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ガッコの倫理で、仏陀の言葉として
「あらゆる征服は憎しみを生む、なぜなら征服されたものたちは、不幸の中にいるからだ。あらゆる勝利や敗北といった考えを捨てることで、穏やかにいるものが幸福でいられる。」

ッてあッたケド、なンヵ矛盾してるなあと;;
幸福ヵ非幸福ヵゎ別として、

【ご質問(=(1)ω(1)=)vにゃ~お
1:切磋琢磨と上文の「征服」ゎ矛盾しなぃ??
言ぃ換えれば、切磋琢磨して達成したら、普通「征服」の感情少なからずあると思ぅ!!!!!

2:平凡な人ほど幸福でいられる。と言っていぃ??
言ぃ換えれば、「征服」の感情がなぃ人ゎ無能であると言っていぃ??

3:少なくても社会で尊敬されてる人ゎ、仏陀にせよ、何かを征服=達成した人であッて、何かを征服=達成した仏陀さnに「平凡でいよう」といわれても心に響かなぃですb

以上、あたしの判断で、仏陀さnの言ッてること意味不になります.v

おとなのみなさnあたしにもわヵるよぅに説明してねッ(///)b

ヾ(☆ゝω・)ノ。o○ョ□千勹ゥ○o。ヽ(´ω`★)シ

A 回答 (4件)

>>せッかくなので、も少し年長者の方々に聞きますw



はいはい。年齢的には、ずーと上ですからね。

>>現代人として、セネカさんや仏陀さんがいかに言おうとも、
名誉欲や金銭欲」を追いかけるべきではなぃヵなあと;;

こういうときは、やっぱり判りやすい例え話がいいですよね。

林檎の木があるとします。農家の人からみたら、大きくて、沢山の林檎の実を実らせるほうが、農家の人や周囲を行く人の目を引きますよね。他の林檎の木よりも、目立ちたいとか、「この木は、すごーい!」って誉めてもらいたいって、他のどの木より大きく、他のどの木よりも、多い果実をつけようとがんばる。

でも、「数多くつければよいのか」というと、それはあまり重要ではないんですよ。やっぱり、その味を最高度のものに、芳醇なものにすることが大切なんですよね。いくら頑張っても若木のうちは、もっと年数が上の木にはかなわない。単に数を追いかけると、実が小さくなったり、味が落ちたりする。
また、早く大きくなりすぎると、ひ弱な木になって台風で倒れやすくなるかもしれない。

やはり、林檎の木に見合った速度で大きくなり、その木の大きさに見合ったおいしい果実を、毎年・毎年、実らせることが大切なんですよ。

「あっちの木のように、大きくなって、もっと数多くの実をつけて、果樹園トップの林檎の木になりたい!」
って目標とするのはいいかもしれないけど、そればかりを考えていては、今年の実の味が落ちたりしちゃうわけ。

だから、どうしても「適度な」ってのが必要です。でも、その「適度」の判定がなかなか難しいので、自らの想いや行動を振り返っての「反省」が必要になるし、そのための方法論としての「八正道」につながっていくわけです。


ただ、2500年前にインド(実際は、現在のチベットあたり)で発祥した仏教が日本に伝わるまでに、弟子たちが仏陀の言葉を曲解したり、伝道上の都合?で独自の解釈を加えたりで、国外でも、そして日本に伝承されてからも、教えに歪みが入っています。その結果、普通の人は、今のお寺というか、仏教の教え(もどき)に大して魅力は感じないと思いますが・・・。

P.S.
とはいっても、先日の「朝まで生テレビ」がスカパーで再放送されたのを観ていると、「若い人たち、もっとハングリーになってもいいのでは?格差是正とか、年金が貰えるか?などと心配するより、年金なんてゴミみたいな額の金はいらん。大金持ちになってやるから!って頑張ってほしい」と、思ってしまうのでした。
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この回答へのお礼

♪*i∵ァリ(**´∀`*)人(*´U`**)ガト∵i*♪

鈴木大拙さんの名前くらぃ聞いたことあるょ*
金沢の人まで覚えてるケド><;

仏教の魅力を理解すること=故郷に束縛されること
になるかなぁ
単に触れ合う機会なぃのが主因だケド
伝統的なものを肯定するのがカッコ悪ぃンです

テレビの前で言うにゎ相当の勇気とリーダーシップがなぃと言えないょ
生活に直結することゎ言いにくぃンいぁなぃかなあ
あたしもテレビにもしもでたら、優等生発言しかしなぃと思ぅ!!

