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自分は無神論者なのですが、身内が某学会に入っているというだけで変人扱いされました。
世の中いろいろな考えがあって当然です。歴史や政治に宗教は密接な関係があったりする訳ですし・・・。もちろん勧誘や選挙などで嫌な思いをした方もいらしゃると思いますが、何もそこまで偏見視しなくてもよいのではないかなと思いました。
実際自分が変人扱いされた事がショックでした。世間一般のほとんどがそんな偏見をもっているのでしょうか?

A 回答 (4件)

>身内が某学会に入っているというだけで変人扱い


坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、ってやつですね。

世の中には特定の宗教だけでなく、宗教全般を嫌う人もいます。
宗教と道徳を混同するひとは数限りなくいます。
噂話や他人の体験談やネットの情報をそのまま自分の意見・態度としてしまうひとも大勢います。

>世間一般のほとんどがそんな偏見をもっているのでしょうか?
ちょっと違うと思います。
偏見のある人の声は耳に届きやすいのだと思います。

世の中のたいていの人は自分の体験で物事を判断しようとします。
宗教団体の勧誘で嫌な目に遭った人は、その経験がその教団や信者の全てになってしまいます。

そんな信者ばかりじゃないよ、いう意見を耳にしたときに「それは一部の特例だ」「嘘をついている」「おまえも信者だろう」「信者と付き合っているおまえもおかしい」と考えるようになったらそれはもう立派な(立派じゃありませんが)偏見ですね。

けれど、たいてい人というものは自分の偏見を公正な判断だと思っていますから、強い否定感情があるときには偏見を意見として表明してしまうのです。

とくに何もない人の声はなかなか届きにくい、というより声をあげませんから、否定意見だけが耳につく、ということになりやすいですね。

まあ、熱心に信心をしているということも世の中に公平な立場ではなくなることが多くなるでしょうから、どんな宗教にしろ信者の口から様々な偏見がこぼれることもあるでしょう。
ま、それはまた別の話ですね。
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この回答へのお礼

的確な回答ありがとうございます。確かに良い話よりも悪い話の方が主張は大きくなりますよね。

お礼日時:2009/12/29 23:18

はじめまして。

私は昭和62年までは創価学会3世でした。その後、創価学会を脱会して日蓮正宗の法華講に属しております。

もともと創価学会というのは、日蓮大聖人様の仏法に帰依する日蓮正宗において、純粋な在家信者の団体として出発いたしました。
創価学会は日蓮正宗を外護する団体でしたが、組織が大きくなるにつれ日蓮正宗の教義から逸脱し、宗門ののっとりや、分離独立を図ろうとしたため、平成2年に、池田大作を破門、平成3年に在家信者としての団体「創価学会」を解散するよう通達し、一定期間後、まだ創価学会に属する人達を破門にして、現在に至ります。
現在の創価学会は、もともとの日蓮正宗の教義を利用して、今は、選挙と金集めに奔走している新興宗教の団体となっております。
創価学会の方に話を聞くと、創価学会が主体で、宗門は召使だそうです。在家としての分をわきまえない傲慢な団体となってしまいました。

創価学会では亡くなった方の葬儀をする際に、出家された御僧侶にお願いするのではなく、自分たちがお経が読めるからと言うことで、僧侶はいらないということで、創価学会の幹部等が葬儀のお経を読んで行う友人葬、学会葬を行うそうです。いくらお経が読めるからといって僧侶のまねごとをするなど恐ろしい限りです。いくら医学的知識があっても、医師の資格がないと医療行為は行うことができませんよね。それと同じで僧侶の資格もないのに、僧侶のまねごとをして葬儀をするのはおかしな話です。だから変人あつかいされるのですよ。

また最近、警察が愛知県の殺人事件で、懸賞金つきで情報提供を求めている悲惨な事件がありますが、その悲惨な殺人があった一家も聖教新聞の配達員で、創価学会員だそうです。

詳しくは下記のサイトを参照にしてください。

日蓮正宗について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E8%93%AE% …
http://blog.goo.ne.jp/shourinzi1972/e/4375959e43 …
http://www.at-do.jp/pages/souka02-04.html
http://www.nichirenshoshu.or.jp/page/jpn/link/so …

創価学会について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%BE%A1% …
http://www.myokan-ko.net/lib/lib2-6.html
http://toyoda.tv/takemoto.pdf
http://www.e-net.or.jp/user/mblu/ndb/skbk1/sg1/s …

愛知県一家殺害事件についての記事 
下記ホームページの2009/05/13(水)の投稿です。http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-category …
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます。勉強になりました。

お礼日時:2009/12/29 23:08

「宗教に無知なくせに、宗教を軽蔑していると言える。

こうした日本人の姿勢は、世界的に見ればかなり特異なものだ。このままだと、日本人は世界でさまざまな軋轢を引き起こすことだろう」

ある識者(学会員ではありません)の言です。宗教をやっていて、馬鹿にされたり偏見を持たれたり変人扱いされる。世界広しと言えども、こういう特異な国は、日本のみです。

アメリカでも、ヨーロッパでも、イスラムの国々でも、「私は無宗教です」などと胸を張って言おうものなら、それこそ逆に変人扱いされ、馬鹿にされます(笑)。

日本という国は、宗教など哲学を軽んじる傾向があります。心の問題を軽視している。経済大国かも知れませんが、精神貧国なのがこの国の実情といえます。それが青少年の犯罪や役人の不祥事など、様々な問題となって現れている。「どう生きるのか」「何のための人生なのか」という思索をすることがない。哲学がないから、「放縦」を「自由」と錯覚して、無価値な日々を送り、虚しい一生で終る。そういう人の、なんと多いことか。

そういう向きが、某学会(創価学会と理解します)の、人類の幸福を真剣に思っての様々な行動をせせら笑い、過小評価する。その様々な貢献が世界から名誉称号などとして顕彰されても、「金で買ったものだ」と蔑む。生死の問題は確たる宗教哲学によってでしか解決できないのに、まさにその哲学である日蓮仏法を実践する創価学会を、インチキ呼ばわりして罵倒する。それでいて、いざ死を迎えた時に、全くの無力ぶりをさらけ出す。「烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし」(佐渡御書)とあるような愚かさです。

正しい行動は、世間の賞賛よりも、むしろ侮蔑を招き、嫉妬されるものです。末法の人間の命は、「貪・瞋・癡」の三毒に覆われている歪んだ命です。正しいものを正当に評価できない。特に日本という国は、日蓮大聖人も仰せになっているように、その傾向が特に強い。

しかし「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(開目抄)です。別に学会のために変人扱いされようが、気にすることなどありません。(正しい)宗教を実践する人を無認識に変人扱いする人こそ、むしろ変人なのです。それが世界の流れです。

宗教を軽視する日本は、世界の孤児といえます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。確かに日本は宗教全般の理解は少ないのかもしれませんね。

お礼日時:2009/12/29 23:14

こんばんは



そんなことはないと思いますよ。たまたまその人が無知だったのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。励まされました。

お礼日時:2009/12/29 23:07

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