あまり調べずに聞くのもどうかと思いますが・・・。
 絶対音感というものがよくわかりません。言われている意味は知っています。
 しかしよく理解できません。「絶対」というからには絶対であるはずですが、しかし基準音自体が変化してきているのに何が絶対なのか?とも思いますし。相対音感と言われるとわかるのですが・・・。
 またピアノを弾く人が絶対音感の持ち主だというのもわかりません。
 私には「絶対音感」なるものはありません。でも幼いころからピアノを弾いていたので、自分が今叩いているキーボードの音、PCの内部から聞こえる動作音、冷蔵庫の低い振動に近い音などがドレミファソラシドの中の、どの音からどの音の間、だいたいファからソの4分の3の音、なんていうことは考えなくてもわかります。そういう訓練を受けました。でもいらいらはしません。習う以前から音はありました。だから私にとって習い覚えた音階は、一つの目安にすぎません。
 私が、一番違和感を覚えるのは「絶対音感の持ち主」がいうところの「音程からはずれた音を聞くのが苦痛だ」という告白です。それが単に記号から頭で考えているように思えるところが苦手です。(そういう人間に限って調律前後のピアノの音の違いに気付かなかったりするし・・・)はじめに音ありきではないように見えてしまうからです。融通のきかなさを誇らしげに自慢されているようなむずがゆさが先立ったまま「絶対音感」を考えてしまうため、かなり偏見込みだとは思います。

 しかし、音を色のように捉えるのは間違っているんでしょうか?所詮、よどみなく流れるものの中から人間が便宜上ある程度の間隔で印をつけたものが音階・音律でしょう?今、絶対音感と呼ぶのはしかも18世紀以降ヨーロッパの平均律でしょう?それを「絶対」と呼ぶのはなぜですか?
 絶対音感ってなんでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

忘れた頃に書き込みさせていただきます。

一応絶対音感あります。私の捉え方としては・・・
絶対音感とは、『特定の周波数の音を他の音と比較することなくその周波数と認知できる能力』だと思います。その能力に音名の知識が加わって『ドレミ』という風に対応させられる能力が『ラベリング』。ですから、下の回答にもありますが、絶対音感の=ラベリングとはいえないと思います。大事なことは『他の音と比較せずに』周波数を認知できること。比較の必要がないから『絶対』。逆に言えば、他の周波数と比較して初めて理解できるのが相対音感ということになります。比較しなければ分からないから『相対』なんですね。
『周波数の刻みが荒いか細かいか』というより、『比較が必要か、必要ないか』の違いと私は認識してるのですが、いかがなものでしょうか?

この回答への補足

 すみません。
 この一ヶ月、回答者の方々をほったらかしで何をやっていたかというと絶対音感に関する本を読んでいました。この手の本は人気があるのですね。
 一番詳しいわけではありませんでしたが、一番おもしろかったのは最相葉月著の「絶対音感」です。私が疑問に思ってここに書いたことほとんど全部が載っていました。
 揺らぎがあるはずの人間の感覚を絶対と呼ぶことに対する疑問、絶対音感は音楽に必ず必要なものかどうか、絶対音感は先天的なものか後天的なものか・・・等。
 
 「比較を必要とせずに音の高さがわかる」という言葉は、今まで絶対音感での説明に費やされた言葉どおりで、私にはよくわかるようなよくわからない説明でした。
 どんな人間だって、人間の可聴音域のうち高い音を出されれば耳が聞こえる人なら誰にでも「高い音」とわかるものです。
 人間を訓練すれば、その単なる「高い音」を「ピアノでいえば二オクターブ高いラからシの間にある」と言い当てるのは造作無いことです。いちいち一つ一つ鍵盤を叩いて音を探し確かめなくても・・・。
 単なる教育や鍛練の結果にすぎないものであるならば、なぜそれに特別大事な名前をつけるのか、絶対音感の本質とはその「特別化」にあるのじゃないか?といつも思っていました。
 皆様から回答を頂いて、私にとって絶対音感とは「人間が最もよく聞こえる範囲、処理能力を超えない範囲でよく慣れ親しんだ音でのみ」細かく記号として符合させることのできる、幼いころからの訓練の結果得られる感覚であり、強い刷り込み記憶が基となっている、というふうに理解しました。絶対音感とはある種の技術だと私は思います。
 そして、私の興味・疑問は、「なぜ一部の絶対音感保持者は、その技術にすぎないものをミステリアス・ベールで覆い特別なもののように扱いたがるのか」というほうへ変化してきたので、もうしばらくしてこちらの質問は締め切らせて頂きたいと思います。

 絶対音感を得ていることが、なにかの優越感をかきたてることは間違いありません。知らない人間ほどありがたがるのもその優越感を増長させるのかもしれません。私にとって、苦々しいのはそのへんです。やっぱり自分も音楽が好きだから・・・。ひがみでしょうか。
 どの芸術の分野でもたまにそれを志す人間にとって、羨ましくてならないような能力を持ち合わせた人間というのは存在します。でもそういった天才たちの才能が、「絶対音感」ほど認知された言葉で呼ばれたことは今までなかったように思います。
 なぜ、音楽に限ってそう呼ばれるのでしょう?「絶対音感」は、幼いころから鍛練すればほとんど誰にでも身につく、そのあたりに鍵があるのかもしれません。

 ご回答ありがとうございました。

補足日時:2003/07/11 09:58
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皆さん音楽の専門的な知識を駆使して論議されていますので、心苦しいのですが、絶対音感とは、音楽の範囲でと難しく考えるよりここは日本語の「絶対」と「相対」の違いに注目すればわかりやすいのではないでしょうか?


