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 アスペルガーの特徴のひとつと言われることとして 《言葉を額面どおりに受け取る》を取り上げたい。
▲ (ヰキぺ:アスペルガー症候群) ~~~~~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9% …
 例えば教師が、アスペルガーの子供に(宿題を忘れたことを問いただす意味で)「犬があなたの宿題を食べたの?」と尋ねたら、その子はその表現が理解できなければ押し黙り、教師に自分は犬を飼っておらず、普通犬は紙を食べないことを説明する必要があるのかどうか考えようとする。
 つまり教師が、表情や声のトーンから暗に意味している事を理解できない。
  先生は、その子が傲慢で悪意に満ち、反抗的であると考え、フラストレーションを感じながら歩き去っていくかもしれない。その子はその場で何かがおかしいとフラストレーションを感じながら、そこへ黙って立ち尽くすことだろう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ こんなばかな話はない。いくらでも言葉を尽くせばよいだけではないか。
 ただ これが大人どうしの交通であったなら むしろそのままの事態が繰り広げられるかも知れないと思う。

 そのような意思疎通の障害やそれにともなう交通事故を無くすためには どうしたらよいか。
 これを もしこの特徴に限るなら アスペルガーが症候群であるなどとは ちゃんちゃらおかしいと思うという立ち場から 考えてみたい。

 なぜなら 二枚舌――社会的な知恵や方便である場合もあろうかと思うが 一般に後味がわるく 社会的に弊害があると思われるような種類の二枚舌――を使うのは あくまでもっぱらの公民であるアマテラス族であって そのアマテラス語方言においてこそ 悪質なものがはびこっている。つまり アマテラス語方言の利用者にこそ 症候群があると診(み)られなければならない。

 これは まなざしをやおら上から向けて来てひとを見降ろすようにして見るアマテラスお二階さんが 虫の居所がわるいのか 怒ったり喚き散らしたりあるいはいぢの悪い要求をつきつけたりとおのれの意識の排泄をおこなって それをアース役として受けとめるものとの間に繰り広げる二枚舌合戦であって このとき弱い者の側だけが 病いに落ち入ったと診断するなどとは 《ゆるせない》。つまり――ゆえに―― 赦す・赦さないを超えて 事態の精確な把握と分析をなしておきたい。

 つまり問いたいことは アスペルガー症候群という一種の疾病のレッテルを貼りつけようとするのは みづからのその症状を隠すための社会的戦術であるのではないか。
 あたかも敵は本能寺というごとく二枚舌をあやつるこのアマアガリ症候群に根ざすと思われるアマテラス語方言現象 これじたいが 或る種のアスペルガー症状なのではないか?

A 回答 (46件中1~10件)

少しアスペルガーについて、いろいろ情報が錯綜していますので、私の体験からですが、特徴をあげてみます。



空気を読めない。
言葉の裏を読めない。
平等主義を理想にする。
何事も理想的な考えに偏りすぎる。
議題のきまっていない世間話が苦手。
並列的な作業が苦手。
幼児の頃の記憶が断片ではあるが、いちいち鮮明に覚えている。
幼児の頃の絵をみると、端っこに小さく書いていた。
幼児の頃、一時期おしになったことがある。

こんな様な特徴があります。医者に判定されるまでは、人間関係が苦手で本当にダメ人間だと全く自身を無くしていたのですが、そういう特徴の定義付けの言葉にあてはめられて、なんだそうかだからなのかと少し安心したような気持ちになったのも事実なのです。

それで私が現在、本当に問題だなと感じていることは、レッテルを貼ることで、よけいにそういう言葉でくくって排除に働いたり、また言い訳しているにすぎないと見たり、そういう特徴を逆側から見ての改善を強いるような動きに働きすぎて余計に追い詰めたりと本当にまだまだ、いろいろ混乱しているということです。ですからいつも感じることですが生きづらさの特徴をもった本人自身が尊厳をもって哲学的な見地において社会を考えて成長することが大切ではないかと考えているわけです。

支援団体というものがありながら、なぜか被支援者を蚊帳の外において支援者の支援にしか働いていないのかとか、なかなかまだまだこの問題は深いものがあるわけです。
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この回答へのお礼

 ふううむ。わたしは No.36の aeromakki さんに指摘されましたが 何も実地に分かっているものではありません。ましてや何も実際に言えるものでもないのです。――あっ ハートマインドさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
 ですが 勘でしょうか 明らかに《でっちあげ》だと確信しています。量がいわゆる質に変わるときには かなりそれとしての専門の分野という扱いにもなるのだと思います。これに抵抗や批判をするのは たしかにその専門家に自分もなったときです。
 ですが わたしには 体験があるのです。明らかにたとえば生体電気信号が 外へ出てひとに向けて発信されたということがです。すでに言ってきたアース役の問題ですが これは相手に確かめていますから 自信があります。
 日本人は ちょうど欧米の人たちが挨拶に握手をするのと同じように――ま この握手を同じくするかしないかとは別に―― この電磁波でのやり取りをおこなっているということです。これ自体は 推測ですが 馴染みどうしの場合や初対面の場合などなどで どうも――まなざしをそそぐ・そそがれるという表現をも使いましたが それとも別に と言いますか このまなざしに伴なうかたちでと言ったほうがよいと思いますが―― 電波のやり取りを 時にはライワ゛ルどうしなら火花を散らして たのしんでいるようなのです。
 ジャブの応酬といったところでしょうか。―― 一般には 相手と自分とでは 社会的な身分はどちらが上か これを値踏みしているのだと思われます。

