プロが教えるわが家の防犯対策術!

曲を作る方に聞きたいのですが、作曲をしたく、ある程度音楽理論を勉強したのですが、曲を作るとき、特にクラシックの理論などを気にされてますか?禁則や限定進行などです。
ジャズの理論などもそうですが、学べば学ぶほど、どうでもよくないか?とおもってしまうのですが。というか理屈で考えだすと止まらなくなってしまい(解釈もいろいろだし)嫌になります。
プロの作曲家たちは、他人のもそうですが、自分の作った曲を完璧にアナライズできるんでしょうか?ロックギタリストたちは曲を書くときいちいち細かく考えているんでしょうか?結局理論は人それぞれでどこまでなにを勉強するかも自由ですか?また、作曲する人間で、理論をしらない或いはまったく無視する感覚オンリーのプロはいますか?

交響曲を書くとか、ジャズでアドリブとるとかは別としてです。

A 回答 (6件)

自分はかなり調性が曖昧な曲を書くんですが、


自分で書いた曲が何調なのか分からないですよ。

私の作曲の師匠が言っております。
「和声なんてこだわってたら作曲なんてできません。それなのに音楽教育の場では和声を崇高なものとして有難がる。それではいい曲なんてできません」と。


自分でもアナリーゼできないのに、他人が出来るとは思えないので、結局自分の曲は調性不明です!かといって無調でもなく、ちゃんと調性はあるのです。けど、それが何調であるかわからないのです。けれども、その音は自分の内側から出てきたものなので、その音しかあり得ません。

あなたは日本語を喋るときに、いちいち文法を考えて喋りますか?
杓子定規に辞書を引っ張り出して、言葉の意味をアナリーゼしながら喋りますか?しないでしょう?
作曲はそれと同じです。日本語を喋るように自然に音をつむいでゆくだけです。
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この回答へのお礼

そうなんです、その感覚を大切にしたいのです、というかそれが全てでは?となるのです。いい曲を産みたいのであって、形を表現したいわけじゃない。となるんですよね、理論って。。。でも隅から隅まで理屈で考えられなきゃプロにはなれないのかなーと、考えこんでしまいまして。もちろんそれは素晴らしいことだとおもうのですが。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/10/25 02:52

ここまでのやり取りを大体見ているとやはり理論の鎖にとらわれているみたいですね。

あなたがなんとなく感じている理論の終着、「何でもあり」というのも覚えて間もないと難しい世界ですが、用はかっこよければ良いんです。
なので15654325の曲を10曲作ったから次も同じ進行で作ったらつまらないと言うのは思い過ごしで、むしろ得意技として今度は複線をつけてやって見ようなどの磨き方もあります。

私自身は一応、ミミコピ、アナライズはしますし、理論的に物語性を説明することもできます。
が、スリーコードばっかりやっています。最近は4,5、3m6mなんていう進行もやってますね。
どんなメロディーが鳴るか?どんなタイミングで出てくるかによって意味が違ってくる面白い進行パターンです。

この前、知り合いに頼まれて初音ミクの「メルト」という曲をリメイクしたのですが・・・この曲ってばなかなか解決してくれなくて・・・。トニックがほとんど出てこないのにトナーリティーがちゃんとしているし、後腐れなく終わっているし・・・。
いやぁ奥が深いものです。
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禁則は、目立つときは目立ちますよ。

アンサンブルが塊のように動く感じ(ユニゾンではないのにユニゾンっぽく聞こえる)、いかにもシロウトが作ったという感じになります。なので、プロっぽい響きにしたければ完全無視はできないんじゃないでしょうか。目くじら立てることではないでしょうけど。

アドリブのソロを作る時なんかでも、禁則は無意識に回避していると思いますよ(「禁則」という意識というより感覚的に)。たとえばベースとソロが同じような動きをしたらシロウトっぽく聞こえますよね。
かっこいいアレンジ=反行=禁則回避
ということではないでしょうか。
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「理論」という名の呪縛に囚われてしまっているようですね。