「絶対」という意味には2種類あって「明日絶対電話してよね!」という「確実に」とか「間違いなく」の意味の絶対と、相対の反対語の絶対があります。絶対音感の絶対を前者として捕らえると、おこがましいと言うか高見からものを言うような言い方になりますが、「絶対音感」の絶対は後者の意味でしょう。
「相対」は2つのものを比較してどちらがどうなのかを論議するものに対して、「絶対」は1つのものの性質を論議するものです。例えば「300メートルのビル」は絶対的には「高い」と言えますよね、でも「400メートルのビル」と比較すれば相対的には「低い」ということになります。
これを音感にあてはめればこうです。
一つの音を聞いて音の高さがわかるのが「絶対音感」、二つの音を聞いてどちらが(どれくらい)高いかわかるのが「相対音感」です。
音楽を志すなら「絶対音感」がないということは、音楽を聴いて楽譜をイメージできない(最初の音がド、なのかレなのか解からないため)ので不利なのは間違いないでしょう。アドリブで他の楽器にあわすことも困難でしょう。(進行が決まってれば別ですが)
ただし、平均律からはずれていると気持ち悪いとかは、全く別問題で、だからすごいのよっていうのは変な思想ですよね!
言葉のイメージを正しく知れば、「絶対音感」は別におこがましく感じる必要はないと思いますよ!

この回答への補足

 回答ありがとうございます。 
 つまり、私が「絶対音感」という言葉の扱われ方に一部違和感を感じるのは、絶対音感と呼ばれるそのものの本質よりも、言葉のなりたちのほうに扱う人間の認識が反映されている場合・・・という理解でよいでしょうか?
 300メートルのビルの例はわかりやすかったです。
 
 絶対音感があるということで、音をイメージしやすいのならば、たしかに音楽には有利ですよね。
 日本人は誰それは音痴だ、なんてすぐにわかりますが、これはやっぱりわりと正確な音感をもった人が多いということなのかもしれませんね。
 厳密さをつきつめていくと、少しでもずれていると気持ち悪く感じる、というのはわかるような気もします。でも、そこが絶対音感の主眼だとは思えなかったから、いらいらしていました。
 この質問をきっかけに何冊も本を読み、たいへん勉強になりました。ご回答ありがとうございました。

補足日時:2003/08/02 22:34
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no.8です。

補足回答します。
2つのピッチの音を聞いて、「3度」とか「減5度」とか言い当てられる
能力が音楽的音感だと思います。(まあ一般的な西洋音楽の音感ですけど。)

普通は「音程」でわかると思うけれど、
絶対音感の人は、
低い方がCで、高い方がF♯だから...音程は「減5度」、と考えるのかな?

それと...
>やっぱり私には絶対音感という言葉はしっくりきません。私にはあり
>ません。すごく高い音とすごく低い音は、内側にたわめられるように聞
>こえるんです。実際にこのぐらいであるはずの音、聞いている音と2つ
>感じるんです。
私への回答ではありませんが、とても面白いと思いました。

平均律の音階:
Aの音を基準において、隣合う音を約1.06倍する事でできますよね?
*1.06は無理数を自然数にしたので正確ではないですけど。
(440の半音上は440×1.06=466.4 さらに半音上は466.4×1.06=494.4
 12回でちょうど2倍、440Hz→880Hz)

しかし、これは、人間の可聴領域内の、さらに「限られた範囲内」でしか通用せず、
「すごく高い音、低い音」では半音の感覚を少し広げるのが正しい調律のようです。

つまり、低く(あるいは高く)なればなる程、隣あう音と音との音程を広げて調律するようです。

これはピアノの調律について書かれた本に書いてあったのですが、(書名は忘れた。)
あなたが「内側にたわめられている。」と感じるのは、その調律が、
多分、「広範囲にキッチリした平均律」で、あなたの音感とはマッチしないのでしょう。

今度、ピアノの調律に立ち合う事があれば、その辺を尋ねてみたら、どうでしょうか?
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 No.9の者です。

