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分析優位の立場に少し抵抗感を覚えます。つまり、あまりそういう方向に進むと何か少しデリケートでなくなりそうな気がしてしまいます。分析側と被分析側、支援者と被支援者、その壁をどんどん高くしてしまいそうな気がするのです。
これはずいぶん前から私が感じていたことです。
支援団体は支援者の支援が目的なのだろうが、被支援者の尊厳をどう思っているのだろうか。
ネットサーフィンするとやはりその壁はなかなか結構な高さだなと思います。
ご意見お聞かせくだされば幸いです。

A 回答 (1件)

統計分析系の青年期心理を専攻した者です。


個人的には分析優位の心理学は基礎研究的色合いの強いものだと思っています。
心理学は人文科学ですので、当然科学的な要素が求められます。
統計分析は議論の根拠として必須です。そうでないと論文も書けませんし本も書けません。
研究自体で実績がなければ研究費も出ないので学問が途絶してしまいます。

近年では脳科学の発達で、精神医学的な利用以外に人格心理学などでもCTやMRI、PETといった
脳を直接測定する機器が海外で利用され始めています。
将来更に技術が進むとき、これまでの分析から得られた議論が性格・人格の問題の発見に
寄与するのではないかと個人的は考えています。

その先は脳をいじくるのか、薬を開発するのか、実測に基づいたカウンセリングなどの
手法が開発されるのかは分かりませんが、今の臨床心理の様にクライアントの
「役に立つ」段階に入るのではないでしょうか。
ここにきて初めて被支援者の役に立つ段階になると考えます。

今はサンプルをとって統計数値を根拠に議論をしているだけかも知れませんが、
将来の研究に貢献するものと私個人は確信しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。勿論、研究が進めばっていうか進んでいることがとってもありがたいことだということは承知いたしております。

承知したうえで、とっても恥知らずで自身のずうずうしさも念頭にいれてこんな意見を書かしてもらったのはですね、

実際に臨床の場での患者の立場にとったら、自分の内面の問題点を同じ人間に分析してもらうことって、それは脳という体の一部に過ぎないのかもしれないけど、人格や性格の問題をそうそうやすやすと、科学的にとか統計的にとかちょっと抵抗があるわけですね。
結局つまるところは心の問題も患者本人が解決する問題だと逆に突き放してくれたほうがよっぽど親切な気がするのです。
カウンセラーに愚痴って何が解決できるのかしら、自分の根本にある問題は自分自身でしか解決できないのにって、薬で気分を楽にしたところでもそれでは解決したことにはならない。カウンセラーが患者に潜んでいる問題を分からせる、、分からせる、、えっ、分かるということは本人が分かることであって、本人が分かることが分かることなのに、どうして他人がその分かることをさせられるのだろう。患者が分かったということが分かることなんてできるのかしらって思っちゃうのです。

はたして人は人を分かるのかしら、その人が本当に解決したい問題も分からないのに、、、、

すいません。でもこれこそが医療関係者と患者の間にある壁なのです。現実だと思うのです。お医者さんや心理士も人間なのですよね。なぜその人間が人間に踏み込めるのでしょうか。

一言、自分で解決するよりほかないのですよ、これこそ今求められている言葉なのではないでしょうか。

違うと思う方は反対意見をよろしくお願いします。

お礼日時:2009/12/05 12:03

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