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努力があるとか言う人もありますが、全然努力しなかったり、出来ない人も居ますから、
その違いを作るのは、結局「運」じゃないかって事が入っていなくてガッカリです。
親がいわゆる成功者なら、二世は当たり前の様に似た道を進んだり、進まなくても、
自学力、努力といった、世間的には「運」じゃなく「自力」だとか言われている「力」を身に付けています。
統計上でも年収と学力の密接な関係が見られ、ここでも人生「運」だという事が確実さをましてきます。

そしてその「運」とは、言い方は色々ありますが、一つは「教育」に出会う「運」だと思います。
例としては、ゆとり教育の弊害とか失敗だった等と言われる事があります。
これは、その後の修正された教育を受けた人や、先生達は単なる失敗実験だったで良いのでしょうが、
ゆとり教育で育った人をどうするかと言う所が全く無いです。失敗だったから、もう消えた人なんでしょうか?
罵倒の意味で「ゆとり」と言われたりもしますが、教育被害を受けた本人が悪いんでしょうか?
教育失敗の責任を受けた側が背負えと言わんばかりです。
そして親も社会も、大きくなったら当たり前に出来る事と言うのを決めてしまっているので、
仕事でも私生活でも罵倒して、ただただ不思議がるだけです。
自分達は成功実験の被験者だったから気付かないのだと思います。
そして板挟みになり、自立出来ずにもがく若者が増えるのは当たり前だと思います。

最近は、ゆとり教育の反省なのか、子供教育への注目が以前よりましています。
脳ブームも重なってか、英才教育とか、三つ子の魂百まで。みたいな事が
科学的に脳細胞が活発な時期の教育が一生を左右する事が、単なる経験的なものから確かな事実に近付いてきました。
つまり今やっている事は、失敗教育で育った人は、取り返しが効かない事の裏付けです。
子供の頃に自立教育が受けられなかったのは本人のせいになるのでしょうか。
チャンスが少ない田舎に生まれ落ちたのは、親を選べなかったのは、子供の責任?
益々、人生は「運」のみだと思いますが、一応、他人の意見を伺っておこうと思いました。

A 回答 (4件)

ええ。


「運」だと思いますよ。
60年近く生きてきて、それは強烈に感じます。

尤も、その「運」を活かすも殺すも、自分の頭脳次第ですけど。
(そして、その頭脳も、要するに「生まれ持ったもの」なんですよね(笑)

私は強運でした。
なんたって、例えば中世ヨーロッパに生まれたら、魔女裁判にかけられて拷問の末に火刑だったかもしれないんですから。
20世紀に生まれてきて、ものすごく強運だったと思ってます。

ま、その程度に考えておかないと、強い運を持って生まれた恵まれた人を際限なく恨むことになりかねませんから。
あとは、「運」の解釈しだいだと思います。
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この回答へのお礼

有り難う御座います。
私の「運」の解釈は、自立教育というか、自立が身に付く環境にあるかです。
親の背中を見て育つとか、子供は社会で育てるとか、よく言われている事などです。
親に本を読む習慣があるかとか、そういう所で学力や自学力も変わってくると思いますし、
逆に、口うるさいだけの親だと勉強が嫌いになるとか、親が甘いと子供が自立しないとか、そういう類ですね。

死んでいなければ強運という感じでしょうか。凄いです…
私としては、争いが身近と言いますか、死が近い時代の幸運と、そうでない時代の幸運は違うもの、
刀で斬り合った時代と現代の正義と悪も全く違うと思うで、昔の価値観では見られそうにありません…

お礼日時:2009/11/30 16:49

質問者様が賛同されるかどうかは別として、「努力」と「運」について思うところを書かせていただきます。



一言で言うと、

『成功』に「運」は必要だが、「努力」のないところに『成功』は生まれない。

だと思います。

宝くじで大金が当たったり、たまたま街で芸能プロダクションからスカウトされたり、と
「運」に作用される出来事というのが世の中にはありますが、
宝くじが当たった人がその後の人生を必ず『成功者』として謳歌できるのか、
街でスカウトされただけでスーパースターになれるのか、というと、そうではないと思います。
きっかけは「運」で掴めても、継続していくには「努力」が必要ですね。

それと、親が成功者なら運がいい、田舎生まれは運が悪い、という論理を書かれていますが、
そもそも質問者様が運がいい・悪いというのはどのような定義なのでしょうか?
名声があり裕福であること、でしょうか?
その部分が明確ではないため推論になってしまいますが、2代目は本当に運がいいのでしょうか?
本来自分が打ち込みたい事を諦めて、泣く泣く事業を継いでいる方々も大勢おられるはずです。