続き、と申しますか、補足いたします。

 音感、と一言で言っても、そこには無数の段階があるように思います。大雑把に分けても、ある音からの相対的な距離(音程)が不正確な人と正確に取れる人、ある一定の音の1音だけを記憶し、それを基準に他の音を相対的に取れる人、12音の大体の音の高さがわかる人、平均律で正確に覚えこんでしまった人、小生のように、幼い頃に身についてしまった低めのピッチが未だに抜けず、周囲の環境(ピッチ)に無理やり適応している人、適応できずに拒絶反応を示す人、様々なのが現実です。世間ではそのいろいろなレベルの音感の違いをあまり深く考えずに「絶対音感」と呼んでいるように感じます。

 しかし音楽行為の中で重要なことは、そういった様々な音感を与えられている我々一人一人が、その条件の中で、いかにして音楽を楽しめるかということに尽きるのではないでしょうか。
 近似的「絶対音感」を持ったばかりに、苦手となる音楽行為が生じるのはNo.9で述べました。でも代わりに自分の頭の中にある音を楽譜に表現できますし、鼻歌歌えますし、耳コピーでいろいろな曲をピアノで弾いたりできます。そうやって音楽を自分なりに楽しんでいます。
 この楽しみ方は、きっと人それぞれ与えられた音感によって違うだろうな、と思います。自分に合った音楽の幸福を見つけられたらそれでよくはありませんか?

 もっとも、音楽の指導に携わる立場に立つのであればそう御気楽な事も言っておられませんで、いろんな音感の人の感覚を、知識だけでもいいからなるべく多く知っておく必要が生じるでしょう。それによって指導対象となる人を無用に傷つける危険性が減りますからね。自分の感覚が全てと思い込むことは本当にコワイことですが、音楽指導者のなかにはこういう人間がずいぶん混じっています。
 貴殿もおそらくそういう点に問題意識を持たれた上でのご質問と拝察いたします。音感に対する正確な理解が広まり、それが互いの感覚の違いに対する理解と許容へと結びついて、それぞれの音楽的幸福につながってゆくことを切に願う次第です。
 とりとめのない文章 ご容赦願います。
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 貴殿のお求めになっている回答があるかどうかは断言できませんが、音楽学者 東川 清一 氏の著作「移動ドのすすめ」という本の中に、音感についての仔細な解説があります。

お手間でなければ、ぜひご一読をお勧めいたします。

 小生としては、音(音波)を記憶する先天性の才能に「楽音を聞く」経験が加わって「絶対音感」とも言うべき現象が現われる、と自分の体験を元に考えます。

 小生の場合、その経験部分(三つ子の魂)の元になっているのが、実家にあった古い足ふみオルガンで、今考えるとA=439~440Hzくらいのピッチの楽器です。これが基準で各12音を覚えましたから、A=443のピアノや回転数の上がってしまったレコードは頭の中の楽譜とずれてしまってホント、気持ち悪かったです。(でもそれ以外の部分で、演奏自体が良かったのでレコードは妥協して聞いてました。)

 それから、クラリネットのA管とB♭管の持ち替えが出来ないんですよね。同じ指使いで出てくる音が半音ずれているため、頭の中の楽譜と一致しなくて苦しいんです。リコーダーはC管、F管がありますが、CとFが離れているため、ぜんぜん別の楽器として覚えこみ、それほど苦労はありませんでした。これが絶対音感ではなく相対音感の持ち主であればこんなことには先ずなりません。

 ところで長いこと自分の事を「絶対音感」保持者と思っていましたが、東川氏によると、私のレベルは、厳密な意味での絶対音感保持者ではなく、近似的「絶対音感」保持者になるらしいです。

 ピッチというのは時代によって変わっていますし、調律方法も純正調、ピタゴラス調、ミーントーン、平均律、と時代で変化しています。たぶんその時代の、もしくはその地域でよく耳にすることの出来たピッチによって、時代別、地域別の絶対音感なるものがあったであろう、と小生としては予想します。果たして「絶対」と呼んでいいものでありましょうか。厳密に言えば疑問ですね。

 他人の著書の紹介だけだと無節操と思われるかも知れませんでしたので、自分なりの意見も補足してみました。

この回答への補足

 回答ありがとうございます。ここしばらく、先天的な才能とはなんだろうというふうに考えていました。
 訓練しなければならないけれど、その訓練次第ではほとんど全員が得ることのできる音感は、どのように考えればよいのでしょうか。
 
 ご紹介頂いた「移動ドのすすめ」は残念ながら、まだ拝読していません。お金がないので図書館の予約を入れたのですが一人、ずっと占有している方がおいでのようです(^_^;。いつか必ず読みますね。
 
 「音(音波)を記憶する先天性の才能に「楽音を聞く」経験が加わって「絶対音感」とも言うべき現象が現われる」という考えを経験上から得られたとのこと。ずっと長い間何かにふれていた方が、まとめあげた意見というのは非常に参考になります。本当のところを言い当てていることのほうが多いと思うから。
 なにがしかの潜在能力が、音感には絡んでいるのでしょうか。

