質問

人生を楽しむとは何のことでしょう。

普段仕事が忙しいので、たまの休日にはスポーツを楽しむ、デートを楽しむ、友人との会話を楽しむ・・・・

なら分かります。

ならば人生を楽しむとは、あの世ではつらい目に合って来たから、人という生を楽しみましょうという意味でしょうか。

私たちは人生以外の何かを持っているのでしょうか。

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回答 (6件)

揺りかごから、墓場まで、社会保障が整った国ほど自殺者が多いと言います。同じ国でも平和な時代が続くほど、心を病んでしまう人が多くなると言われています。ゆとりがあって人生を楽しむ機会が増えてゆくほど人間には障害が増えてきていると言う事になります。

その訳は(自分なりの考えでは)不景気や戦争時や、発展途上国などにおいては、生きる事が、生きる目標、或いは意味をなしている気がしています。

豊かな国では今言った事が、生きる目標、或いは生きる意味にならなくなってきた事の現れと言う気がします。そこに【人生を楽しむ】と言う事のヒントがあると思います。生きる事に意味を感じなくなった時に障害が出やすくなったと言う意味になります。

その反対が、生き生きと生きている時や、生き生きと生きている人です。その時には何をやっても、辛い事でも、楽しい時でも、生きる事に意味を『自分で」作り出していると思います。やっている事、自体に意味を見つけているのか、或いは意味を作り出しているかをしている時です。

【人生を楽しむ】と言う事は結局のところ「自分」が「自分」の生を意味有るものにしている時と言う事かと思います。

この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

精神にとって生きるとは何かという事になりましょうか。
生きる理由がほしいのですかね。

生きている時間もあるなら、死んでいる時間もある。

生きている間は、楽しみましょう。
生まれただけでも丸儲け。
って感じで。

この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

儲けた気がしないのが問題なのかもしれませんね。

外的なものを内的なものとして受け入れて深く感じるということだと思います。

つまるところ恋愛観です。

人間が一歩行動を起こすと、外部との接触がおこり、何かを感じる、そしてまた内部に戻ってくるという、内と外の繰り返しの連続性を味わうような感覚だと思います。

この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

深いですね。

感覚的な言葉ですので、論理的な正解はないと思いますが、
「“生きるための必然”を自己の意志として、生きること自体
によって精神的充足を得る」というのが、「人生を楽しむ」に
つながるように思います。
(生きることと遊離した充足は、クスリやハッパにつながる訳で)

この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

主体的に生きるという事の方便なのでしょうか。

>人生を楽しむとは何のことでしょう。

本来は精神的充足量の最大化を目指そう、ていう意味。
原始の時代、遊びと仕事は分かれていません。貨幣制度の応用としてのサラリーマンが誕生してから分かれたのです。それをふまえ、再び仕事と遊びが同じ意識になる場合、個人の意識により現代でもありうるから、全ての営為において人生通算の神的充足量の最大化を目指すことは可能となる。という意味だと思います。
しかし要するに、仕事と遊びが分かれた現代人特有の言葉じゃないでしょうか?今でも原始的な生活をしている部族に「人生を楽しむ(遊びも重要)」ていう意味は理解できないでしょう。「遊び」ってなに?「仕事」ってなに?と聞き返されますよ。

この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

やっぱり心理的には

「楽しい」→充足量の増加

という図式なるんでしょうね。

自分が楽しいと思うことをするのではなく、
日々の生活の中で起こる事を、楽しさとして
受けとめようということではないでしょうか。

この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほどです。

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