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上杉鷹山がスモーカーであったかどうかとても疑問があります。その詳細を知りたいのですが、誰か教えて頂ければ幸いです。個人的にはタバコは家来が吸っていただけで、彼は元来吸わないのではと思うのですが・・・。

A 回答 (5件)

回答ではありませんが、ご参考まで。


質素倹約で知られた名君が贅沢な煙草を執務中にスパスパと、なんか変?
というイメージが有りませんか。

私がまだ幼いず~と昔の頃、祖父は鉄を削っている職人でした。
もう弟子もいず、小さな作業台の前で一人コツコツと仕事をしていました。
それを飽きること眺めていました。一区切り着くと、鉄粉を集め
火鉢の炭火の上にパラパラと落として見せてくれました。
鉄粉が線香花火の様に弾けて飛び散り綺麗でした。

それが終わると、ケースからキセルを抜き出し、フ~ッと空息を通し
煙草入れ(缶や印籠の様なもの)から刻み煙草(今の煙草より細く刻まれた
か、太めの綿状)を親指と人指指で摘み出し、軽く揉んで小玉状にし
火鉢の火で付け、3度か4度大きく吸い、それで燃え尽きたものを
火鉢にたたいて落とします。3度ほど繰り返し、キセルを掃除して
キセル入れに戻します。
吸う量は多分今の煙草の1/3程度、時間はゆったりと長かった思います。
今のいらいら煙草とは違うイメージのホット一息を付く時間だったのでは
と思います。そうやって話しもせず静かに休憩するが昔の人の
一服だったのでは無いでしょうか。
何かを話した記憶は有りません。寡黙な人でした。

そんな祖父のささやかな愉しみに付いて母が話してくれた事があります。
物資不足で煙草も入手困難な戦争の時代、その辺の草を乾燥させ刻んで
代用煙草として吸っていたそうです。
莅戸善政の手作煙草というのもこの類では無かったかと想像しています。
やはり煙草は贅沢品でしたから。
新潟、会津、米沢と減封され、貧しかった米沢では武士は多数が開墾の
屯田兵状態でした。人足、大工、植木職人も武士の内職で、町衆は
彼らを人足様、大工様、職人様と呼んでいました。
プライドが高く農作業も野袴でしていた彼らの野良での一服も手作り
煙草だと思うと違和感は有りません。

さらなる蛇足ですが、祖父の顔は鷹山公の肖像とそっくりでした、
髷を胡麻塩頭に置き換えた様な感じで、懐かしく思い書き込んでいます。
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この回答へのお礼

有り難うございました。鍛冶職人は常に「火」と一緒です。そのような方と鷹山を比較する事は全くナンセンスの気がします。なぜならマッチなどがあったのでしょうか?。火打石ですか?。また鍛冶職人のイメージがいかにも「オカタイ」イメージでもあり、まるで貴方の言う事はまったく正解のように聞こえ、一見信頼性があるように聞こえますが、「真実はまさに180度違う」と思われます。それは、鷹山が喫煙者という本が多いことと、その作者自身が喫煙者が多いというイメージと同様ではないのでしょうか?。しかし貴方の父の面影、また昔の人達の娯楽がなかった状態、それを想像する事は楽しいことですので、ある程度貴方の御話は参考にはなります。しかし「どん底の飢饉でもありえる」地域住民をも救う為には決して「火打石でわざわざ火を焚いて、一服」など、言語道断と一層思ってきました。本当にどうも有り難うございました。尚、貴方の父親のイメージだけは壊さないように大切にしてください。私はその事は全く別に応援しています。しかしあなたのおかげで、どうも有り難うございました。誰かが歴史を煙に巻くのを解くことは一層面白いと思うようになりました。

