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カッシーラーとハイデッガーとの、技術論の根本的な相違って何なんでしょうか??


回答、よろしくお願いします。
カッシーラーの本を読んでも、ハイデッガーの本を読んでも、難しくてよくわからないです・・・。
どうかよろしくお願いします。

A 回答 (1件)

議論の中心は、「どこまでがアプリオリ」か?という問題です。



二人とも、アプリオリを名詞的概念として取り扱っているところが
共通する事実です。

ハイデッガーは、
科学は、形而上学的一面性の具体的表象であるとし、技術と科学の「発展」は、合目的性を追及するあまり、「有用性と開発」のサイドエフェクトに強く影響され、「発展」が、「乱開発(Vernutzung)」に帰結し、社会ひいては人類のの崩壊につながると示唆しています。「物具(Zeug)」への哲学がその基幹的手懸りとなります。

一方
ドイツ観念論の後継者であるカッシーラーは、フィヒテの行動と思考の一致=学中の学・シェリングの一神教的神話論+自然哲学・更にはヘーゲルの自己実現の心的経験哲学を総合する形で「象徴的学自体の動的発展論」を展開しましたが、科学的合理性が、唯一(論理学に基づいた算術的論理体系という意味で)数学的な「機能連関(Kontingenz)」の総体であるということをはじめに主張した人です。現代科学は、新カント学派が出発点です。

そういう意味で、ハイデッガーは、カッシーラー的「学問物議(Diskurs)」の解釈者ともいえます。(技術の存在論と既成存在の本来的技術存在への自己回帰=解放という意味です。)

学的論争は、「神話性」を基礎とする人的自己実現の諸体系であると解釈し、技術とは、技術自体を経験的に「体系的閉」の論理単位の自己発展であると定義付けます。
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この回答へのお礼

本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/02/07 20:00

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