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坂本龍馬がブームになっていますが、
結局のところ何をした人なんでしょうか。

司馬遼太郎の小説を読むとたしかにかっこいいのですが、
どうも私には胡散臭く思えて仕方ありません。
(念のためですが、司馬遼太郎は好きです。)

A 回答 (2件)

No1です。


薩長同盟で文章を使いすぎたので、補足説明です。

さて、薩長同盟さらには龍馬が輸入した武器によって、幕府が劣勢になってきました。
薩摩・長州はあくまで武力で徳川を壊滅しようと考えていました。
ところが龍馬は、武力で壊滅したら国力が衰えた日本は、海外に不利な条約を再度結ばれてしまい、外国にのっとられてしまう、と考え、大政奉還を考えます。
ようは、徳川が持っている権力をすべて朝廷にお返しします。ということです。
権力をもってなければ、薩長は幕府にケンカを売る大義名分がなくなってしまうのです。
薩長はあくまで、武力行使を考えていたので、龍馬は薩長に狙われるようにもなります。
(これが龍馬暗殺、薩長説です)

無名の龍馬が大政奉還!といったところで、誰も聞く耳をもたないので、龍馬は自国土佐の家老、後藤象二郎にこの案を説明します。
後藤は、自分の殿様(山内容堂)に大政奉還の説明をします。土佐は、幕府側につきつつも、時勢を見ては討幕だったりと、常に優位な方に傾いていた藩だったので、薩長から冷ややかな目で見られていました。山内も薩長を快くおもっていなかったようで、大政奉還をすれば薩長を出し抜けるとし、喜び勇んで将軍(徳川慶喜)に進言します。
結果、幕府は大政奉還の道を選びました。

大政奉還の土台を作った。これも龍馬の功績として上げられます。


といっても、今ある龍馬伝説は、土佐の仲間たちが捏造したとも言われています。
結局テロリスト側が勝利し、新政府が樹立し、それを牛耳ったのが薩摩、長州。
大きく差を開けられて土佐藩が続きます。明治海軍も、海援隊が母体になっていることから、産みの親である龍馬を神格化し、日露戦争のときに大きくクローズアップします。
皇后の夢枕に龍馬が出た!ということで、第一次龍馬ブームが起きました。
土佐藩閥は龍馬が如何に偉大な人物だったかを説き、龍馬=土佐藩閥の力を知らしめます。
その神格化した龍馬を更に広く伝えたのが、ご存知司馬小説ですね。これが第二次龍馬ブームでしょうか?
このブームは根強く、団塊の世代はもちろん、その子の世代も尊敬する人物として龍馬を挙げる人が多いですよね。
潜在的に人気のある龍馬が題材になると、必然的に人気が出る。ということで、篤姫、直江、の大河ヒットに続いて、龍馬を再度ブームかさせようとした兆しが見えますね。

ネットが普及してから、龍馬美化しすぎだろ。との声が大きくなっていますが、それでも魅力的な人物であることは変わらないかと思います。
龍馬に限らず歴史的な偉人は源義経、織田信長、宮本武蔵や三国志に至るまで、小説が作った人物像かと思います。
フィクションとノンフィクションの区別をしながら、小説は楽しめばいいと思いますよ。
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この回答へのお礼

詳しい解説をありがとうございます。

アドバイスいただきましたとおり、小説は楽しみたいと思いました。

お礼日時:2010/01/29 23:00

簡単に説明すると、260年続いた徳川幕府(江戸時代)に終止符を打った人。


だと、言いすぎなので、古い時代を終わらせた立役者ぐらいでいいかと思います。

当時の日本は、徳川様様の時代でした。徳川の意向は絶対。鎖国が生み出した文化ですね。
ところが、黒船来航以来(ペリーの前から黒船は何度も日本に来ているのですが)幕府の体制って古いんじゃない?って考える人が出てきました。
一般庶民は単純に、外人=ケダモノと捉えていたので、神国日本に土足で上がってくる外人を排除せよ!ってのが世論でした。
前置きが長くなりましたが、龍馬もそう考えていた一人で、開国を推奨する勝麟太郎を殺そうとしますが、逆に開国の必要性に気づき、弟子入りします。
ここから龍馬の人生が一転します。

勝の人脈をフルに活用し、海外や幕府の内情など、さまざまな知識を吸収します。
龍馬は武士というより、商人気質が強かったらしく、日本で初めて貿易会社を作り、海外で商売する夢を見るようになります。
その頃日本は、幕府を潰そうとする志士(今で言うテロリスト)を歓迎する国、長州藩が幕府によって潰れそうになっていました。龍馬の旧友である中岡慎太郎という人間も長州贔屓で、藩が潰されないためにも、幕府側にいる薩摩藩と手を結ぶために東奔西走していました。薩摩と結びたいが、薩摩の意向が分からん。そこで龍馬の登場です。師匠の勝が蟄居になった際、龍馬は薩摩の庇護を受けました。薩摩にパイプをもつ龍馬と、長州にパイプを持つ中岡とで、協同し薩長同盟を結びました。薩長同盟の誓約書のウラに、龍馬がサインをしていることから、龍馬の手柄のようになっていますが、中岡の功績も大きいと思います。哀れ、中岡。。。

さて、薩摩と長州が手を結び、龍馬はこの両国の貿易の橋渡しをします。
龍馬の会社(亀山社中、後の海援隊)が海外から古くなった武器を安く買い(といっても日本では最新式の武器)薩摩に高値で売り、その薩摩の武器を龍馬を介して、長州に売る、薩摩が米不足で困っていれば、長州の米を薩摩に売る(結局は無料で提供しましたが)など、貿易面で倒幕に貢献したといえるでしょう。

薩長同盟、その後の両藩の援助。これが功績の1つでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
大変勉強になりました。

お礼日時:2010/12/18 17:59

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