にあるものではないでしょうか?私は少なくとも誰か他人に評価されるべきものではないと思います。いったいどういう基準で君は愛国心がある、君はまだまだ愛国心が足らないようだとか決めるのでしょうか?日の丸を手に天皇陛下万歳と唱えればいいのでしょうか?オリンピックやサッカーのワールドカップで日本を応援すればいいのでしょうか?
作文で外国が攻めてきたら命を犠牲にしても国土を守ると書けば良い点をもらえるのでしょうか?

もし子供が「先生、国って何?国を愛するってどういうこと?」と聞かれてまともに答えられる教師がいるのでしょうか?またそんなものが小学生に理解できるのでしょうか?皆さん愛国心って何だと思われますか?

きっとこんな質問をしている私は愛国心が足らないんでしょうね?

A 回答 (20件中1~10件)

うーん。

愛国心を評価ですか。国を愛するこころも、様々な思いがあるでしょうし、それを成績という形で評価するのはなんか変だなあと思います。
愛国心を教えたり、評価するより先に、身近な家族や友人を大切にすることや、自分の住む地域への関心などを養うことの方が、必要なんじゃないでしょうか。
身近な人や住んでる地元への愛着や関心が育ってなければ、上から愛国心を教えても、価値観の枠に押し込めるだけになりそうでちょっと抵抗がありますね。
選挙とかに行かないのも、やっぱり自分の住むところへの関心のなさが背景にあるように思います。
それにしても、どんな中身の愛国心を教えようとしてるんでしょう?
調べてみてもいまいちはっきりしませんねー。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。価値観の押し付けはその通りだと思います。

お礼日時:2003/05/05 19:30

>確かに衣食住は足りてますが30年後の日本には住みたくありませんね 



日本ではなくて、どこか他に住みたい国あるんですか?
あれば、具体的に教えてください。

決して「日本人は皆、日本を愛すべきだ」といいたいわけではありません。論争するつもりもありません。ご質問の背景として伺いたいだけです。

ちなみに、私は、日本も好きですが、他に住むとしたら、ニュージーランドあたりが住みやすいんじゃないかなあーと感じています。治安もよさそうだし、非白人への差別も少なそうだし、環境もよさそうだし、生活費も安そうだし。
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心の内にあるものですから、強制したり、評価したりするものではないですね。



「どんな国でも、その国に生まれた国民は愛国心を持つべきだ」とも思いません。

でもね、日本は愛するに足る国だと思いますよ。

質問者の方が「愛国心を評価するというのは変だ」とおっしゃるなら賛成です。「日本は愛するに値しない国だ」とおっしゃるなら賛同は出来ません。もちろん価値観は多様ですから文句もいいませんが。

日本に生まれれば日本人としての権利は享受(義務と抱き合わせですが)出来ます。それが気に食わなければ他国に帰化することも禁じられていません(相手国が受け入れてくれればの話ですが)

よど号乗っ取り犯のように犯罪を犯さなくても、北朝鮮にだって(相手が受け入れてくれれば)いけますよね。
中国に観光旅行してそのまま北朝鮮の駐中国大使館に駆け込めばいいんだから。引き止める気はしないので、どうぞご自由にですね。

そんな自由があることも、日本の良い点の一つです。他にも良い点はたくさんあります(他の回答者にお任せします)
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この回答へのお礼

確かに衣食住は足りてますが30年後の日本には住みたくありませんね ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/23 01:16

こんにちは。

maruru01です。

愛国心とは、読んで字のごとく、「国を愛する心」です。
では「国」とは何かと言えば、最も大きな行政区分です。(まあ、EUとか国連とかもありますが。)
ある区分(団体・組織)に属する人が、その区分(団体・組織)とその構成員を愛したり、忠誠心を持ったりするのはよくあるし、それは個々の自由です。
問題なのは、同じ考えを持つ人が集団となって、違う考えを持つ人に対して、自分たちの考えを強制することです。
つまり、権力や暴力で考え・思想などを強要することです。
質問の件は、愛国心自体が問題なのではなく、それを国が強制することが問題なのです。