お礼日時:2009/11/10 21:59

基礎資料を精査して書いたという、歴史学会の


横山昭男著「上杉鷹山」吉川弘文館   の食生活の項に
鷹山は煙草が好きだった。   重用された家臣の莅戸(のぞき)善政が手作りの煙草(小柳)を献上したところ、鷹山は大層喜んだとあります。
他方酒は飲まず、冬甘酒をたしなむ程度とのこと。
酒を飲まない鷹山は煙草を、コンミュニケーションの手段にしたと思います。
領内見回り、農民に声を掛け話を聞くには、小道具といえる煙草は必需品でした。
「よく精が出るのう。一寸一服して儂と話をせんか。儂の煙草をやろう。」 尻込みする農民を誘います。
生え抜きの老重臣たちとの話にも煙草は役に立ちます。
議論が錯綜、混乱したり、険しくなった時、「ここらで一寸一服してからまたやろうではないか、時間はまだまだある。」 という調子です。    今のコーヒーブレイクですね。
17才で上杉家を継いだころは、当然吸わなかったでしょう。   農民と付き合うようになってからか、べつな理由かわかりませんが、必要な付き合い道具として、吸うようになり好きになったのでしょう。
ヘビースモーカーとは思えませんが、かなりのスモーカーでしょう。
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この回答へのお礼

有り難うございます。いずれにせよ。鷹山は非常に若くして殿様になりました。そして目の前の改革で一服している暇、つまり「ニコチン依存症」ではまったくなかったはずです。貴方の御話はかなりの後日の御話ではないのですか?。その証拠は?。いずれも「小説ですか?」。そしてキセルで見回りですか?。このような大事を為した人が一服しながらですか?。歴史をもう一度見直す目が必要ではないのでしょうか?。でも大変御参考になりますので有り難いです。どうも有り難うございました。

お礼日時:2009/11/05 16:14

 上杉鷹山の遺品や、ご紹介されている逸話に関して質問者が俄に喫煙の習癖の証左とされない見識に賛意を持ちます。


 私は1950年代は大学受験生でした。
 缶入りピースです。そして大学に入ってからはキセルです。
 キセルに刻みをなんどか入れ替えながら、会議や仕事はできません。
 そしてキセルを操りながら、或いはくわえながら、何かをすることはみっともないし、できません。
 長火鉢で一人。お銚子というときにキセルというのはありえます。
 私の頃は無論、東京下町ですが、なんでもしまってある長火鉢も使っていましたし、キセル入れの職人もお隣でした。
 ご隠居さんならともかく、現役で矢面になっているときにはとてもタバコもキセルもいけません。ありえない図柄です。
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この回答へのお礼

鷹山は若くして殿様になったはずです。少なくとも若くして「ニコチン依存症」になった方は、おかしな方が多いということは世界共通でしょう。改革を断行しているときは脇目もふらずに鍬などを持ち、老年のわからず屋達?とも戦ったはずなのです。でなければ歴史に残る大業などなし得ません。もし仮にタバコを吸ったということがあったとしてもそれはまったくご隠居の身になってからでしょう。歴史を見る目が甘い方々が、鷹山がタバコを吸ったということを強調しているだけと思われます。まったくふざけた話のような気がします。貴方の御話は大変御参考になりました。どうも有り難うございました。

お礼日時:2009/11/05 16:28

 取り合えず、上杉神社の敷地内にある稽照殿(上杉家に縁有る各種宝物が保存・展示されている)に鷹山ゆかりの黒い煙草盆が有るそうなので、まあ吸っていたのは間違いないでしょう。



>そんな時、鷹山は手元の煙草盆を目に留めます。米沢の町のように、灰の中で消えかけた小さな火種。鷹山は何を思ったか熱心にその火種に息を吹きかけ、ついにそこに火をおこします。家臣たちがその行動に驚いていると、鷹山曰く、
>「消えかかったこの火種も、熱心に息をかければ再び燃え上がる。この米沢も同じように、再び民と町が力を取り戻せよう。ここに希望が見えた」

