プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は最近疑問に思うことがありました。もし、人を殺すことに、何の呵責を覚えることのない宇宙人が地球にきたとします。(ここでいう宇宙人は、善悪判断の能力が先天的な障害で欠如している人間と置き換えてもかまいません。)彼にとっての人間とは、食用の植物と同じ存在です。同じ動物という感覚すらありません。地球に来て、食料に困った彼は、何の躊躇もなく現地の人間を殺害し、捕食しました。
さて、ここで2つの疑問があります。
1彼には法律上の責任は問えるのでしょうか。
こちらは、おそらく、責任能力の欠如ということで、無罪になるかと思います。もっとも、彼を野放しにはできないので、拘束することにはなるかと思います。もっと掘り下げたお話は、法律に詳しい方にはぜひお聞きしたいです。

2彼に倫理上、宗教上の罪を問うことができるのでしょうか。
私が気になるのはこの点です。彼には倫理感覚や宗教感覚などというものは存在していません。なので、彼に定言命令や神を説いた所で、意味のないように思えます。哲学や、キリスト教に詳しい人の意見はどうでしょうか。

ちなみに私は仏教を勉強しているので、その観点から考えてみました。しかし、これが難しいです。そもそも仏教には罪の観念がありません。単に個人個人の苦しみを取り去る事が仏教の目的です。なので、彼にとって、人を殺すことが苦しみに結びつかないのであれば、仏教からは責任をと得ないのです。

様々なご意見があると思います。みなさんのご回答お待ちしております。よろしくお願いいたします。

A 回答 (17件中1~10件)

お互に共通認識・共通了解がない場合は無理。




ある事件があった。
ある中学生の少年が近所の老人を殺害したんですね。
両者の間になんら恨みもなく、いざこざも無かった。


どうして殺したのかと聞いたところ「殺しがどういうものか知りたかったから」と答えたんです。

はぁぁぁ? ですよね。

普通興味本位で人を殺せるもんじゃない。
にもかかわらず、この少年は興味や探究心から調査するために研究課題に取り組み殺したんです。
どう考えても納得できる正当な殺人理由ではない。


で、この少年にいっくら説明したところで、人を殺してはいけないとわかってもらうことは不可能なんです。
どうしてかというと、先天的に障害があり、心が動かない というか心が無いから。


専門家の診断の結果 この人はある障害があるとわかった。
その障害が原因で心のよりブレーキがかかるはずのことが、無いためにかからず、興味をもったら納得いくまで調査研究をやめない まるでターミネーターのように、任務が完了するまで実行するしかなかった とわかったんです。


で、一時期 この障害を持つ人がまた人を殺したと新聞で報道があいつづいた。
この障害の存在がわかりだしたので、また という記事になったわけです。


で、その障害を持つ人の親から報道側に抗議が起こった。
「まるでこの障害を持った人全員が人殺しをするかのように世間は錯覚するじゃないか。 障害を持たない人の方が圧倒的に殺人をしているじゃないか。 そういう誤解を招く報道はやめてほしい。」って。

それで規制がしかれ、殺人が起こって犯人にはその障害があるとわかっても、報道されることは無くなったんです。
事実をそのまま報道することが禁じられた。

もちろん 世間がこの人も同じ障害を持っているから人を殺しかねないので危険だ と差別されることを防ぐだめですが。



殺人をする人に理由を聞くと、怨恨によるものだったり、財産を巻きあげるという目的だったりなど、悪意によるもだったり、よろしくないことだが、まだ理解できる。


でも、「殺した人に恨みなどありません、僕の研究のためです。」って言われても、理解できない。


悪意によるものだったら、説教してもまだ「確かにかっとしてしまって」とか「自己中心的すぎた」とか「ひどいことをした」とか反省して謝罪もありえます。

でも、「研究しちゃいけないですか? 勉強熱心はいいことだって大人たちは言ってたのにどうして?」って聞かれると、、、


何故いけないのかどうしてもわからない と言う人に、次の殺人をやめさせることはできない。
ひとつありました、「人を殺してはいけない これはルールです。」と言う。
説明しても心が無いので、心で理解する部分は理解することはできません。
でも プログラムで「これはルール」って組み込めれば、ターミネーターは脳から実行せよと指令が出ても実行しなくなります。
却下 だってルールだからって。



で、その後その少年は裁かれたのかどうかは知りません。
知的に問題は無いが心が生まれながらに無いという障害を持つ人に、罪を問えるのか?
今までは罪に問えましたが、この障害の存在が明らかになりだし、弁護士側は責任能力が無いという理由として、この障害があることがその証明だって主張なんです。


で、別な同じ障害を持つとわかった人の殺人事件だと、責任能力はあった として、弁護士に主張をしりぞけ、終身刑になってました。

私が裁判員だったら、責任能力はある とするのか 無いとするのか。
今の段階では、判断がつかないです。


倫理上だと、障害ゆえに理解できない人をどうするか という問題になり、また同様の犯罪を研究目的にやる可能性があり、本人にはまったく悪気は無いことから、準治産者として登録することで、一生刑務所に暮らすことを免れるかもしれない。
しかし自立を妨げてしまう。