まぁ、私もそういう時期がありましたので、笑えませんが。。。^^
では、こう考えてみましょう。

「理論書」は、どこかに、先にあったわけではありませんよね。
「理論書(楽典・和声学・楽式論・対位法。。。)」は、
実際の楽曲を、「分析」したものです。

なので、「統計学」のようなものです。
いわば、「多数決」のようなものです。

ですから、それから、はずれた、「少数意見」もあるわけですが、
それも、「解」なのです。

音楽は、「数学」ではないので、「複数の解」が存在します。
そのどれを選択するかは、「本人の好み」であり「耳(音感)です」。

たとえば、「クラシック理論」と「JAZZ理論」を比べても、
「代理和音」を考えても、違います。

この違いは、「正・誤」ではなく、「好み」です。
また、よくある「II-V-I」も、
高度に理論的に「展開」することが実は可能であり、
そうすると、「無限?」に展開できるのです。(ただし、長くなるが)

ですので、なぜ、そうできるのが?というと、
結局は、「好み(感覚)」の違い。「解釈・視点」の変化によるのです。

ということで、「理論書」にも、いろいろありますので、
専門店などで、また、複数、購入してみましょう。^^

いろいろな解釈・説明を読むことも、大切ですので。。。

でわ。^^
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この回答へのお礼

毎回丁寧にありがとうござます。おそらく自分より数段上の次元にいる方だと思うので、自分もたどり着けるよう、頑張ります!

お礼日時:2009/10/25 02:32

追伸。

。。

「理論書」と「実際の曲」のギャップにお悩みのようですので、一言アドバイスです。。。^^

・「理論(書)」が、「先(上位)」ではなく、
・「実際の曲」が、「先(上位)」ですよ。^^

たぶん、貴方は、その逆と考えておられていると思われますが
「アナリーゼ」と「★自分の耳(音感)」を信じて、確認してみましょう。

特に、「★自分の耳(音感)」を信じて。。。がポイントです。
結局、音楽を判断する場合、どうのこうのいっても、
「自分の耳」で、判断・解決するしかないんです。^^

でわ、がんばってね。(^^)/
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この回答へのお礼

いや、そこは逆なんです。なにぶん専門的に教育されていないので、理論というものをちゃんと勉強してみようと思い、ある程度ですがやった結果、自分がいいと思うものを自由に表現したいという気持ちがでかくなるばかりで、たぶん言われる通り、曲のアナライズが足らないと思うんですが、ずーっとで自由にやってたぶん、ある種理論(特にクラシックの)に囚われている状態です。そしてあまり意味を感じません。単に勉強不足なだけだと思うのもありますが、あまり縛らないでくれ~と思ってしまうのです。 実際の曲は縛られてないじゃないですか。そこにパニックになります。頼むから楽典の最後に、結局自由である!と書いて欲しいのです笑

お礼日時:2009/10/25 01:23

こんばんわぁ♪  =*^-^*= 



曲を作るとき、特にクラシックの理論などを気にされてますか?禁則や限定進行などです。
■私も、「理論」に固着するタイプなので、いろいろな文献・理論書など、50冊ほど抱えています。^^
しかし、「実際」の楽曲をアナリーゼしてみると、進行や禁則などは、無視されたり、破られたりしていることはよくあります。

というより、
・ミクロ解釈。マクロ解釈。省略等。
進行の「変化」と解釈可能な場合が多いですし、また、
・禁則は、「好み」の違い・程度。。。と考えられます。

★ですので、単に「理論書」を学ぶのではなく、
実際の「楽曲」の「アナリーゼ」をもっと多くやってみましょう。^^

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学べば学ぶほど、どうでもよくないか?とおもってしまうのですが。というか理屈で考えだすと止まらなくなってしまい(解釈もいろいろだし)嫌になります。
■私も、そういう時期がありましたし、散々、悩みました。^^
しかし、★の先にもカキコしましたように、
実際の「楽曲」の「アナリーゼ」が不十分だと思われますので、
・「理論」では、こうだけれど、
・「現実」の楽曲を、大変な作業ですが、より多く、分析することをおすすめいたします。

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結局理論は人それぞれでどこまでなにを勉強するかも自由ですか?
■上記の努力の末、
そのことも、悟れるようになります。

文面からしまして、まだまだ
5年。10年。。。今後も努力が必要な感じですが、
必ずや、この壁も乗越えられる時期がきますので、
とにかく、地道な「努力」。。。をお続けください。

でわ、がんばってね。^^
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この回答へのお礼

すごいですね、おっしゃる通りです。曲の分析や音楽の勉強はしていくつもりです。絶対的なように書いてある理論書と実際の曲とのギャップに悩んでます。はやく悟りたいです笑

お礼日時:2009/10/25 00:35

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