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 あまり調べずに聞くのもどうかと思いますが・・・。
 絶対音感というものがよくわかりません。言われている意味は知っています。
 しかしよく理解できません。「絶対」というからには絶対であるはずですが、しかし基準音自体が変化してきているのに何が絶対なのか?とも思いますし。相対音感と言われるとわかるのですが・・・。
 またピアノを弾く人が絶対音感の持ち主だというのもわかりません。
 私には「絶対音感」なるものはありません。でも幼いころからピアノを弾いていたので、自分が今叩いているキーボードの音、PCの内部から聞こえる動作音、冷蔵庫の低い振動に近い音などがドレミファソラシドの中の、どの音からどの音の間、だいたいファからソの4分の3の音、なんていうことは考えなくてもわかります。そういう訓練を受けました。でもいらいらはしません。習う以前から音はありました。だから私にとって習い覚えた音階は、一つの目安にすぎません。
 私が、一番違和感を覚えるのは「絶対音感の持ち主」がいうところの「音程からはずれた音を聞くのが苦痛だ」という告白です。それが単に記号から頭で考えているように思えるところが苦手です。(そういう人間に限って調律前後のピアノの音の違いに気付かなかったりするし・・・)はじめに音ありきではないように見えてしまうからです。融通のきかなさを誇らしげに自慢されているようなむずがゆさが先立ったまま「絶対音感」を考えてしまうため、かなり偏見込みだとは思います。

 しかし、音を色のように捉えるのは間違っているんでしょうか?所詮、よどみなく流れるものの中から人間が便宜上ある程度の間隔で印をつけたものが音階・音律でしょう?今、絶対音感と呼ぶのはしかも18世紀以降ヨーロッパの平均律でしょう?それを「絶対」と呼ぶのはなぜですか?
 絶対音感ってなんでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

多分,「絶対」という語の音感に抵抗があるんですよね?



これは,科学の分野で使う学術用語なんです.だから,「絶対音感」が「絶対に必要」とかいう意味ではないんですよね.近代になって,音というものを科学的に研究するようになり,便宜的に付けられた名称です.

参考URLに詳しく出ていますが,多分,これを書いた人は質問者さんと同じような考え方だと思いますので,参考になると思います.結論として,「音楽に絶対は不要」ということのようです.

参考URL:http://lapc01.ippan.numazu-ct.ac.jp/a/98/c33.html

この回答への補足

 回答ありがとうございます。紹介して頂いた参考URLは、ちょうど質問を立ち上げる前に開いていたページでびっくりしました。有名なところなんですね。
 えー、他意があるわけではないのですが、少し補足させてもらってもよいでしょうか?「絶対音感」を「絶対に必要」という意味だから違和感を覚えるのではなく、「絶対」ではないものを「絶対」と呼ぶから・・・正確には、「その音感を持っている者(おおむね自分)を絶対的な存在として捉えている」絶対音感保持者に対する違和感もいっしょにあるのです。
 こういうと波風が立ちそうですけれどね(;^_^A。
 相対にたいして絶対、だとはいいますが、持っていないと思われる人間でも人間の可聴域のうち、高い音を高いと思い、低い音を低いと思っているはずです。それが他人より厳密に、細かい範囲でラベリングできるからといって、それは特別境界線が引けるほどのものではないのでは?と思ってしまいます。
 そう思う理由は、犬です。人間よりもはるかに高いレベルで音を認識している犬から、他の動物はさらに違う聴覚を持っているらしいと学びました。
 人間同士だから、ある程度の御札をありがたがってしまうのではないかと思ってしまって。
 回答ありがとうございました。

補足日時:2003/05/23 12:58
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あまり調べずにおこたえするのをお許しくださいね。


私もあなたの考え方と同じです。
そもそも、絶対音感って、何でしょうね?
19世紀以降、Aの音(ピッチ)が高くなっているのですから。いまだって、443だったり、442だったり、派手に鳴らしたいときは445ということだってあるわけでしょ?
相対音感のほうが大事だと思います。ましてや、それをもっていることを自慢するなんて、生活しづらいだけなのに。
本来、子供の頃はみな持っているものなんでしょ?

私はオリジナル楽器演奏をよく聴きます。自分では現代楽器を使っています。だいたい、半音くらい違うんですよ。
絶対音感がある人は、いわゆる古楽を純粋に楽しめないでしょうね、お気の毒です。

特にクラシックをやる人間にとって、相対音感があれば十分でしょう。だって、絶対音感のAは、いくつなの?442か443でしょうか?それとも440?
ややっこしいですよね。コンマスのAの音に全員そろえなくてはいけないのに、自分のAを主張してはアンサンブルは出来ません。
私もよくわかりませんが、絶対音感云々って、ただピアノ教育での狭い範囲じゃないのかしら。ピアノメーカーの陰謀だったりして・・・。
そういうひとに、チェンバロやヴァージナルの音楽を聞かせたら、どういうことになるのかしら?

