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お世話になってます。

大学で、冷戦時の国際政治について勉強しているのですが
ベトナム戦争についてお伺いしたいです。

冷戦の代理戦争としてベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が勃発しましたが
アメリカはなぜ、長い間ベトナムへの介入に固執し続けたのでしょうか??
国内の世論の動き・金銭的コスト・損害損失を考えると
ドミノ理論に基づく共産主義拡散防止だけが理由だとすれば
どうもアメリカにはデメリットの方が大きい気がします。
(周辺国の共産化を考えると確かにどこかで手を打たなくてはいけなかったのかもしれませんが…)
特にパリ協定調印後の北ベトナム・南ベトナム解放戦線の違憲進軍の時にはあっさりまったく手を出さなくなったのに
その前までは意地になって介入を継続したようにも思えます。

ここに、何か大きな理由はあるのでしょうか??

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

 アメリカがベトナム戦争へ介入した原因の研究はこれまでにも様々な角度と、多くの国々の研究者たちによってなされてきましたが、その原因はこれだといえる明確で単純なものはまず私たちが目にすることは出来ないと考えます。



 それだけあのベトナム戦争における当時のアメリカの立ち位置と、国際情勢の相関関係は複雑なものだったのです。

 とはいえ最初はやはり単純そのものの理由からであったことは間違いありません。それはやはり朝鮮戦争後に構築された「冷戦構造」にその端緒を求めることが出来るかと考えます。

 朝鮮戦争後共産勢力の足音に焦りを感じたアメリカは、インドシナ戦争で敗退したフランスの後釜を引き受けざるを得なくなりました。これは共産主義勢力の影響を受けた政権が南ベトナムに樹立されることを絶対に阻止したいということと、当時の西側諸国でのヘゲモニーを確立していたアメリカ自身の自尊心がなさせたという面もあります。

 さらにそこに日本という地政学的な問題もありました。太平洋戦争後表面的にはアメリカの統治に甘んじておとなしくしていた日本国内も、中国、ソビエトの共産主義的イデオロギーに感化されつつあるという状況の中で、ベトナム全体を赤化させてはならないという絶対的な使命感がありました。

 太平洋に門戸を大きく開き、なおかつ中国、ソビエトがアメリカの庭である太平洋への進出に蓋をすることが出来る日本という国は、アメリカが常に目標としてきたグローバルパワーを具現化するための必要不可欠な道具でした。そのような日本をイデオロギー的な面だけであっても、共産化させるわけには行かなかったのです。
 
 そのようなアメリカの強い意志を日本国内へ見せ付けるためにも、ベトナム戦争への介入は恰好の舞台となったわけです。

 さらにアメリカ国内の軍政学な事情も見逃せません。アメリカが当時も今も世界を席巻するほどの軍事国家だということは誰も否定できないと思いますが、ワシントンの主要なポストを軍関係者たちが多く占めていた事実を思い浮かべてください。

 当時(ベトナム戦争介入直前)のアメリカ4軍は朝鮮戦争後さすがに戦争疲れをしたのか、または冷戦というある意味軍縮時代と言っても良いような期間の只中にあったこともあって、軍事費の大幅な削減が目前に迫っていました。これは軍側の要求額の3分の1程度しか認めないという厳しいものでしたが、これもベトナム戦争への介入が決定してからというものの、軍側の要求の満額が毎年計上されていきました。もちろん後々になってその放漫経営ともいえる大盤振る舞いにアメリカは苦しむことになったのですが、何はともあれアメリカの軍需産業と軍にとっては思いもかけない長い春が訪れたということです。

 アメリカは今になって考えればベトナム戦争の遂行の仕方にしても、奇妙なくらい腰が引けた作戦ばかりを行っていました。その端的な例が北爆における異常なくらいの目標限定攻撃です。当時北ベトナムへ投下した大量の爆弾のその一部でも首都ホ-チミンの主要施設へ振り分けていれば、北ベトナム政権は無条件で停戦交渉のテーブルに座っていたことは間違いありません。それなのにアメリカは北ベトナムの戦争遂行能力を存続させたいとしか思えないような作戦ばかりを続けていたことも、やはり国内の軍需産業に何らかの恩恵を与えるためだったといわれても仕方ないかもしれません。

 近代軍隊でもっとも金が掛かるのが戦闘機や爆撃機などの航空機です。その価格は半端ではなく、現在の貨幣価値から言えば1機10億(日本円で)以上のヘリコプターやこれまた1機40億から100億に近い戦闘機が毎日毎日バタバタと撃墜されたり、事故などで墜落していたのです。そして軍はそのたびに各航空機メーカーへ追加発注をおこない、更には新型航空機の開発と納入を矢継ぎ早にオーダーしていたのですから、当時の軍需産業メーカーの経営陣のホクホク顔が目に浮かんでくるようです。