私は、運がいい・運が悪い、というのは周囲が決めることではなく、本人自身が決めるものだと思っています。
田舎に生まれたからこそ自然を味方に付けることができた、や、
何度も転職を重ねたからこそ、見る目を養うことができた、のようにです。


最後になりますが、質問者様はゆとり教育についても書かれています。

ゆとり教育を採用したことについては、以前の詰め込み教育や受験戦争に対する反省が根底にあると思うのですが、
戦前から団塊の世代、高度経済成長、バブル、そして平成に至るまで、
教育というのはずっと「試行錯誤」を繰り返してきたのです。

それ故、それぞれの時代の中に教育の被害者と言われる方が存在するのだと思いますが、
では、国の教育方法に問題があるから、それを盾にして延々と被害者然としていて良いのか、
ということではないでしょうか?

学校で教える内容は国や市町村によって制定されますが、そのどちらもその人の人生に対して
レールを敷いているわけではありません。
知識に欠落があることを認識した段階で、それは個人の責任として補わなければなりません。
それさえも生まれた時代の被害者として責任転嫁していくことは、自らが成長することを拒否したと
捉えられても仕方がないと思うのです。

取り留めのない文章になってしまい申し訳ありません。
1つの意見として読んでいただければ幸いです。
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この回答へのお礼

有り難う御座います。
運が良い悪いというのは、やはり一番は教育教養と言う部分、「自立」を身に付けさせて貰えるかどうかです。
自立というと、好奇心、感受性、行動力、表現力、それと経済面かなと思います。
生きる上で必要な基本、教育の基本はそれだと思います。
覚えて貰うなんて事は付属で、自立さえしていれば与えなくても良い部分だと思います。

運の良し悪しは、本人が決めるものと言うのは、自立が大前提じゃないでしょうか。
ゆとり教育で自立出来なくて、何やらそのまま大人と見なされた人達が罵倒されているのは、
本当に、他人から見て運が悪いと決められないのかと言うと、そうじゃないと思います。

他にやりたい事があって、2代目という事が嫌で、本人が運が悪いと思う事もあると思いますが、
もうその時点で自立を身に付けて貰っているので、良し悪しの「良し」に入ります。
やりたい事が分からないというのが、自立出来ていないと罵倒される今の若者じゃないでしょうか。

成功者と都会と田舎の話を出したのは、経験上思ったのと、そう思う人が多いから都会になり得たと思うからです。
自分は人里離れて自然と暮らすんだと言われれば、それまでですが、
田舎から都会への人口の流出や、世界を見た時、やはりそこには、蔑ろに出来ない事実があると思います。
都会や成功者の子供だと、機会の多さや的確な教育、自立が身に付くんだと思います。
逆に教育方法、親と地域格差などが関係ないという事の方が不自然に感じます。

お礼日時:2009/11/30 16:13

「運」という特別なものがあって、その「運」に支配されていると間違った理解をしてませんか?違います。



「運」という漢字を見てください。それは運ばれるなら支配されるだけですが、実は自分で自分を運ぶものなのです。

ではどこに運ぶか?自分が進むべき流れです。流れに乗れた人は成功という2文字を手に入れます。アルバイトで全くうだつのあがらないデクノボーがいました。

ふと飛び込んだキックボクシングの世界で世界チャンプに成りました。その人こそあのK-1マサト選手なのです。あのままアルバイトを続ければ一生浮かばれないデクノボーです。

彼は自分を生かす流れを早く見つけられました。

また、ある人はおいしい空揚げに一生をささげ、やっとこさ成功した時はおじいさんになっていました。それがケンタッキー爺さんです。

流れに早く乗れる人、老人になってやっと乗れる人。それが運です。でも殆どの人がその流れが何であるかわからず一生を終えるものと思っています。
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この回答へのお礼

「運」の解釈として、自分が進むべき流れとしても良いのですが、
流れに乗れる人、乗れない人、見付ける人、見付からない人の違いを作るのは何か?という事が抜けているので、
やはり、その説明の出来ない部分が運だと思います。

お礼日時:2009/11/30 13:11

努力すれば、運命なんて変えられる、というが、努力できるかどうかも遺伝によるのだから、やっぱり運ではないか、ということですね。


おっしゃる通りだと思います。
確かに運によるところは極めて大きいと思います。
ただひとつ言えるのは、だからといってそこであきらめてしまったら、何も生まれることはない、ということだけです。
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この回答へのお礼

そうなんですよね、実際は選択ではないのに、選択出来るように見えるところが、またもどかしいです。
でも、そこには何か力が働いていて選択に踏み切れない人と出来る人があるので、
それが「運」なんですが、人間世界の外の事としないと、「運」は存在出来ないので、
必然的に、それは人間にとって「選択」とするしかないのです。でも「運」はありますみたいな…

お礼日時:2009/11/30 12:44

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