まず、ドレミという音階だって、固定ドと移動ドのふたつの考えがあるんです。固定ドの考えは私は支持しません。

私は、日本の音楽教育をだめにしているのがそもそも、その絶対音感だと思いますよ。話がひろがりました、ごめんなさいね。

参考になりましたら幸いです。

参考URL:http://member.nifty.ne.jp/continuo/Musik/Dok009- …

この回答への補足

 回答ありがとうございます。ズレがあるというのは、わからないわけでもないですが(ド~♪と歌われながら、ドとずれていると体がねじられるような変な気持ちになりますよね)、私がすごくびっくりしたのが北アフリカやマレーシアの音楽です。
 最初に聞いたのが中学の時です。今まで習っていたドレミとぜんぜん違うから(音ですからぜんぜんは違わなかったですけど、ドレミのどの音にもあてはまらない音が多かったからやたら複雑に聞こえました)すごくびっくりして、同時に新鮮でした。
 オリジナル楽器とか、古楽とか・・・まったく存じませんでした。音の世界はいろいろでいいと仰るのに、賛成です。もしかすると、絶対音感とはある一定の権威のもとの絶対かもね、なんて毒を吐いてみたりして。

 人間が認識できる音のずれには限りがあります。1Hzの違いを聞き分けられても、0.1Hzの差はわかりません。また人間の可聴音域を超えてしまうとやっぱりわかりません。
 絶対音感とは、ある程度の正確さ、っていうことでよいのでしょうか?それを体が覚えている人、でしょうか・・・。子供の頃は誰もが持っているものなら、それを絶対と呼ばれるのはわかるような気もしてきました。
 回答ありがとうございました。

補足日時:2003/05/23 15:14
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「絶対音感」というのは、周波数(ピッチ)ごとに「厳密に聞き分ける、生成する感覚」を言うそうです。


おそらく、「absolute pitch」を日本語に訳すときに、「絶対」というふうにやくしたのでしょうね。「厳密」のほうが英語のニュアンスに近いような気がします。

また、聞き分けたピッチをドレミファ・・などに対応づけるのを「ラベリング」と言うそうです。ラベリングができるかできないかは、絶対音感とは関係ないそうです。

もっともラベリングに使う記号(音符なり、音を表わす記号なり)というのは、誰かが便宜的に「このピッチはこの記号(ラベル)で表わそう」と決めただけのものですから、時代やジャンルによって変わるのもです。ピッチとこの記号の関係は相対的(というか恣意的)です。

ピッチ自体は単なる周波数のことですから、ある人が周波数の違いに非常に敏感でり、声や楽器を使って望みの周波数を生成できれば、「絶対音感」があると言うようです。ですから、KINGBIRDさんのように、生活の中の音を聞いて、「これくらいのピッチの音だな」と分かれば(正確さの程度にもよりますが)、絶対音感の持ち主と言ってもよいでしょう。

その聞き分けた音をどうラベリングするかは、ラベリングの際に使う記号次第です。ある人は、「シ」だと言うかもしれませんし、ある人は、「ちょっと水の入っているガラスのコップを叩いた音」と表現するかもしれません。それは、好き好きです。

ちょうど、色の名前と一緒です。ある文化の人は「緑」と言い、別の文化の人は「青」と言っても、その人達は違う色を見ているわけではなく、また、別の色と区別できないわけでもありません。ただ表現の仕方が違うだけです。

「ピッチの知覚能力」と「ラベリング」をごちゃ混ぜにして「絶対音感」という言葉を使うから、何か語弊がでてくるわけです。

※ちなみに、「Absolute Pitch」で検索かけた方が、正しい情報が得られやすいです。

この回答への補足

 回答ありがとうございます。私は少し勘違いをしていたみたいです。日本語でいう場合、ピッチって単なる周波数とは違うと思っていました。人間の耳が捉えて「ん、このぐらいの周波数だな」と思った高さ=ピッチなのかと・・・。絶対音感というものは、このピッチが実際の周波数とかなり厳密に合わせることのできる音感のことをいうのかと思っていました。音は距離や空気の感想度によっても高低に揺れますし。
 Abusoluteは絶対、という意味だと習ったから、絶対音感と訳されたのかもしれませんが「厳密」にはごめんなさい、ちょっと笑ってしまいました。「厳密音感」ならここまでもてはやされなかっただろうな、と思ってしまって。
 やはり、絶対音感とは音の高低を非常に細かく、周波数に正確に感じ取ることのできる音感、でよいでしょうか?
 水の入ったグラス2つを叩いたとき、水の量で高低のある2つの音を、正確に捉える音感。
 やっぱり私には絶対音感という言葉はしっくりきません。私にはありません。すごく高い音とすごく低い音は、内側にたわめられるように聞こえるんです。実際にこのぐらいであるはずの音、聞いている音と2つ感じるんです。
 相対と絶対の差はどこにあるんでしょう?相対音感と言われる人たちだって、厳密ではないけれど「この辺の音はこのぐらいの高さの音」ってわかっているわけじゃないですか・・・?それが、1Hzずつ刻むことのできる「絶対音感」と、10Hzずつしかわからないからといって、そこまで違うものなのかな、と思ってしまいます。
 英語の「絶対音感」などとても参考になりました。回答ありがとうございました。

