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タイトルどおりなのですが、死刑の廃止を主張するグループの意見を聞いていると、何となく 「他人事」 と考えているフシが強く感じられます。

あるいは 「自分や、自分の家族だけは絶対に凄惨な事件の被害者にはならない」 という根拠不明の信念のようなものを持っているように感じられます。

もし彼らの愛する家族がなぶり殺しになったとしても、犯人に同情して同じ主張を繰り返す事が出来るのかどうか、素朴に疑問を感じています。

どこまで強い信念で死刑廃止を訴えているのか、実際はどうなのでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

廃止論を口にする人と存続論を口にする人のどちらの意見もわかるなあとか思ってる優柔不断者です。



廃止論を口にする人でその理由が「犯人に同情する」というのが理由の人って殆ど居ない様に思います。
興味があってネットでの議論などたまに見に行きますが、その中でも上記の理由で廃止を唱える人って片手の指で数えるほどです。
たまに存続論を口にする方で「被害者遺族の立場になったら云々」言う方もいますが、軸が違うので大概話がかみ合わずに終わります。

またこの手の話で自分の家族が殺されて意見を変えた弁護士の方の話が出てきますが、発する立場が異なるので当たり前でしょう。弁護士の立場から言えば刑法のバランス等の法律の観点からの話になるし、被害者遺族の立場に立てば感情的な話になるのはおかしな事ではないと思います。
隠者でもない限り、特に日本の社会では幾つもの仮面を持つのは普通でしょう。

どの場面でどの仮面を選ぶかは個々人によるのでしょうが、結局どの立場に立とうが当事者にならない限り皆他人事で言ってるんじゃないの、と個人的には思います。
被害者遺族の方々に同じ事主張できるの?とたまに見ますが、だからと言って「あなたの立場にたったと想像したら死刑を望むのは当たり前だと思います」なんて被害者遺族の方々に主張する人が居たとしてその人が他人事で言ってるのではないとはどうしても思えないからです。

一つアドバイスすると刑法等の罰則は被害者や被害者遺族の感情を考慮に入れないわけではないですがそれだけで決まるのではないので他人事として話するならその辺バランス考えないと堂々巡りになります。
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この回答へのお礼

有難うございました。
おっしゃるように、自分がその立場にならないと本当の気持ちは理解できないと思いますね。
凄惨な事件が増加している中で、厳罰化が求められる風潮になっているように思うのですが、これは言ってみれば、右に振れすぎた振り子が左に振れ戻そうとしている運動に似ているなあと感じています。
要はバランス感覚というものなのでしょうね。

お礼日時:2009/11/19 11:05

> では質問ですが、誰が復讐の代行をしてくれるのでしょうか?



あなはキチガイですか?なんで税金使って、あなたの復讐の手伝いをしなければいけないんです?

国家が遺族のケアを行う事があっても、復讐や報復などする事は現在でもありえない事ですよ。?
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この回答へのお礼

では昔に戻って、遺族が希望するならという条件で、仇討ち制度を復活させるしか無いという事ですね?

お礼日時:2009/11/19 11:07

回答になっていないと思いますが、昔は西洋も東洋も 死刑までに至らない重罪に対して、視力を剥奪したり、手足を切断する刑がありました。

これは誰もが野蛮な刑だと思います。それなら、人命を奪うことは刑罰としてはもっと野蛮だという矛盾も起きます。恐らく、ヨーロッパのほとんどの国で死刑が廃止された背景にはそういう論理も少しはあるかもしれません。しかし、日本では武士道的な考えでしょうか、人をカタワにして一生苦しめるよりは、一思いに殺した方が人情的だという考え方が残っているんでしょうか。 アメリカなら、そんな人間をそのようにして生かして置いた方が社会的損失が大きいという考えるでしょうね。でも、アメリカでも悪質な性犯罪者には性器除去という罰があるらしいです。
逆に質問ですが、死刑に至らない重刑で、視力剥奪や手足切断の刑についてはどう思いますか?
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この回答へのお礼

有難うございました。
ご提案についてですが、素晴らしい案だと思います。
もしかすると、死刑以上の犯罪抑止力になるかも知れません。
たとえば婦女強姦をした者は性器切断、スリや万引きの常習犯には指切断、福岡で発生した飲酒運転で複数の死者を出して逃亡、その上、水をガブ飲みして飲酒の事実を誤魔化そうとした卑劣な公務員には、禁固刑に加えて一生運転が出来ないように視力剥奪 ・・・ 良いですねえ。