個々の人々がそれぞれに愛国心を持つことは構いません。
昨年のサッカーワールドカップで、「がんばれ日本」と叫んでいたのも、愛国心の表れと言えるでしょう。
しかし、国家権力を持つ者が愛国心を唱えるとき、それは
「国を愛せよ」
という意味ではなく、
「(自分たちの)権力を愛せよ」
「(自分たちの)権力のために奉仕せよ」
という意味になります。
基本的にはオウムのようなカルト宗教と同じです。
とりあえず、国家権力者が愛国心を唱えととして、それを信じるのは愚かな事だと思います。
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この回答へのお礼

入学式での君が代斉唱で起立している人間を学校が数えている時代ですからこの傾向は止まらないかもしれませんね。ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/23 01:13

No.16の方の回答を読んで確信できたのですが


やはり愛国心の延長には戦争がありますね。

愛国心とは国を愛して守ることで、
国って何?て言えば
領土、人民、政治ですから、領土、政治を
守るあため、人民のある程度の犠牲は容認される。
歴史的に見てもそれで間違いないと思います。

でも家族が守られ残っても、愛する父親なき
家族にいったいどうゆう幸せがあるというのでしょうか?

>思わずいったい今は何時の時代なのだろう?ここはもしかして今話題の北の国?私は夢を見ているの?と本気で思ってしまいました。

 僕も同感です。
No.15、16の方の回答で、憲法の話が
出てるんで、その流れで書かせてもらうと、
憲法に関して、日本は敗戦国でありながら、
自論をとうそうとしましたが、全て却下され
ました。日本国憲法の原案から最終案まで
全てGHQ側の作成した英文で、最終案が
日本語訳されたものが今の日本国憲法です。

本当は日本人の意見など聞かずに作ったのに、
「我々人民は~」ですから・・・
そのあたりが9条改正を目論む人たちの
攻撃のまとになっています。つまり今の
憲法はアメリカから押し付けられたもので、
日本人の意思など反映していないというんです。

ところがこれ、9条以外は必ずしもアメリカ
の日本占領目的と合わないんです。しかも
9条についてもアメリカ本国の命令(日本の
再軍備化を不可能にしろ)とは別の意味で
盛り込まれたんです。途中でソビエトのこと
があったんで、「国際紛争を解決する手段と
しては~」になっちゃいましたけど。

憲法前文とあわせて読むと分かると思うのですが、
「恒久平和とか、名誉ある地位をとか、」
つまり軍隊を使わす、戦わず、戦争の無い平和な
世界を実現し、皆に尊敬されたいと言ってるわけ
でして、これ最近だと坂本龍一さんなんかが言っている
非戦・共栄なんですね。
当時アメリカだと物理学者のアインシュタインが
「みんなで徴兵を拒否すれば、戦争はなくなる」
とか言った形で非戦を唱えていましたが、実現
されず。ところがこの非戦思想以外にもこの日本
国憲法のおかげで、日本人は徴兵以外にも世界の
どの国も実現していないことを全て実現して
しまった。

20世紀の理想論が盛り込まれたこの日本国憲法。
「理想論は理想論、現実は国を守るため武器を
持って立ち上がるしかないだろー、国を守る
ために戦わない? おまえには愛国心があるのか!」
と言ってしまうかどうかの瀬戸際にあると思います。

21世紀の教育に愛国心? 

愛国心ある者は
敵が攻撃してきたときどうするか?
この答えは「反撃」しかない。
もちろん21世紀の愛国者は逃げるのも有り!
が常識なら、僕も考え直したいところですが。

理想を理想と笑って、やり返すなんて
誰でも思いつくこと。でもそれでは歴史は
繰りかえされるばかりです。
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この回答へのお礼

形骸化した憲法9条はもはや理想ですらありませんね。ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/23 01:10

>でも家族愛を優先するなら、亡命も1つの手です。


>家族愛の延長に愛国心が存在するわけではないいい例かと
>思います。

では逆の例を提示しましょうか。
アフガニスタンでは、旧ソ連が侵攻してきた時、ムジャヒディン
たちは家族の命を守るため、隣国へと避難させました。

しかしその後、国土を外敵から守るために銃をとってソ連軍
と戦いました。
アフガン人全員がそうしたわけではないのですが、銃をとって
祖国を守る者は決して少なくなかったのです。

ソ連軍が撤退した後も内戦が続き、タリバンのあと最終的
にアメリカが介入して現在へと至りますが、アフガン人たち
が国を愛する心をもってソ連軍と戦わなかったならば、今の
アフガニスタンという国はまったく別の形になっていたこと
でしょう。