 ★ 特徴
 ☆ これらは このような電波合戦のあと――アース役が決まったあと―― 時とともに(親から子へ)つくられつつ感染もすることがある。こういう認識です。つまり でっちあげです。
 《デンパによる握手行為はやめましょう》 これを標語にしたい。こう思います。

 ★ ですからいつも感じることですが生きづらさの特徴をもった本人自身が尊厳をもって哲学的な見地において社会を考えて成長することが大切ではないかと考えているわけです。
 ☆ これはわたしも肝に銘じます。

お礼日時:2009/12/17 21:16

ゴミ再活性化にまでつながる。



 と言いますが、脅迫症の親が子供に対して圧力をかけ、抑圧したがゆえに相手の言葉の意味を考えることが出来なくなって、相手の出方、強く望む姿勢に拒絶感を覚え、自分の殻に閉じこもったが、

 大人になって社会的に生きていくうえで適応せざるを得ず、その結果として 生き残っていく上で相手の出方や人間間の関係性のみで物事を考え、対処し、「生き残っていくために」自分自身も自分の親と同じように他者に働きかけるようになるようなbakaゴキちゃんは、

 丸めた新聞紙で叩き殺すしかないでしょう。そういうケースもあります。

 なにしろ反省しないで自分の親と同じような態度で子供に臨むようになるのだからね。しかし、反省するなら話は別です。

 それが「叩き殺す」の真の意味です。再有用化のための愛のムチです。そのようにして厳しい態度で臨めば、bakaゴキちゃんは反省し、目下のものへ精神的虐待をしなくなります。

 それが相手のためであり、自分のためでもあります。
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この回答へのお礼

 そうですね。
 前回No.48でのお応えと同じになります。

 ▲ (ヰキぺ:強迫性障害) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E8%BF%AB% …
 ○ 強迫性障害の原因
 強迫性障害は脳の機能障害が関連しており、前頭前野や帯状回など、複数の要因が関連して起きる。しかし、発症に至る完全な原因はわかっていない。

 患者の共通点として、元来几帳面であったり、融通が効かずに生真面目な性格傾向が挙げられる事も多い。これらの性格と障害の因果関係はよくわかっていないが、このためから過去、完全に心の働きのみが原因となって起きる(心因性という)神経症の一種に分類されてきた経緯がある。

 しかし近年、患者の脳を観察すると、セロトニンなど脳内の神経伝達物質のバランスに異常が見られることがわかった。このため、強迫性障害は脳内部の化学的な働きの不具合によるものと、心理的な要因および体質などが複雑に関係して発症するのではないかと考えられるに至った。また双生児研究から、遺伝的な要因を指摘するものもある。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この分析だけでは満足しません。
 社会における人間と人間との交通関係 ここに 原因を探って欲しい。このことだけをここでは言おうとしています。
 くさいものは ふたをするだけではだめで 元から断たなきゃだめだと言いたいです。

 休養を必要とするほどの状態になっているひとであっても 一気に その人生の過去の自分のたどった階梯を推し測り どこに原因があったか これをよくよく考え尽しておいて欲しい。
 そういう方面での相談者があってもいい。

 上司のアマテラス性無謬神話なんかは 屁のカッパだと豪語する人間が どんどん出て来て欲しい。豪語しなくて屁だとも思わない人びとの増えることをのぞみます。

お礼日時:2009/12/24 12:33

投稿の時機を逸した感じではありますが。

。。
ご質問には、権力の発話というもの、権力行使者-被抑圧者間のコミュニケーション、そういう事柄を論じる困難さがあります。
この困難についてすぐ言えることに、
発話行為/言葉に挙げるための、事態や現象についての同定をおこなうものが、権力の発話以外に無いという点があります。
そして、その事態や現象に関しての参照域による問題圏を形成して、このフィールド(力の場)の、地固めをたえずおこなう権力の行使力のありかたとして、
権力を権力としつづけることと、世界の参照システムによる認識をつくり、それらを連関させていくことになりますから、
権力の発話に疑義をはさむ手続きは、権力の転覆と、認識の瓦解の、どちらか一方のみを都合よく図ることはできないでしょう。

