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教会と中世ヨーロッパの人々の関係性について

(1)十分の一税
 農奴やユダヤ人も十分の一税を納めたのですか?
 また、その税の内のおよそ何%ぐらいが教皇庁(ローマ教皇)
 に送られたのでしょう?

(2)宗教改革でプロテスタントが広まった地域では
 教会と民衆との関係性はカトリックのそれと比較してどう
 かわったのでしょうか?
 また、プロテスタントの地区では十分の一税はどのようになった
 のでしょうか?

(3)参考文献
 中世ヨーロッパにおいて教会や聖職者が民衆の生活とどのように
 つながっていたのか(経済的・精神的)を是非知りたいと考えてます。
 例えば、庶子がいかに差別されていたか。破門は頻繁に行われていたのか?
 十分の一税とは具体的にどのようなものだったのか?
 このような疑問に答えてくれる、できれば分かりやすい参考文献を
 ご教授いただけると大変有り難いです。

A 回答 (2件)

破門は、当時としては社会的に抹殺されるような深刻なものですから、そう簡単にはしなかったのでは・・・・・・???

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1.1/10税は、キリスト教徒が教会に支払う税です。


よって、キリスト教徒ではないユダヤ人は支払いません。
ただし、全く無視していると、一般の人達の反感を買いますから、税としてではなく、寄付という事はおこなっていたと思われます。
奴隷の場合、収入が無い限り、支払う事はできませんが、農奴の場合は、収入がありますから支払う必要があります。(農奴は、移動などが制限された農民で、奴隷ではありません)
教皇庁への分に関しては、知りませんが、ほとんど無かったのではないかと思われます。

2.宗教改革のころには、1/10税はほとんど無くなっていました。
領主が1/10税分の収入を確保し、教会はその領主の保護下にはいるというスタイルが一般的でした。
教会と民衆の関係は、プロテスタント地域でも大きな差がありました。
イギリス国教会の地域では、カトリックの時代とほとんど変化はありませんでした。
ルーテル派の地域では、教会は世俗権力から離れた信仰や精神的安定、地域の共同体といった場になってゆきます。
カルヴィン派地域では、商工業者が結束し、封建的領主との対立の場になってゆきます。
アナバブテストの地域では、一種の社会主義的制度が作られ、領主層のみならず王権や商工業者らとの対立が深刻化します。
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