これくらいの懲罰を与えれば、多分、被害者側もある程度は気持ちの整理がつくのではないでしょうか。

でも残念ながら、「絶対」と言って良いほど、「そんな刑は非人道的だ、前時代的だ!」という反論が口先の綺麗事が大好きな連中からあるでしょうね。

お礼日時:2009/11/19 11:01

前半部分の回答者の方々、非常にしっかりした考えをお持ちで、良い勉強をさせていただきました。



「死刑廃止論者ですが、もし自分が被害者遺族になっても同じ主張をするでしょうか?」は「ですが」を「は」に変えて、「死刑廃止論者は、もし自分が被害者遺族になっても同じ主張をするでしょうか?」と、全体の文脈から判断させて頂きました。つまりご自身は「死刑廃止論」に反対の立場に立っておられるのではないかと思います。何か、途中からおかしくなってきているようですので前置します。(ひょっとして私の思い違い?)

私は以前死刑制度にはどちらかというと反対の立場をとっていました。しかしそれはあくまで第三者としての主張で、自分が被害者側に立ったときは恐らく犯人を死刑にして欲しいと願うであろうことは十分承知した上での主張に過ぎませんでした。つまりどなたかが書かれた弁護士のような確固とした信念があって、その信念を貫き通すほどのものではなかったというのが実状です。大半の死刑廃止論者は第三者としての主張に過ぎないのではないでしょうか。

最近のように、自分の思うようにいかなかったら殺し、犯行がばれないように工作、死体の処分のために切り刻み、何の落ち度もない弱者とその家族を地獄の苦しみに陥れる事件が多発するようになってきますと第三者としても死刑制度は廃止すべきではないかもしれない、そんな気持ちになってきます。犯人には第三者の目から見ても怒りを覚えます。二人殺せば死刑、一人なら死刑にはならない、といった判例の流れにも疑問を感じる最近です。ただ一方において死刑執行の具体的光景を思い浮かべたとき、”これも人殺しではないのか?”というジレンマに苛まれるのも否定できません。人が人を殺すというおぞましい時代が早く終わることを願うのみです。

以上、以前は第三者としての死刑廃止論者の、偽らざる迷いを書きました。
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この回答へのお礼

有難うございました。
おっしゃるように「ですが」は「は」とすべきでした。誤解を招いて大変失礼しました。本当は「死刑廃止論者についてですが」とするつもりでした。

本当に最近の凄惨な事件の報道を聞くと、これが人間のする事かと思わざるを得ません。鬼畜以下の生物だと思います。
こういったモンスターを生み出した責任を議論するのは良いとしても、本人には最高の極刑にするしか方法は無いと思います。

死刑に相当するような凶悪犯罪がこの社会から無くなれば良いのですが ・・・

お礼日時:2009/11/19 10:52

人の命とは大変重いものだと思います。


そして誰もがその命をまっとうすべきだと思います。

したがって、大変重い人の命を奪った者の償いはその者の命でしか償えないと思います。

人一人殺せば死刑でいいと思います。
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この回答へのお礼

有難うございました。
私もそう思います。
中には、7番の回答者のように死刑制度に反対する人間もいるようですが、自分の家族が被害に遭っても遺族として同じ事が言えるのかなと、素朴に疑問に思っています。
一度、経験をしてほしいものですね。

お礼日時:2009/11/19 10:45

死刑執行命令を発する権限と義務のある法務大臣に


死刑廃止寄りの人がなってしまいましたね。
まったく信じられない事態です。

ところで死刑を望んで犯罪を犯すこまった輩もいますので
死刑と同等な刑が必要とも思います。
無期懲役や終身刑では甘いですね。

すみません死刑廃止論者の気持ちはわかりません。
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この回答へのお礼

有難うございました。
死刑の代わりに終身刑導入という意見があると聞いていますが、「代わり」にするのではなく、死刑>終身刑>無期懲役>有期刑という順序が適当な感じがしますね。
「どうしても自分の手で・・・」と願う遺族もおられるかと思いますので。

お礼日時:2009/11/19 10:41

死刑廃止?