>愛国心を捨て、国民の命を優先した。
>これがポツダム宣言受諾です。

これは極端な見解です。
日本国を最終的な滅亡から救うために、鈴木内閣と昭和天皇
が決断したのです。
国民の命を優先しましたが、国の未来を心配しての行為だった
のではないでしょうか。


>あまり自覚はないかもせんが、戦前の日本という国は
>滅ぼされたんですよ。

いえ滅んでいません。
戦前と戦後で政治体制は大きく変わっていますが、日本国
自体は存続しました。
昭和天皇も退位しませんでしたし、政府機構も存続しています。
憲法は大日本帝国憲法から日本国憲法へと変わりましたが、
これもきちんと国会の議決を通過しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/23 01:07

 そろそろ質問者の方のご感想もそろそろ伺いところですが・・・



 愛国心は家族愛の延長というご意見がちらほら
ありますが、いま日本が侵略されたとして、
愛国心を突き通すなら、本土決戦ですね。

 憲法論でいけば、国とは領地と国民と政治体制
ですから、愛国心があるならこれらを守らなければ
なりません。

 でも家族愛を優先するなら、亡命も1つの
手です。家族愛の延長に愛国心が存在する
わけではないいい例かと思います。

 愛国心を捨て、国民の命を優先した。
これがポツダム宣言受諾です。

 あまり自覚はないかもせんが、
戦前の日本という国は滅ぼされたんですよ。

 今国民の生活が安定しているというのは
単なる結果論です。
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この回答へのお礼

まあ1億3千万人全員が逃げるわけには行きませんから結局は戦わなければならいと思います。でもそれは国と言う漠然としたものの為なんかでは決してないと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/09 00:30

愛国心という言葉は第二次世界大戦の頃に使われ方を間違ってしまったせいで、どうもきなくさい、不当なイメージがつきまとう言葉になってしまったようです。

かくいうわたしもきなくさいと感じる一人です。実際変に使われやすい可能性を持つ言葉だと思います。

今まで意見を述べられた方がおっしゃるように、家族愛、郷土愛の範囲を広げたものということで良いと思うのですが、問題は「それが小学校で評価する対象にいれるべきか否か」だと思うのです。
質問者さまのそもそもの疑問はここですね。

「家族を愛する心、郷土を愛する心、国を愛する心を持つのは当然だ、だから評価する対象に入れるべきだ」と短絡的にいえるものでしょうか?

数値化できない生活態度を評価するというのは難しいものです。しかしこれは「マナーを教える」ということですから、指針としては必要かもしれない。勤勉さ、責任感、他人との距離のとり方。生活態度を評価する項目の裏にはこういうものを「マナーとして」身につけさせようというねらいがあるのでしょうからね。
しかし「愛」などという必ずしも行動に現れないかもしれないものを評価する。これは可笑しいと思います。生活態度は行動を評価するものでしょう?
最近の小学校の通知表にどういう項目があるのか、どういう方法で評価をしているかわかりませんが、わたしの頃のように「たいへんよい」から「がんばりましょう」であるなら、愛に点数をつける?ほほー、どうやって?
愛国心はマナーではありません(←ここが意見の分かれるところかと思います)。努力して身につけるものではないのです。本来は人間に自然にあるもの。家族愛を学校で評価する?ふるさとを小学校での成績が悪いと困るから、好きになるように努力する?
それはおかしいと思いませんか?

もちろん家族が嫌いな人もいます。しかし理由があって家族が嫌いな人もふるさとが嫌いな人もいるでしょう。
本人に原因があるのか、家族に問題があるのか、ふるさとに魅力がないのか、理由は千差万別のはずです。それを無視するわけにはいかない。だって「愛」なんてそもそも千差万別なものなのですから。
それを小学校の評価に取り入れるというのは考え方が間違っていると思います。
それよりも「愛さずにはいられない日本」を作る方が先、というより当然のことだと思いますが。教育によって愛国心を教え込まなければ日本が好きになれないほど、日本がどうしようもない国になってしまったということでしょうか?