補足日時:2003/05/24 12:17
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私には絶対音感はありません。

相対音感ならあります。

教えてgooでもたくさん話題になっているので、調べてみたいですが、、、

否定的なご意見が多いようですが、私はなんとなく絶対音感にあこがれています。
きちんとした理由はないですし、これまでのご回答や参考URLも納得できる
ものばかりですが。
なので、肯定派や実際に持っていらっしゃるかたの意見を聞きたいです。
ここに出てくるのは抵抗があるかもしれませんが。

私は音楽が好きで楽器を弾きます。よくジャズでアドリブというのが
あります。これはその曲のコード進行に合わせて、その場でメロディー
を思い浮かべて即興で弾くもので、ロックやポップスでも間奏で
出てきたりします。ジャズは殆どアドリブで成り立っています。
(私の実力の問題も大きいですが)アドリブをする際、まずその曲の
調から、どんな音階が使えるかを考え、そしてそれが実際にどの音になるか
考えてから弾くことになるので、流れるようなアドリブがなかなか
できません。
絶対音感のある人に聞いたところ、調がなんであろうと弾きたい音を
即座に弾けるそうで、非常にうらやましいです。(再び私の実力の問題も
大きいですが)概念的な表現になりますが、自分はその時の調に縛られる
のに比べてその人はあらゆる音を自由に操れるという感じがしました。

ピッチが微妙にずれていたら気持ち悪いとか、(その人はその点には
敏感ではないようです) そうことが議論になることは多いし、そこが
本質なのかもしれませんが、つまらないことだと感じます。例えば、
きちんと平均率に調律された楽器を用いての演奏に於いてという
条件の上でも、私が上に書いたような差が生じるとすれば、素晴らしい
ことだと思うのですが。

いかがでしょうか?

以上

この回答への補足

 回答ありがとうございます。憧れる気持ち・・・それはよくわかります。音そのものが自分と違って聞こえているのではないんだろか?!という未知への憧れもふくめて、音楽を聞いたり作ったりするのに便利そうですよね。
 でも、その憧れが曲者なんでしょうか。
 人間の可聴音域には幅があります。基準音前後の音ならちゃんとその周波数分のラベリングができる「絶対音感保持者」であったとしても、その音域の幅の上下どちらかの限界に近づくほどその音程は狂っていくはずなんです。彼らだって超低音は振動にしか感じないし、高音はキーンという同じくブレない振動にしか感じられないはずです。
 だから人間が感じ取りやすい音域だけに限って絶対って言われてもね~・・・っていう不信感があります。

 話が変わりますが、ジャズには私はあまり興味がありません。しかしこの豊かな音楽を究極の音楽、究極の才能の一つとしてとても尊敬しています。
 私にとって出したい音がすぐに「基準音より二オクターブ下のファ」とかわかるよりも、即興ということがきらきら輝いて見えるんです。
 「弾きたい音を即座に弾ける」ということはよくわかります。だって私にもできますよ、そんなこと。だからCMなどで聞いたメロディをそのまま再現することも朝飯前です。でもこれって、慣れの問題では??絶対音感云々は関係ないと思いますよ。音だから、大人になってからは身につくのは時間がかかるかもしれませんが、gatorさんファイトです。いつか必ず思った通りのメロディがすらすら弾けるようになると思いますよ。
 それに、メロディが頭の中に浮かぶことのほうがすごいし、大事なことだと思います。私には即興はなかなか無理です。頭の中でじゃかじゃか勝手に鳴るけれどどうしても「どこかで聞いたメロディの寄せ集め」になってしまうから、弾こうと思うと迷っちゃうんですね。
 音がずれているのが気持ち悪いとか、ちょっと自慢しちゃうのがご愛嬌だとしても、絶対音感は絶対ではないと感じます。持っていない私がいうのもなんですが・・・。
 gatorさんがお書きになったような「差」というのは、突き詰めて突き詰めて体の一部になった人と、まだまだ考えながらの人の差だと私は思います。 
 色のことですが、私は絵を描くのが好きです。しかしカラーで塗ろうとすると出したい色を出すのに苦労します。目はその色を捉えどんな色と色が混ざっているのかということを教えてるのですが、いざ描こうとすると正確にその色を三原色から抜き取ることができないんですね。
 これがすらすらできる人は「絶対色覚」の持ち主だと思いますか?私は才能でもあると思います。でも経験に寄るところも大きいと思うんです。ミケランジェロだって、小さいころはへんちくりんな絵を描いていたし。
 それが、小さいころからカラーで絵を描いていたから身についたものだとすれば大変うらやましいし、差を感じます。でも、絶対ではありません。
 繰り返し繰り返したたき込めば、必ず体が覚えることだと思います。

補足日時:2003/05/23 13:11
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絶対音感と、相対音感の保持者として答えます。