凶悪犯罪を増やして治安を悪化せせたいの?
何の落ち度もない肉親を殺されても貴方はまだそう言うのか?
人の命を奪う事に何ら正当性などない。
身内を殺され、犯人が刑務所で能々と生きているのは、被害者遺族はたまったものではない。
償えるのは自らの命でしかない。
犯罪被害者団体の人の目の前でも、同じ事が言えますか?
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この回答へのお礼

有難うございました。
全く同感です。
死刑廃止論者は何となく口先の綺麗事で済まそうとしているフシが強く感じられます。
強い憤りをもっている遺族の前で同じ事が言えるのか、興味があります。
それより自分がその立場になった時に、心から同じ発言ができるのかどうか ・・・

お礼日時:2009/11/19 10:39

私は、死刑存続賛成者です。


人を殺せば(殺すという意思がある)死をもってつぐなう以外方法がありません。  生かして返すことができないからです。
それ以外の損害賠償は、損害に対する別の次元の話です。

もし身内が被害者で、加害者が死刑以外だったら、出所後に自分の手で死に至らしめる気持ちがあります。

最近、「迷える刃」?とか小説の気持ちと同じです。
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この回答へのお礼

有難うございました。
それが被害者遺族の素朴な感情だと私も感じています。
問題は国家がその権利を奪った事でしょうね。

お礼日時:2009/11/19 10:35

そんな事は人によって違うに決まっている。


「自分や、自分の家族だけは絶対に凄惨な事件の”被害者”にはならない」
「自分や、自分の家族だけは絶対に凄惨な事件の”加害者”にはならない」 というのが根拠不明とは、どこか大事なネジが外れているように思う??現代は車で人をひき殺してしまうような凄惨な事件はあふれかえっていますよ。

死刑廃止論者の多くは、国家が人を殺すべきではない 、国家が復讐の代行をすべきでない という類のことでしょう。

質問者は何か仕返しと殺し合いの雄々しゅうのような事で物事を見ているようですが、そういう問題じゃないのですよ。

それと もし ですが、車で人をひき殺してしまうような事が”凄惨”と質問者が感じられないのだとしたら、きっと質問者はもうどうかしてしまっているという事なのでは。
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この回答へのお礼

交通事故と殺人事件を同じ目線で捉えているようですね。 事故と事件は違いますよ。 どうかしていませんか?

「国家が復讐の代行をすべきではない」という意見があるとの事でしたが、では質問ですが、誰が復讐の代行をしてくれるのでしょうか?

現代日本では「必殺仕掛人」などいないと思いますので、犯人に対する遺族の激しい憤りの気持ちを晴らす方法はあるのでしょうか?

明治以前の日本では仇討ち制度があったと聞きます。賛否両論はあるにしても、自らの手で報復する権利があったと思われます。 この権利を国家権力が取り上げる代わりに、国家が遺族の気持ちを代弁するという、ある種の契約または約束が国民との間に交わされたはずです。

従って、「国家が復讐の代行をすべきではない」というのは、正に国民に対する裏切り、または背信行為になりますよね。

これが続くなら、もし遺族が希望するなら何らかの形で自ら報復が出来る制度を考えなければならなくなりますよ。 そんな社会にしてほしくないですねえ ・・・

お礼日時:2009/11/18 10:49

>もし自分が被害者遺族になっても同じ主張をするでしょうか?



いいえ、自分の母や妻やこどもが殺されたら「やはり自分も人間だった」とかなんとか言って死刑を要求するに違いありません。いいかっこ言ってるだけです。
日本の刑務所は考えようによってホームレスより良い。
1.健康的食事がただで食える。
2.医療がただ。
3.雨露をしのげる家がある。
4.暖冷房がある。
5.風呂がある。
6.演芸や運動会がある。結構楽しい。
7.年をとれば懲役が免除され刑務官は介護者となる。ホームレスは野垂れ死にするしかないのに殺人者は税金で死ぬまで介護を受けられる。
くそーっ! こんなことでいいのか! なんて後で言うなよ。
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この回答へのお礼

有難うございました。
食事代に困って、わざと無銭飲食をして逮捕され、刑務所に入りたがる人もいるという話を聞いた事があります。
それだけ日本の刑務所の居心地は良いのでしょうね。何もしなくても衣食住には困らないですからね。
でも、昔の網走刑務所の説明を受けた事がありますが、まさに地獄の世界のようでした。
あれだけ過酷な条件にすると、「あんな所に行くくらいなら死んだ方がマシだ」と考えて、誰も犯罪なんてしなくなるでしょうね。 これこそ犯罪予防に一番効果的だと思うのですが、この日本じゃダメでしょうね。

お礼日時:2009/11/18 10:35

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