 質問の中にアメリカが意地になっていたのでは?と仰っていますが、これはなかなか当を得た考えだと思います。

 当時のアメリカはベトナム戦争介入にあたって、自国の同盟国へ派兵の要求を行っていました。しかし結果は無残なもので、主要な同盟国は介入支持という毒にも薬にもならない態度でお茶を濁し、アメリカの懇願に負け自国の軍隊を送り込んだのは、ニュージーランド、オーストラリア、タイ、フィリピン、韓国と、惨憺たる状況を呈しました。しかも実際にまともに戦闘に参加したのは韓国とオーストラリアだけというおまけつきです。

 世界の警察官を辞任していたアメリカにとって、これは侮辱以外の何物でもありませんでした。いわゆる大国としてのアメリカの面子は丸つぶれになったというわけです。とくに英国の不参加は許しがたかったようで、このことは今に至るも二国間の諍いの火種として残っており、イラク戦争においてもアメリカ側の「参戦したくないなら無理しなくてもいい」というつれない返事に焦ったブレアが、国内の猛反対を押し切って英国軍を参戦させた話しは、どこか哀れみさえ感じさせるような話しでしたよね。

 ともあれ、民主主義と自由の供給者であり、世界秩序の構築者であることを自認するアメリカが、単なる「意地」だけでアメリカやベトナムの多くの兵士たちや市民を死に追いやったも言えることは、決して忘れてはならないと思います。

 こうやって書いてみると、ベトナム戦争は「金」「イデオロギー」そして「面子」という実にくだらない原因によって起こったといえるかもしれませんね。これってまるで今回のイラク戦争にも通じるものがありますね。実はアメリカって地球の最も厄介な「お荷物」なのかもしれませんね。

 最後にちょっと脱線しました。申し訳ない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ヨーロッパで勉強をしているもので、なかなか日本まで視野に入れた分析を聞くことがなかったためすごく参考になりました!!
軍需産業、やはり大きいですね…

とても参考になりました、ありがとうございました!!

お礼日時:2009/11/12 08:37

何でと言っても撤退を決断した大統領が、軍部に(?)暗殺されたからとしか言いようが無いでしょう。

弟の大統領候補まで暗殺されたんだから、結局撤退を考える人間が生きて大統領になる目はなかったのでしょう。私が生きている間に機密解除はされるのだろうか?

まあ国益より軍の利益・軍需産業の利益が優先され、そのためにクーデター状態に陥っていたわけです。まさに軍産複合体の恐ろしさですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

戦争を続けることで、軍需産業が発展し
また兵器生産者が得をする…
その利益のために、自国外で戦争を続ける…ということですねo
軍と戦争継続の関連性についてもっと調べてみようと思います。

ありがとうございました!!

お礼日時:2009/11/16 06:53

冷戦です。


 日本の敗戦後の東西の冷戦。つまり、資本主義と社会主義の対立。
 ソ連とアメリカの二大大国です。
ベトナムは社会主義でしたから、アメリカが枯葉剤などをまき、長期戦争へ突入した。

 つまり、中国という共産主義圏が近くに会って社会主義圏に圧力をかけたかったから。

 それで、ゴルバチョウが冷戦締結するまで続き、1999年ソ連解体でロシアが常任理事国入り。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

アメリカの枯葉剤などの作戦がベトナム戦争をより一層引き延ばした、ということでしょうか…
ベトナム戦争の事を考える時、必ず頭の片隅に冷戦を意識して何事も考えなくてはならないということですね。

ありがとうございました!!

お礼日時:2009/11/12 08:38

ほとんどの政治的動きの裏には経済事情=損得計算があります。



ベトナム戦争の根本には、第一次世界大戦前に世界最大の生産力を誇る国家となったアメリカの経済事情があります。

 第一次世界大戦前に、世界最大の生産力を持つようになったとはいえ、イギリスに対する借金も多くありました。しかし、大戦でヨーロッパが消費する大量の軍需物資を供給する側に回り、大儲けして借金もなくなり、戦争後は債権国となって国力はさらに向上しました。

 世界恐慌で大不況を経験したものの、第二次世界大戦では戦場とならずまたも世界中に物資を供給し、軍事・経済両面に隔絶した力を持つ超大国として、世界中の国・地域に利権(=外国にアメリカがお金を出して会社を設立し、資源開発を行いました。)を確保し、利益を上げるとともにアメリカの経済基盤を強化・確立しました。

 ところが、ソ連が社会主義国として共産主義経済を標榜し、戦争で荒廃した国土を計画経済で急速に復興させ、核兵器開発を行って自由主義国アメリカ(=資本主義経済大国)と対抗する状況を作り上げました。

 ソ連は、世界的な社会主義革命の支援を行い、アメリカなど先進国の資本で資源開発がおこなわれている多くの国や植民地で革命が起こりました。
 これらの国・地域では、新しくできた社会主義政権が、「多くの住民が貧しいのは、アメリカなど先進国が搾取しているからだ」として、欧米人の持つ大規模農場や鉱山などを国有化していきました。

 つまり、世界中の発展途上国にあるアメリカの利権を、武力によって守るという方針があったのです。

 ところが、ベトナム戦争が長期化して膨大な軍事費を浪費した結果、利権を守るどころか、アメリカ本国の経済状態が悪化して、「ドル」が極端に弱くなってしまい、撤退せざるを得ない状況となってしまいました。