現代のピアノの調律は、A=440Hzになっています。
私はピアノをやってきたので、私の耳はこの440Hzに一番慣れています。また、ピアノは十二平均律で調律されますが、当然私の耳は、この十二平均律に一番慣れています。

さて、弦楽器では、A=442Hzに合わせることが多いです。
さらに、弦楽器の調弦は、純正律的に行われます。

私が、バイオリンを始めたばかりの頃は、慣れ親しんだ音の高さよりも微妙に高いことと、音階の各音の音の高さのバランスが違うことに、違和感を覚えましたが、今はチューナーなしでもA=442Hzにだいたい合わせることができます。

>「音程からはずれた音を聞くのが苦痛だ」
これは、絶対音感に限らないのでは、と思います。
歌ったり、奏でたりする時に、全体からみて、絶対合わない、はずれた音が、苦痛であり、気持ち悪いのだと思います。

KINGBIRDさんは、以前ピアノを習っていて、いろいろな音がどのくらいの高さか、分かるのですよね。これは絶対音感によるものです。恐らくは、それほど厳密なものでないにしろ、A=440Hz平均律に基づいて、どのくらいの高さか判別しているのでしょう。

絶対音感があるということは、自分の中に決まった高さの音を基準として持っていることだと思います。

弦楽器や、管楽器でアンサンブルなどをするときには、他の人の音と比べて相対的に高いか低いか、といったことが重要ですので、自分の中に決まった音を持ってしまっていて、それに固執しているようでは、逆に邪魔になります。

私は、確かに、はじめの音(根音)を指定されれば、即座に、長調なり短調なりを、弾くことができますが、これは、絶対音感とはあまり関係ないような気がします。絶対音感がなくても、相対音感を持っていれば、ある音を基準にして、音階を歌うことは可能だと思うからです。
ついでにいえば、日本人には、絶対音感の保持者は、英語圏と比べて、多いのです。適当に歌っても、だいたいの人は、厳密でないですが、(普段聴いている曲のCDと比べて)あまりはずれずに歌います。絶対音感がないなら、全くはずれた音で歌い始めたりするでしょう。

本題からはずれますが、昔の音は今の音より低いかといえば、そうではないと思います。地域によって差がありましたし、そのなかには、当然今より低い音のところもありました。高い地域もあったでしょう。

なんだかいろいろ書きすぎて、わかりにくくなってしまったみたいです。ごめんなさい。

この回答への補足

 レスが遅くなっており、すみません。少し頭を冷やしてみました。
 仰る通り、これが「ド」だよ、といって二つの高さの音を提示されると混乱もしますよね。いわゆる「絶対音感の苦痛」とはそのへんにあるのかと思っていましたが・・・。
 
 日本人は(現在の音階に)正確な音階をだしやすい、というお話は新鮮でした。小学校に入った時から音楽の授業がありますし、それ以前に幼稚園で笛やギター、ピアノに合わせて歌ったりといった教育の賜物でしょうか?
 
 ていねいに書いて頂いた内容はたいへんわかりやすかったです。バイオリンなど弦楽器を習ってらっしゃるかたはわたしよりはるかに正確な音感を持っている(人にばかり会ってきた)こともあり、納得できるお話でもありました。
 問題は、修飾句つきで「絶対音感保持者の苦悩を訴える人」には無視されちゃうことでしょうか(笑)。
 彼らに、どういう風に音が聞こえているのか、捉えているのか聞いてみたかったですね。←いやみじゃなくて・・・。
 

補足日時:2003/05/30 15:15
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#4です。


ご丁寧な補足をありがとうございます。

絶対音感についてあまり調べもせずに回答してしまったようで、私の論点はずれています。
論点がずれているのに続けるのもずうずうしいですが、「私の捉える絶対音感」として聞いて
ください。#4の補足は質問者さまの論点での補足なので若干噛み合っていません(すみま
せん!)

「私の捉える絶対音感」は、正確にA=440Hzの音を聞き当てられるという能力ではなく、あく
まで、「相対」に対する「絶対」なのです。う~ん、#3をみてもやっぱり違いますね。私の捉え
方は。ずうずうしく私の論点でもう少し続けさせてください。意味ないかな? 絶対音感の議論
では無い!のなら、まずはそう指摘して頂けると幸いです。

>私にとって出したい音がすぐに「基準音より二オクターブ下のファ」とかわかるよりも、即興
>ということがきらきら輝いて見えるんです。
基準音が必要なのは私も含めた「相対音感」保持者であり、「私の捉える絶対音感」は基準
音が必要ありません。

>「弾きたい音を即座に弾ける」ということはよくわかります。だって私にもできますよ、そんな
>こと。だからCMなどで聞いたメロディをそのまま再現することも朝飯前です。
うらやましいです。質問者さまは「私の捉える絶対音感」保持者です。私も曲のコピーは非常に
得意です。CMで聞いたメロディを伴奏も含めて完全にコピーすることはできます。でも悲しい
かな、半音とか全音とかずれていることがあります。別の言葉でいえば、何調かまで正確には
わからないのです。そこが「私の捉える絶対と相対の差」です。

