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川中島の戦いで勝利したのは、武田軍だと思いますか?上杉軍だと思いますか?

A 回答 (6件)

信濃の支配権を獲得した、という意味では武田の勝利と言えると思います。


ただ、他の方も仰っているように、双方とも被害は甚大だった上に、そこで力を使ったことが織田信長の対等を許す結果になった、なんていうことを考えると、武田が勝つには勝ったけど、文字通りに骨折り損のくたびれもうけ状態だったのだと思います。

とは言え、地理的な条件や、同盟国の情勢を考えると、どうしてもぶつからざるを得なかったのだろう、とも思いますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/14 21:06

勝利条件をどうするかでしょう。


武田軍の目的が、善光寺地区の制圧であれば、武田軍の勝ちですが、越後攻略まで考えていたとすれば、武田の敗北になります。
また上杉軍の目的が、武田軍の越後侵攻阻止であれば、上杉軍は勝利したことになりますが、信濃諸将の領土回復が目的でしたら、上杉軍の敗北となります。
そのため、上杉軍の目的が、武田軍の越後侵攻の阻止で、武田軍の目的が北信濃制圧であった場合、両軍とも勝利となりますし、上杉軍の目的が、信濃諸将の領土回復で、武田軍の目的が、越後侵攻の糸口つくりであったのであれば、両軍とも敗北という事になります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/14 21:06

織田信長。

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永禄4年の川中島の戦いは、上杉軍の戦場離脱で終わっています。


土地支配の戦略的にみると武田軍の「勝利」
人的損害で比べると「引き分け」でしょう。
戦争論から言うと、土地の最終的支配権は武田軍にありますので武田軍の勝利となります。
ご参考まで
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/14 21:07

この戦いを含めた5回の合戦で、結局は武田側がここの領土を得る形となり、また合戦の過程では最初は苦戦で後に辛勝ということですが、上杉側の戦死者に比べて武田側の戦死者は、弟の信繁や勘助を始めとした大将クラスが目立ち、総合的には領土は得たけど人は失った、ということで「人は石垣、人は城」ということから、後々のことを考えると武田側の負けといってもいいのではないでしょうか。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/14 21:08

確か引き分けだったと思いますよ。


上杉の方が武田よりは はやく死んだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2010/01/14 21:08

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