ハングリーかぁ;;
大きなことネット以外でゎ言いにくいンぢぁなぃかなぁ
経営者も日本だとなりにくぃ
音楽などの道もなりにくぃが、そこそこ小さい有名人ならネット時代で簡単になれるもン

あたし自身ゎ混乱してます;;
竹林の七賢みたく隠居もいぃかなぁと

一応、ハングリーでがんばるね*
征服=自己達成の意味であたしも解釈しました;;

お礼日時:2009/11/01 16:48

ここの征服の意味はたとえば、村を武力で襲って征服するなどの、直接の暴力的な意味。

なぜなら、自分で受験勉強を征服(=自己達成)しても、「征服されたものたちは、不幸の中にいるからだ。」とは直接はならないでしょ。「征服されたものたち」はここでは、受験勉強としたら、意味もなさない。

よって 征服=達成と考えるのはここでは間違い。上の文は「戦争などをおこして戦って勝とうとしてはならない。負けて征服されたものたちは、不幸の中にいるからだ。」の意味。平和主義を説いた一節。
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この回答へのお礼

すぃませン;;

恐らく言われたょうに、「村を武力で襲って征服」の意味に限定されるとしたほぅが自然だと思ぃます;;

ただ、多少論理を飛躍させれば、自己達成の意味にもできるなぁと
最初に聞いたときに、第一印象だと「自己達成の意味」でした;;

セネカさんの発言も記憶してたので;;

はあい、一応三回も人生相談してくれたlv4uさんを20POINTとするけどごめンなさぃ;;

あたし自身ゎ隠居の憧れが多少ありますw

お礼日時:2009/11/01 16:55

>>言葉遊びかもだケド、あたしゎ切磋琢磨して達成したら、普通「征服」の感情あります;;


やッた、合格したょ、みたぃに;;

別にその「やッた、合格したょ、」って喜ぶのはいいと思いますよ。でも、その感情を「征服」って言葉で表現するのは、単語の意味として不適切って感じがしますね。

>>あたしの社会的感覚だと、
適度な名誉欲や金銭欲ゎ歓迎されてると思ぅb

まあ、現実論として、そういう「欲」が皆無になって、みんなが山奥に篭って、悟りを目指して修行したら、社会は成り立たなくなりますからね。「適度な」ってのが大切なんでしょうね。言い替えたら「中道」ですね。

シッタルーダは悟る前、子供のころから王になるための教育を受けていたし、文武両道がOKで、豪華な食事も食ったし、妻と4人の妃までいて、子供もいた。普通の人が「やったあ!」って思うようなものはすべて手に入れていたからね。
だから、それ以上のもの、つまりは悟りを求めて、すべてを捨てて29歳で出家し、6年もの修行の後に、それを得たわけですよ。
(女性を知らないままで、出家していたら、そっち方面で苦労した親鸞さんのようなことがあったかも?)

現代に生きる人は、とりあえずは生きる糧を得ないといけないし、優雅な生活もしたいから、「適度な名誉欲や金銭欲」のもとで、切磋琢磨するのが第一になるのは当然でしょうね。

ただ、仏陀の教えを理解していると、勉強や会社で働いていて苦しいとき、家庭問題が起こったときなど、とても役にたつと思います。

この回答への補足

中略

酒びたりになっている者もあれば、怠けぼけしている者もある。他人の意見に絶えず左右される野心に引きずられて、疲れ果てている者もあれば、商売でしゃにむに儲(もう)けたい一心から、国という国、海という海の至るところを利欲の夢に駆り立てられている者もある。絶えず他人に危険を加えることに没頭するか、あるいは自分に危険の加えられることを心配しながら戦争熱に浮かされている者もある。また有難いとも思われずに高位の者におもねって、自ら屈従に甘んじながら身をすり減らしている者もある。多くの者たちは他人の運命のために努力するか、あるいは自分の運命を嘆くかに関心をもっている。

http://www.qmss.jp/interss/03/materials/senvita. …

あたし自身ゎ非常に混乱してます;;