 クラリネットとリコーダーのエピソードも興味深かったです。
 私はソプラノ、アルト、テナー、バスと一通り吹きました。指遣いが少しずつ違うところは別として、ソプラノからバスまでずっとつながった一本のリコーダーを、細いほうから順にちょんぎって、担当する音を一部分重ねて作った楽器、というイメージでした。ゲーム感覚でおもしろかったです。クラリネットは吹いたことがないのですが、なぜ作った人は半音ではなくいっそ半オクターブぐらいずらさなかったんでしょう。
 厳密な音感をおもちの方だと、そんなところで苦労があったのですね。
 絶対音感は、時代によってかわってしまうものですから正確には「絶対」ではないと思います。不変不朽のものだけが絶対と呼べるのですから。
 しかし、その個人のなかで確定されているということで、そのときだけ考えればそう名付けられたのは不思議ではないのだと思います。
 
 ご回答ありがとうございました。

補足日時:2003/08/02 22:43
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絶対音感:


平均律の音12個すべてを丸暗記している事。
言い替えれば、音を物理現象として、
「空気の振動の周波数」として記憶している状態。

相対音感:
音を音程として捉える事。

これでどうですか?

私の知人の音楽家(クラッシック)の方は、

「音楽の世界には、絶対音感という概念は無い。」

と潔く断言しました。

ちなみにその方は、楽器を使わず譜面が書け、
音叉も無しで楽器の調律ができます。
(基準になる音1個は記憶しているようです。)

ある特定の周波数の音12個を丸暗記...
確かに音楽の本質とはかけ離れた話ですね。

そういう音感になってしまった知人もいますが、
「楽器の都合でピッチをズラされるとやりずらい。」
と嘆いていました。

「譜面で見た瞬間、頭に浮かんで来る音」と、
「実際に楽器から出てくる音」
がズレていると「気持ち悪い」という事です。
(そういう意味で「気持ち悪い。」のならわかるけど。)

ちなみに、音を色で例える事については、疑問を感じます。

色の色目(およその赤とか緑とか)は誰でもわかりますが、
明度や彩度の絶対値がわかる人は見た事がありません。

>音を色のように捉えるのは間違っているんでしょうか?
との事ですが、色はピッチではなく「音色」程度のものでしょう。

この回答への補足

 回答ありがとうございます。
 ううーん、批判になっていたら申し訳ありませんが、書いて頂いた絶対音感と相対音感の区別では、絶対音感のほうはわかるような気もしますが、相対音感のほうはちょっとわからなかったです。音を音程として捉える・・・。
 私のIMEには辞書機能がついていて、「音程」と打つと「2音の高低の差」とでてきます。
 2音を提示すれば音の高い低いはわかるけれど、それがどの高さの音なのか(ピアノで言えばここのドだとかシだとか?)わかるところまではいかない、という理解でよいでしょうか?
 
 クラシック音楽家のお知り合いがいらっしゃるなんて、いいですね。うらやましいです。そういわれません?もううんざりしているかもしれないけど(;^_^A。
 「絶対音感はない」と言い切っておいでの理由は、やっぱり、平均律や純正律、その他の音階についての造詣をお持ちだからでしょうか。
 調律ができるのはすごいです。わたしはピアノの調律を何回もそばで見てきましたが、一音を何度も調整して、あきらかに違うものの「どう違うのか」はっきりわからないのに、調律師の方はこれ!とわかるみたいなんですよね。
 やっぱりピアノだけやっていた人間は音に鈍い、といわれるのも仕方ないかも、って思っています。
 もう一度、あの全部調律し終わった直後独特の、丸くて澄んだピアノの音が聞きたい・・・。独り言でした。

 音を色でたとえた理由は、これは私たち人間は便宜的に色に名前をつけていますよね。たとえば、壁の色を指さして「何色?」と聞いた時、たいていの人は「白」とか「クリーム色」などと答えるのではないかと思います。
 しかし、「白」と呼んでいる色は厳密には白ではなく、光の入りかた、まわりのものの色によって壁一面の色がまったく同じ色っていうことはありえないわけです。ずっとつながっているけれど、少しずつ違う色なんですよね。人間の目だと、30cm離れたA地点とB地点の違いははっきり見分けられるかもしれません。色にうるさい人や、絵を描くのがうまい人ならばもっと短い距離の色の差を見分けるかもしれません。しかしいずれ必ず、人間がその境目を見分けられない限界がやってくるはずです。
 そういう意味で、音も人間が1Hzずつ区切っているけれど、1Hzずつ飛んでいるわけじゃなくて人間が目盛りをつけているだけでしょう?わたしは色のように、ずっとつながっているものと思っていたし、その中から目盛りだけわかったって何がどう違うんだろう、という疑問があったし・・・。ごちゃごちゃしてきましたね。
 余談ながら、色もある意味周波数の世界です。
 絵を描く人は、ごくごく自然にこの色はあの色とその色を合わせる時、この彩度と明度でまぜてできる・・・という指定ができます。もし絶対音感というものがあるのならば、この色彩を見分ける能力がずばぬけている人を「絶対色覚」の持ち主と言ってもいいんじゃないかなぁ、などと思っていたんです。
 だから余計、絶対音感を慣れの問題で片づけていたんですね。色にたとえた理由は、絶対音感も訓練の結果、人よりも音価に余計に慣れているということを示すだけではないのか、わざわざ何かの特殊能力のように区別する理由はどこにあるのか、という疑問があったからです。
 