 同様の失敗はソ連もやっており、アフガニスタン侵攻して10年も戦い続けた揚句、経済が行き詰って、ソ連崩壊となりました。

 最近では、ブッシュ政権のイラク・アフガニスタン派兵で、アメリカどころか世界経済がおかしくなってしまいました。(アメリカがクリントン政権のもとで、金融の自由化を推し進め、経済のグローバル化が進展した結果、アメリカの金融危機が世界中に波及することとなってしまいました。) 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに日本が戦後早期復帰できたのも朝鮮戦争のおかげ、という見方があるぐらいですから
確かに経済と切り離して考えることはできないですね。

>>世界中の発展途上国にあるアメリカの利権を、武力によって守るという方針があったのです。
これに関しては全然視野になかったのですごく参考になりました。

ありがとうございました!!

お礼日時:2009/11/12 08:41

国を治める立場にいる政治家と、戦いに勝つ事を使命とする軍人は、求めるものが一致する事も相反する事もあります。


敗戦間際の日本軍と天皇陛下の関係がそうであった様に、ベトナム現地に居て情報を発信する軍部は、増員を依頼しながらその結果が改善され計画を上申し続けました。
結局テト攻勢によってそれまで聖域化していると思われていた地区にまで攻撃が加えられ、軍部のレポートの信頼性が失われて、撤退の方向性が決まって行った訳です。
フランス軍が大敗を喫したディエンビエンフーの戦いは、フランス軍の敗北と言う軍事的決着をつけましたが、テト攻勢は一時的侵攻に過ぎず勝ち負けはつきませんでしたが、政治的に決着をつける事になりました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

政治家と軍人の違い、ですね。
そこがうまくかみ合わなければどうにもならないですものね。
テト攻勢・ディエンビエンフーの戦いについては簡単にしかまだ知らないので
もっとよく調べてみようと思います。

とても参考になりました、ありがとうございました!!

お礼日時:2009/11/12 08:43

アメリカの各大統領のベトナムにおける方針を調べてみるとよいと思います。


意地になっていたと言えるかどうか・・・。

ケネディ大統領の時代は、まだ軍事顧問団を1万数千人派遣するにとどめており、それも早期に完全撤退を考慮していたとも言われます。1963年にケネディ大統領が暗殺されなかったらどうなっていたかわかりません。

次に1964年に大統領になったジョンソン大統領がベトナムへの本格介入を開始しました。
1965年始めににベトナムにいたアメリカ軍の地上兵力は1万3千人でしたが、年末には20万人に増強されます。以後、アメリカ軍は兵力を増強していきます。
南ベトナムに自分自身を守るだけの力が無い事が、アメリカ軍の派遣につながりました。
アメリカ軍がベトナムに最初から長期介入すると考えていたかどうかは疑問です。
戦局にしても本格介入して2年も経たない1967年にはアメリカ軍首脳部が「この戦争のヤマが見えた」と発言し、南ベトナム政府も「南ベトナムとして不敗体制が確立した」と発言しています。ジョンソン大統領も楽観した見通しを発言しています。
敵に対し、かなりの打撃を与えており、この頃はアメリカや南ベトナム政府には勝利が見えていたのではないかと思います。
しかし、1968年から南ベトナム解放民族戦線と北ベトナムの巻き返しが始まります。
結局、この巻き返しやアメリカ国内での反戦運動の盛り上がりにより、
1968年3月にはジョンソン大統領はベトナムからのアメリカ軍撤退と次期大統領選挙への不出馬を表明します。
この時、ベトナムに派遣されていたアメリカ軍の兵力は52万人以上でした。

1969年に大統領になったのはニクソンでした。この就任初めの年よりニクソン大統領はベトナムからのアメリカ軍撤退を開始しています。この年だけで6万人が撤退しています。以後も次々と撤退がなされました。
1970年には在ベトナムのアメリカ軍兵力は33万人となり1973年には撤退を完了しています。

結果的にアメリカは長期間、ベトナムに介入はしましたが、初めは限られた軍事顧問団だけでしたし、本格的に軍事介入を始めた当初は勝利の可能性も見えていました。結局、勝利する望みが薄れたため、ベトナムから手を引く事になりましたが、その撤退の方針は本格介入した張本人であるジョンソン大統領の時代に既に出ています。
次の大統領であるニクソンの時代から実際に撤退は始まっています。
つまり、ケネディ大統領は撤退を考慮していたし、本格介入したジョンソン大統領も最後には撤退に方針転換していたし、ニクソン大統領は撤退を行っています。
アメリカの介入は結果的に長期間になりましたが、意地で介入を継続していたようには私には見えません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かにこうして大統領別に並べてみると
常に念頭に"撤退"を意識しているようですね…
それぞれの大統領の方針については一通り見ていたはずなのに
気がつかず…盲点でした。
確かに撤退せざるを得ない状況が続き、結果的に長期介入になった
という方が正しいのかもしれませんね。

とても参考になりました、ありがとうございました!!

お礼日時:2009/11/12 08:46

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