現代人として、セネカさんや仏陀さんがいかに言おうとも、
「名誉欲や金銭欲」を追いかけるべきではなぃヵなあと;;

あえて、「適度」の形容詞はずしましたw

補足日時:2009/11/01 00:50
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この回答へのお礼

回答ぁりがとぅござぃますb

せッかくなので、も少し年長者の方々に聞きますw

ぢゃあ、
「シッタルーダの時代と違い、現在は情報が発達してることもあるため、「適度な名誉欲や金銭欲」のもとで、切磋琢磨するのが第一」

とぃうことでいぃ??
それならば、

「他人になんて言われようと、「適度な名誉欲や金銭欲」を追いかけるのはやめる」
ことについてどう思ぃます??

情報が発達しすぎてるヵら、まづ無理ヵなぁと;;

セネカさnのこのことにつぃてどぅ思ぅ??

> しかし、われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費(ついや)されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩(ほうとう)や怠惰(たいだ)のなかに消えてなくなるとか、どんな善いことのためにも使われないならば、結局最後になって否応(いやおう)なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。全くそのとおりである。われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである。たとえば莫大な王者のごとき財産でも、悪い持ち主の所有に帰したときには、瞬(またた)く間に雲散してしまうが、たとえ並の財産でも善(よ)い管理者に委ねられれば、使い方によって増加する。それと同じように、われわれの一生も上手に按配(あんばい)する者には、著しく広がるものである。

お礼日時:2009/11/01 00:49

>>1:切磋琢磨と上文の「征服」ゎ矛盾しなぃ??


言ぃ換えれば、切磋琢磨して達成したら、普通「征服」の感情少なからずあると思ぅ!!!!!

あなたは、そうかもしれませんが、仏陀なら、達成=>征服、の感情は無いと思います。

>>2:平凡な人ほど幸福でいられる。と言っていぃ??
言ぃ換えれば、「征服」の感情がなぃ人ゎ無能であると言っていぃ??

なんで、「平凡な人ほど幸福」となるのかなあ。

>>3:少なくても社会で尊敬されてる人ゎ、仏陀にせよ、何かを征服=達成した人であッて、何かを征服=達成した仏陀さnに「平凡でいよう」といわれても心に響かなぃですb

2もそうですが、「平凡でいよう」っていうのは、あなたが仏陀の言葉を捻じ曲げて、というか非論理的に演繹して、誤った結論を導いているだけですよ。

ただし、教科書での、仏陀の言葉は、たぶん弟子たちに向けてのものだと思います。なので広大な仏陀の教えをそれなりに勉強した出家者たちに向けたものなので、ちょこっと学校で倫理の本を読んだだけでは、理解できないのもしかたないと思います。

さらに、いまの仏教学者は、「諸法無我」を「魂は無い」=「唯物論」のように理解しているようです。
何年も、何十年も仏教を勉強した仏教学者でも、誤った仏教の理解をしているのですから、あなたが誤解するのもしかたないとは思います。
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この回答へのお礼

(*・艸・)。+:*○回答тнайк чоц。+:*○

そぅだねぇ
言葉遊びかもだケド、あたしゎ切磋琢磨して達成したら、普通「征服」の感情あります;;
やッた、合格したょ、みたぃに;;

征服=達成
征服の心を持たない→幸福
達成をなにもしない=無能→幸福
こぅいぅ論理展開;;

無我の境地に達し、名誉欲など持たなぃ

あたしの社会的感覚だと、
適度な名誉欲や金銭欲ゎ歓迎されてると思ぅb

お礼日時:2009/10/31 17:11

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