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こんにちは、いつも回答者の皆さんにお世話になっています。

最近知った和歌なのですが 
藤原家隆の一首
<夕月夜 吉野の里に ふる雪の つもりてのこる 有明のかげ>
という作品があります。この現代語訳は
<夕方の薄闇に昇る月よ、まるで吉野の山里に降り積もった白雪が未だ溶けることなく残っている・・・暁方の月光に照らされて。そんなはかなくも美しい風情だなあ>
という感じでよろしいのでしょうか?全く自信がありませんがとりあえず訳して見ました。
夕月を愛でて詠んでいる和歌なのに、有明月を持ち出してきているところが不思議です。この歌の正しい解釈を教えて頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (7件)

#1です。


和歌には詳しくは在りませんが、科学的にいえば「夕月夜」と「有明の月」とは、同日というか、当日の次の日や或いは「有明の月」と見た日の夕方とは考えられませんよね。
これは、あくまで夕方の月と「有明のかげ」の対照を詠んだ歌でしょう。
というのも、「夕月夜」というのは、満月(陰暦15日の月)以前の月ですよね。夕方に月の見えるのは、3日月から15夜までです。15夜以後は、日が暮れてからしか月は昇ってきません。
そして、有明の月というのは、月齢の20日以後の月です。
夕月夜と有明の月を一緒に詠むには無理があります。

また「有明の月と見るまでに」は有明の月のように雪が白んで見えたという比喩であって「月を詠んだ」歌ではありません。
あくまで、「有明のかげ」であって、既に見えなくなってしまった「月のおもかげ」でしょう。
この含蓄がたまりません。
解釈としては、#2さんのおっしゃるように、夕月夜に詠んだ歌かも知れません。明け方に別れた女性に、後日に和歌を贈るというのは当時の風習として自然ですから、そうした設定のもとに詠われたものかもしれませんね。
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この回答へのお礼

再度のご回答、ありがとうございます!

>あくまで、「有明のかげ」であって、既に見えなくなってしまった「月のおもかげ」でしょう。

つまり、作者がこの歌を詠んだとき実際目にしていたのは「陰暦3~15日の夕方の月」だったのだが、脳裏に思い描いていたのは「陰暦20日過ぎの明け方の月」であり、そのあえかな面影を恋しく思ってこの歌を詠んだというところでしょうか。私は「かげ=月光」と無条件に変換してしまったので、仰るような「かげ=面影」という発想が出来ていませんでした。実は「吉野の里に降る雪のつもりて残る」の部分も是則の歌の本歌取りとしても、どう訳したものか分からなかったのですが、総合してみると「吉野の里の雪がいつまでも積もって解けずにいるように、私の脳裏にも先月見た有明の月の面影が忘れがたく残っているのだよ・・・」という修辞的な訳が可能なのかもしれませんね。これは<冬の歌>として家集に入っているとの事ですので、陰暦の冬は10月からと考えると先月は9月=長月。陰暦長月の有明の月はいにしえ人の間で特に愛でられていたものらしく、物語や和歌などにもなにかと記録が残されています。作者は先月見た長月の有明が格別に素晴らしかったので、つい比較してしまったのでしょうか?

なお、教えて頂いた<有明月は月齢16日から主に20日以後の月>というのが一般常識で古語辞典等にも記載されていますよね。私も何の疑問も無くそう憶えていましたが、ある時『アカツキの研究 ─平安人の時間─』小林賢章著/和泉書院刊 を読んだところ有明と言うのは、<○日以後の月と日にちを限定していうのではなく、寅の刻(平安時代の日付変更時間)以降から夜が明けるまでに見えている月>を指している、という斬新な論説を目に致しました。ここでは詳細な内容までは記述しかねますので、興味がおありでしたら上記の本を是非御読みになってみて下さい。(私自身は完全にこの説の虜になってしまいましたが・・・)もし小林氏の説の有明月だとすれば、冬に入る陰暦10月15日頃(2009年は12/1頃)ならば辛うじて有明月と夕月が同日に見る事が出来るようです。
・・・とせっかく解説して頂いているのに、違う説を持って来てしまったりして申し訳ございません。いろいろな方向からの考え方があると言う事で御容赦頂けましたら幸いです。御回答とても有難く拝読しました!

