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"行き倒れた"と"行き倒れになった"は全く同じ意味ですか?
どちらかが間違った使い方をしているということはないでしょうか

A 回答 (3件)

「行き倒れになる」というふうに、「行き倒れ」を名詞として使用されるのが普通で、「行き倒れる」というふうに動詞として使われた例は、私の記憶する限りでは思い出せません。


手持ちの国語辞典を引いても、名詞としての「行き倒れ」は載っているのですが、「行き倒れる」という動詞は載っていませんでした。
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「全く同じ意味か?」と念を押されると,ちょっと考え込みました。


たとえば,ある男が路上生活者になり,ある朝,歩道の上で冷たくなっていたとします。

「彼は新宿の路上で行き倒れた。」
違和感があります。新宿を経由してどこかに向かおうとしていたとき,新宿で力つきて死んだようにも聞こえます。そう聞いたときは,必ずしも路上生活者だったとは限らないでしょう(無銭旅行者かもしれません)。

「彼は新宿の路上で行き倒れになった。」
違和感がありません。路上生活者としてさびしく死んだ,という意味も含んでいると思います。
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「行き倒れた」の「行き倒れ」は動詞。

「主語」+「動詞」の文型で「主語」が省略されたもの。
「行き倒れになった」の「行き倒れ」は名詞。「主語」+「補語」+「動詞」の文型で「主語」が省略されたもの。
結論は、全くではないが同じ意味です。どちらも文型として成り立っているので、どちらも間違っていません。
また、どちらも日本語の文章として、「主語」が省略されている点が間違いといえば間違いです。
口語であれば、主語の省略は間違いになりません。
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