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福沢諭吉の自伝書「福翁自伝」を読んだのですが、シナのことを嫌っている印象を受けました。
昭和以前の頃の人間は中国を毛嫌いしていたのですか?
私も嫌いですが、嫌いの根拠はネットから得た知識からあります。
昔の人は何故中国を毛嫌いしていたのでしょうか?
根拠がありましたら教えてください。

A 回答 (7件)

今の人も何故中国を毛嫌いしているのでしょうか?


他の回答者が書いていることも確かでしょう。
かつては、文明や文化で遥か先を行く中国という大国に対し
て、尊敬と畏敬と恐怖があったのではないでしょうか?平城
京や平安京は、中国の都を真似たことは周知の事実です。そ
して、米作、仏教など様々なものが中国より伝わってきてい
ます。
しかし、それが大きく変わったのは、中国との戦争とその敗戦
によるものです。戦前・戦中は国威を高めるために、中国に
関して様々な誤った教育を行い、誤った情報を流し続けていま
した。戦後も、アメリカ政府の意向により、日本で反共・防共
教育と政策が行われました。(ゼネストの中止とその後のレッド
パージ等)
私は、日本は昔から中国を嫌っていたとは思いません。それが、
大きく意識変化したのは、日中戦争による様々な状況があると
考えています。また、日本は・・・と、日本人すべてが嫌って
いるような言い回しには、同意できません。
戦前も戦中も戦後も、中国との関係改善に努められた多くの
先人の努力を忘れないでください。
私の周りには、中国人も韓国人も大勢います。特に韓国人の日本
人に対する嫌悪観は激しいものがあります。私は日本人ですので、
複雑な思いがあります。また、南京の人も友達がいます。過去の
ことは消せません。しかし、未来に渡り関係を築いていくのは、
私たちです。そのことにも、思いを馳せていただきたいと思います。
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日本国民の大多数が中国(当時は清)を意識したのは、1894年7月の日清戦争勃発からでしょう。


それまでは、好きも嫌いも、清という国をどれだけの日本人が知っていたのでしょうか。
この戦争で、大国であったはずの清をあっさりと破ったことにより、日本人がもつ中国へのイメージは、「毛嫌い」ではなく、「蔑視」だと思います。
「何だ、この程度か」という蔑みの感情ですね。

Asahi.com日本人のアジア感
http://www.asahi.com/international/history/chapt …

そして、その感情は、日中戦争開戦とともに、「憎悪」に変わっていったでしょう。
何しろ、敵対関係になったわけですから。
大日本帝国は中国を格好の「餌食」とみなし開戦に踏み切ったのですが、なかなか手ごわい反抗にあって、中国憎しということになったと思います。

ご質問は
「昭和以前の頃の人間は中国を毛嫌いしていたのですか?」ですね。

「毛嫌い」するようになったのは、日本の敗戦後、アメリカの反共産主義政策のせいですね。
資本主義が優位であり、共産主義は悪であるという思想を徹底的に叩き込まれた結果、共産中国を「毛嫌い」するようになったと、私は思っています。

「昔の人は何故中国を毛嫌いしていたのでしょうか?」

福沢諭吉は「脱亜論」のなかで、
「今の中国、朝鮮は日本の助けにならない。むしろ西洋からは3カ国が地理的に近いため、日本も中国や朝鮮と同じように見られてしまう。それは、日本国の大不幸だ」
と述べています。
「毛嫌い」と言ってもよいでしょうが、ニュアンスとしては、「蔑視」していたと思います。

福沢諭吉「脱亜論」
http://www.asahi.com/international/history/chapt …
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 中国を嫌っていたと言うよりは日本を中国みたいな欧米の植民地の様にしてはいけないと思ったのは当時の志ある人物の共通の願いだったと思います。


 欧米の良いなりになって自国の誇りを忘れた中国人達を軽蔑したと言うよりも日本人の心を絶対に忘れない決意みたいなモノだと思います。
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 中国が、役立たずだから。


 福沢諭吉は1935年生まれ、1901年になくなった人で。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4% …
 イギリスと中国との戦争である、アヘン戦争は、1840年から2年間にわたって行われた戦争です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%98% …
 で、日本は、西洋に負けないように、富国強兵に走らないといけなくなったのですね。
 
 江戸時代(幕末以前)の人達は、中国は立派な国だと思っていたはずです。武士の必読書である、論語とかは、全部中国の本です。
 しかし、江戸末期、日本は欧米諸国におされ、開国(日本にとっての不平等条約 1859年)して、その後、中国とイギリスの間で、アヘン戦争が起こりました。で、その結果、中国は、欧米に不平等条約を押しつけの開国をさせられてしまったのですね。

 「あの偉大な中国でさえ、欧米の下ならば、日本はどうすれば良いのだ」と、その当時の日本人は、確実にそう考えたはずです。
 で、その中国のあまりにも役立たずぶりに、日本人は中国の事を毛嫌いするようになり、福沢諭吉の「脱亜入欧論」になって行くのです。
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別に「昔から嫌っていた」わけではないと思います。

ただし「常に友好関係だった」わけでもなく、中華文明・中国文化に対する憧れと、現実に彼の地に存在する大国への反発が表裏一体となった「愛憎相半ばする関係」ではないでしょうか。これは遣隋使・遣唐使の昔から現代まで基本的には変わっていないと考えます。(大づかみにいえば日米関係も同様でしょうけれど)

「中国が嫌い」という文章を、漢字・漢語を一切使わずに、かな文字・やまとことばだけで書くのは極めて困難です。そのような文章は今(に限らず明治時代でも同じですが)日本人にはかえって分かりにくくなってしまいました。またひらがなもカタカナもそのルーツには漢字があります。要するに好き・嫌いにかかわらず、日本と中国との関係はそれだけ縁が深いということだと思います。
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 『シナ』と『中国』を分ける必要があります。


シナとは、一般的に現在の中国のある場所に建国された国家群
中国とは一般的に中華人民共和国を指します。

 ですので、日本とシナの付き合いは魏志倭人伝の『魏』から始まりますが、遣隋使、遣唐使をはじめ非常に有効な関係が続いています。
 ただその中には『元』のように直接戦をした国家もありますが、ただ特筆すべきは、漢民族系が建国した国家、宋、唐などは比較的友好な関係を築いてます。
 しかし元のように、中華思想における北狄(ほくてき)匈奴・鮮卑・契丹・蒙古などの北方諸国系の国家とは対立が多かったようです。
 尚、清は満洲族の愛新覚羅が建国した国家でいわゆる漢民族系ではありません。当初はまだよかった清外交ですが、最終的には日清戦争もあり仲が悪いともいえますね
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国民性。

としか言いようがありません。

・自己中心的
・独善的
・責任転嫁
などなど・・

中国という国名からしてそうなのですが・・・
世界の中心であるという意識と他の国への差別意識は
アパルトヘイトやカーストなどをはるかに凌ぎます。アメリカすらもね。

参考に。

四夷 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B7%E7%8B%84

日本はこれに反発したために中国人に嫌われました。逆も然り。
ちなみに周辺各国にも中国(人)は嫌われております。
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