心身の症候群を命名する権力行使は、
そのあらわれている症状について、症状でないもののほうを初めて措定できるのですが、
この双方は、症状をめぐる特定の発話においては同じフィールド・力の場を利用するにもかかわらず、
症状でないもののほうの参照域と連関づけがはるかに広大なので、
症状でないもののほうについては、発話のフィールド・力の場により自由度がある、
というような錯覚が生じるのではないかと思います。
錯覚というか、参照可能性と連関づけは豊かに強大に繰り広げられる人間の他者性の認知ですから、
それを自由度であるとするところがたぶんに錯覚的だという意味ですが、
アスペルガーのように、話が見えない、話が通じない、という場合に、
この配達不能郵便のような性質とそれ(参照、連関、他者性、錯覚的自由)の差は歴然として印象的であると言うことはできます。
つまり、権力の発話において、常に使われている種類のフィールドであるだけに、アスペルガーには分が悪いということは言えます。

駆け足の書きなぐりですみませんが、
社会的戦術というよりは言語コミュニケーションの上の構造的本質だというような回答になっていますでしょうか。
もうひとつのご質問の電波系のほうにも関わる、ご関心の傾向のようですね。

この回答への補足

 amaguappa さん わたしはご存じのように きわめて思弁的です。けっこう深く考えているつもりですが――あぁ このように飛びだすのも もう一方のわたしのつねですが つまりご投稿を寄せていただいたことへの感謝の気持ちを表わすことを忘れてしまいがちなのですが つまりご回答をありがとうございます――  得られた結論を表明するときには あたかも山師が大ほらを吹くかのごとく 思弁的であります。
 そして アスペルガーについては aeromakki さんや for-baka さんに指摘されなくても ずぶの素人です。

 さて ご回答の内容をしっかりと読みこんだとは たぶん残念ながら まだ言えない状態だと思いつつも 話を前にすすめたい気持ちから見切り発車します。
 ★ 社会的戦術というよりは言語コミュニケーションの上の構造的本質だというような回答になっていますでしょうか。
 ☆ という見方に立つとき わたしの当てた焦点は アマテラス公民のその発言については《無謬性》の神話がまといついているではないか というこの一点です。
 むろん権力ゆえのそういう問題だと考えますが 考えようによっては 《まちがえました》とふつうに言ってしまえば 何のことはない アマテラス公民も あぁ やっぱりふつうの人間だったわいで済むことなのではないか。
 もしそうでないときには 単なるホンネとタテマエの使い分けの問題におさまるようなことでは済まずに いわゆる二枚舌という発言の形式(つまり 心理の問題を超えて精神のゆがみをともなった表現形式)が 人びとにとって あたかもふつうの現実であるという錯覚を 錯覚でなくしてしまうのではないか。
 ダブルスタンダードのもとに生きるということが どういうことかという問題になるのではないでしょうか?

 発話の場の力学も然ることながら その力関係の場に無謬性を帯びたという意味で神聖にして侵すべからざるアマテラス公民というあたかも地球外生物が立ち現われ けっきょくわたしたちの目の前に生息しているという実態 こちらのほうに焦点を当てたいと考えます。それゆえにこそ まなざしのそそぐ・そそがれという力関係が問題になると思います。
 
 たとえばもしいま述べています路線で考えるなら 有徴性の扱いをめぐっては 無標識の部類に入れられたと受け取る人びとは その有標識の人びとの存在を下に見て(あるいは外に見て) 何がしかの安堵の気持ちを抱いて胸をなでることができる。そういう社会的戦術にもつながるのではないでしょうか? それによってでもアマテラス公民の二重人格性は 変なことに 大目に見られるかも知れない。

 かつては権力を持たない場合でも 組織の中で権限を持つときには 権力を持つアマテラス公民をまねて自分は無謬性を帯びているのだと みづからにもほかの人びとにも錯覚を抱かせようとしたし ある程度は《成功》していたようです。

 電波系のほうは 人間による電波の放出とその受け取りがじっさいの現実に起こっているのではないか。この一点に特化して問うています。
 どうでしょう。

補足日時:2009/12/23 09:42
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~この箇所だけでいいでしょう。


 そのほかにつけ加えているのは 《あやうい道》につながるでしょう。~

早合点の理由を説明したら、今度は、つけ加えが「あやうい道」ですか。(笑)

~父のくせをも包んで話ができるようになりつつありましたし そのくせをいい方にみちびくことすら考えてすすみました。~

それをおっしゃるまでは、こういうふうに感じることができないような書き方をされてた、ってことです!
その理由を述べたら、つけ加えて「あやうい道」だって。(笑)

~あるいはそれとも No.41さんの考え方を取り上げて 回答に及ぶという行き方があるでしょうけれど それをおやりになる気配がない。~

No.41さんは、ワタシなんかがアスペルガー云々と述べるまでもなく、何倍も研究なさってこられてるので、何も言うことはできないんです。

その点、質問氏は、厚かましいほどのシンゾーでいらっしゃるのか、
アスペルガーの何を分かっておられるんですか?

