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学部生時代は研究をしていてもすごいやさしくてゆっくりしていました。

しかし、修士に進学して研究をしてから、教授は毎日進捗を聞いてきますし、
「遅い。やる気あるの?」
「そんなミスが許されるのはは学部生までだぞ!!!」
とかかなり厳しくなりました。

なんでこんなに厳しく変わってしまったのでしょうか?

A 回答 (7件)

学部の時と同じ先生に指導されているのですね。


私も現在大学院に通っています。私の場合は社会人での大学院で、学部の時と同じ指導の先生です。当然、社会人であるため、他の院生(ストレートマスター)とは異なる基準で研究を求めてきます。
質問者様のような状況は、No.2様が回答されたように、修士は研究者の卵としてみなされます。したがって、指導は受けるものの、意見を述べる場合は一研究者同士として扱われているのではないのでしょうか。
指導の先生が本気で望まれることは大変貴重な体験だと思います。質問にあるような言葉をかけてくるということは、ゼミなどでは積極的に意見を述べることがもとめられているのではないでしょうか(推測ですが)。議論を求める先生に指導を受ければ、たいていは伸びるものです。質問者様自身の問題意識を明確にし、何を研究するのか、自分はどうなりたいのかというビジョンを持ちながら、学生生活を送れることが何よりではないのかと思います。 長々と失礼しました。
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スピードは非常に大切ですよ。

修士などあっという間に終わってしまいます。この時期からしてもう間もなく1年ですね。もし5年間大学院にいれば、大学卒業から定年までのおよそ40年のうちの12.5%を費やすことになりますが、ぐずぐずしていると碌なことは出来ません。
先生はまるで祖母が孫をかわいがるように親切の限りを尽くしているではないですか。
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学部時代から先生と近い関係で研究しておられたのならその変わりように驚きますよね。



学部と大学院は違うと言えばそれまでで、その通りでもあるのですが、大学院においては指導教官との関係は特に大切です。

(修士限定ではありませんが)「博士号のとり方 学生と指導教官のための実践ハンドブック」という本に大学院における学生と指導教官との間に生じうる、さまざまな誤解を含む行き違いを豊富なケースを用いて書いているのでご一読をお勧めします。

大学院での指導教官との関係は強調しすぎることが決してないほど、本当に大大切。できるだけ行き違いがないよう、いろんな事例を学んで細心の注意を払うことに越したことはないです。私も院生のときは指導教官の意図していることがなかなかわからず、この本の記述に何度救われたかわかりません。
念のためアマゾンへのリンクを貼っておきますね。お役にたてば幸いです。

参考URL:http://tinyurl.com/yexzfs5
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まじめな先生なんでしょう。


ぼくは逆ですね。卒論はいちいち口うるさく教えないとどうにもならないことが多いですが,大学院ではすべて自己責任。「すでに教えたはずだろ? できなきゃお前が悪い」。あなたも,そんな扱いのほうがいいですか?
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うーん、良い教授に当たりましたね。


ひどい教授は進捗状況どころか学生の顔も見ませんよ。
当然修論は書けない、ペーパーも書けない…。
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博士課程に在籍していた者です。



修士課程ともなれば、プロフェッショナルの卵です。
そのような人に甘えが見えれば叱られて当然です。
……というか、こんな質問をしていること自体、認識が甘いのでは?

本当にやる気あるの?

わたしもお聞きしたいですね。
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>「そんなミスが許されるのはは学部生までだぞ!!!」


大学院の意味を勘違いしていませんか?

学部卒業が多くなって「学士」という名刺の肩書きでは使いものにならないので大学院に行って修士か博士と書きたいのでしょうか? 大学院とは研究者を養成する場所です。 学部のようなお客さんではないですよ。
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