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哲学の概説書なんかを読むと、歴代の哲学者のそれぞれの主張が並列に書かれています。
しかし、そういった哲学の概説書はそれぞれの哲学の特徴が載っているだけで、
それがどう活かされるのか、今の世の中でも有効なのかといったことには触れられていないものが大半です。
哲学には過去の哲学を批判的に乗り越えて発展していった側面もあるので
「その時代では凄かったけど、今は別に・・・」っていう哲学もあると思います

分かり易い例だと、ターレスの「万物の根源は水」みたいなのは、
哲学の歴史の中では偉大なのかも知れませんが、今の世の中ではあまり必要な哲学ではないですよね?
他にも、例えばマルクスみたいなのは、大きな物語が終わった現在の社会では価値を無くしている様な気がします

その一方で、一時期現象学がちょっとした流行になったり(誰が言っていたのか忘れたのですが、
現象学は先が見えない不安な社会に生きる人々には合っているんだとか)、
うろ覚えですが確か村上春樹がカント好きだったり
改めて評価される哲学もありますよね?
そこで質問なのですが、今の世の中で価値のある哲学とそうでない哲学を教えて下さい。
そして、その理由も教えて下さい。それぞれいくつ挙げて頂いても結構です。
ただ、「全部意味がある」とか「全部意味がない」みたいなの以外でお願いします

A 回答 (6件)

そういった功利的な視点だけで言い始めると、今の時代の流行の哲学体系以外は全て意味のない哲学になってしまうのでは?



哲学が研究する分野は多いですが社会学的な宗教学関連、倫理、美術などは昔も以前も常に相対的に変わり続けるので意味があるでしょう。

かつての哲学が次の時代の哲学を構成するのでその連続と捉える確度から出あれば意味があるものは多いのではないでしょうか。

今の世の中で価値があるとはどういう視点でお考えでしょうか?
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1818年5月5日に生まれて、1883年3月14日に死んだマルクスには、21世紀の人類が直面する地球規模の課題にこたえるすべがありません。

それでも、マルクスから、人類が学ぶことは、まだまだあります。ターレスの「万物の根源は水である。」この命題の意味は、唯物論の出発点です。
昨年の総選挙で、自由民主党が政権から退場しました。この激震の意味がわかるのは、もう少し時間がかかるでしょう。平和な時代には、哲学もさかんになりますが、ここ数年は、政治の時代です。なにが起きてもおかしくありません。GMゼネラルモータースが倒産して、日本航空が再生機構のもとで再建をしていく時代です。もういちど、歴史を振り返ってみるのも、大切かもしれません。
NHK高校講座の倫理の授業で、哲学者、思想家のことがわかります。
http://www.nhk.or.jp/kokokoza/radio/r2_rinri/
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デカルトに共感すると勝ち組に


ニーチェに感動すると負け組に

将来なる確率が高い気がします

デカルト→自信を追求したがる
ニーチェ→要はサボリの言い訳
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1「てつがく」と「しゅうきょう」のちがいが


わからないひと

2宗教を哲学だと信じ込んでいる人

3村上春樹を含め=価値がない人

4数学至上主義者を含め権威主義者

の哲学は価値がないようです。
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個人的にいつもこれって思うのは「老子」の哲学ですね。

アインシュタインの創生論?にも似ている感じがしますし、自然がメインですからいつの時代も共通していると思います。
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こんばんは。

アバウトで面白い質問ですね。
客観的回答はないと思うので個人的偏見と独断で。

まず「今の世の中」ですね。そして「哲学に何を求めるか?」と言う観点でしょうか。

現代人の定義は難しいと思いますが、「科学技術文明に生きる人間」「神亡き時代を生きる人間」「個人が共同体から疎外された時代を生きる人間」、強引にこの三点に集約します。仮に。

この3つは互いに関係し合っていると思います。
我々の日常生活を振り返ると、模範たる人間もいやしませんし、そもそも模範たる生き方や人間関係の在り方がありません。

特に何を信じるでもなく技術革新と経済活動に努め、時にこれで良いのかと誰もが思いながら他の生き方も無さそうだと個も集団も保身第一で生き延びる。

個は何より大事にされているのに、結果ベルトコンベア的に規格化された人間が大量に生まれている、まさに大衆化。
「自分らしさ」「本当の私」「世界にひとつだけの花」などと言う文句が虚しくカラ回り。

皆が個室を持つようになり、ひとりひとりが携帯端末を握ってこのようなサイトで面識も持たない相手と語り合う。まさに現代。

ひとり閉じこもって真理の探究者たるべく思案する人は、現象論も認識論も知覚論も有効だと思います。

しかし例に挙げられたカント以降の哲学者が、真理とかはあるかも知れないし無いかもしれない。でもあったとしてもどうやら我々人間には認識し得ないようだし、認識したと思ってもそれは不確かなものであって・・・

だから思いつくのはニーチェ・キルケゴールですね。
ニーチェ自身が自らの哲学は現代においても価値があると言ってます。
本人が言ってるんだからそうなんでしょう(笑)

特にニーチェは、現代を生きる人間が平素忘れた振りをしている事を思い出させてくれます。

私は全然お教えする立場ではありませんので、単なる現代に対する私的感想です。
失礼致しました。
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