何がアマテラスなんだか、よく知らないですが、独自の考えで、良くないものだとされてるんでしょ?それへアスペルガーの特徴とされていることを結び付けようとしているところをみると、いったい、アスペルガー障害者とされている人たちを悪いものだと思ってるんでしょうかね?
おそらく、当事者の人たちから見ると、非常に不愉快なことだと思いますよ。
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この回答へのお礼

 

お礼日時:2009/12/22 07:52

ああ、そうですか、「ヤワラが締められる」いやシツレイ、「やわらがしめられ」とかいうご質問の板でしたか、どうも、わたしは長い板になってくると、めんどくさくなっちまう傾向がありまして、しかも、質問氏の立てられる板は、どれがどれだか、どうしても、ややこしくなってしまうんでしょうなあ。


読み流すくせが出たかもしれないことは、お詫び申します。

はい、早合点でしたようで。
しかし、わたしの目に特にとまっていた箇所というのは、ここですな。↓

~おやぢは わたしがちいちゃなことでももし意見なるものを言った場合には まづ ちがう そうぢゃないと言ってから その答えを言いました。つまり合っていた場合にも そういう形式が つねなのでした。~

今回のような単純な早合点の場合は、単にこうして、ちょっとした事実誤認であることを示せば済むことで、「あやうい道」というほどのことじゃないですよ、大げさ過ぎですわ。(笑)

ただまあ、
~か弱いひつじ
お人よしだった
意味のある教訓に満ちたいぢわる~

いたって真面目に、こういった単語が殊更連なることから、多少の被害意識みたいなものが感じられたんですよ。
それと併せて、そういう父上の癖が、こんにちなお、ご自分の言動に影響を及ぼしていることも述べておられましたのでね。
それから、
「確認したくなる傾向が強まるのかもしれませんし」と、わたしは言いましたよ。つまり、父上の癖は「継続されてた」わけだろうと申し上げたかったのです。
質問氏が30歳になられた時点で、ぱったりと、父上の、もともとの言動傾向がなくなったわけじゃないのでしょ?

~父のくせをも包んで話ができるようになりつつありましたし そのくせをいい方にみちびくことすら考えてすすみました。~

それが些かも本音を隠した欺瞞の言葉でなく本当のことなら、けっこうなんです。なにも申すことはありません。

ただ、何気なく用いる単語などにも、その人の潜在意識が滲み出ることは多いようですのでね。本人ひとり気づかないことも多いんです。
そこに少し引っ掛かったんでしょう。そういうことです。

当方、No.41さんが、以前からワリにお気に入りなもんで、余計な口を出してしまったということで、お聞き流しください。
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この回答へのお礼

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   ~父のくせをも包んで話ができるようになりつつありましたし そのくせをいい方にみちびくことすら考えてすすみました。~

 それが些かも本音を隠した欺瞞の言葉でなく本当のことなら、けっこうなんです。なにも申すことはありません。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この箇所だけでいいでしょう。
 そのほかにつけ加えているのは 《あやうい道》につながるでしょう。
 あるいはそれとも No.41さんの考え方を取り上げて 回答に及ぶという行き方があるでしょうけれど それをおやりになる気配がない。そういったところでしょう。

お礼日時:2009/12/21 17:04

実は当方、No.41さんは、かねてから、なかなかシッカリした御意見をお持ちと存じていましたので、その他の回答群には、あまりキチンと目を通していません。


そのうえで、目にとまったのが、質問氏の父上のエピソードですが、なるほど、こういう人は、わたしも時に見かけます。
まあ、男という者が父親という位置につけば、やがて自分の後を襲う立場の息子が長じてくると、自分の権力を確認したくなる傾向が強まるのかもしれませんし、質問氏は、そうした父上の癖みたいなものに、被害意識を抱えたまま生きてこられたのかなと思われました。

わたしのとこのPCには、ある企業から、「エニアグラム」とかいうものの案内が来るんですが、質問氏の父上も、こんな感じだったのでありましょうか。
            ↓↓
言い換える必要もないことを言い換えるという特徴。

