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戦中戦後に発生した食糧不足は何故起こったのでしょうか?
食糧自給率がほぼ100%だったうえ、田畑の耕作放棄が起こったわけでも無いはずなのに、何故あれほどの食糧不足が発生したのでしょうか。

耕作人員にしても、国家総動員によって耕作者が減ったとも思えません。
海外に派兵した人員に比較しても、食糧不足は深刻だと思います。

昔とある田舎で、「配給制度ができて初めてお米が食べられるようになった」という話を聞いたことがあるのですが、配給制度の失敗からなのでしょうか。

A 回答 (8件)

ミクロ的見知から答えられている人が多いので、


マクロ的見知からひとつ。
まず日本の内地(朝鮮、台湾を省く)の食糧自給率は戦前のときですら、80%程度でした。
残りの食料は満州、朝鮮、台湾などからの輸入に頼っていたのです。
また、窒素、カリ、燐酸などの化学肥料などはほぼ輸入に頼っていたので内地のみの力で賄える、実質の食料自給率はもっと下がります。
また米の生産量ですが、
1941年 825万トン
1942年 1000万トン
1943年 942万トン
1944年 878万トン
1945年 587万トン
と、最盛時に比べて半減していることがお解りいただけると思います。
他に1944年の化学肥料の生産はピークの1937年に対し、6分の1まで落ち込み、食糧の輸入はピークの1941年に対し、3分の1まで落ち込んでいます。
配給制度の失敗というより生産計画の失敗。
生産計画の失敗というより戦争指導の失敗といえるように思います。
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この回答へのお礼

具体的な数値を教えて下さりありがとうございました。
国内の自給率が意外と低かったことに驚いています。
また国内では、魚粉や落ち葉・人糞などの肥料を主に使っていたと思いこんでいたために化学肥料の輸入に関しても目からウロコでした。
回答をお寄せいただき、ありがとうございました。
お礼が遅くなったことをお詫びいたします。

お礼日時:2003/05/15 10:11

>戦争中も食糧を国内調達していたので、帰還兵がいても総消費量は変わらないような気がするのですが??




戦時中の「人手不足」による慢性的な食料不足に
戦後の海外からの復員軍人、
海外・旧植民地(朝鮮半島、台湾、満州)からの
引揚者700万人の帰国がさらに、それを深刻化
させました。


参考URLの中の下記項目をご覧ください。
「敗戦直後の日本の経済社会の状況」

参考URL:http://www.kkri.org/hist/history.htm
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この回答へのお礼

回答くださりありがとうございました。
URL参考にさせていただきました。天候の要因も大きかったみたいですね。

お礼日時:2003/05/08 22:52

既に回答されていますので、蛇足になるかもしれませんが。



 昭和20年に入り、本土決戦ということで、本土に飛行場を大量に作ることになりました。飛行場には、芝生が必要です。そのために肥料も必要になります。窒素等の化学肥料です。これらの肥料が、農家に渡らず、軍部が奪っていったのです。

 以上あくまで付け足しです。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
窒素肥料などの不足も考えられるのですか。参考になりました。

お礼日時:2003/05/08 22:50

一応、父母に聞かなくても分かる年代です。



終戦直後の食糧不足は色々な原因が重なった結果です。

1.人手不足(肉体的に欠陥のない40才ぐらいまでの男子は戦場か国内の軍関係の仕事をしていた)
2.肥料、農薬不足
その結果イモチ病などにかかり収穫が激減。
3.二期作の激減
上記1-2の理由から二期作(同じ田畑で年二回の収穫を行なう。夏は米、冬は小麦、或いは水稲を二回)
4.天候不順
昭和20年以降台風が多く大雨で田畑が荒らされ収穫が減った。洪水は戦争中に軍用に木材を切り、燃料がないため一般人も木々をきり、禿山が多かった事が原因といわれる。
現在の緑の日につながる植林は終戦後に始った運動。

消費のプラス要因はなんと言っても一般人引き上げ者の急増です。(満州、朝鮮半島、台湾、樺太や太平洋諸島)
プラス兵隊の引き上げ。正確な数字は分かりませんが数百万人に達した筈です。

戦争があれば必ず食料不足が起こります。現代でもアフガニスタン、イラクで起こっています。戦争のない北朝鮮でも食料危機だと言われています。原因は上記のどれかだと思います。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
皆様仰るように、人員不足みたいですね。
回答の内容から、現在の北朝鮮の食糧不足も似ていると思いました。
燃料不足から来る木の伐採、禿げ山からの土砂の流出などを考えると、自然環境の大切さが見えてきますね。
大変参考になりました。

お礼日時:2003/05/05 22:02

こんにちは。

当然私も経験してないので、母から聞いた話です。

>国家総動員によって耕作者が減ったとも思えません。

これは大幅に減ったそうです。
若い男は(終戦近くなると相当歳が行ってても)みんな連れて行かれたそうです。
実際には連れて行かれてすぐ兵隊になるわけではなく、訓練したり、部隊の編成などで結構長く国内に滞留するのだそうです。・・・とここまでが母の話です。

そういう人達は当然農業にも従事できないし、出征してはいるけど、戦地に行ってるわけでもない、そういう の人が相当いたようです。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
やはり男手が足りないことから、農業生産が著しく低下した事が原因なのでしょうか。参考になりました。

お礼日時:2003/05/05 21:58

母が、その父母・祖父母から聞いた話だそうです。



それによると、そこはかなり田舎(今でも郡部です)
であるにもかかわらず、戦争中期~後期は田畑へ出ていると
その人に向かって飛行機から爆撃があったそうです。
田畑は隠れるところがありませんので、上空からでもよく見えたのではないか?ということでした。
ということで、農作業がろくに出来なかたそうです。

これが原因の全てではないかもしれませんが、
原因の一つにはなりうるかと思います。
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この回答へのお礼

回答下さりありがとうございました。
たしかに、空襲をうけるような都会の近くでは、農家も機銃掃射を受けたかも知れませんね。

お礼日時:2003/05/05 21:56

専門家ではないので詳しいことは分かりませんが…



まず、復員、引き上げの影響があると思います。
戦争で海外など日本にいなかった男性がいっせいに生還すると
当然食料がなくなるのではないでしょうか?
5万人ほど帰ってきたそうですよ。
すぐに作物が収穫できるわけではないですし。
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この回答へのお礼

回答くださり、ありがとうございます。
戦争中も食糧を国内調達していたので、帰還兵がいても総消費量は変わらないような気がするのですが??
確かに、作物はすぐには収穫出来ませんよね。

お礼日時:2003/05/05 13:47

全くの戦後生まれで、当時のことを知っているわけではないので、可能性の推測ですが



耕作人員の減少があったかどうかは不明。
でも、その中心的要因が青壮年男子から老年者及び婦女子などへ変化したことは考えられます。
疎開児童が、農耕の援助作業を行ったとも聞いていますが、不慣れな子供達の労働力では限度もあるでしょうし

当時は機械化も進んではいませんでしたから、その体力差は容易に埋められなかったのではないでしょうか?
また、荷役馬や農耕牛馬も、戦地への徴発対象となったとも考えられます。

また、戦争後期には物流ルートも寸断されていたでしょうから、食料があっても輸送できなかったとか

様々な要因が複合した結果ではないのでしょうか?
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この回答へのお礼

>荷役馬や農耕牛馬も、戦地への徴発対象となったとも考えられます
確かにその可能性はありますね。国内から農耕馬などが居なくなったことで、生産効率が下がっていたかもしれませんね。
ご回答いただき、ありがとうござました。

お礼日時:2003/05/05 13:43

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