>言葉どおり、鷹山は藩主の身でありながら民ともども倹約に努め、ついにどん底だった米沢藩を立て直したのです。
   http://22berry.blog33.fc2.com/blog-entry-38.html
 (藩主が煙草吸わないのに、家臣が藩政議論する場に煙草盆など持ち込む何て失礼な事、考えられないですしね…。)

>また上杉鷹山が改革を断行しているとき、果たして「一服」している暇はあったのでしょうか?。かなり「疑問」なんです。私が聞きたいのは「一生懸命改革を断行している時」は、(ヘビー)スモーカーかどうか?ということと、そのようなきちんとした歴史的事実のような記載があったかどうかなのです。
 質問者さんは、お若い方なのでしょうか?

 私が社会人になった時(10数年前なのですが…。)には、煙草を吸いながら仕事をする事は全く自然でした。
 (事業部に配属され、自分の席を貰った時に、最初に言われた事の一つに「○○君(←私の事です)灰皿余ってるけど要る?」でしたし…。)

 営業部長からは「煙草を吸わなくともライター等を持ち歩きなさい」とまで言われました。

 あの頃は、煙草を吸わない奴は仕事が出来ない奴的な見かたが有りました(商談などで決まる事って、煙草で一服してる時や、お酒を飲んでる時の席ってのが意外と重要だという考えが結構有った。)、煙草を吸うことは疲れた頭をリフレッシュし、その後の仕事を効率的に進める上で推奨されていた節すら有りました。

 歴史的に見ても、イギリスのチャーチルの様に寝る暇も無いくらい忙しい中でもヘビースモーカーを堅持した政治家(彼は酒豪でも有りました)もいましたし、鷹山が愛煙家で有っても何の不思議も無いと思いますが…。

 なお、お酒と違って煙草は江戸時代中期以降にはかなり安くなり、庶民でも楽しめる様に成ってますし。←宝暦年間で煙草10匁(約38グラム)が8文ぐらい。
 (鷹山の倹約家と言う面にも反しない。)

 また鷹山の頃は、キセルで吸う(紙巻煙草が出てくるのは明治頃)訳ですから、灰が落ちる事を頻繁に気にする必要も無いので、咥えながら仕事しても、極端に邪魔になるとは思えませんし…。
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この回答へのお礼

有り難うございました。自ら鍬を持って働いたということは知っています。そしてキセルで吸っているということは、やはりほぼ吸わなかったということと私は断じて思っています。チャーチルの時は、葉巻やパイプでしょう。上杉鷹山がキセルをくわえて改革を行った様子など断じて想像出来ません。これだけ借金まみれになった日本再生の原動力は、やはり「禁煙」への取り組みが重要だと私は確信に近い考えとなってきました。貴方の意見も貴重なものですので、御参考にさせて頂きます。どうも有り難うございました。

お礼日時:2009/11/05 09:29

上杉鷹山はタバコを吸っていたようです。


作家の阿刀田高氏の藤沢周平著「帰省―未刊行エッセイ集」の書評にも、「上杉鷹山はタバコがささやかな楽しみであった」と書かれています。
   http://book.asahi.com/review/TKY200809230085.html
上杉家家老の莅戸太華(のぞき たいか)とのやりとりの場面です。
  http://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/diary/20090705 …
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この回答へのお礼

大変有り難うございます。お気を悪くしてはならないのですが、この本はきちんと歴史的事実を示しているか正直疑問です。また上杉鷹山が改革を断行しているとき、果たして「一服」している暇はあったのでしょうか?。かなり「疑問」なんです。私が聞きたいのは「一生懸命改革を断行している時」は、(ヘビー)スモーカーかどうか?ということと、そのようなきちんとした歴史的事実のような記載があったかどうかなのです。御答え頂いて大変有り難いと思う反面、私の疑問点を御存知でしたらさらなる情報をお教え頂けたら幸甚です。

お礼日時:2009/11/04 18:46

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