こういう特徴の人は、「タイプ4」というのに分類されているそうです、そのエニアグラムというものによれば。対処方法としての理論も確立されているそうな。
やはり、心理学に深く関係してるらしいです。
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この回答へのお礼

 for-baka さん ご回答をありがとうございます。

 ですが 事実誤認があります。わたしの説明も量が少なかったのでしょう。でも その明らかになった部分のほかでは 事実誤認と言いますか for-baka さんがご自分で推測なさった結果になってしまっています。
 ☆☆ (【Q:ひとは やわらがしめられうるか?】No.10お礼欄) ~~~
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5495975.html
 わたしは ほとんどいつも――へたをすると おやぢからも―― そのおまえの分度器が間違っているんぢゃと言われつづけてきた・か弱いひつじでして しかも三十歳くらいまでお人よしだったのです。その意味のある教訓に満ちたいぢわるを意に介さなかった歴史があります。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ もっと引用すべきですが まづこれで用が足りるでしょう。
 おやぢは わたしが生まれたときから そういう同じひとつの態度で接し続けていたのです。ですから そのわたしは 被害意識を微塵も感じずに成人したのです。《か弱いひつじ》にはそういう意味と実際の事実があります。
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 まあ、男という者が父親という位置につけば、やがて自分の後を襲う立場の息子が長じてくると、自分の権力を確認したくなる傾向が強まるのかもしれませんし、質問氏は、そうした父上の癖みたいなものに、被害意識を抱えたまま生きてこられたのかなと思われました。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 事実が明らかに違うと申し上げておきます。《息子が長じてくると》および《被害意識を抱えたまま》の二点が 異なります。
 わたしは 三十歳で気がついたころには おのれの見識を持っていましから 《被害意識》を持つかどうかをすでに通り過ぎていたという恰好です。父のくせをも包んで話ができるようになりつつありましたし そのくせをいい方にみちびくことすら考えてすすみました。(三十歳ころ 人生にとってあるいは世界観として どんでん返しがあったという歴史も言っておいたほうがよいかも知れません)。

 ま 得てして 早合点ということでしょうな。早合点で済めばよいというあやうい道をあゆんでおられるかに伺いますので その点をも老婆心ながらお伝えしておきます。

お礼日時:2009/12/21 13:14

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiです。

> ストレスとレッテル貼りなどがありますが そうですね わたしの焦点は 発生の時点ですね。感染だと見込んでいますから

 確かに、そうでした。会話が進むに連れて、愚生も”症候群”の特徴・原因の方に傾いてしまっていたようでございます。申し訳ございませんでした。

> 無力感に耐えるというとき 当のアマテラス語方言を駆使する側から《和を以って貴しと為す》ということわざを言われてしまうと ひとは人間の人格が問われているように感じると思います。狂う寸前にまで連れて行かれた感覚をおぼえるでしょうね。

 《和を以って貴しと為す》という大義名分を掲げられてしまいますと、確かに、心的なパニックに陥る方がある意味自然かとも思われます。

> アスペルガーは スサノヲ市民側に流れ集まる。うんぬんなのですが どうでしょう?

 現在でも”御上”意識は日本人にも、存在しているのは事実と思われます。ただ、”郵政民営化”、またつい最近では、”仕分け事業(実際は、予定額通りには削減できなかったようでございますが)”等により、”お二階様”と”スサノヲ庶民側”との距離は縮んでいっている観もございます。それが、逆に”感染”なるものをも一緒に流入してしまっている可能性もあろうかとも考えております。

 誠に、申し訳ございませんが、以下の欄をお借りさせていただきたく存じます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
heratmind様へ

 No.38におけますご意見には、愚生も非常に感銘を受けました。
 
 「支援団体というものがありながら、なぜか被支援者を蚊帳の外において支援者の支援にしか働いていないのかとか、なかなかまだまだこの問題は深いものがあるわけです。」

 支援者と名乗っていながら、逆に被支援者を苦しめていく(追いつめていく)というケースが存在すると 耳にしたことがございます。実際にご経験のある、 heratmind様の冷静かつ鋭い考察には、感動させられた次第でございます。すばらしいご指摘、どうもありがとうございましいた。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 なお、愚生の方でも、人体エネルギーに関しまして、さらに調査を進めたいと考えております。
 また、興味深い論文等がございましたら、新しくお建てになられたスレッドにでもご報告したいと思っております。

 それでは、皆様、駄文ご一読いただきまして、どうもありがとうございました。
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この回答へのお礼

 Hidocchi さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 あらためてありがとうございます。
 わたしが すっ飛んだところを科学的に人格的に確かなものへと舵取りをしていただくことまで担っていただいていると思うと頭が下がります。
 見落としたところをも拾ってくださって おそれ入ります。

 そうですね。一つひとつ確かめながらあゆんでまいりたい。いつもこのように進みたいと思います。

 * ミニ・アマテラス(そのアマテラス語方言現象)というのも 民間においてスサノヲどうしで たとえば上司とその部下という権限関係において 時には この風邪が流行する場合もあるかと考えます。
 かつては 親と子 教師と生徒 医師と患者 先輩と後輩などなどの上下関係においても 或る種のアマテラス語方言現象が起きたと思います。その上下関係が解けてきたとき 風邪を引いていたんだと分かるようなものでしょうが。