 長くなりましたね。すみません、色にたとえたわけは、少しはわかってもらえたでしょうか・・・。

補足日時:2003/05/31 01:31
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絶対音感どころか相対音感さえ持っていない私なんぞが回答することをまずお断りします。



優れた音楽家に絶対音感の持ち主がいることは事実ですが、絶対音感を持っていないと音楽ができないかのような論調には賛同できません。

極言すれば、絶対音感が必要な場面とは採譜だけではないでしょうか。

演奏や作曲には無用と思います。誰だって鼻歌で適当なフレーズをアドリブで作ることはあると思います。しかしそのとき、このフレーズは嬰ヘ長調だとか基準A音から0.2ヘルツずれているとか考えないはずでしょう。

フレーズは移調さえすれば何調にもなるわけだから、曲として美しいかどうかを決定するのは前後の音のつながり、つまり相対的な位置関係だけであり、絶対的な音階ではないといえます。

音楽演奏におけるアドリブでも通常、曲のキーとかはあらかじめわかっているか、演奏する内にわかるのですから、必要なのは絶対音感ではなく、そのキーに於いて使うことができる音=指の形・鍵盤の位置だけでしょう。例えば、ギターの場合はキーが変わればフレットの位置をずらせばよいだけで音と音の相対的な位置関係は何ら変化しません。つまり、音感がなくても、指が覚えてさえくれればよいわけです。

もしかして、西洋音楽に対する無分別なあこがれみたいなものがあり、それば絶対音感第一主義みたいなものに繋がっているとはいえないでしょうか。
民族音楽みたいな5音音階の世界では彼らなりの絶対音感の持ち主がいることでしょう。

絶対、という言葉の空虚さを感じます。

この回答への補足

 モーツァルトはいわゆる絶対音感の持ち主だったらしく、幼いころから音感に非常に敏感で、長じて「平均律でおれの曲を弾いたやつはぶっ殺す」とまで言ったそうですが・・・。彼が現代にタイムスリップしたら間違いなく「音痴」と言われるんじゃないかと思っています。
 そう思って、なおさら「絶対音感とは?」と謎になり、質問をしました。
 それとも天才のことですから、あっというまに現代の音階に馴染むのかな。
 
 音感が著しく欠けていると、今ある音階での音楽を作りにくいのは確かでは、とも思いますが・・・。(知人に、鼻唄を歌うのが好きな人がいますが、彼は非常に幅の少ない音で歌います。それはそれで彼なりの音階なのでしょうが、見事にすべての音が平均律から外れた音であり、また低い音や高い音がないんですね。彼にスペクタクル映画の盛り上がる音楽を作曲するのは難しそうです)
 幼いころからの訓練がないと身につかないと言われる「絶対音感がないと」といって限定しようとするのは、やっぱり、どこかで自分たちを優越したものとしてみなすため差別化したいのでは、という意地の悪い考えが浮かびます。
 相対音感さえない、なんて仰っていますが、coco1さんはギターを嗜まれるんですね。
 失礼になっちゃいますが、ギターの人って、指に覚えさせたときにときどきまちがえちゃったりしないんでしょうか?(;^_^A。わたしは小四で出たピアノの発表会のとき、頭の中が真っ白になって指が動かなくなってしまい、楽譜もイメージに浮かばなかったため、曲を思い出しながらほとんど一音一音必死で弾いた覚えがあります・・・。
 ああ、思い出すだけではずかしい。

 どちらにしても、民俗音楽には民族音楽ならではの音階がある、というのはうなづけます。
 西欧だって、これは世界的に広い地域で聞かれている音だけれど一つの民族音楽の音階だったんですよね。

 回答ありがとうございました。

補足日時:2003/05/30 15:22
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#4です。


ご丁寧な補足をありがとうございます。

絶対音感についてあまり調べもせずに回答してしまったようで、私の論点はずれています。
論点がずれているのに続けるのもずうずうしいですが、「私の捉える絶対音感」として聞いて
ください。#4の補足は質問者さまの論点での補足なので若干噛み合っていません(すみま
せん!)