おわかりいただけたでしょうか?「私の捉える絶対音感」。

今、ある音楽が流れているとしましょう。目の前にピアノがあります。それに合わせて弾きたい
メロディーが浮かんだとします。いや、そうでなくても、例えば繰り返し流れているメロディーが
あったとして、それと同じメロディーを弾くのでも良いです。「私の捉える絶対音感」保持者は
難なくそれができます。私は音を外してしまう可能性がゼロではありません。1回ピアノを押して
音がわかれば、その音との相対関係はわかりますので、修正して弾くことは可能です。

>gatorさんがお書きになったような「差」というのは、突き詰めて突き詰めて体の一部になった人
>と、まだまだ考えながらの人の差だと私は思います。
それはその通りかもしれません。まだまだ修行がたりません。

すみません。とんちんかんな方向で議論を展開してしまったかもしれません。もし良かったら、
「私の捉える絶対音感」についてのお考えをお聞かせください。

長くなってしまいましたが、本来の絶対音感についての考えを書きます。
たしかに、A=440Hzを基準にした平均律以外は気持ち悪いとすれば、それは確かに不便な特質
であり、むしろかわいそうだと思います。変な例えですが、こんなことを思い出しました。小学校
のころ、精神的に少し異常のある子がいました。その子は廊下のタイル(30cmx30cm)のちょうど
真中を踏んで歩かないと気が済まないようで、他の子に押されてタイルの境界線を踏んでしまうと
もういちどそこまで戻ってタイルの真中を歩きなおしていました。当然、曲がる時は直角でした。
なんか、かわいそうでした。絶対音感にも通じるところがあるような気がします。

絶対音感保持者の方ごめんなさい。でも、それでも、曲者と言われるかも知れませんが、憧れて
います。もし良かったら出てきてください。

#なお、風の便りで聞いたのですが、その「直角君」は中2くらいの時に、その病気(?)が直って、
京都大学を卒業してそのまま大学に残り数学の研究者になったそうですよ。

以上

この回答への補足

 回答ありがとうございます。レスが遅くなり、申し訳ありません。
 最近、私は自分のことを「絶対タイピング能力の持ち主」と誇張して呼んで笑ってみることがあります。なぜかというと、私は自分のPCのキーボードを見ずにキーを打つことができるからです。
 私は、そのことにキーボードを見ないとキーを打てない妹から「キーボードの刻印が消えていて読めない」と指摘されるまで気がつきませんでした。(全部じゃないのですが)
 これをタイピングにおける絶対タイピング能力、と呼んでみてはどうだろうか、と思いまして。この能力は誰にでもすぐに獲得可能なのでまったくありがたみがないところが残念です(笑)。
 
 頂いた回答を拝見して、仰る意味での絶対音感というのはわかったようなわからないような気がします。すみません・・・半音ずれていれば頭の中ではものすごい不協和音のような気がしたのですが。
 しかし、仰っている意味はわかりました。音と音の間隔は掴めるということですね。でも、ドミソ♪と鳴ったときにファラド♪と書いてしまったりする、ということですよね?
 聞いた曲を弾くときも、すらすら弾けない・・・ということですよね。それはよくわかります。すらすら弾けないために曲に感情を乗せられなくて悲しくなるっていう意味ですよね?
 え~、後者の数学者の方というのは、もともとそういうう才能があったのだと思います。ものすごいこだわりを持って世界をみている人、つきつめないと気が済まない人、ある規則を何にでも見いだしてしまう人。だから数学者になれるのでしょうね。それはやはりオタク(よい意味で言う)の最高峰ではないかと思います。何かを追究することが好きな男性がたくさんいたから、人類は発展してきたのだと思いますから。
 ただ、直角にしか曲がれない、その規則のなかでしか外を見られないという意味で、世俗的にはちょっとかわいそうなのかもしれません。

補足日時:2003/08/02 23:01
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この回答へのお礼

 芸術の分野において信じられないような高みにいる人々がいますよね。その高みへなんなく昇ったように見える人々。
 私は絵がうまいねとときどき言われます。いばっているわけではなくて正直とんでもなくへたくそです。でもあるいくつかのモチーフについてはたしかに私より下手な人もいます。傲慢でも卑下でもなくそれがわかっています。
 そういう人たちは私のことを絵が上手だと言います。でも私が知っていることは、私は幼いころから、他の人が他のことをしている間ずっとずっと絵を描いてきたということです。毎日。
 音も何かの音程にドミソをあてはめることができる、でもそれはまだおぼろげにしか物心のつかないうちから毎日ピアノを弾いていたからです。
 大人になってから何かを習いはじめると言うことは、子供のころ毎日ただ描き鍵盤を叩いていたのと違って、とてもまわりと比較しやすいのだと思います。自分がうまいか下手なのか子供よりわかるので一朝一夕で上手くなりたいと望みやすいのだと思います。大人で時間がないと焦ってしまうから、早く上手くなりたい、早く自分の思うとおり描いたり音をだしたりしたいと望んでしまうのではないでしょうか。
 ジャズにのめりこんでいるgatorさんは、自分に絶対音感がないと思って、とても歯がゆい思いをされているのでしょうね。身近にいる「絶対音感の持ち主」がすらすらと自分のやりたいことを、自分がつっかえてしまうことをやってのけているから。母がそうだった(彼女は30代になってからピアノをはじめました)から、とても身近に思えます。
 でも、私がgatorさんととても羨ましく思うことは、私は音を言い当てることも、他人の作曲を弾くこともできるけれど、そこまでだということです。
 ミューズが選んだのはあなたであって、私ではない。
 才能とは、そういうことだと思います。どれだけ長い間、濃い密度で集中力を保ってそれに没頭できるかどうか。
 音感も、私はある程度までそういうところだと思います。数年であきらめたりせず、これから一生かけて研磨していってほしいです。音感は、必ず身につくと思うからです。

