南極観測隊の拠点、昭和基地は第一次隊がオングル島に場所を定めたとの事ですが本を読んでもわからなかった疑問があります。

・何故、近辺の大陸にも露岩域が存在するのに大陸から4kmも隔たったオングル島を選んだのでしょうか?

大陸に渡る時は海氷のクラック調査、ルート工作など手間がかかる他、
海氷の締まる冬の間でなければ大型の雪上車を渡せない、大陸の雪原にデポする必要がある、等いろいろ面倒があると知って疑問に感じました。
昭和基地が大陸に在れば危険も減少し手間も省けて良いのではと思うのは素人考えでしょうか?

A 回答 (2件)

 戦後最初の観測船は、海上保安庁の「宗谷」でした。

戦争で大方の船舶を失った日本は、当時南極観測用の砕氷船建造の余裕がありませんでした。そこで大戦にも活躍した「宗谷」の出番となったのです。勿論砕氷船では有りませんが、可能な限り改装をして出航しました。当時は海氷も厚く、基地を設営するのには大変な苦労が必要だったのです。そして敗戦国の日本は、殆ど資料のない南極銀座のアルゼンチン側の反対を観測地点として割り当てられたのです。

 海岸線ですらはっきりしない大陸沿岸で、貧弱な装備で遥か沖合いから雪上車で荷物を運ぶのです。第一回の観測では、オングル島が目一杯の所だったのです。それが証拠に、越冬隊を収容するのに精一杯で、樺太犬を置き去りにしたり、外国の砕氷船に2度にわたり救助されたりしました。二回目からは、資材運搬にヘリの利用が始まりましたが、それでも海氷にしばしば阻まれたのです。こんな苦労を経て、「ふじ」が建造され、それから海自が観測船の運用をするようになったのです。

 「ふじ」は当時の南極観測船としては、世界水準をいくもので、それからは氷に閉じ込められる危険はなくなりました。大型ヘリの運用で資材運搬も大幅に増加し本格的な越冬観測が可能になったのです。それまでは、越冬は命がけのことだったのです。「ふじ」の代替の初代「しらせ」になり観測船の性能は「そうや」に比べ月とすっぽんのような飛躍となりました。

 「しらせ」2世がオングル島70kmの海氷の縁に到着と先日報道されていましたが、恐らく砕氷性能からして、ヘリ飛行の距離はぐんと短縮され、島の見える所までの接近が可能かと思われます。資材運搬開始時には、接岸に近い地点まで行けるかも知れません。地球温暖化の為か、オングル島の露岩は、「宗谷」の時代は僅かであったのが、近年、島の大半を見せるまでになったようです。敗戦後の「戦後は終わった」宣言の直後の未だ貧しい日本の精一杯の努力の結晶が、今では?の地点となるほど、日本は進化したのです。そして地球温暖化も進んでいるようです。

この回答への補足

これらの記事からすると確かに宗谷の砕氷能力が不足して定着氷の奥を目指すのは無茶だったみたいですね。
また、当時入手できた現地の資料ですが1929年から1935年にかけてノルウェーの探検隊が三回にわたって南極探検を行い、周辺一帯の航空写真測量を行い、
かたっぱしからノルウェー語の地名をつけたそうです。
それの資料と戦後すぐアメリカが行ったハイジャンプ作戦の資料が第一次隊の資料という事でした。
大まかな地形だけとはいえ、全くの手探りでは無かったといえるでしょうね。

しかしそれでもオングル島への接近は海氷の状態が悪くて(パドルという水溜りが一面に在った)犬ぞりも雪上車もひっくり返ったり潰れたりとさんざんな結果で
隊員の一部からは宗谷により近い弁天島にしようという声が出たそうです。
ところが実際に偵察してみると弁天島は崖が切り立っていてクレーンが無ければ荷物を上げられない、それに狭くて小屋は立てられるけど仕事も何もできないと放棄されたとありました。

オングル島は次善の場所として選ばれた印象ですが、『南極越冬記』の最後の方で西堀氏は「オングル島は、南極としてはじつに条件のよいところである。
南極広しといえども、これほどよいところは指折り数えるほどしかあるまい」と述べています。

大陸旅行には不便なところもあるものの、もっと他の面から基地の適地というものを考えれば良かった見たいですね。
地球温暖化については50年に渡る観測でも気温の上昇が観測されてないという疑問がありますが、それは別の問題ですね。
どうもありがとうございました。

補足日時:2009/12/26 00:11
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この回答へのお礼

丁寧な説明ありがとうございます。
ですが新たな資料にあたった結果、自己解決いたしました。

yot15さんの回答によりますと日本に割り当てられた観測区域は「殆ど資料のない南極銀座のアルゼンチン側の反対」「海岸線ですらはっきりしない大陸沿岸」であり、
オングル島が目一杯の場所という事でしたが、この点についてもっと知りたいと資料を探しました。

昭和38年に文部省が発刊した『南極六年史』は第一次南極地域観測から第六次南極地域観測までの詳細な総括資料です。
31ページに基地候補地を偵察するくだりがありますが当初の第一候補地は東岸だったとあります。
昭和32年1月20日、リュツォホルム湾東岸のラングホプテ山塊を望見できる定着氷縁に到着した宗谷から永田隊長がセスナ機さちかぜで候補地の偵察を行い、
68°50'Sから69°40'Sの地勢を検討したがラングホプテ山塊付近は基地建設が困難であり、地勢の平坦なオングル群島が最適であろうと結論した、とありました。
副隊長であった西堀栄三郎氏の著書『南極越冬記』(岩波新書、昭和33年第1版)ではこうあります、
「わたしはまず、飛行機で基地設定地の偵察にいった。最初ノールウェーの航空写真の上で、ここがよかろうと思っていたところを真直ぐに飛んでみた。
そこも消して悪くはないが遠い大陸の中である。長頭山の南の方だった。その帰りに、オングル島のそばを飛んでみた。わたはそのとき、実際にやるならば、
距離的にいって、基地候補地はオングル島以外には無いと思った。しかし、それは総反対をくった。そんな島はいかん、大陸にせよと言うのだ。
わたしももちろんできたら大陸にしたい。しかし、いまは成功の為に一歩退こうじゃないかということで、いちおうオングル島という事にきめた」

お礼日時:2009/12/26 00:11

あやふやな記憶ですが、当時の砕氷船では、そこまで行けなかったのだと存じます。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。砕氷船の性能が問題なのでしたか。
当時は宗谷に搭載していたセスナ機で大陸側を含めた候補地を偵察して検討の結果オングル島に決定・上陸したとありましたが宗谷の問題とは知りませんでした。

お礼日時:2009/12/22 00:27

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