「私の捉える絶対音感」は、正確にA=440Hzの音を聞き当てられるという能力ではなく、あく
まで、「相対」に対する「絶対」なのです。う~ん、#3をみてもやっぱり違いますね。私の捉え
方は。ずうずうしく私の論点でもう少し続けさせてください。意味ないかな? 絶対音感の議論
では無い!のなら、まずはそう指摘して頂けると幸いです。

>私にとって出したい音がすぐに「基準音より二オクターブ下のファ」とかわかるよりも、即興
>ということがきらきら輝いて見えるんです。
基準音が必要なのは私も含めた「相対音感」保持者であり、「私の捉える絶対音感」は基準
音が必要ありません。

>「弾きたい音を即座に弾ける」ということはよくわかります。だって私にもできますよ、そんな
>こと。だからCMなどで聞いたメロディをそのまま再現することも朝飯前です。
うらやましいです。質問者さまは「私の捉える絶対音感」保持者です。私も曲のコピーは非常に
得意です。CMで聞いたメロディを伴奏も含めて完全にコピーすることはできます。でも悲しい
かな、半音とか全音とかずれていることがあります。別の言葉でいえば、何調かまで正確には
わからないのです。そこが「私の捉える絶対と相対の差」です。

おわかりいただけたでしょうか?「私の捉える絶対音感」。

今、ある音楽が流れているとしましょう。目の前にピアノがあります。それに合わせて弾きたい
メロディーが浮かんだとします。いや、そうでなくても、例えば繰り返し流れているメロディーが
あったとして、それと同じメロディーを弾くのでも良いです。「私の捉える絶対音感」保持者は
難なくそれができます。私は音を外してしまう可能性がゼロではありません。1回ピアノを押して
音がわかれば、その音との相対関係はわかりますので、修正して弾くことは可能です。

>gatorさんがお書きになったような「差」というのは、突き詰めて突き詰めて体の一部になった人
>と、まだまだ考えながらの人の差だと私は思います。
それはその通りかもしれません。まだまだ修行がたりません。

すみません。とんちんかんな方向で議論を展開してしまったかもしれません。もし良かったら、
「私の捉える絶対音感」についてのお考えをお聞かせください。

長くなってしまいましたが、本来の絶対音感についての考えを書きます。
たしかに、A=440Hzを基準にした平均律以外は気持ち悪いとすれば、それは確かに不便な特質
であり、むしろかわいそうだと思います。変な例えですが、こんなことを思い出しました。小学校
のころ、精神的に少し異常のある子がいました。その子は廊下のタイル(30cmx30cm)のちょうど
真中を踏んで歩かないと気が済まないようで、他の子に押されてタイルの境界線を踏んでしまうと
もういちどそこまで戻ってタイルの真中を歩きなおしていました。当然、曲がる時は直角でした。
なんか、かわいそうでした。絶対音感にも通じるところがあるような気がします。

絶対音感保持者の方ごめんなさい。でも、それでも、曲者と言われるかも知れませんが、憧れて
います。もし良かったら出てきてください。

#なお、風の便りで聞いたのですが、その「直角君」は中2くらいの時に、その病気(?)が直って、
京都大学を卒業してそのまま大学に残り数学の研究者になったそうですよ。

以上

この回答への補足

 回答ありがとうございます。レスが遅くなり、申し訳ありません。
 最近、私は自分のことを「絶対タイピング能力の持ち主」と誇張して呼んで笑ってみることがあります。なぜかというと、私は自分のPCのキーボードを見ずにキーを打つことができるからです。
 私は、そのことにキーボードを見ないとキーを打てない妹から「キーボードの刻印が消えていて読めない」と指摘されるまで気がつきませんでした。(全部じゃないのですが)
 これをタイピングにおける絶対タイピング能力、と呼んでみてはどうだろうか、と思いまして。この能力は誰にでもすぐに獲得可能なのでまったくありがたみがないところが残念です(笑)。
 
 頂いた回答を拝見して、仰る意味での絶対音感というのはわかったようなわからないような気がします。すみません・・・半音ずれていれば頭の中ではものすごい不協和音のような気がしたのですが。
 しかし、仰っている意味はわかりました。音と音の間隔は掴めるということですね。でも、ドミソ♪と鳴ったときにファラド♪と書いてしまったりする、ということですよね?
 聞いた曲を弾くときも、すらすら弾けない・・・ということですよね。それはよくわかります。すらすら弾けないために曲に感情を乗せられなくて悲しくなるっていう意味ですよね?
 え~、後者の数学者の方というのは、もともとそういうう才能があったのだと思います。ものすごいこだわりを持って世界をみている人、つきつめないと気が済まない人、ある規則を何にでも見いだしてしまう人。だから数学者になれるのでしょうね。それはやはりオタク(よい意味で言う)の最高峰ではないかと思います。何かを追究することが好きな男性がたくさんいたから、人類は発展してきたのだと思いますから。
 ただ、直角にしか曲がれない、その規則のなかでしか外を見られないという意味で、世俗的にはちょっとかわいそうなのかもしれません。

補足日時:2003/08/02 23:01
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この回答へのお礼

