江戸時代に父親が刑罰(斬首)に処せられようとしているとき、身寄りのない
江戸時代に父親が刑罰(斬首)に処せられようとしているとき、身寄りのない子どもたちが、町年寄り監視の下に町内預かりとなり、長らく世間のことは分からなかったという記述に出会いましたが、生活費や住居その他生活全般の様子はどのようなものだったのでしょうか。外へも出歩けなかったのでしょうか。
また、江戸時代の瀬戸内海の呼び名は、どのように言っていたのでしょうか。
宜しくお願いします。
こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。
最初の質問:
生活費としては、子供には母親がいるはずで、町年寄りという、現代で言えば「自治会長」のようなもので、その人の監視下で、町内の人々の「慈善寄付行為」により、その町内だけで生活をし、町内からは他の町内などへ行ったりする行動が制限されていました。
そういう意味では、昨今の「隣の人が誰だかわからない」というような、閉ざされた社会ではなく、たとえ父親が罪悪人であったとしても、残った家族への隣近所の「互助精神」はありました。
住居は、現在住んでいる場所で、他の町内へ移ることはできませんでした。
従って、町内だけでしか生活できませんので、世間とは隔絶されてしまっていました。
町内の子供たちと遊ぶのは自由でしたが、いじめられたり、除け者扱いにされました。
また、父親の死によって、母親がすでに居らず、子供だけが取り残された場合は、町年寄りの家に預けられ、衣食住が与えられました。しかし、家族とは違い、男の子であれば雑用に、女の子であれば子守や炊事、洗濯などをさせられ、幼いながらも「使用人扱い」でした。
瀬戸内海の質問:
NO1.の方の言われるように、古くは「瀬戸の海」とも呼ばれましたが、江戸時代中期頃までは、一般的に「瀬戸内」(せとうち)と呼ばれていました。
瀬戸内海という概念が誕生したのは、江戸時代後期とされる。
しかし、現在のような範囲ではなく、もう少し狭い部分を指していたようですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8% …
町内で面倒を見ているというだけで町内での行動は自由です。
瀬戸の海(せとのうみ)
せとのうみ ゆうなみちどり ながなけば こころもにしへ いにしえおもう
とう和歌が伝わっています。
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