お礼日時:2009/12/19 21:24

どうも、アマテラス族とは、自己愛性人格障害の連中のことですね。


治せるのに治さないような連中と、アスペルガーを同一視するのはやめてください。

連中は、趣味で人を犠牲にして自分の快楽を追求して生きている連中です。

同列に扱うのは、やめていただきたい。
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この回答へのお礼

 ご投稿をありがとうございます。

 ★ 同列に扱うのは、やめていただきたい。
 ☆ いつわたしが同列に扱ったのですか? そのアマテラス族の駆使するアマテラス語(それじたいは むしろ徳を問い求める人格語です)の無謬性をみづから帯びさせ単独分立させた方言が 問題ですし それとのやり取りにおいてひとは アスペルガー特徴を身に帯びるようになるのではないか? こう問うています。

 アマテラス公民が そういう片寄った特徴に特化してゆくにもかかわらず もし《発症》しないとすれば それはひとの目を意識することによる自己保持であり いわゆる体制保守という目的に向けての勢いによるのではないかと踏んでいます。
 (ただし 入省まもない若いひとたちが 自死をえらぶという例もあるように聞いています。人格の維持じたいがむつかしくなるのではないかとさえ推し測られます)。
 それと なんと言っても 権力を握っているという現実があるはずです。

 これらの人種とやり取りをするスサノヲ市民の側は あたかもそのアマテラス特徴としてのアスペルガーを 受け身の側に応じたかたちで 感染してしまう。のではないか? これが ここで問う問題です。
 このアマテラス風邪
 あるいは《只今ミラー・ニューロン活性化中》現象
 あるいは《アマテラスさん それを言っちゃおしめえよ》に始まる寅さん反応=《アース役はつらいよ》現象
 これの発生の仕方に 質問者としては 焦点を集めています。フィールドワークだとかをおこなったわけではないのです。

お礼日時:2009/12/18 21:14

 こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。

Hidocchiです。

 前回は、愚生からの一方的な発言をしてしまい、深くお詫び申し上げます。

> 器質による場合を除いて あとはすべて 社会における人間関係から現われるものだと見ます。

 基本的に、意見を等しく致します。

> この親の受けているものは ストレスと言えば言えるのかも知れないと今回 思いましたが どうでしょう?

 確かに、妊娠期間中におけます“ストレス”等が体内の子供に悪影響を与えることは、ほぼ事実かと存じます。
 ただ、双子の授産の場合におきまして、“二卵生双生児”では、片方が発病すれば、もう片方が発病する確率は約10%だそうです。一方、“一卵生双生児”では、片方が発病すれば、もう片方が発病する確率は約50%なのだそうです。としますと、親が受ける“ストレス”も含まれるとは十分考えられますが、“素因”もそれなりに存在するかと思うのですが、いかがでしょうか。

> “アスペルガー”はデタラメ?

 自閉症の発症率から鑑みますと、発病率は1000人にせいぜい10人未満かと思われます。つまり、仮に“アスペルガー”なるものが存在したとしても、現在の日本人の数は多い過ぎると考えております(単なる、レッテル化現象?)。

 以下に、少し興味深い論文がございましたので、ご報告させていただきます(適当にスルーしてくださいませ)。
 タイトルは「人の歩行中に生じる、植物の生体電位を用いた、個人識別手法の検証」といったところでしょうか。
 つまり、人から発せられる電磁波が植物に影響を与え、その植物への影響度合いを解析することにより、個人の識別が可能となりうる手法を検討したものだそうです。

http://jjap.ipap.jp/link?JJAP/46/1768/ 

要約(愚訳)
当研究では、人の活動によって発せられた電磁波をモニターし、ゴムの木の生体電位を観察することにより、各個人を識別するための方法を検討した。4人の被験者が、ゴムの木から60cmの距離を定位置として歩くようにしたが、“ステップ”することで発生する際の、木々の生体電位変化を測定した(図2)。この結果により、定位置にいる人の“ウォーキング”にて発生する電磁波により、(影響を受けた)植物による生体電気において、測定可能な“反応”が生む出されることを確認した。また各“ウォーキング”速度に従って同調するように、生体電気の変化が生じることも判明した(図4、5)。観測により得られたスペクトル包絡線を“直線-線近似化”を用いることにより近似化し(近似線を作成し)、そして、この近似線の係数分布をプロットした。その結果、単純な直線的近似線ですら、この係数分布が、対象とする各個人特性間で、変化することを見出した(図6)。

 ただ、愚生はこの分野の専門でないため、詳細な評価はできないのですが、さらに、他グループによる再検討等が必要と思われました(題材自体は面白いと思うのですが、この分野に関します、報告が少ないからでございます)。

 それでは、ご参考になれば、幸甚に存じます。
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この回答へのお礼

 Hidocchi さん ご回答をありがとうございます。

 ★ 「人の歩行中に生じる、植物の生体電位を用いた、個人識別手法の検証」
 ☆ なるほど。
 (1) ひとから電磁波が出ているというのは 事実である。
 (2) ひとそれぞれによってその電磁波は違う。
 (3) それを受けるのが植物でない場合はどうかと推測するに 人間である場合がとうぜん考えられるし知りたいのだが まだ研究は 緒に就いたばかりのようだ。