お礼日時:2009/11/21 00:59

#3です。


和歌を解釈する上で重要なのは、部類、詞書、そして新古今時代の歌の場合本歌は何かが重要です。
壬生二品集(玉吟集)巻下 冬部 2666
仁和寺法親王会 曉雪
と新編国歌大観にありました。つまり暁雪の題詠となります。
次に仁和寺法親王とは誰かですが、これは守覚法親王の可能性が大きいですが、確証はありませんでした。別名が仁和寺宮でしたから。
類歌として、正治二年初度百首の定家がありました。
今はとて有明の影の槙の戸にさすがに惜しき水無月の空
これも夏歌です。有明の影は鎌倉以降にしか出てきませんので、新しい詞と思います。

月齢で、もし27日の有明の月と3日の三日月は一週間しか違わないことに気が付きました。当たり前ですが。しかし、
この前お会いした貴方の面影を夕月夜で思い出しております
には、少し根拠が足りない気がします。四季歌でも恋のニアンスを入れ込む場合もありますが、そういった場合には本歌取りの手法を使う気がします。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました!御礼が遅くなり、もうしわけございません。

お礼日時:2010/12/04 05:03

#1 ひつこいようですが


ついつい横道に逸れて
この和歌の解釈をしていなかったので

これは、前にも書いたように
夜を過ごした女性に送った歌を想定して読んだものだと思います。
私の想像ですが・・・・(^^ゞ

夕月が昇るこの時に、ふと心をよぎるものは
今朝別れた、あなたの面影ばかり
吉野の里に降る淡雪のように、清らかに積もる
あなたへの思いで頭が一杯です
あ~あ~

この歌にあるのは、夕方と朝に別れた女性との堆肥でしょう

この吉野に降る淡雪のような感情を読み手は言いたかったのでは
これは、前回答者の「吉野の里に降れる白雪」を踏んでいると思われます。
そもそも、吉野はさほど雪深いところではないですからね。清らかな「淡雪」をイメージするものでしょう。
吉野は聖地ですからね。

そうそう
有明の月に関しては、一般的には望月以降ですが
人麻呂の「東んがしの 野にかぎろいの~」にあるような場合もあります。これは意識してはいるのですが、1年に4日位です。
余談ですが、私 この「かぎろい」を見るために何回が現地に行きました
寒かったです。なかなか日の出前の満月などみれるものではありません。人麻呂は、こうした珍しくも目出度い情景を詠んだのでしょう。

今回は、あくまで一般的には望月以降が有明の月ということで
別れた女性を思い慕う「影」がテーマでしょうか
私の想像です。私ならばこのようにメイル(和歌)を送りますが
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました!御礼が遅くなり、申し訳ございません。

お礼日時:2010/12/04 05:02

#3です。


#1様の月齢をきちんと考えた解釈には、敬服いたします。
ちょっと言葉足らずの所があったので、おっしゃるとおり月ではなく、雪です。ちょっと長くなるのですが、
「是則が詠んだ古歌の、月の印象(面影)を持った雪」とさせて下さい。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます!
>「是則が詠んだ古歌の、月の印象(面影)を持った雪」
前回の御返事にも書かせて頂きましたが、是則さんの頃は吉野といえば雪!というイメージがあったようですね。御蔭様で自分なりにこの歌を理解する事ことが出来てきたような気がします。(実際は間違っているかもしれませんが~それでも)有明のかげは「有明け月の面影」で、是則氏は朝ぼらけに雪の輝くばかりの白さを見て有明の月の光を想像し、私は夕影の月にその雪が深く積もって残るが如く、記憶に残って忘れられない格別素晴らしかった有明の月を思い描いたよ~という意味が込められているのかな、と今では思うようになりました。

