プロが教えるわが家の防犯対策術!

カテゴリが違う方が有力な回答が得られるとのアドバイスを受けて、再投稿です。

江戸時代、女性が商家に奉公する場合に、どのような雇用制度でどれくらいの期間雇われていたのか、何と呼ばれていたのか、仕事内容、結婚事情など教えて下さい。
丁稚(小僧)―手代―番頭のような昇格システムは男性特有のものだったのでしょうか?

資料を探そうとしても、女性の奉公では武家奉公・妾奉公等、商家への奉公だと男性の物しか見つけられない……という状況で大変困っております。

A 回答 (2件)

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>江戸時代、女性が商家に奉公する場合に、どのような雇用制度でどれくらいの期間雇われていたのか、何と呼ばれていたのか、仕事内容、結婚事情など教えて下さい。

まず、雇用制度ですが、一般的には「住み込み」の「終身雇用」の形態が多かった。もちろん「身元保証人」が必要でした。

そして、現代と同じく、「給金」は、「晦日払い(みそかばらい)」と言って月末の支払いでした。
現代のように、月末が休日で銀行振り込みができないから、繰り上げて支給する・・・というようなことはなく、店の主人は自分で、常に、金銭を保管していましたから、休日とかの感覚はなく、月末の支払いでした。

また、店が何らかの行事で、一時的に多忙な場合は、「日雇い制度」もありましたし、「月ぎめ制度」もありました。
これらの「臨時雇い」は、その多忙な時期が過ぎれば、即解雇されました。
そして、乳児を育てるための「2年(~3年)切り」などもありました。

呼び方は、一般的に「奉公人」で良いと思います。

仕事内容は、主に「勝手方」で、その他としては、掃除、洗濯などでしたので、男のように「商品」に触れることはありませんでしたし、つまり、店の表には一切顔は出しませんでした。
従って、男のように、丁稚→手代→番頭、などという昇格はありません。

ただし、現代でも「お局(おつぼね)」が居るように、女性の世界では、「古株」が幅をきかせていました。
例えば、長年奉公していると、個室が与えられたりし、箪笥などの家具調度品もそろえることができました。
その他の奉公人は、相部屋暮らしをし、自分の持ち物は、「柳行李」に入れて区別をしていました。

結婚してからは、「住み込み」が解かれて、亭主の家や長屋からの「通い」になりました。

最近の言葉の「婚活」については、主人に認められて、同業者の男性と添わせたり、出入りの商人が見込んで、我が家の手代と一緒にさせたい・・・などというように、あくまでも、店の主人同士が決めました。
自由恋愛などは、全くと言って良いほどありませんでした。

また、女性の仕事としては、あなたのおっしゃるように、「武家奉公」「妾奉公」などがありましたが、これらは皆、「行儀見習い」のためでしたので、商家の娘たちが多かった。

では、庶民は・・・と言うと、女性が独立的に認められていた職業としては、吉原の「遊女」、辰巳などの「芸者」、料理茶屋の「仲居」などと限られていました。

しかし、現代でもそうですが「もぐり」の商売もあり、「女髪結い」や「私娼」もありましたが、これらも「認められた職業」の人たちも居ました。

例えば、「女髪結い」は、男性の髪を結うことは、たびたび、贅沢ということで「禁止令」が出されています、と、言うことは、「女髪結い」が居た・・・と、言うことです。もっぱら、店を構えず、と、言うよりも店を構えることができず、「行商」でした。
ただし、「芸者」の髪を結う女性だけは「女髪結い」として認められていました。
逆に、男が芸者の髪を結うと、
「風紀上よろしからず」
と、禁止令が出されていました。

また、「私娼」についても、江戸の四宿(品川宿、内藤新宿、板橋宿、千住宿)などでは、1軒に2人の「飯盛り女」が許可されていました。しかし、宿の表で客引きをするのは2人でしたが、一旦、宿に入って、裏へ回ればゾロゾロ・・・。

とにかく、女性の仕事が少ないため、そして、江戸で女性が働く場所がないため、地方から移り住むことができず、江戸時代を通じて、男65%、女35%と、圧倒的に男性の多い都市でした。

ですから、一生涯「独身」の男性も多く、それを癒すために、吉原が欲求のはけ口として存在しました。

完全な「私娼(=売女・ばいた)」としては、
江戸では・・・「夜鷹」・・・ゴザ1枚を小脇にかかえ、柳橋などに出没して、通りすがる男の袖をつかんで、川岸に積んである材木の上などでの「事」をすます。
京都では・・・「辻君(つじぎみ)」・・・なんとなく風情がありますね。
大阪では・・・「惣嫁(そうか)」・・・何でも食らいつくからとか。
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この回答へのお礼

とても詳しく、丁寧なご回答ありがとうございました!
bungetsu様の豊富な知識により疑問も全て解決し、大変勉強になりました。
現代に生きていると女性の多くが社会に進出し忘れがちになりますが、当時は男性中心の社会だったんですよね。女性の仕事の少なさに驚きました。
また、それが結びついて江戸に女性が少ない、結婚できない男性も多い、吉原へ……等々、点在していた知識がつながり、当時の社会背景、「どうして」という理由を、歴史の奥深さに比べれば僅かですが理解することがました。
本当にありがとうございます。

お礼日時:2009/12/12 15:04

上方古典落語の『口入屋』がまさに商家で女性を雇うはなしです。


大阪が舞台ですので、そういう女性は「おなごしさん」とよばれています。
口入屋というのは今でいう派遣業です。

落語、口入屋(これは明治の話になっていますが成立は江戸中期です)
http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/rakug …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
落語に疎いため存じ上げなかったのですが、そのような話・調べ方があったのですね。盲点でした。
文献とは違い、当時の人々の生きた姿を知ることができそうですね。
現在出先で携帯からなので、家に帰ったらリンク先を拝見させていただきます。
本当にありがとうございました!

お礼日時:2009/12/12 15:21

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