 電磁波の質と言いますか 電位差でしょうか それに個人差があるというのが事実であれば それはおもしろいように感じました。ありがとうございます。(やはり訳があると読みやすいですし)。


 ストレスとレッテル貼りなどがありますが そうですね わたしの焦点は 発生の時点ですね。感染だと見込んでいますから アマテラス語方言現象における――まなざしを注がれる側としての――おのれの非力を感じたときというのが 狙いです。
 その本人が その感覚をあたためて行き 時を経て配偶者にそれとなく感染し しかもその第一次の大人に特徴が出るのではなく やがて子どもに感染する。そこで特徴が現われる。
 無力感に耐えるというとき 当のアマテラス語方言を駆使する側から《和を以って貴しと為す》ということわざを言われてしまうと ひとは人間の人格が問われているように感じると思います。狂う寸前にまで連れて行かれた感覚をおぼえるでしょうね。

 ですがアマテラス側は たとえ自分のほうが間違っていても 無謬性を誇るのがタテマエですから その二枚舌ぶりに自分ながらあきれたりその職務の因果なあり方に言葉を失ったりと なかなかむしろそのときすでに一種のアスペルガー特徴に自分たちが落ち入っているかに思われます。
 あるいは 《額面通りに意味を採る》というよりは 《額面どおりの意味を死守する》といった別のかたちのアスペルガーではないかとも考えられます。
 こちらのほうは でも アマテラス公民としての権力および権威によって多少とも 意識の排泄をする自由があり まなざしを相手にそそいでしまう自由がある。電位差によって アスペルガーは スサノヲ市民側に流れ集まる。うんぬんなのですが どうでしょう?

お礼日時:2009/12/18 20:13

No.36です。

bragelonneさんは残念ながら、実際の存在としての当事者を知らないだけではなく、
Wikipediaに書かれた情報もきちんと読まれてない気がしますが...。
アスペルガーのコミュニケーション障害について、ごく一部のみ話されていますが、
自閉症スペクトラムには、もっと多様な症状があります。

知能の発達と知覚刺激に密接な関連があることは、教育や発達の分野では常識ですが、
自閉症スペクトラムには、この知覚に顕著なばらつきがあります。
自閉症スペクトラムのうち、知的障害を伴わないものがアスペルガー症候群とされますが、
基本的に強い知覚過敏を伴います。
逆に、通常の人(専門用語では定型発達と呼ぶそうですが)よりも著しく知覚が鈍いケースもあります。
聴覚の過敏はアスペルガーにはありふれたケースで、
騒音を拾いすぎる結果、人の言葉を聞き取りにくいという症状を持つアスペルガーは相当多い。

人間が普通、直感的に、対面している人物の知的能力をどのように測っているかを考えられたことはありますか?
通常、言語能力で判断するものです。
人によっては、顔つきで判断し、惑わされる人もいるようですが...。
言語能力とそれ以外の能力は通常、ほとんど同じレベルにあります。
しかし、全人口の1割強の人々には、その常識が全く合わない。
言語能力とその他の能力に、大きなずれがあるのです。
このずれを持つ人々、人口1割強にも当たる人々が、
治療の必要のあるなしに関わらず、すべて、
発達障害を持っている人々なのです。

アスペルガーの場合、会話の内容次第で、著しく知的水準が違ってみえます。
決して、自分の能力を控えめに見せかけて、
周囲を欺こうとしているわけではありません。
特に詳しい分野の話となると、異常な詳しさになっていくだけです。
そういう内容の話をしたとき、普通の人はアスペルガーをかなり高い知能の持ち主と判断しがちです。
しかし、それは単に、もっとも高い能力だけを示している可能性が高いのです。

発達障害と聞くと、「発達していない」「知的障害がある」と錯覚する人がいます。
しかし、実際には、すべての能力が同程度に発達しないことしか指しません。
ADHD(注意欠陥・多動性障害)の場合は、エジソン、モーツァルト、坂本龍馬、レオナルド・ダビンチなどが挙げられます。
アスペルガーの場合は、スピルバーグ監督は明確に診断を持っているそうです(Wikiより)。
顕著にアスペルガーの症状があるとされる人々には、
ビル・ゲイツ(IBMからの独立の際に相当不義理をしたとされる)、
ミケランジェロ(ダビンチと大変仲が悪かったゲイ)、
アインシュタイン(普段の服装があまりに悲惨だった)、
バートランド・ラッセル(家庭内が実は、かなり滅茶苦茶)、
エリック・サティ、
アンディ・ウォーホル(かなり服装が汚かったらしい)
などで、能力の顕著な偏りにより、特殊な才能を示した人が多数います。