また愛国心とペアになってあげられている「外国の文化・伝統に興味を持ち、敬意を払う」これは「マナーとして」必要だと思いますのでいいと思います。人間、お友達は好きだけれども、共通点が見つからない他人には敵意を抱きやすいものですからね。それも言い方は「外国の文化を尊重しているか」という心の部分ではなく、「どのくらい他の文化を知るために何を行ったか」ということが適当だと思いますけどね。当然日本のことを知ることも重要です。しかし評価されるべきはその「知るためにどのくらい行動をしたか」であって、それ以上になるとねえ。それはプライベートな心のことで、お役所が関わってくることじゃないでしょう。

以上です(^.^)/~~~。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。やっぱり評価するなんてナンセンスですよね?それに愛国的行動に関して具体的な回答が見受けられないのはやはり・・。

お礼日時:2003/05/09 00:25

鈴木大拙の西田幾多郎への追悼文に次のような一節があるそうです:



東洋的教養では意力に偏して、知力を軽視する傾きがある。それでやたらに道徳的綱目を並べて、これを記憶し、またこれを履修する方面に教育の力点をおいて居る。
(中略)
物事に対しても主観的見方が重んじられて、客観的に事実を直視し、その真相を看破しようとする努力が弛んでくる。今度の敗戦の如きも、その根本原因は日本人の理知性の欠けたところに存するのである。

dekirukasira様の指摘はまさにこの鈴木大拙の言葉に重なるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。日本人は情緒的過ぎるのかもしれませんね

お礼日時:2003/05/09 00:20

>国を愛する心もつと言うのは具体的にはどういうことだと


>思われますか?ごく当たり前の質問ですいません

No.8で述べているように、家庭や郷里、住んでいる地域を
愛する心の発展形だと私は考えています。

たいていの人は、自分の親や兄弟、あるいは配偶者(夫・妻)
や子供を大事に思うでしょう。これが家庭を愛する心です。

それから故郷に愛着のない人は少ないかと思います。
田舎に実家がある人は年に何回かは帰省するでしょうし、
田舎で昔の知人・友人と会えると嬉しいではないですか。
同様に、田舎でよい話題などがニュースになれば心のどこか
で嬉しく思う気持ちもあるかと思います。

このような心の発展形で、国を愛する心が育つと思うのです。
わかりやすいのは、オリンピックやワールドカップですね。
日頃はサッカーファンでない人でも、ワールドカップで予選
リーグを突破した時はみんな喜んだじゃないですか。
あの時に日の丸を振ってはしゃぐ人も大勢いましたが、
別に国旗を振ることを強制されたわけではなくて、自分から
進んでそうしていたんだと思いますよ。

なぜ国を愛する心が必要かということも少し触れますが、
やはり国を愛する心がなければ、自分の国をより良くして
いこうという気持ちを持ちにくいからではないかと考えて
います。
海外に移住しない限り、いやでも私たちは日本という国で
生活せざるを得ません。
そしてこの国を良くするのも悪くするのも、そこにすむ私たち
一人一人がどう行動するかにあるかと思います。

政治家だけが国を動かしているんじゃないんです。政治で
できなくても、民間の活力でやれることはいっぱいあります。
日々自分と自分の家族を養う経済活動もそうでしょうし、
NGO活動などもあるでしょう。
勤め人のままで会社に振り回される人生がイヤならば、自分で
起業してもいいんです。とりあえず私たちには自由がある
のですから。

現在、現役で社会人である私たちも、いずれは年をとって
リタイヤします。
老後の生活を保障してもらうためにも(ちょいとジコチュウな考えかな)
また未来の日本の社会を支えるより良い人材を育成するため
にも、家族を愛し、郷里や地域を愛し、国を愛する日本人
が多くなることが望ましいです。

また真の意味で日本を愛する人が増えれば、自然と世界平和
にも関心を持たざるをえないでしょう。
貿易立国である日本の繁栄は、自由貿易と国際情勢の安定
の上でしか成り立たないのですから、真に日本を愛する人
は東アジア地域の安定を重視せざるをえません。
これが地政学上の観点からみた日本の宿命であると私は考えて
います。

似非愛国者を排除するためにも、真の愛国者を育てる教育
が必要なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

何だが義務みないた感じがします。今までの皆さんの回答を読ませていて思うのですが、「国を愛する」って部分が無くても良い箇所がたくさんありますよね?ありがとうございました。

お礼日時:2003/05/09 00:17

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