で、今の段階ではこのエイリアンを同胞として共同で生きようと政府はしているので、小さい頃に発見して、特別な教育を施している。
説明しても心では理解することは不可能 あるいは非常に困難であっても、ルールとして小さいうちにプログラムすれば、実行しなくなる と考えられ、今その取り組みをしている段階。

20年以上たたないと、効果があったのかどうかはわかりません。
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日本固有の「建て前」に思いを馳せてみて下さいませ。

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宇宙人達が善悪の評価基準を保持していないとは限らず、


彼等にとっての独自的な秩序が彼等の無意識の裡に宿っている、
という可能性の存在を否めないでしょう。

従いまして、彼等を下等だと見做す前提を見直さないと、
地球の生物達が危険に曝され続け得ましょう。
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 つまり、逆なんですよね、教えてはならない。

過剰な刺激、情報を与えないほうが良い。麻痺させない。

 「哲学」してしまうと感性が損なわれ、その辺のところは帰って解らなくなってしまうようです。
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「人を殺す事を苦とするような教育」を、是非望みます。



 ですか、そんな教育は必要ないでしょう、素の感性を損なわないような人間関係を持っていれば良いだけです。普通のことです。

 単に「教えられたから 殺さない」っていうんじゃ意味ないような...
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 他愛もない一般人です。



 現実問題として、「1刑法上の責任」は問う事になると思います。刑法でそう決まっているからです。「2彼の倫理上,宗教上の罪」も問うと思います。我々は、それを信じて生きており、信じる事に理由はないからです。ただし「彼の倫理的,宗教的規範」は無視されると思います。関係ないからです。戦争裁判や、異教徒に対する宗教裁判が良い例に思えます。

 結局は、教育と刷り込みによると思います。古いですが、知能を持った家畜を扱ったSFがありました(筒井康隆だったかな?)。藤子不二夫の絵でアニメ化されたので覚えてます。ここで言う知能を持った家畜とは、人間の事です。
 人類が宇宙に拡がって行った時代、とある惑星に不時着した主人公の出会った社会は、人間が人間を食べる社会でした。食べる側の人間は、刑法上も倫理上も宗教上も、何の呵責も感じません。そう教育されて来たからです。一方、家畜側の人間も、食べる側の人間と何ら変わらない社会を作っているのですが、唯一の違いは、食べられる事が生の最終目標だと刷り込まれている点です。刑法上も倫理上も宗教上も、食べられる事を是とする刷り込みです。主人公は、家畜側の女の子と恋に落ちて悩む、という話です。
 クライマックスは、解体されて人工心肺につながれた女の子の頭部が、自分の肉を食らう人々を目の当たりにして、嬉々として喜ぶというものです。恐ろしい話ですよね。でもそれが、教育と刷り込みだと思うんです。
 実際に第二次世界大戦中、多くのユダヤ人をガス室に送り込んだ一介の兵士達は、同じドイツ人に対しては日常的には、恐ろしくまともで優しい人達です。

 じつは自分のお袋の実家は寺なんです。「人を殺す事を苦とするような教育」を、是非望みます。
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それらは、あくまで人間がつくりあげ、辛うじて疎通可能な人類間でのみ通用することなのでしょうから、法律上も、倫理上、宗教上も、無罪を申し渡すことも、「彼」本人にとっては無意味なことでしょう。


拘束可能ならば、まだ安心できるほうで、大火急の状況のもとでは、まず、ダイレクトな戦争状態突入を余儀なくされることでしょう。
法律も哲学もキリスト教も仏教も全くと言っていいほど詳しくない者ですけど、質問者さんは、仏教を勉強なさっているということなので、わたしからは、とりあえず補足要求とさせていただきます。

仏教では、他者を殺めることは罪ではないのですか、どのような捉え方をするものでしょうか。
「彼にとって、人を殺すことが苦しみに結びつかないのであれば」、では、人を殺さないでいることが苦しい、というのであれば、どう考えるのでしょうか。
「単に個人個人の苦しみを取り去る事が仏教の目的」。では、殺された側の個人の苦しみは、どう取り去るのでしょうか。
「仏教からは責任を問えない」、では、仏教は何を問うのですか。
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宗教を信じている人にとって、その宗教がどんなに慈悲深い教えを持っていても、


異教徒は、攻撃の対象である場合がほとんどです(「何の躊躇もなく殺害」します)。
別に宇宙人を持ち出すまでもありません。
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 あと、善悪基準がなく、理解も出来ない動物は、責任能力がないと考えることが出来ます。



 刑法さえ適用されません。
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人間同士に適用される民主的な法においては、本来認められる狼藉です。

やりたい放題です。
ただし共存はできませんので刑法のみは適用されます。
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