基本的に、能力の顕著な偏りが、
多大なストレスや、周囲とのコミュニケーションが円滑に行かない原因などになります。
ストレスが原因でアスペルガーになどはなりません。
知覚の異常と密接に関連がある、先天的な要素がごく高いものです。
決して、《言葉を額面どおりに受け取る》ではありません。
そういうことも「多い」です。

能力が顕著に偏った結果、大別してアスペルガーは三タイプに分かれるとされます。
画像に特化した頭脳の持ち主、
数学・音楽に特化した頭脳の持ち主、
言語能力に特化した頭脳の持ち主、この三タイプですね。
言語能力に特化したタイプのアスペルガーが、言葉を文字通りに捉えることはほとんどありません。
小中の国語がほぼ百点だったという、アスペルガーも実在します。
しかも、「なぜ、その答えになるか」を問われると、
「それ以外に正解が考えられない」としか答えられなかったという...。

知能テストの性質をあまりよく理解できてない方は、
「できない」という言葉の意味を、どうも正しく理解できていないようです。
知能テストとはあくまで、スピードテストであって、
示している内容は「遅い」でしかありません。
「できない」では、決してないんです。
「こなすのに時間がかかる」は、「できない」とは全く違います。
《言葉を額面どおりに受け取る》ではなく、
「真に受けやすい」です。

生きていれば当然学習しますから、経験から学ぶものです。
アスペルガーに「人の言葉を理解しているのに時間がかかる」タイプがいて、かつ、そのタイプの人々が
「理解していることを表現するのが苦手なことが多い」ことと、
「アスペルガーは全員、言葉を額面どおりに受け取る」では
全く違う話になります。
明確な間違いになりますからね。

heartmindさんが同じ当事者として話されていますが、
物事の正確さ、あるいはモラルに強いこだわりを持つアスペルガーは実に多数派です。
幼時の記憶の鮮明さは、私もあります。

よほどのことがないと、嘘をつかないし、
(相手が明らかに社会的に困るときはさすがにつきますが、顔には出るし、
自分に関してはほとんどつけない)、
嘘が嫌いなんです。
しかし、私の経験は、多数派の常識から大半が外れているため、
思い込みの強い人々からはよく、幼い頃から
「この子は嘘つきだ」などと言われてきました。
嘘が嫌いな人間が、嘘つき呼ばわりされ続けるということが、
どれほど酷いストレスなのか、想像がつきますか?
本当に、拷問ですよね...。
それこそ、精神障害を二次障害として併発してしまうほどの、精神的な拷問なんです。
そのような状況に、発達障害当事者は全員、つねに耐えているわけです。

先回のお返事で、bragelonneさんが悪意で言っているわけではないことはわかりましたが、
相手がアスペルガーだろうがなかろうが、相手が人間である以上、
なぜ、人に対して安易な批判は避けるべきかが、体得されていない気がします。

繰り返しますが、
物事を厳密に言う習慣の強い私は、ほとんど嘘をつきません。
bragelonneさん自身の言動が、
「個性豊かな人物として、周囲から大変愛されるタイプのアスペルガー症候群当事者」の言動に酷似していることを明記しておきます。
特異な世界観をもち、お告げのようなことを話すタイプの、
占い師のようなアスペルガーやADHDが結構いると、私は感じています。
言語能力に特化したタイプのアスペルガーなどに、ですね。

実際に、どのような項目に当てはまるとアスペルガーとされるのか、
項目の多さを把握することは、アスペルガーという障害への理解の早道だとも思いますので、
試みにも、簡易チェックを試されることをお勧めします。
http://www.the-fortuneteller.com/asperger/aq-j.h …
念のため、合併症の多いADHDも併記します。
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/9973/adhdadu …

正しい知識がなければ、
盛大な勘違いが起きるものですよね...。
ネットではあきれるほど、毎度のことではありますが...。

参考URL:http://www.the-fortuneteller.com/asperger/aq-j.h … http://www.geocities.co.jp/Berkeley/9973/adhdadu …
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この回答へのお礼

 aeromakki さん ご回答をありがとうございます。

 そうですね。
 すでに休養を必要とするほどの特徴を持つようになった場合を別として そうでなければ まったく自由にふつうのひと扱いで語っています。相手が誰であろうとです。
 その理由は そもそも無謬性を持つとされ神聖にして侵すべからざる存在に似た社会的公民の用いるアマテラス語方言 この言葉使いの蜘蛛の巣にひっかかると たいていは やるせなくしかも相手が理解を示さないということから怒りを伴なったところの無力感をおぼえる。このアマテラス風邪による感染が アスペルガーをはじめとする精神特徴であるという仮説を提出しています。乱暴ですが すべてはこの仮説にもとづいて 話をすすめています。
 こういうつとめをわたしの生きることそのものとするようになってからは――三十歳ころからですが―― このような文体にみづからを作りなしております。

 情報はいただきましたが レッテルを貼ってもおもしろくもないようです。ということで。

お礼日時:2009/12/18 19:37
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