お礼日時:2009/11/21 01:24

和歌の専門でもなんでもないのですが、壬生二集の冬歌を恋心まで持っていくのは少し無理がある気がします。


この歌は、
朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪 坂上是則
を本歌としているかと思います。
有明の影を「是則が詠んだ古歌の月の印象」
としては如何でしょうか?
夕月夜と有明がそうすれば、時間的矛盾が無くなるかと思います。
もちろん詠んだのは、夕方の風景だと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!御礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
そうですか、家集の<冬歌>の方に明確に配置されている歌なのですか。「朝ぼらけ~」は百人一首にも選ばれた超有名な作品ですよね。「夕月夜~」がどのような状況で詠まれたか判りませんが、読む(聞く?)人には「朝ぼらけ~」の有明の月を想像しながらこの歌を味わってくださいよ、という気持ちが込められているのでしょうね。
なおWikipediaで検索したところ、吉野山が桜をイメージして詠まれるようになったのは平安後期からで、それ以前は<雪の吉野>というイメージが強かった、とのことです。家隆さんは1158年~1237年の平安後期から鎌倉初期に生きていた方なので、<桜の吉野>世代と考えて良いかもしれませんが、歌詠みとしては古今集の時代のイメージを大切にしていたのかも・・・と(私が勝手に)思いました。

お礼日時:2009/11/16 06:50

古典和歌が専門ですので自信を持ってお答えしますが、この場合、詠まれた時間帯は「有明時=明け方」ではありません。

やはり最初にある「夕月夜=宵の口」に詠んでいるのです。「降る雪の」の「の」という格助詞は「比喩」を表わす用法です。そして「有明のかげ」とは、明け方に部屋に残して去って来た女性が、ちょっと見送りに出て来た時にふと見ると、ほのぼのとした薄明かりに照らされて、それは女性の美しさとあいまって私には光り輝くようにも見えた。そのいとしい面影を思えば思うほど、昼になり、夕方になっても、吉野の山に深く降り積もる雪のように、あなたへの思いも募って行くばかりで、この夕べの月を、あなたの今朝の名残りのように見ているよ、といったような意味の愛の歌です。当時の女性は自分から男性のもとへ通ったりはしないので、男性が女性のもとへ夜に訪れるのが一般的です。朝別れて来た女のことをずっと一日中思っていた、思えば思うほど忘れ難い、だからまた会いたいという求愛の歌とも言えますし、もし二度と会うことができそうにない人だったならば、とても胸のうちに収めきれないでつい嘆息をもらしてしまうほどの強い女性への未練を歌ったとも思われます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!御礼が遅くなり申し訳ありませんでした。
専門家の方にご教授頂けて光栄です。暁に別れた女性を夕刻までずっと想いつづけていたのですね・・・何て一途な人でしょう、家隆さんは。恋愛が成就して間も無い新婚カップルなのでしょうか。もしかしたらお相手の女性は吉野に住んでいたために、この地名を詠みこんだのですかね?

お礼日時:2009/11/15 02:36

勝手な解釈ですが、夕月夜と有明では時間経過が長すぎます。


ここは、夕方に訪れた女性に積もる思いを、有明の別れの時に詠んだ歌ではないでしょうか。
降る雪のように恋しい思いが積もるばかりであるというように、私は勝手に解釈しますが、正解かどうかは家隆さんに効く以外在りません。
単に情景を歌っただけではなく、結構、含蓄の深い歌ではないでしょうか。
和歌の解釈は楽しいです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!御礼がお遅くなり申し訳ありませんでした。
そうですよね、夕方の月と暁方の月・・・なぜこの対称的な時間帯の月を同じ歌に詠みこんだのでしょうか。おっしゃる通り恋人の女性になぞらえたのかもしれませんね。古今集以降の勅撰和歌集などに載っている恋の歌を見ると、花や月などの自然情景に仮託して実は心情表現をしているものが多いですよね。

お礼日時:2009/11/15 02:20

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