お礼日時:2003/08/02 23:50

絶対音感どころか相対音感さえ持っていない私なんぞが回答することをまずお断りします。



優れた音楽家に絶対音感の持ち主がいることは事実ですが、絶対音感を持っていないと音楽ができないかのような論調には賛同できません。

極言すれば、絶対音感が必要な場面とは採譜だけではないでしょうか。

演奏や作曲には無用と思います。誰だって鼻歌で適当なフレーズをアドリブで作ることはあると思います。しかしそのとき、このフレーズは嬰ヘ長調だとか基準A音から0.2ヘルツずれているとか考えないはずでしょう。

フレーズは移調さえすれば何調にもなるわけだから、曲として美しいかどうかを決定するのは前後の音のつながり、つまり相対的な位置関係だけであり、絶対的な音階ではないといえます。

音楽演奏におけるアドリブでも通常、曲のキーとかはあらかじめわかっているか、演奏する内にわかるのですから、必要なのは絶対音感ではなく、そのキーに於いて使うことができる音=指の形・鍵盤の位置だけでしょう。例えば、ギターの場合はキーが変わればフレットの位置をずらせばよいだけで音と音の相対的な位置関係は何ら変化しません。つまり、音感がなくても、指が覚えてさえくれればよいわけです。

もしかして、西洋音楽に対する無分別なあこがれみたいなものがあり、それば絶対音感第一主義みたいなものに繋がっているとはいえないでしょうか。
民族音楽みたいな5音音階の世界では彼らなりの絶対音感の持ち主がいることでしょう。

絶対、という言葉の空虚さを感じます。

この回答への補足

 モーツァルトはいわゆる絶対音感の持ち主だったらしく、幼いころから音感に非常に敏感で、長じて「平均律でおれの曲を弾いたやつはぶっ殺す」とまで言ったそうですが・・・。彼が現代にタイムスリップしたら間違いなく「音痴」と言われるんじゃないかと思っています。
 そう思って、なおさら「絶対音感とは?」と謎になり、質問をしました。
 それとも天才のことですから、あっというまに現代の音階に馴染むのかな。
 
 音感が著しく欠けていると、今ある音階での音楽を作りにくいのは確かでは、とも思いますが・・・。(知人に、鼻唄を歌うのが好きな人がいますが、彼は非常に幅の少ない音で歌います。それはそれで彼なりの音階なのでしょうが、見事にすべての音が平均律から外れた音であり、また低い音や高い音がないんですね。彼にスペクタクル映画の盛り上がる音楽を作曲するのは難しそうです)
 幼いころからの訓練がないと身につかないと言われる「絶対音感がないと」といって限定しようとするのは、やっぱり、どこかで自分たちを優越したものとしてみなすため差別化したいのでは、という意地の悪い考えが浮かびます。
 相対音感さえない、なんて仰っていますが、coco1さんはギターを嗜まれるんですね。
 失礼になっちゃいますが、ギターの人って、指に覚えさせたときにときどきまちがえちゃったりしないんでしょうか?(;^_^A。わたしは小四で出たピアノの発表会のとき、頭の中が真っ白になって指が動かなくなってしまい、楽譜もイメージに浮かばなかったため、曲を思い出しながらほとんど一音一音必死で弾いた覚えがあります・・・。
 ああ、思い出すだけではずかしい。

 どちらにしても、民俗音楽には民族音楽ならではの音階がある、というのはうなづけます。
 西欧だって、これは世界的に広い地域で聞かれている音だけれど一つの民族音楽の音階だったんですよね。

 回答ありがとうございました。

補足日時:2003/05/30 15:22
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絶対音感:


平均律の音12個すべてを丸暗記している事。
言い替えれば、音を物理現象として、
「空気の振動の周波数」として記憶している状態。

相対音感:
音を音程として捉える事。

これでどうですか?