 芸術の分野において信じられないような高みにいる人々がいますよね。その高みへなんなく昇ったように見える人々。
 私は絵がうまいねとときどき言われます。いばっているわけではなくて正直とんでもなくへたくそです。でもあるいくつかのモチーフについてはたしかに私より下手な人もいます。傲慢でも卑下でもなくそれがわかっています。
 そういう人たちは私のことを絵が上手だと言います。でも私が知っていることは、私は幼いころから、他の人が他のことをしている間ずっとずっと絵を描いてきたということです。毎日。
 音も何かの音程にドミソをあてはめることができる、でもそれはまだおぼろげにしか物心のつかないうちから毎日ピアノを弾いていたからです。
 大人になってから何かを習いはじめると言うことは、子供のころ毎日ただ描き鍵盤を叩いていたのと違って、とてもまわりと比較しやすいのだと思います。自分がうまいか下手なのか子供よりわかるので一朝一夕で上手くなりたいと望みやすいのだと思います。大人で時間がないと焦ってしまうから、早く上手くなりたい、早く自分の思うとおり描いたり音をだしたりしたいと望んでしまうのではないでしょうか。
 ジャズにのめりこんでいるgatorさんは、自分に絶対音感がないと思って、とても歯がゆい思いをされているのでしょうね。身近にいる「絶対音感の持ち主」がすらすらと自分のやりたいことを、自分がつっかえてしまうことをやってのけているから。母がそうだった(彼女は30代になってからピアノをはじめました)から、とても身近に思えます。
 でも、私がgatorさんととても羨ましく思うことは、私は音を言い当てることも、他人の作曲を弾くこともできるけれど、そこまでだということです。
 ミューズが選んだのはあなたであって、私ではない。
 才能とは、そういうことだと思います。どれだけ長い間、濃い密度で集中力を保ってそれに没頭できるかどうか。
 音感も、私はある程度までそういうところだと思います。数年であきらめたりせず、これから一生かけて研磨していってほしいです。音感は、必ず身につくと思うからです。

お礼日時:2003/08/02 23:50

絶対音感と、相対音感の保持者として答えます。



現代のピアノの調律は、A=440Hzになっています。
私はピアノをやってきたので、私の耳はこの440Hzに一番慣れています。また、ピアノは十二平均律で調律されますが、当然私の耳は、この十二平均律に一番慣れています。

さて、弦楽器では、A=442Hzに合わせることが多いです。
さらに、弦楽器の調弦は、純正律的に行われます。

私が、バイオリンを始めたばかりの頃は、慣れ親しんだ音の高さよりも微妙に高いことと、音階の各音の音の高さのバランスが違うことに、違和感を覚えましたが、今はチューナーなしでもA=442Hzにだいたい合わせることができます。

>「音程からはずれた音を聞くのが苦痛だ」
これは、絶対音感に限らないのでは、と思います。
歌ったり、奏でたりする時に、全体からみて、絶対合わない、はずれた音が、苦痛であり、気持ち悪いのだと思います。

KINGBIRDさんは、以前ピアノを習っていて、いろいろな音がどのくらいの高さか、分かるのですよね。これは絶対音感によるものです。恐らくは、それほど厳密なものでないにしろ、A=440Hz平均律に基づいて、どのくらいの高さか判別しているのでしょう。

絶対音感があるということは、自分の中に決まった高さの音を基準として持っていることだと思います。

弦楽器や、管楽器でアンサンブルなどをするときには、他の人の音と比べて相対的に高いか低いか、といったことが重要ですので、自分の中に決まった音を持ってしまっていて、それに固執しているようでは、逆に邪魔になります。

私は、確かに、はじめの音(根音)を指定されれば、即座に、長調なり短調なりを、弾くことができますが、これは、絶対音感とはあまり関係ないような気がします。絶対音感がなくても、相対音感を持っていれば、ある音を基準にして、音階を歌うことは可能だと思うからです。
ついでにいえば、日本人には、絶対音感の保持者は、英語圏と比べて、多いのです。適当に歌っても、だいたいの人は、厳密でないですが、(普段聴いている曲のCDと比べて)あまりはずれずに歌います。絶対音感がないなら、全くはずれた音で歌い始めたりするでしょう。

本題からはずれますが、昔の音は今の音より低いかといえば、そうではないと思います。地域によって差がありましたし、そのなかには、当然今より低い音のところもありました。高い地域もあったでしょう。

なんだかいろいろ書きすぎて、わかりにくくなってしまったみたいです。ごめんなさい。

この回答への補足

 レスが遅くなっており、すみません。少し頭を冷やしてみました。
 仰る通り、これが「ド」だよ、といって二つの高さの音を提示されると混乱もしますよね。いわゆる「絶対音感の苦痛」とはそのへんにあるのかと思っていましたが・・・。
 
 日本人は(現在の音階に)正確な音階をだしやすい、というお話は新鮮でした。小学校に入った時から音楽の授業がありますし、それ以前に幼稚園で笛やギター、ピアノに合わせて歌ったりといった教育の賜物でしょうか?
 
