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この世界は本当に存在しているんでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

 ・・・・それは貴方の考え1つで変わります、今は自分がどうしてココに居るんだろうと思えるでしょうか?この世がもし「創られた」ものではなく、「作られた」ものだとしたら・・・?そういう些細な自分への問いかけが自分の進む方向をさしているのです。

そのような些細な質問の答えはそう簡単には出ません、この世界が存在している?という質問は私が思うにはこういう結論です。。。
 地球が本当に存在しているとします、そうするとこの地球が作られたor創られたと言う事になります。すると地球が生まれた中でさらに陸地、海が生まれさらにその中で動物・植物が生まれたのです。つまり、貴方が生まれたと言う事は地球が生まれた事より遥かに奇跡ですよね?つまり、貴方がこの瞬間を生きている事は他の人も同じです。だから、少なからず貴方と同じ考えをもった人が居ます。その事が「この世界は本当に存在してるんでしょうか?」という質問の答えなのです。

この質問の答えはyesです。でも貴方が今、生きていて考えるかぎりその答えは替わりゆるのです。
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あなたが投げかけたその質問に、見ず知らずの人々がこうやって答えている、この事実をあなたが認めるなら「この世界は確かに存在している」と実感できるのではないでしょうか。


あなたは確かに回答を受け取っているにもかかわらず、それでも存在を認めないなら、一生懸命答えている見ず知らずの私たちは「いったい何者」でしょうか。
ぜひあなたの意見を聞きたいのですが。
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CO2は海から発散している。



この惑星に知的生物はいない。

世界は存在していないのと同じ。
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いいえ、この世界が存在しているというのは貴方の妄想です。


実は私が目を覚ませば、あなたの目の前にある全存在は無となります。
私が目を覚ます前に、面白いことをお教えします。

悪魔の証明[Devil's proof]〔発見者不詳〕「存在しないことを証明することは不可能である」

さあ、私が目を覚ます前にポイントを私に付与なさるのじゃ。
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「有る」という事の実態を知ると、それは無とオーバーラップするものである事が分かります。


全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限につめこむと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限のゼリーの中に、仮想的な認識体の断面を切ると、その認識体にとって、相補的不確定性を伴う存在による宇宙が見えます。

しかしその「存在」は、認識される階層的現象の表面的に生じるもので、根源的に絶対化しようとすると、元の無限不確定性に発散します。
実は、相対性理論にしても、量子論にしても、認識体との相対によってしか存在は無い、という帰結を潜在的に持っています。
客観的時空や絶対的存在というのはない、というものです。
認識性を除外した存在は、無=無限不確定性になります。
その無限の闇に、認識体の仮定断面の運動を想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての宇宙を認識するのです。

我々は「過去は既に終わっている」「未来はまだ来ていない」ので、「存在するのは現在」と考えますが、真の『現在』とは、認識体の感受表面での量子相互作用(光速)のみであり、その経験(過去=超光速)による予測(未来=光速下)として時空的広がりは発生しているのです。
無の不確定性無限の潜在としての「自我仮説性」の相補としての「時空仮説性」。
「相補」というのは、絶対時空を否定し、認識体との相対においてしか時空は計量できないとする相対性理論や、同じく認識体が現象表面的に物事を捉え、本質的に決定しないことにより有限的存在性は生じるとする不確定性原理といったものを伴う時空、ということです。

即ち「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確定性(h)の収束における、hの減少の時系列化である時、それが架空の時間軸となって、空間的確定性としての無限不確定的空間性が、超光速(過去=経験=時間)と光速下(未来=予測=空間)に相補分化する受け皿となり、同一軸の延長が仮説的に直交基底をなす事によって、相補的不確定性を生じ、経験による予測=現象表面的定性化における、有限的存在(=非光速)を幻出しているのです。
即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補として生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無の射影として、存在は生じていると言えます。
無いとは分からない事が有なのです。
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doc_sundayさんへ。


永続性に対しての保障の考え方が変わってくると思います。

科学的な真理として「存在している」のなら、永続性はその法則の中に存在します。「世界」が外的要因で失われるということはありません。

どこか、だれかに依存した存在だとしたら、ある瞬間に別の存在になっていたり、ある一瞬ですべてが終わったりする可能性を意識しながら生きていく必要が出てきて、普通の人には割と心理的な負担が大きな状況になるように思えます。
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皆様がお答えのように、矛盾が起きなければ「存在していても、していなくても構わない」という結論が導き出されます。

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存在していない場合、ご質問者さんの「夢」ということになるかと思いますが、ご質問者さんは、相当な知識と想像力をお持ちだということになるでしょうか。

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たとえ、この世界が


存在していなかったとしても、
あなたが存在している。
だから、それでいい。
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色即是空、空即是色 (般若心経より)



 この世にある一切の物質的なものは、そのまま空(くう)であるということ。また一切の存在は現象であって空であるが、その空であることが体得されると、その現象としての存在がそのまま実在であるとわかるということ。

 この世は存在しています。
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