私の知人の音楽家(クラッシック)の方は、

「音楽の世界には、絶対音感という概念は無い。」

と潔く断言しました。

ちなみにその方は、楽器を使わず譜面が書け、
音叉も無しで楽器の調律ができます。
(基準になる音1個は記憶しているようです。)

ある特定の周波数の音12個を丸暗記...
確かに音楽の本質とはかけ離れた話ですね。

そういう音感になってしまった知人もいますが、
「楽器の都合でピッチをズラされるとやりずらい。」
と嘆いていました。

「譜面で見た瞬間、頭に浮かんで来る音」と、
「実際に楽器から出てくる音」
がズレていると「気持ち悪い」という事です。
(そういう意味で「気持ち悪い。」のならわかるけど。)

ちなみに、音を色で例える事については、疑問を感じます。

色の色目(およその赤とか緑とか)は誰でもわかりますが、
明度や彩度の絶対値がわかる人は見た事がありません。

>音を色のように捉えるのは間違っているんでしょうか?
との事ですが、色はピッチではなく「音色」程度のものでしょう。

この回答への補足

 回答ありがとうございます。
 ううーん、批判になっていたら申し訳ありませんが、書いて頂いた絶対音感と相対音感の区別では、絶対音感のほうはわかるような気もしますが、相対音感のほうはちょっとわからなかったです。音を音程として捉える・・・。
 私のIMEには辞書機能がついていて、「音程」と打つと「2音の高低の差」とでてきます。
 2音を提示すれば音の高い低いはわかるけれど、それがどの高さの音なのか(ピアノで言えばここのドだとかシだとか?)わかるところまではいかない、という理解でよいでしょうか?
 
 クラシック音楽家のお知り合いがいらっしゃるなんて、いいですね。うらやましいです。そういわれません?もううんざりしているかもしれないけど(;^_^A。
 「絶対音感はない」と言い切っておいでの理由は、やっぱり、平均律や純正律、その他の音階についての造詣をお持ちだからでしょうか。
 調律ができるのはすごいです。わたしはピアノの調律を何回もそばで見てきましたが、一音を何度も調整して、あきらかに違うものの「どう違うのか」はっきりわからないのに、調律師の方はこれ!とわかるみたいなんですよね。
 やっぱりピアノだけやっていた人間は音に鈍い、といわれるのも仕方ないかも、って思っています。
 もう一度、あの全部調律し終わった直後独特の、丸くて澄んだピアノの音が聞きたい・・・。独り言でした。

 音を色でたとえた理由は、これは私たち人間は便宜的に色に名前をつけていますよね。たとえば、壁の色を指さして「何色?」と聞いた時、たいていの人は「白」とか「クリーム色」などと答えるのではないかと思います。
 しかし、「白」と呼んでいる色は厳密には白ではなく、光の入りかた、まわりのものの色によって壁一面の色がまったく同じ色っていうことはありえないわけです。ずっとつながっているけれど、少しずつ違う色なんですよね。人間の目だと、30cm離れたA地点とB地点の違いははっきり見分けられるかもしれません。色にうるさい人や、絵を描くのがうまい人ならばもっと短い距離の色の差を見分けるかもしれません。しかしいずれ必ず、人間がその境目を見分けられない限界がやってくるはずです。
 そういう意味で、音も人間が1Hzずつ区切っているけれど、1Hzずつ飛んでいるわけじゃなくて人間が目盛りをつけているだけでしょう?わたしは色のように、ずっとつながっているものと思っていたし、その中から目盛りだけわかったって何がどう違うんだろう、という疑問があったし・・・。ごちゃごちゃしてきましたね。
 余談ながら、色もある意味周波数の世界です。
 絵を描く人は、ごくごく自然にこの色はあの色とその色を合わせる時、この彩度と明度でまぜてできる・・・という指定ができます。もし絶対音感というものがあるのならば、この色彩を見分ける能力がずばぬけている人を「絶対色覚」の持ち主と言ってもいいんじゃないかなぁ、などと思っていたんです。
 だから余計、絶対音感を慣れの問題で片づけていたんですね。色にたとえた理由は、絶対音感も訓練の結果、人よりも音価に余計に慣れているということを示すだけではないのか、わざわざ何かの特殊能力のように区別する理由はどこにあるのか、という疑問があったからです。
 
 長くなりましたね。すみません、色にたとえたわけは、少しはわかってもらえたでしょうか・・・。

補足日時:2003/05/31 01:31
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 貴殿のお求めになっている回答があるかどうかは断言できませんが、音楽学者 東川 清一 氏の著作「移動ドのすすめ」という本の中に、音感についての仔細な解説があります。

お手間でなければ、ぜひご一読をお勧めいたします。

 小生としては、音(音波)を記憶する先天性の才能に「楽音を聞く」経験が加わって「絶対音感」とも言うべき現象が現われる、と自分の体験を元に考えます。

 小生の場合、その経験部分(三つ子の魂)の元になっているのが、実家にあった古い足ふみオルガンで、今考えるとA=439~440Hzくらいのピッチの楽器です。これが基準で各12音を覚えましたから、A=443のピアノや回転数の上がってしまったレコードは頭の中の楽譜とずれてしまってホント、気持ち悪かったです。(でもそれ以外の部分で、演奏自体が良かったのでレコードは妥協して聞いてました。)