 ていねいに書いて頂いた内容はたいへんわかりやすかったです。バイオリンなど弦楽器を習ってらっしゃるかたはわたしよりはるかに正確な音感を持っている(人にばかり会ってきた)こともあり、納得できるお話でもありました。
 問題は、修飾句つきで「絶対音感保持者の苦悩を訴える人」には無視されちゃうことでしょうか(笑)。
 彼らに、どういう風に音が聞こえているのか、捉えているのか聞いてみたかったですね。←いやみじゃなくて・・・。
 

補足日時:2003/05/30 15:15
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私には絶対音感はありません。

相対音感ならあります。

教えてgooでもたくさん話題になっているので、調べてみたいですが、、、

否定的なご意見が多いようですが、私はなんとなく絶対音感にあこがれています。
きちんとした理由はないですし、これまでのご回答や参考URLも納得できる
ものばかりですが。
なので、肯定派や実際に持っていらっしゃるかたの意見を聞きたいです。
ここに出てくるのは抵抗があるかもしれませんが。

私は音楽が好きで楽器を弾きます。よくジャズでアドリブというのが
あります。これはその曲のコード進行に合わせて、その場でメロディー
を思い浮かべて即興で弾くもので、ロックやポップスでも間奏で
出てきたりします。ジャズは殆どアドリブで成り立っています。
(私の実力の問題も大きいですが)アドリブをする際、まずその曲の
調から、どんな音階が使えるかを考え、そしてそれが実際にどの音になるか
考えてから弾くことになるので、流れるようなアドリブがなかなか
できません。
絶対音感のある人に聞いたところ、調がなんであろうと弾きたい音を
即座に弾けるそうで、非常にうらやましいです。(再び私の実力の問題も
大きいですが)概念的な表現になりますが、自分はその時の調に縛られる
のに比べてその人はあらゆる音を自由に操れるという感じがしました。

ピッチが微妙にずれていたら気持ち悪いとか、(その人はその点には
敏感ではないようです) そうことが議論になることは多いし、そこが
本質なのかもしれませんが、つまらないことだと感じます。例えば、
きちんと平均率に調律された楽器を用いての演奏に於いてという
条件の上でも、私が上に書いたような差が生じるとすれば、素晴らしい
ことだと思うのですが。

いかがでしょうか?

以上

この回答への補足

 回答ありがとうございます。憧れる気持ち・・・それはよくわかります。音そのものが自分と違って聞こえているのではないんだろか?!という未知への憧れもふくめて、音楽を聞いたり作ったりするのに便利そうですよね。
 でも、その憧れが曲者なんでしょうか。
 人間の可聴音域には幅があります。基準音前後の音ならちゃんとその周波数分のラベリングができる「絶対音感保持者」であったとしても、その音域の幅の上下どちらかの限界に近づくほどその音程は狂っていくはずなんです。彼らだって超低音は振動にしか感じないし、高音はキーンという同じくブレない振動にしか感じられないはずです。
 だから人間が感じ取りやすい音域だけに限って絶対って言われてもね~・・・っていう不信感があります。

 話が変わりますが、ジャズには私はあまり興味がありません。しかしこの豊かな音楽を究極の音楽、究極の才能の一つとしてとても尊敬しています。
 私にとって出したい音がすぐに「基準音より二オクターブ下のファ」とかわかるよりも、即興ということがきらきら輝いて見えるんです。
 「弾きたい音を即座に弾ける」ということはよくわかります。だって私にもできますよ、そんなこと。だからCMなどで聞いたメロディをそのまま再現することも朝飯前です。でもこれって、慣れの問題では??絶対音感云々は関係ないと思いますよ。音だから、大人になってからは身につくのは時間がかかるかもしれませんが、gatorさんファイトです。いつか必ず思った通りのメロディがすらすら弾けるようになると思いますよ。
 それに、メロディが頭の中に浮かぶことのほうがすごいし、大事なことだと思います。私には即興はなかなか無理です。頭の中でじゃかじゃか勝手に鳴るけれどどうしても「どこかで聞いたメロディの寄せ集め」になってしまうから、弾こうと思うと迷っちゃうんですね。
 音がずれているのが気持ち悪いとか、ちょっと自慢しちゃうのがご愛嬌だとしても、絶対音感は絶対ではないと感じます。持っていない私がいうのもなんですが・・・。
 gatorさんがお書きになったような「差」というのは、突き詰めて突き詰めて体の一部になった人と、まだまだ考えながらの人の差だと私は思います。 
 色のことですが、私は絵を描くのが好きです。しかしカラーで塗ろうとすると出したい色を出すのに苦労します。目はその色を捉えどんな色と色が混ざっているのかということを教えてるのですが、いざ描こうとすると正確にその色を三原色から抜き取ることができないんですね。
 これがすらすらできる人は「絶対色覚」の持ち主だと思いますか?私は才能でもあると思います。でも経験に寄るところも大きいと思うんです。ミケランジェロだって、小さいころはへんちくりんな絵を描いていたし。
 それが、小さいころからカラーで絵を描いていたから身についたものだとすれば大変うらやましいし、差を感じます。でも、絶対ではありません。
 繰り返し繰り返したたき込めば、必ず体が覚えることだと思います。

補足日時:2003/05/23 13:11
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