 それから、クラリネットのA管とB♭管の持ち替えが出来ないんですよね。同じ指使いで出てくる音が半音ずれているため、頭の中の楽譜と一致しなくて苦しいんです。リコーダーはC管、F管がありますが、CとFが離れているため、ぜんぜん別の楽器として覚えこみ、それほど苦労はありませんでした。これが絶対音感ではなく相対音感の持ち主であればこんなことには先ずなりません。

 ところで長いこと自分の事を「絶対音感」保持者と思っていましたが、東川氏によると、私のレベルは、厳密な意味での絶対音感保持者ではなく、近似的「絶対音感」保持者になるらしいです。

 ピッチというのは時代によって変わっていますし、調律方法も純正調、ピタゴラス調、ミーントーン、平均律、と時代で変化しています。たぶんその時代の、もしくはその地域でよく耳にすることの出来たピッチによって、時代別、地域別の絶対音感なるものがあったであろう、と小生としては予想します。果たして「絶対」と呼んでいいものでありましょうか。厳密に言えば疑問ですね。

 他人の著書の紹介だけだと無節操と思われるかも知れませんでしたので、自分なりの意見も補足してみました。

この回答への補足

 回答ありがとうございます。ここしばらく、先天的な才能とはなんだろうというふうに考えていました。
 訓練しなければならないけれど、その訓練次第ではほとんど全員が得ることのできる音感は、どのように考えればよいのでしょうか。
 
 ご紹介頂いた「移動ドのすすめ」は残念ながら、まだ拝読していません。お金がないので図書館の予約を入れたのですが一人、ずっと占有している方がおいでのようです(^_^;。いつか必ず読みますね。
 
 「音(音波)を記憶する先天性の才能に「楽音を聞く」経験が加わって「絶対音感」とも言うべき現象が現われる」という考えを経験上から得られたとのこと。ずっと長い間何かにふれていた方が、まとめあげた意見というのは非常に参考になります。本当のところを言い当てていることのほうが多いと思うから。
 なにがしかの潜在能力が、音感には絡んでいるのでしょうか。

 クラリネットとリコーダーのエピソードも興味深かったです。
 私はソプラノ、アルト、テナー、バスと一通り吹きました。指遣いが少しずつ違うところは別として、ソプラノからバスまでずっとつながった一本のリコーダーを、細いほうから順にちょんぎって、担当する音を一部分重ねて作った楽器、というイメージでした。ゲーム感覚でおもしろかったです。クラリネットは吹いたことがないのですが、なぜ作った人は半音ではなくいっそ半オクターブぐらいずらさなかったんでしょう。
 厳密な音感をおもちの方だと、そんなところで苦労があったのですね。
 絶対音感は、時代によってかわってしまうものですから正確には「絶対」ではないと思います。不変不朽のものだけが絶対と呼べるのですから。
 しかし、その個人のなかで確定されているということで、そのときだけ考えればそう名付けられたのは不思議ではないのだと思います。
 
 ご回答ありがとうございました。

補足日時:2003/08/02 22:43
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 No.9の者です。

続き、と申しますか、補足いたします。

 音感、と一言で言っても、そこには無数の段階があるように思います。大雑把に分けても、ある音からの相対的な距離(音程)が不正確な人と正確に取れる人、ある一定の音の1音だけを記憶し、それを基準に他の音を相対的に取れる人、12音の大体の音の高さがわかる人、平均律で正確に覚えこんでしまった人、小生のように、幼い頃に身についてしまった低めのピッチが未だに抜けず、周囲の環境(ピッチ)に無理やり適応している人、適応できずに拒絶反応を示す人、様々なのが現実です。世間ではそのいろいろなレベルの音感の違いをあまり深く考えずに「絶対音感」と呼んでいるように感じます。

 しかし音楽行為の中で重要なことは、そういった様々な音感を与えられている我々一人一人が、その条件の中で、いかにして音楽を楽しめるかということに尽きるのではないでしょうか。
 近似的「絶対音感」を持ったばかりに、苦手となる音楽行為が生じるのはNo.9で述べました。でも代わりに自分の頭の中にある音を楽譜に表現できますし、鼻歌歌えますし、耳コピーでいろいろな曲をピアノで弾いたりできます。そうやって音楽を自分なりに楽しんでいます。
 この楽しみ方は、きっと人それぞれ与えられた音感によって違うだろうな、と思います。自分に合った音楽の幸福を見つけられたらそれでよくはありませんか?

 もっとも、音楽の指導に携わる立場に立つのであればそう御気楽な事も言っておられませんで、いろんな音感の人の感覚を、知識だけでもいいからなるべく多く知っておく必要が生じるでしょう。それによって指導対象となる人を無用に傷つける危険性が減りますからね。自分の感覚が全てと思い込むことは本当にコワイことですが、音楽指導者のなかにはこういう人間がずいぶん混じっています。
 貴殿もおそらくそういう点に問題意識を持たれた上でのご質問と拝察いたします。音感に対する正確な理解が広まり、それが互いの感覚の違いに対する理解と許容へと結びついて、それぞれの音楽的幸福につながってゆくことを切に願う次第です。
 とりとめのない文章 ご容赦願います。
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